2-3 招かれざる訪問者
それから半日が過ぎて、太陽が西に大きく傾きかけた頃、ガルディルは山中の我が家に帰還した。
が、その腕にはメイアを抱いたままである。けっきょく半日をかけて歩き回っても、メイアを託せるような人間とは巡りあうことができなかったのだ。
「何なんだよ、畜生め。この世の中は、いつからこんなに世知辛くなっちまったんだ?」
そのようにぼやいても、何かが解決するわけではない。取り急ぎ、ガルディルは牧野のヤギたちを小屋に戻して、壁に吊るしていたザクロとイチジクを屋内に取り込むことにした。
(俺だって、好きでこんな面倒事を背負い込んだわけでもねえのに……つくづく貧乏くじを引かされちまったなあ)
すべての仕事を終えた後、ガルディルは荒っぽく木箱の上に腰を下ろした。
メイアは椅子に座したまま、ぴくりとも動かない。その身のマントを脱ごうともせず、フードも深く下ろしたままだった。
(……まあ要するに、こいつがこんな貴族じみた姿をしてるのが原因なんだろうな)
そのように考えながら、ガルディルはもう何回目になるかもわからない溜息をこぼした。
レヴィンの宿場町において、ガルディルは何十名もの人間に声をかけることになった。これは迷い子の娘であるので、リールかザンの町に連れていってやってほしいと、馬車を持つ人間に片っ端から声をかけてみせたのである。
しかし、その結果がこれであった。
声をかけた人々は、迷惑そうな面持ちでガルディルの申し入れを断るか、あるいは自警団の男と同じように、下劣な欲情を剥き出しにするばかりであったのである。
メイアがどのような運命を辿ろうとも、ガルディルには関わりがない。
しかし、あのような者たちに引き渡すぐらいであれば、ダムドの山に放り捨てるほうが、まだしも親切というものだろう。いかに面倒事を嫌うガルディルであっても、そこまで非情になりきれるわけがなかった。
(だいたい、こいつが本当に貴族の娘っ子だったりしたら、俺まで大罪人扱いされちまうかもしれねえからな。そんな危ない真似ができるかよ、畜生め)
かといって、永久にメイアの面倒を見続けることなど、できようはずもない。
ガルディルとしては、八方手詰まりの状態であった。
「こうなったら、俺が自分でリールかザンにまで送り届けるしかねえか。チーズや乳酒で馬車に乗せてくれるやつがいりゃあいいんだけど……今日の感じじゃ、見込みが薄いよなあ」
「…………」
「それに、リールでもザンでも、往復で二日はかかるはずだ。その間、ヤギや畑の面倒を見ることもできねえし……うーん、こいつは厄介だぜ」
「…………」
「あのなあ、俺はお前さんのために頭を悩ませてるんだぞ? 黙りこくってねえで、何とか言ったらどうなんだ?」
メイアは、フードの陰からガルディルを見つめてきた。
不機嫌な感情を煮詰めて干し固めたかのような眼差しである。そういえば、メイアは宿場町に下りて以来、一言も口をきいていないような気がした。
「何だよ。何か不満でもあるってのか? 言っておくけど、晩飯は日が暮れてからだからな」
「…………」
「おい、いいかげんにしろよ? 何か不満があるってんなら、はっきり言いやがれ」
「あの人は……」と、メイアは感情の欠落した声で言った。
「……あなたに、メイアを託すって言った。それなのに、あなたはメイアを他の人間に押しつけようとしてる」
「あん? そりゃあそうだろう。お前さんだって、まさかこんな山の中で一生を過ごす気にはなれねえだろう?」
「…………」
「おいおい、本気で言ってんのか? 俺にはお前さんを育てる義理も甲斐性もねえんだよ。だから、お前さんが自分の家に戻れるように、こうして世話を焼いてやってるんじゃねえか」
「……家なんか、ない」と、メイアは静かに言い捨てた。
ガルディルは、思わず眉をひそめてしまう。
「おい、それはどういうこったよ? お前さんは、自分の家のことも覚えてないって言ってたはずだよな?」
「覚えてない。でも、たぶん……メイアの家は、なくなった。だから、あの人がメイアを連れ出してくれたんだと思う」
ガルディルは手をのばし、メイアのかぶっていたフードを後ろにはねのけた。
窓から差し込む黄昏刻の陽光が、メイアの白い面を照らしだす。
紫色をしたメイアの瞳は、限りない悲哀の光をたたえていた。
「……だったらなおさら、お前さんはもっとまともな居場所を探すべきなんだよ」
頭をかきながら、ガルディルはそのように言ってみせた。
「それまでは、とりあえず俺が面倒見てやるからよ。……そんな泣きそうな目をすんな」
「メイアは、泣いたりしない」
その顔は無表情のまま、ちょっとムキになった様子でメイアは言い返してきた。
ガルディルは「ははん」と笑ってみせる。
「そうそう。何も覚えてないのに、悪い風に考えたってしかたがねえだろ? 人間、生きてりゃ何とかなるもんさ」
「…………」
「さて。ちっと早いけど、食事にするか。そろそろ暗くなってきたみたいだし――」
と、そこでガルディルは奇妙な気配を感じ取った。
このような場所には存在するはずのない、複数の人間の気配である。
ガルディルは立ち上がり、メイアの身体を椅子ごと持ち上げて、奥の壁際まで移動させた。
「お客さんかい? こんな山の中に踏み入ってくるなんて、酔狂なこったね」
ガルディルがそのように呼びかけると、扉の外でぎくりと身体をすくめる気配がした。気配を殺してもいないのに、気づかれずに済むとでも考えていたのだろうか。
「いったい何の用事だい? 俺なんざに用事のある人間は、この世に存在しねえと思うんだけどなあ」
ガルディルが言葉を重ねると、家の扉が荒っぽく開かれた。
さして広くもない家の中に、三名もの人間が押し入ってくる。それは、いずれも腰に刀剣を下げた、三名のむくつけき男たちだった。
「おお、本当にいやがったぜ。こんな山の中を歩き回った甲斐があったじゃねえか」
ひときわ大柄な体格をした男が、嘲笑まじりに言い捨てる。残りの二名も、にやにやと下卑た笑みを浮かべていた。
「おっさん、その娘を渡してもらうぜ。まさか、逆らったりはしねえよなあ?」
「お前さんがたは、この娘っ子に用事だったのかい? 見たところ、家族とも思えねえような風体だけどなあ」
そのように述べてから、ガルディルははたと思い当たった。
「あれ……お前さんがた、どこかで見たような気がするな。もしかしたら、昨日あの食堂で出くわしたお人らかい?」
「ああ、その通りだよ、等級外のおっさん。覚えてくれていて、光栄だね」
男たちは、口もとを歪めてせせら笑っている。いずれも二十を少し超えたぐらいの年頃であろう。それでは、おっさん呼ばわりも否めないところであった。
「で、お前さんがたが、この娘にどういう用事なんだい? まさか、顔見知りってわけでもねえんだろう?」
「とぼけたことを言ってやがるな。手前は何の事情も知らずに、その娘っ子を連れて歩いてたのか? ……その娘っ子は、リールの町で手配書を回されてる罪人なんだよ」
ガルディルは少なからず驚かされて、メイアのほうを振り返ることになった。
ちょこんと椅子に座したメイアは、人形のごとき無表情で男たちを見返している。
「こんな幼い娘っ子が罪人ってのは、どういう了見だよ? 罪状は何なんだ?」
「知らねえな。俺たちが知ってるのは、そいつをリールの領主様に引き渡したら、金貨の報酬をいただけるってことだけさ」
「罪状を明かされない罪人なんて、いるもんかよ。そいつは何か、貴族がらみの陰謀なんじゃねえのか?」
ガルディルが問い質しても、男は「知らねえよ」と笑うばかりであった。
「貴族の目論見なんて、知ったことじゃねえや。さ、おしゃべりはこれぐらいにして、その娘っ子を引き渡しな」
「……悪いけど、とうていそんな気持ちにはなれねえなあ」
ガルディルは、等級外の刀剣を抜いてみせた。
男たちは、小馬鹿にしきった様子で笑い声をあげる。
「おいおい、本気で俺たちとやりあうつもりか? 俺たちは全員、三等持ちなんだぜ?」
「どんなに立派な刀剣を持ってたって、使いこなせなきゃ意味はねえさ。見たところ、それほど熱心に腕を磨いてる様子もねえしなあ」
ガルディルは、刀剣の腹で自分の肩を叩いてみせた。
「だけど、ひとつだけ忠告しておこうか。この山にはそれなりの魔獣が出没するし、そろそろ日の暮れる頃合いだ。せっかくの刀剣をなくしちまったら、帰り道はかなり心細い思いをすることになると思うぜ?」
「等級外が、何か言ってやがるぜ」
「手前で退治できるていどの魔獣なんざ、屁でもねえよ」
男たちも、次々と刀剣を抜き放った。
赤と、青と、緑の刀身だ。紅玉、藍玉、翡翠の刀剣であろう。しかし、その刀身を駆け巡る魔力の輝きは、実にささやかなものであった。
(だけどまあ、大事な家を傷つけられたら、かなわねえしな)
ガルディルは、黒曜の刀剣に闘気を送り込んだ。
漆黒の刀身が、ゆらりと黒い魔力に包まれる。それを見て、男たちはぎょっとしたように目を見開いた。
「お、おい、等級外の刀に、どうしてそんな魔力が――」
ガルディルはかまわず、一気に男たちとの距離を詰めた。
まずは正面にいた男の刀をなぎ払い、返す刀で、右側の男の刀を叩く。赤と青の刀剣は、それで二つにへし折られて、床に転がることになった。
振り返ると、最後の男が翡翠の刀剣を振りかざしている。
ガルディルは頭上に刀剣をかざして、相手の刀が振り下ろされるのを待ち受けた。
刀身と刀身が触れる寸前に、自分のほうからも刀を突き上げる。翡翠の刀剣は真ん中で折れて、弾け飛んだ切っ先が深々と屋根に突き刺さった。
「あー、しくじった。補修しねえと、雨漏りしちまうな」
ガルディルは溜息をつきながら、メイアの待つ壁際まで引き退いた。
「さ、気が済んだんなら、帰ってくれ。この娘っ子をどうするかは、俺が頭を悩ませるからよ」
男たちは、まだ何が起きたのかも理解しきれていない様子であった。半分の長さになった刀剣をかまえたまま、全員がぽかんと口を開けている。
「どうしたんだよ? ぐずぐずしてると、本当に日が暮れちまうぞ? 素手で魔獣とやりあいたいなら、好きにすりゃいいけどよ」
男のひとりが、「ひゃあっ!」と悲鳴をあげて、家を飛び出した。
残りの二名も、慌てふためいた様子でそれを追っていく。残されたのは、三本の折られた刀剣のみであった。
「やれやれ、騒がしいこった。……で、お前さんは帰らねえのか?」
ガルディルが呼びかけると、開かれたままであった扉の外から、「あは」という笑い声が聞こえてきた。
「何だ、気づいてたのかい。人の悪いおっさんだね」
「こそこそ隠れてたやつに言われたくねえなあ。お前さんも、あいつらのお仲間なのか?」
「冗談はよしてよ。どうしてあたしが、あんな三下どもとつるまなくちゃならないのさ」
扉の外から、新たな闖入者が姿を現した。
まだ若い、少女と言っていいぐらいの娘である。しかし、その腰に下げられた刀剣には、二等級の刻印が刻まれていた。