8-4 決着
「メイア、もうやめろ! あとは、俺が何とかしてやる!」
びくびくと脈打つ黒曜の聖剣を手に、ガルディルはメイアのもとに駆けつける。
そうして、メイアの姿を正面から目にするなり――ガルディルは、思わず立ちすくむことになった。
紫色であったメイアの瞳が、深紅に燃えている。
小さくて可憐な唇からは、白い牙が覗いていた。
頬から咽喉もとまでを覆うのは、白銀の鱗だ。
そして――メイアの額の生え際から、二本の角がのびていた。
これもまた白銀に光り輝く、ねじくれ曲がった角である。
めきめきと音をたてながら、その角はなおも巨大に生えのびつつあった。
角に皮膚を破られて、鮮血が滴っている。その鮮血がメイアの目もとを通過して、頬の辺りにまで流れ落ちているために、まるで血の涙を流しているかのようだった。
さらに、メイアの額の真ん中が、玉虫色に輝いている。
そこからは、ぴしぴしと氷の砕けるような音色が響いていた。
封印の石とやらが、メイアの放つ魔力に耐えかねて、砕け散ろうとしているのだ。
その音色で我に返ったガルディルは、メイアの小さな身体をおもいきり抱きすくめてみせた。
「やめろ、メイア! いまなら、まだ間に合う! その魔力をひっこめるんだ!」
「離して、ガル……メイアは、戦う……」
「何でだよ! 親の仇が取りたいのか? それとも、お前を守ってくれた竜人の仇か? そんなもん、俺が肩代わりしてやるよ!」
「違う……メイアは……」
と、メイアの小さな手がおずおずとガルディルの背中に回されてきた。
「メイアは……ガルを守りたいだけ……」
「だったら、もう十分だ! お前さんのおかげで、聖剣が手に入った! 後の始末は、俺にまかせろ!」
「でも……メイアは竜人だから……ガルとは、もういっしょにいられない……」
「お前さんは、人間だ! お前さんを守ってくれたあの竜人だって、そう言ってたろうがよ! お前さんが人間として幸福に生きることが、お前さんの家族の願いだってよ!」
「でも……」
「それに、俺も言っただろう? 人間ってのは、自分のいたい場所にいていいんだ! 周りのやつが何をほざこうとも、お前はお前の好きな場所にいていいんだよ!」
メイアの指先が、ガルディルの背中をぎゅっとつかんできた。
「メイアは、ガルのそばにいたい……メイアと、いっしょにいてくれる……?」
「ああ。どこかでのんびり暮らせる場所を探すとしようぜ」
その瞬間――白銀の光が、世界を包み込んだ。
やがて世界が色彩を取り戻すと、白銀の塵がはらはらと舞い降りてくる。
ガルディルは慄然としたが、メイアの身体は自分の腕に抱かれたままであった。
白銀の塵と化したのは、メイアの額に生えのびた二本の角のみであったのだ。
角も、鱗も、牙も消えている。
前髪をかきあげると、瑪瑙のごとき封印の石はわずかにひび割れつつも、静かに光り輝いている。
人間としての姿を取り戻したメイアは、ガルディルの腕の中で安らかに眠っていた。
「何だ、つまらない。その娘が同胞の死にざまを思い出すところを見てやりたかったのに」
笑いを含んだヴィーラの声が、陰々と響きわたる。
メイアの身体を左腕で抱えながら、ガルディルはゆっくりと立ち上がった。
「さて、と。……それじゃあ始末をつけさせてもらうぜ、竜人よ」
「ふん。聖剣を手にしたとたん、大きく出たものね。そんなものですべての竜人を退けられると思ったら、大間違いよ?」
「ああ。お前さんは、大した竜人だ。俺がこれまで出会ってきた中では、指折りの魔力を持ってるみたいだな」
ガルディルは、黒曜の聖剣を振りかざした。
ヴィーラは右の手の平を、ガルディルのほうに差しのべている。ガルディルがメイアと語らっている間も、ずっと魔力を溜め込んでいたのだろう。その手の平を中心にして、凄まじいまでの魔力が渦を巻いていた。
「だけど、竜脈の鎮静化されたこの場所じゃあ、半分がたの魔力しか使うことはできねえんだろ? だったら、俺の敵じゃねえよ」
「そんな台詞は、これをしのいでから言いなさい!」
炎の精霊が寄り集まり、この広場を埋め尽くすほどの灼炎が放出された。
まるで、炎の竜が現出したかのようである。
ガルディルは、渾身の力でそれを斬り払った。
膨大なる魔力を呑み込んで、聖剣が歓喜に打ち震える。
そして――その返礼とばかりに、聖剣は漆黒の虚無を吐き出した。
立ちすくむヴィーラに、虚無の竜巻が襲いかかる。
ヴィーラはさらなる炎を生み出したが、それをも貪欲に呑み込んで、漆黒の虚無は容赦なく敵にかじりついた。
ヴィーラが、甲高い絶叫をほとばしらせる。
ヴィーラの右の角が、妖艶なる顔の右半面の皮膚ごと消失していた。
黒い鮮血が噴きこぼれて、ヴィーラの肢体を汚していく。
「まあ、こんな感じだよ。人間ってのも、なかなか馬鹿にできねえもんだろ?」
「ふん。あんたみたいに人間離れしたおっさんを基準にしてほしくないけどね」
と、背後からジェンカの声が近づいてくる。
苦悶するヴィーラを見据えたまま、ガルディルは「よお」と笑ってみせた。
「ゼラムスに競り勝ったか。まあ、実力通りの結果だな」
「うっさいよ。こっちは聖剣を扱うのだって初めてだったんだからね!」
ジェンカが、ガルディルのかたわらに立ち並んだ。
その手に握られているのは、藍玉の聖剣である。
そして、別なる者がジェンカと反対側に進み出てきた。
それはレオ=アルティミアであり、その手には琥珀の聖剣が握られていた。ジェンカが手足の拘束を断ち切って、聖剣を持ち主に返したのだろう。
「さあ、ようやくこの馬鹿馬鹿しい騒ぎはおしまいだな。その竜人にとどめを刺したら、あんたは大人しく投降してくれるかい?」
ガルディルは、広場の端に立ち尽くしているルイムバッハへと呼びかけた。
ルイムバッハは仮面のように強張った笑顔で、苦悶するヴィーラの姿を見やっている。
「ヴィーラよ……其方の力をもってしても、黒曜の聖剣を手にしたガルディルにはあらがうすべがないというのか?」
「ふざけないで……だったら今度は、私の本当の力を見せてあげるわよ!」
黒い鮮血を撒き散らしながら、ヴィーラが金切り声でわめきたてた。
それと同時に、凄まじい轟音が響きわたる。
それは、巨大な鉄槌で岩盤を叩いているかのような音色であり――光り輝く結界の壁の向こう側から鳴り響いていた。
「何だ、これは……もしや、この向こう側に群がっているという魔獣どもが、暴れているのか?」
レオ=アルティミアのつぶやきに、ジェンカが「魔獣?」と眉をひそめた。
「魔獣って何の話さ? あの結界が、何だっての?」
「この結界の向こうには、数百体もの魔獣がひしめいているのだと、ガルディル殿がそのように仰っていたではないか」
「そんな話、聞いてないよ! まさか、そいつらが飛び出してくるっての?」
ジェンカは慌てて腰を落として、藍玉の聖剣をかまえなおした。
いっぽう、ルイムバッハは困惑した様子でヴィーラを見つめている。
「魔獣どもに、この結界を破ることはできまい。それは其方が、もっともよくわきまえているはずではないか?」
「ああ、この結界を破れるほどの魔獣は集めないって約束だったね! そんな約束を、私が義理堅く守るとでも思ってたのかい?」
失われた右半面を手の先で覆いながら、ヴィーラは毒々しく笑っていた。
「この中にいる半分ぐらいの魔獣をぶつけてやりゃあ、こんな結界が無事でいられるもんか! 残りの半分でも、あなたがたを踏み潰すには十分すぎるぐらいでしょうよ!」
「ま、待て、それでは我の身までもが……」
「運がよけりゃあ、生き残れるだろうさ! さあ、結界が破れるよ!」
何百本もの刀剣をへし折るような轟音とともに、光の壁が砕け散った。
その向こうの暗がりから、魔獣どもが這いずり出てくる。それと同時にあふれかえった濃密なる瘴気を、ヴィーラは胸いっぱいに吸い込んでいた。
「ああ、生き返るねえ……さあ、私の本当の力を見せてあげようか!」
「まったく厄介な真似をしやがるな。……おい、ジェンカにレオ、床に転がってる連中をよろしく頼むぜ?」
「ゆ、床に転がってる連中って?」
「ゼラムスとギレンのことだよ。どんな悪党でも、魔獣に生気を吸われちまうのは気の毒だろ?」
そのように述べてから、ガルディルは聖剣を握りなおした。
「とりあえず、俺は竜人を始末するからな。それまでは、なんとか踏ん張ってくれ」
魔獣どもは、ぶちまけられた反吐のように、広場になだれこんできた。
あわれげな悲鳴とともに、ルイムバッハがその奔流に呑み込まれていく。彼の生命が助かるかどうかは、その身の護符の力次第であった。
ガルディルは眼前に迫りくる魔獣を斬り伏せながら、ヴィーラのもとを目指した。
ヴィーラは翼竜の尻尾に胴体をからめ取られて、中空に舞い上がっている。最後に残された左の角は、凄まじい勢いで深紅に燃えさかっていた。
「さあ、来なさい! 次代の族長たる私の、真の力を見せてあげるわ!」
「うるせえなあ。次代の族長の、何がそんなに偉いってんだ?」
眼前に立ちはだかろうとした大蛇の魔獣を斬り伏せて、ガルディルは跳躍した。
虚空を舞いながら、ありったけの闘気を聖剣に注ぎ込む。
(まさか、この台詞を吐く日がまたやってくるなんて、考えもしなかったな)
苦笑をこらえながら、ガルディルはその言葉を口にした。
「闇の精霊よ! 我の敵を、虚無に返したまえ!」
黒曜の聖剣から、漆黒の魔力が放出される。
それと同時に、ヴィーラも炎を現出させていた。
これまでとは比べるべくもない巨大さを持った炎の渦が、八方からガルディルに襲いかかってくる。
それらのすべてを、漆黒の斬撃が呑み込んだ。
闇より黒い聖剣の魔力が、世界を、炎ごと喰らっていく。
黒曜の魔力の本質は、虚無そのものであった。
これを相殺できるのは、同じだけの力を持った金剛の魔力――光の属性のみである。
(お前さんが竜人になったら、こいつをはね返すこともできるのかもな)
腕の中で眠るメイアに、ガルディルは心の中で語りかけた。
(まあ、そんな未来は、絶対に来させねえけどよ)
ヴィーラの絶叫が響きわたった。
炎の防壁をも打ち破られて、その身を虚無に喰らわれたのだ。
翼竜の尾に吊るされたその身体の、腰から下が消滅していた。
深紅の角と瞳から、みるみる輝きが失われていく。
どろりと濁った死者の目で、ヴィーラは呆然とガルディルを見つめていた。
「人間ごときが……どうしてここまでの魔力を……」
「人間ってのは、そんなに悪いもんじゃないんだぜ? お前さんもそいつを理解していれば、メイアの親父さんの言い分に耳を傾ける気になれたんだろうな」
地面に着地したガルディルは、横合いから襲いかかってきた魔獣を斬り捨てつつ、そのように答えてみせた。
「そうすりゃあ、また違った未来もあっただろうによ。つくづく残念なこった」
ヴィーラは最後に物凄まじい咆哮をほとばしらせて、赤い塵と化した。
メイアの身体を抱えなおしながら、ガルディルは背後を振り返る。そこではジェンカとレオ=アルティミアが懸命に魔獣どもの突撃を食い止めていた。
「おーい、待たせたな。竜人は始末したから、あとは魔獣どもを片付けりゃあおしまいだ」
「の、呑気なこと言ってないで、早く加勢してよ! こいつら、倒しても倒してもキリがないんだから!」
「聖剣が三本もそろってりゃあ、何てことねえよ。とっとと片付けて、帰るとしようぜ」
ガルディルは、聖剣に新たな闘気を注ぎ込んでいく。
そのさなかに、自分の手もとを覗き込んでみると――メイアは、実に安らかな顔で眠っていた。
額からこぼれた血が痛々しいものの、まるで赤ん坊のように無防備で健やかな寝顔である。
それを見届けてから、ガルディルは狂乱する魔獣どもに斬りかかることにした。