2-2 再びの宿場町
「あんた! そいつはいったい、何事だい!?」
そのように叫んだのは、《黒ヤギのあくび亭》の主人であった。
ガルディルにとって、この宿場町でもっとも馴染みが深いのはこの主人であったので、とりあえず真っ先に足を向けることにしたのだ。
「山の中で、こんな娘を拾っちまってさ。どうしていいかもわからねえから、こうして町まで送り届けに来たんだよ」
ガルディルがそのように説明しても、主人の目は驚きに見開かれたままだった。おそらくは、メイアの美貌に度肝を抜かれているのだろう。そんな主人の姿を、メイアは無感動に見返していた。
「いやあ、たまげたねえ。こんなに見目の整った幼子を見たのは、生まれて初めてだ。こいつはきっと、貴族か何かの娘さんに違いないよ」
「やっぱり誰でも、そう思うよな。なあ、この辺りで貴族の娘っ子が行方知れずになったとかって話は、回ってきちゃいないかい?」
「そんな話は、ついぞ聞かないねえ。もとよりこの土地は、貴族なんざとは何のご縁もありゃしないからさ」
そのように述べてから、主人はいぶかしげに眉をひそめた。
「ていうか、そんな話は本人に聞けばいいじゃないか? 親の名前でもわかりゃあ、どこの生まれかもはっきりするだろうよ」
「それが、なんにも覚えてないって言い張ってるもんでね。……やっぱりこういうときは、自警団あたりに連れていくべきかねえ?」
「いやあ、どうだろう。自警団の連中だって、どうしたらいいかわからないんじゃないのかな。こんな場末の宿場町じゃあ、貴族様の扱い方もわからないだろうさ」
主人は感心しきった面持ちで首を振っていた。日の高い内に出向いてきたのがよかったのか、食堂には荒くれ者たちの姿もない。
「だけどまあ、ここの安全を取り仕切ってるのは、自警団の連中だからね。とりあえずは、そっちと相談するしかないと思うよ」
「了解したよ。ありがとさん。……で、自警団の連中ってのは、どこにいるんだい?」
そうして自警団の詰め所の場所を教えてもらい、ガルディルは《黒ヤギのあくび亭》を後にした。
普段と変わらず、街路は賑わっている。そこに足を踏み出しながら、ガルディルはメイアのかぶったフードを前側に引っ張った。
「そら、なるべく顔を隠してくれよ。お前さんは、ただでさえ目立つんだからな」
ガルディルのようにとぼけた風体をした人間が、このように美しい娘を連れ歩いていたら、それだけで奇異の目で見られてしまう。ガルディルが今後も安穏とした生活を続けていくために、そのような事態だけは避けたいところであった。
「せめて、お前さんの素性がはっきりしてりゃあ、話は早かったんだがな。ま、なるようになるだろうから、心配すんな」
ガルディルがそのように呼びかけても、メイアは返事をしようとしなかった。ガルディルの腕の中で、人形のように沈黙と無表情を保っている。フードの陰から覗くその瞳は、何やら不機嫌そうな光をたたえているように見えなくもなかった。
(いったい何が気に食わないんだか。ようやく人里に下りられたってのによ)
ガルディルはかまわず、自警団の詰め所を目指すことにした。
このレヴィンの宿場町はそれなりに賑わっているものの、貴族の統治下には置かれていない。貴族に任命された町長が統治する、自治領区であるのだ。こういう土地では、自警団が町の安息を守っているのだった。
そんな自警団の詰め所が存在するのは、やはり町の中心部である。
そこには数多くの露店が出されて、行き交う人々の数も格段に多かった。人いきれで、息が詰まりそうなほどである。
「こいつはたまらんな。とっとと用事を済ませちまおう」
ガルディルが詰め所の扉を叩くと、厳つい容貌をした男がぬっと現れた。革の兜と胸あてを纏い、腰には四等級の刀剣を下げている。
「見かけねえ顔だな。何の用事だい?」
「いや、実は、迷い子を見つけちまってね。あんたがたに、引き取ってもらいてえんだ」
男はうろんげに眉をひそめながら、メイアの顔を覗き込むと、ぎょっとした様子で身を引いた。
「何だい、この娘っ子は……まさか、どこかからさらってきたんじゃねえだろうな?」
「だったら、のこのことこんな場所にまで来やしないよ。手間をかけて申し訳ねえが、預かってもらえるかな?」
「いやあ、しかし……そんなのは、俺たちの仕事じゃねえな。迷い子だったら、聖堂にでも連れていくこった」
「聖堂? そりゃあまあ、行き場をなくした幼子は聖堂に連れてくもんかもしれねえが……でも、この町に聖堂なんてあったかい?」
「ここにあるのは、祠ぐらいだ。西のリールか東のザンか、好きなほうを選べばいい」
それはどちらも貴族の治める領地の名前で、この宿場町からは馬車を使っても丸一日はかかるはずだった。それらの豊かな領地に東西をはさまれていることで、この宿場町はこれだけ栄えることになったのである。
「そんな遠出をする銅貨は持ち合わせちゃいねえよ。あんたがたが、連れていってくれねえか?」
「お断りだね。俺たちは、このレヴィンの宿場町を守るのが仕事なんだ」
そんな風に言い捨てて、男は扉を閉めてしまった。
こんな得体の知れない娘とは関わるべきではない、と判じたのだろう。それはガルディルとて、同じ気持ちであった。
(こいつはどう見たって、貴族か何かの娘っ子だもんなあ。平民が貴族なんざに関わっても、ロクなことにはならねえってこった)
しかし、これでは完全に手詰まりである。人の熱気にげんなりしていたガルディルは、ひとまず詰め所の横手の路地に腰を落ち着けることにした。
メイアを地面に座らせて、すっかりくたびれてしまった左肩を回す。そこにはまるきり人通りがなかったので、ほっと息をつくことができた。
(とりあえずは、リールかザンに連れていくしかねえってことか。かといって、馬車を雇う銅貨の持ち合わせなんてありゃしねえし……親切な商人にでも頼んで、送り届けてもらうしかねえだろうな)
そんな人間を、いったいどこで探せばいいというのか。ガルディルは壁にもたれて、深々と溜息をついておくことにした。
そこに、人間の気配が近づいてくる。
「よお。その娘さんは、迷い子なんだってな」
振り返ると、さきほどの男と同じ格好をした男が立っていた。さきほどの男よりは柔和な面立ちをしており、でっぷりと肥えている。
「あんたも自警団のお人だね? さっきはお仲間に門前払いされちまったよ」
「ああ、あいつは融通がきかなくってね。話を聞いて、慌てて追いかけてきたんだよ」
にこにこと笑いながら、男がさらに近づいてくる。その目が、足もとのメイアに向けられた。
「貴族みたいに見目のいい娘さんなんだって? そんな娘さんが、どうして迷い子なんかになっちまったんだろうねえ?」
「さあ、俺にもさっぱりだよ。本人も、何も覚えてないって言い張ってるんでね」
「そいつは気の毒だ。この俺が、責任をもって家まで送り届けてやるよ」
にこやかに笑う男の目に、ねっとりとした光が浮かぶ。
それを見て、ガルディルはもう一度溜息をつくことになった。
「そいつはありがたい申し出だけど、遠慮させてもらうよ。こんなのは、自警団の仕事じゃないらしいしな」
「何も遠慮をする必要はないさ。自警団とは関係なく、俺が面倒を見てやるよ」
「それで、あんたの家に連れ込む気かい? それとも、奴隷商人にでも売っぱらおうってつもりなのかな。どっちみち、あんたに預ける気にはなれないね」
ガルディルは壁から背を離して、がりがりと頭をかきむしった。
「あんたみたいな目つきをした人間とは関わりたくねえんだよ。俺たちのことは放っておいて、自分の仕事に戻ってくれ」
「うるせえな。俺に指図するんじゃねえよ」
柔和な笑顔が、粘質的な笑顔に変貌していく。その手が、ためらいなく四等級の刀剣を抜いた。
「さ、そいつを置いて、さっさと消えな。お前の分まで、俺が可愛がってやるからよ」
「そりゃあまあ、あんただったら俺より上等な食事を与えられるのかもしれねえけどな」
しかたないので、ガルディルも刀剣を抜くことにした。
それを見て、男は小馬鹿にしたように笑う。
「等級外の刀剣なんざで歯向かおうってのか? つくづく身のほど知らずだな」
「退魔の刀剣の力ってのは、その身のほどで左右されるもんだと思うがね」
「はん。だったら、試してみようじゃねえか」
男はにたにたと笑いながら、正眼に刀剣をかまえた。
刀身の色は真紅であり、すでにパチパチと火花が散り始めている。男の闘気に応じて、魔石が活性化したのだ。
「可愛らしい火花だな。そいつが、あんたの身のほどってわけだ」
ガルディルは無造作に足を踏み出し、無造作に刀剣を一閃させた。
たがいの刀身がぶつかる瞬間に、柄から闘気を注ぎ込む。ほんの一瞬だけ活性化したガルディルの刀剣は、相手の刀剣を真っ二つにへし折った。
男はぽかんと口を開けてから、糸が切れたようにへたり込む。
それを見下ろしながら、ガルディルは自分の刀剣を鞘に収めた。
「あーあ、支給品の刀剣を台無しにしちまったな。こいつはこっぴどく叱られちまうぜ?」
「お、お、お前……ど、ど、どうしてこんな……」
「あんたよりかは、マシな剣士だったってこった。あんたも自警団を名乗るんだったら、もうちっと精進しなよ」
ガルディルは、人形のように動かないメイアの身体をすくいあげた。
「言っておくけど、あんたが変に騒ぎたてたら、俺もぞんぶんに騒がせてもらうからな。自警団って立場を利用して、こんな幼い娘っ子をいいように扱おうとした、なんて話が広まったら、あんたもただじゃあ済まないだろうぜ?」
男はへたりこんだまま、わなわなと震えている。そのかたわらをすり抜けて、ガルディルは路地を出た。
「さあて、余計な時間を食っちまったな。もっとまともな性根をした人間を探すとしようか」
ガルディルは、半ば自分を励ますために、陽気な声をあげてみせた。
しかしメイアは、何も答えようとしなかった。