2-4 襲来
「お前さんも、賞金稼ぎなのか? 女だてらに、酔狂なこった」
ガルディルの言葉に、少女は威勢よく「はん!」と鼻を鳴らした。
「退魔の刀剣を扱うのに、男だの女だの関係ないでしょ? あたしよりこいつを上手く使いこなせる人間がいるってんなら、ここに連れてきてみなよ」
それは、いかにも向こう気の強そうな少女であった。
年の頃は、せいぜい十六、七歳であろう。茶色の長い髪を頭の上で結いあげており、青い瞳を強く光らせている。やたらとふてぶてしい笑みを浮かべているものの、顔立ち自体はなかなか整っているように思えた。
それに、南方の生まれであるのだろうか。よく日に焼けた小麦色の肌をしており、マントの下には胸あてと短めの脚衣しか纏っていない。引き締まってはいるが十分に肉感的な肢体が、惜しげもなく人目にさらされてしまっていた。
「うーん、若い女はもうちっと身をつつしむべきだと思うぞ?」
ガルディルがそのように述べたてると、少女は主張の強い胸もとを恥ずかしげもなく突き出した。
「こんな状況で助平心を発揮するなんて、なかなか肝の据わったおっさんだね。……魔獣相手にチンケな鎧を着込んだって、意味はないでしょ?」
「そりゃまあ、その通りだろうけどよ」
魔獣の攻撃を防ぐには、魔石をあしらった甲冑を纏うしかないのだ。そのようなものを準備できるのは王国の騎士団のみであるので、平民の剣士はたいてい軽装であるのだった。
「とにかく、その娘っ子を渡してもらおうか。リールで、金貨の褒賞が待ってるんでね」
「何だ、お前さんも、こいつ狙いかよ。次から次へと、せわしないこった」
「ふん。宿場町の食堂で、あいつらがその娘っ子のことを話してたのが耳に入ったんだよ。だから、後を尾けさせてもらったのさ」
少女は挑むように青い瞳を光らせながら、刀剣の柄に指先をのばした。
「べつだん、あんたに恨みはないからね。その娘っ子を渡してくれりゃあ、痛い目を見ずに済むよ?」
「うーん、そうだなあ。……なあ、お前さんは、なんて名前なんだ?」
「は? 名前なんて聞いて、どうすんのさ? あたしは賞金稼ぎの、ジェンカだよ」
「ジェンカか。俺は、ガルってもんだ。……なあ、ジェンカ。賞金稼ぎってのは、魔獣を退治して金貨やら銀貨やらを稼ぐもんだろ? それがどうして、こんな幼い娘っ子を連れ去ろうとしてるんだ?」
「何だい、そりゃ。その娘っ子の首には賞金が懸けられてるんだから、あたしらにとっては魔獣を退治するのと一緒のことだよ」
「でも、こんな幼い娘っ子に賞金が懸けられるなんて、おかしな話じゃねえか。どう考えたって、貴族か何かの悪巧みだろ」
ジェンカは、うろんげに眉をひそめた。
「あんた、さっきから何を言ってるのさ。それが貴族の悪巧みだったら、何だっての?」
「そんな貴族の思惑に乗っかるのは、つまらねえと思わねえか? 俺はそういう悪巧みが、肌に合わなくてしかたねえんだよ」
「あたしだって、貴族なんか大ッ嫌いさ。……でも、金貨に罪はないからね」
賞金稼ぎの少女ジェンカは、つんと下顎をそびやかした。
「剣でかなわないから、口で丸めこもうっての? お生憎さま。そんな手には乗らないよ」
「いやあ、さっきの連中よりは話がわかりそうだと思ったんだけどな。女相手に剣を振り回すのも、気が進まなかったしよ」
ガルディルは心から残念に思いつつ、黒曜の刀剣を握りなおした。
「それに、さっきの連中の気の毒な末路は覗き見してたんだろ? それでも、俺とやりあおうってのか?」
「はん。あいつらは、あんたのペテンに引っかかっただけのことでしょ? あたしには、そんなイカサマも通用しないよ」
不敵に笑いながら、ジェンカはガルディルの刀剣を指し示してきた。
「その刀、刻印がないけど、二等級の刀剣なんでしょ? そうじゃなきゃ、三等級の刀剣をあんな簡単にへし折れるはずがないもんね。それに気づかず粋がってた、あいつらが間抜けなのさ」
「いやあ、刻印を打つのは王国の掟だろ? そいつを破ったら、鍛冶屋も剣士も首くくりだろうさ」
「だったら、あんたも首くくりだね。そいつは気の毒だから、あたしがその刀剣をへし折ってあげるよ」
ジェンカが、ついに抜刀した。
鞘から現れた刀身は、真紅だ。その磨き抜かれた刀身には、さきほどの連中とは比較にならぬほどの魔力の輝きが燃えさかっていた。
「ふーん。しっかり刀剣の魔力を引き出せてるみたいだな。まだ若いのに、大したもんだ」
「ふふん。おそれいったかい? 降参するなら、いまのうちだよ?」
「いやあ、この娘っ子は俺が安全な場所に送り届けるって大見得を切ったばかりなんでね。そういうわけにもいかねえんだよ」
「だったら、痛い目を見な!」
ジェンカがその場で、刀剣を一閃させた。
刀身に宿っていた輝きが、紅蓮の炎と化して、ガルディルに襲いかかってくる。二等級の刀剣であれば、こうして魔力を放出することも可能であるのだ。
ガルディルが刀剣を振りかざすと、両断された炎はただちに消滅する。
その向こう側から、今度は刀剣そのものが襲いかかってきた。
ガルディルとジェンカの刀剣が、真正面からぶつかり合う。
黒と赤の火花が散って、パチパチと不穏な音色を奏でた。
どちらの刀身もへし折れることはなく、鍔迫り合いの状態となる。赤く燃える刀剣の向こうで、ジェンカはにやりと笑っていた。
「ふん……おっさんも、けっこうやるじゃん」
「おほめにあずかり、恐悦至極だね」
そのように答えながら、ガルディルはいささかならず困っていた。
想像以上の力感が、刀剣を通して伝わってきている。これを跳ね返すには、ガルディルもそれなりの闘気を振り絞るしかないように思うのだが――加減を間違えたら、紅玉の刀剣ごと、ジェンカの肉体を真っ二つにしてしまいそうであったのだ。
それに、等級外の刀剣では、どれだけの闘気に耐えられるものか、知れたものではない。下手をしたら、ガルディルの闘気に耐えかねて、こちらの刀剣が先に砕け散ってしまうことだろう。等級外は、しょせん等級外なのである。
(かといって、手を抜きすぎたら、俺のほうがやられちまいそうだし……やっぱり二等級ってのは、馬鹿にできねえな)
特等級は剣王に、一等級は騎士団のみに所有が許される。ゆえに、平民の持つ退魔の刀剣としては、この二等級が最上級であるのだった。
(そいつをきちんと使いこなせてるこの娘も、大したもんだ。もう何年か修練を積んだら、等級以上の魔力も引き出せるんじゃねえのかな)
などと、呑気に考えている場合ではなかった。
真紅の刀剣が、めらめらと新たな炎を纏い始めたのである。
「おいおい、こんな距離から、魔力をぶっぱなすつもりか? 本気で俺を殺すつもりかよ?」
「どうやら本気を出さないと、勝てそうにないんでね。焼け死にたくなかったら、降参しな」
振り絞るような声で、ジェンカが言い捨てた。
おそらくはガルディルの力に対抗するために、全力を尽くしているのだろう。その闘気を注ぎ込まれた刀剣は、炎そのもののように光り輝いていた。
「さ、いくよ? 火の精霊よ、我の敵を滅びの炎で――」
「わかった、降参する。……お前さんも、金貨のために人を殺めるような人間にはなるなよ」
ジェンカの目が、はっとしたように見開かれる。それを見やりながら、ガルディルはゆっくりと闘気を引っ込めていった。
黒曜の刀剣があるていどの魔力を失ったところで、ジェンカがぐいっと刀をひねる。ガルディルの刀剣は手を離れて、床に落ちた。
ジェンカは「ふう」と息をつき、自らも闘気をひっこめる。
その瞬間、ガルディルはジェンカの刀剣の柄を、おもいきり真下から蹴りあげた。
真紅の刀剣が弾かれて、天井に突き刺さる。それを見届けて、ガルディルは「よし」と拳を握った。
「よしじゃない! あんた、降参って言ったでしょ!?」
右手を痛そうに抱え込みながら、ジェンカがわめいた。青い瞳が、怒りに燃えさかっている。
「ああ、悪いな。お前さんは正直者みたいだから、俺みたいな卑劣漢を相手にするのは分が悪いんだろ」
「ふざけんな! 勝負はまだ終わっちゃいないよ!」
ジェンカは獣のような俊敏さで、黒曜の刀剣を拾いあげた。
その切っ先をガルディルに向けようとして、愕然と立ちすくむ。
「な、何これ……本当に等級外じゃん!」
「ああ。何の力も伝わらねえだろ? そいつを使いこなしたかったら、もう十年は修練が必要だろうな」
「それじゃあ、あんた……等級外の刀剣で、あたしと互角にやりあってたっての!? そんなの、信じられないよ!」
ジェンカは、子供のように地団駄を踏んだ。
そのとき――ピシリと、嫌な音がした。
ガルディルは、素早く周囲の気配を探る。
「あれ……こいつはまずいな。おい、そいつを返してくれ」
「うるさい! こんなの、絶対におかしいよ! 等級外の刀剣で、二等級と互角にやり合えるなんて――」
ジェンカがそのように言いかけたとき、丸太造りの家屋が揺れた。
メイアの座していた椅子が傾くぐらいの震動である。ガルディルは慌てて手を差し伸べて、メイアの身体を転倒から救った。
「大丈夫か? 何も心配はいらねえからな」
ガルディルの腕の中で、メイアは「うん」とうなずいた。その瞳は、とても静かにガルディルを見つめている。
「な、何なの、いまのは? 何かがこの小屋にぶつかってきたみたいだけど……」
黒曜の刀剣を手に、ジェンカは不安げに周囲を見回している。その間も、空間が軋んでいるような不吉なる音色が響いていた。
「魔獣だよ。魔獣の瘴気と護符の魔力がぶつかり合ってるんだ。どうしていきなり、こんな上級の魔獣が現れやがったんだ?」
そんな風に自問してから、ガルディルは腕の中のメイアを見やった。
「もしかして……昨日のお前さんたちは、ずっとあの場所にいたわけじゃねえのか?」
答えは、「うん」であった。
「最初は川のそばにいたけど、メイアが寒いって言ったら、あの場所に連れていってくれたの」
「川のそばかよ。そいつは、俺の見回りの範囲外だ。……それじゃあ、そっちで竜脈が活性化しちまってたんだな」
ガルディルは右手側の壁に寄っていき、そこに掛けられた護符の魔石へと呼びかけた。
「光の精霊よ、しばし眠りたまえ」
「ど、どうして結界を解いちゃうのさ! 上級の魔獣がそばに来てるんでしょ!?」
「このままにしてたら、護符の魔石を砕かれちまうだろ。こんな大物を退けられるような護符じゃねえんだよ」
大気を揺るがしていた鳴動が、嘘のように静まっていた。
そうして生まれた静寂の向こうから、不吉な気配が接近してくる。
ガルディルは扉のほうに向きなおりながら、ジェンカのほうに手を差し伸べた。
「さ、そろそろそいつを返してくれ。魔獣は塵に返さねえとな」
「もう! あたしの剣を使えなくしたのはあんたなんだから、責任取ってよね!」
叩きつけるような勢いで、ジェンカが刀剣を手渡してきた。
それと同時に、扉の向こうに巨大な影が生まれ出る。
人間よりも大きな図体をした、トカゲの魔獣である。
太い首には襟巻きのようなヒレが生え、赤い双眸は爛々と燃えている。これほどの大物が相手では、護符の魔石が悲鳴をあげるのも当然のことであった。
「こんな大物は、七年ぶりだな。ちょいと片付けてくるから、お前さんはここで待ってな」
そう言って、ガルディルはメイアの身体を壁際に下ろそうとしたが、とたんに細い腕がガルディルの首に巻きついてきた。
「何だよ、ここで待ってろっての」
「やだ」と、メイアはガルディルの首を締めあげてくる。
その視線は、どうやら遠からぬ場所に陣取っているジェンカのほうに向けられているようだった。
「ふむ。魔獣より、この姐ちゃんのほうがおっかねえってことか?」
「あんたらねえ! 馬鹿なこと言ってる場合じゃないでしょ!?」
「お前さんがそんな風に騒ぐから、メイアが警戒しちまうんだろ」
しかたがないので、ガルディルはメイアを抱えたまま、黒曜の刀剣を握りなおした。
魔獣はすでに、屋内にまで足を踏み入れている。その赤い双眸には、貪欲なまでの飢餓感が炎となって噴きあがっていた。
「ほら! さっさと斬り捨ててよ!」
「うるせえなあ。こういう魔獣は、迂闊に近づくと――」
ガルディルがそのように言いかけた瞬間、魔獣がぱっくりと口を開けた。
深淵のごとき口の奥から、弾丸のような勢いで細長いものが射出される。
それは、魔獣の舌であった。
うなりをあげて飛来するその舌を斬り払ってから、ガルディルは一息で魔獣の眼前に踏む込む。
ガルディルが刀剣を一閃させると、魔獣の図太い首が虚空に舞い、胴体とともに黒い塵と化した。
「ふう……なんとか、片付いたね」
安堵の息をつくジェンカに、ガルディルは「まだだよ」と伝えてみせた。
壁に背をつけて、扉の外を覗いてみると、薄闇の中にいくつもの鬼火が灯っている。逆の側から顔を出してそれを確認したジェンカは、青くなりながらガルディルをにらみつけてきた。
「あんたひとりで、あの数は無理だよ! あたしの刀剣を、何とかして!」
「そんなヒマはねえみたいだぞ。片付けてくるから、お前さんは大人しくしてな」
ガルディルは、扉の外に足を踏み出した。
とたんに四方から、毒蛇のごとき黒い舌が飛ばされてくる。
それらを薙ぎ払ってから、ガルディルは手近な魔獣に斬りかかった。
メイアを抱えているのが窮屈であったものの、ガルディルが苦戦を強いられるほどの魔獣ではない。それでも数が数であったので、ガルディルはひさかたぶりに全力で刀をふるうことにした。
(ふふん。こんなに賑やかなのも、七年ぶりだな)
ガルディルは、縦横無尽に剣撃を走らせた。巨大な魔獣どもの首や手足が宙に飛んでは、黒い塵と化す。等級外の刀剣では魔力を飛ばすこともできないので、いちいち一体ずつを斬り伏せなければならないのが面倒であったが、それでもガルディルの敵ではなかった。
十体以上にも及んでいた魔獣の数は、着実に減じていく。
そこに、「きゃあっ!」という悲鳴が響いた。
振り返ると、丸太小屋の前で、ジェンカが宙吊りにされている。魔獣がその長い尾でジェンカの右足をからめ取り、高々と持ち上げてしまったのだ。
「は、離せ! 離せよ! あたしを誰だと思ってるのさ!」
ジェンカは刀剣の鞘で魔獣の尾を殴りつけていたが、もちろんそのようなもので痛痒を与えることはかなわない。魔獣は爛々と双眸を輝かせながら、こまかい牙の生えそろった口を開いた。
「ったく、世話の焼けるやつだなあ」
ガルディルは地を蹴って、三歩でそちらに駆けつけた。
気配を察したのか、魔獣がこちらに向きなおる。その顔面を、ガルディルは下からすくいあげるように斬り払った。
禍々しい雄叫びをあげて、魔獣が前肢を振りかざしてくる。
その前肢ごと、ガルディルは魔獣の首を撥ね飛ばした。
魔獣の肉体ならぬ肉体が爆散し、支えを失ったジェンカが地に落ちる。
左腕はメイアで埋まっていたので、ガルディルは剣を握った右腕でそれを抱きとめることになった。
「大丈夫か? 武器もねえんだから、ひっこんでろよ」
刀剣で傷つけてしまわないように気をつけながら、ガルディルはジェンカの身体を小屋の壁にもたれさせてやった。
ジェンカは驚嘆に目を見開きつつ、ガルディルの姿を見上げてくる。
「何なんだよ、あんた……そんなの、まるで……」
「まるで、なんだよ?」
「……まるで、《黒曜の剣王》みたいじゃないか……」
ガルディルは、ぎくりと身体を強ばらせることになった。
しかし、そこで思いなおす。もう七年もの昔から、《黒曜の剣王》の座は別の人間に引き継がれているのだ。ジェンカの年齢を考えても、それがかつての自分を指しているとは思えなかった。
「何の話か知らねえけど、剣王様が等級外の刀剣を振り回すことはねえだろうなあ」
すると、夢うつつのような表情であったジェンカもハッと我を取り戻した様子で、眉を逆立てた。
「あ、当たり前じゃん! あんたなんかが、剣王なわけないからね! ほら、さっさと残りの魔獣を片付けなよ!」
「邪魔をしたのは、お前さんだろうがよ」
ほっと息をつきながら、ガルディルは残りわずかとなった魔獣どもに向きなおった。
その耳もとで、メイアがぽつりとつぶやく。
「ガルって、すごく強いんだね」
メイアがガルディルの名を口にしたのは、それが初めてのことだった。
そして、ガルディルが余人から名を呼ばれたのは、おそらく七年ぶりのことであろう。
ガルディルは、妙にくすぐったいような心地を味わわされながら、「まあな」と答えておくことにした。