8-3 真相
「メイアは……人間じゃないの?」
感情の欠落した声で、メイアが問うていた。
ヴィーラは「そうよ」と嘲笑っている。
「《銀の一族》は、人間が言うところの金剛の属性を有しているわ。魔力をはねのけ、魔力を封じる、守りに長けた一族だった。それでその特性をあらぬ方向にねじ曲げて、封印の石などというおぞましいものを錬成してしまったのよ」
「封印の石……」と、メイアが白銀の髪に覆われた額に手をやった。
その小さな身体を抱きかかえたまま、ガルディルは舌を鳴らしてみせる。
「ちょっと待てよ。メイアはどこからどう見たって人間だろうが? 腹が減ったら肉を食うし、怪我をしたら赤い血が流れる、立派な人間だ。たとえ魔力やら記憶やらを封印されたとしても、こんな人間そのものの姿に成り果てる道理はねえだろうがよ?」
「知らないわよ、そんなこと。それを知るのは、《銀の一族》の族長のみ――つまり、それを知る者はもうこの世に存在しない、ということね」
メイアが、わずかに身体を震わせた。
ヴィーラは愉しくてたまらぬ様子で唇を吊り上げる。
「《銀の一族》の族長は、すべての竜人が魔力を封印して、人間と共生するべきである、なんてほざいていたわ。この世のすべての竜脈を鎮静化させて、誰もが人間として生きるべき、なんてほざいていたのよ。これが、竜人に対する裏切りでなくて何だというの? だから、私たちは――《銀の一族》を滅ぼしたのだわ」
「そいつはつまり、メイアの同胞を――」
「ええ、皆殺しにしたのよ。逃げたのは、次代の族長たるそのメイアと、死にかけた従者の女のみ……まあ、あいつも両方の角をへし折ってやったから、そう長くはもたなかったでしょうけれどね」
ガルディルは、ひさしく感じることのなかった怒りの激情を覚えることになった。
メイアの小さな身体からは、深甚なる悲哀と苦悶の思いが伝わってくる。それが、ガルディルの怒りをかきたてているのだ。
「なるほどね……それであんたはその竜人のために、メイアを大罪人として手配したってことかい、王弟殿下」
「その通りである。《赤の一族》は、我の盟友であるからな」
毒沼のごとき瞳にねっとりとした光をゆらめかせながら、ルイムバッハは微笑んだ。
「おおよそのことは、これで理解できたであろう。我の配下となってこの世の楽園を築きあげるか、それともこの場で断罪の炎に焼かれるか……好きなほうを選ぶがいい」
「だとさ。腹は決まったかい、ゼラムスよ?」
光の壁を背に取ったまま、ガルディルはゼラムスのほうを伺った。
ゼラムスはゆるゆると首を振ってから、藍玉の聖剣を抜き放つ。
「こうとなっては、是非もない。宰相殿へのお取りなしはおまかせしましたぞ、王弟殿下」
「正気か、ゼラムスよ! 貴殿までもが、そのような企みに乗ろうというのか!?」
レオ=アルティミアが地べたでわめくと、ゼラムスは面白くもなさそうに口もとをねじ曲げた。
「この場には、ギレン殿と竜人が控えている。俺がひとりであらがったところで、勝ち目はあるまい」
「ひとりではない! ガルディル殿がおられるではないか! それに私だって――」
「聖剣を失った剣王と、二等級の刀剣しか持たないかつての剣王など、ものの数ではない。それに……つくづく俺は、貴様と同じ天を戴くことのできぬ身であるようだな、ガルディルよ」
「はん。気取った台詞で自分の浅ましさを隠すんじゃねえよ。つくづくお前さんは、自分の保身しか考えられねえ人間なんだな」
ガルディルも、刀剣をかまえなおすことにした。
ルイムバッハは、うろんげに眉をひそめている。
「正気か、ガルディルよ? 其方がたとえドルミアで最強の剣士であろうとも、二等級の刀剣であらがうすべはあるまい」
「あんたこそ、巻き添えを食う覚悟はできてるのかい? 俺の魔力は、どこに飛んでいくかもわからないぜ?」
「大事ない。たとえ剣王でも竜人でも、我を傷つけることは不可能であるのだ」
ルイムバッハは醜く笑いながら、外套の胸もとをはだけた。
そこに輝くのは、精緻な銀細工に包まれた金剛の魔石である。魔石の大きさはもとより、銀細工の土台が見たこともないような紋様を描いている。金剛の魔石から生み出される膨大な魔力を凝縮させて、自らの肉体のみを包み込ませているのだろう。
「なるほどな。だからあんたは、薄ぼんやりと光って見えてるわけか。ま、竜人なんざと手を組むには、それぐらいの用心が必要なんだろうな」
「我は必ずや、大望を成就してみせる。ガルディルよ、其方も我の力となるのだ」
「お断りだね。メイアの家族の仇と手を組む気にはなれねえよ」
王弟は、虫でも見るような目でガルディルとメイアの姿を見比べた。
「愚かな……その娘に情を移したのか? その娘は、竜人であるのだぞ?」
「メイアは竜人じゃねえ。人間だ。人間として、生まれ変わったんだよ」
ガルディルは、にやりと笑ってみせた。
「それに何とか、勝算が見えてきたところだ。まだまだ不利なことに変わりはねえが、最後まで悪あがきさせていただくとするよ」
ガルディルがそのように述べたてたとき、大地が鳴動した。
足もとの岩盤に亀裂が走り、ゼラムスに悲鳴をあげさせる。
そのかたわらをすりぬけて、ガルディルはギレンに躍りかかった。
「ぬうっ!」とうめきつつ、ギレンは黒曜の聖剣で斬撃を受け止める。ガルディルは小さく舌打ちして、横合いに飛びすさった。
「もうちっと派手に揺らしてくれりゃあ、聖剣をぶん取れたろうにな。まあ、贅沢は言わないでおくか」
「うっさいなあ。いきなりこんなもんを使いこなせるわけがないじゃん!」
ゼラムスたちの現れた坑道から、新たな人影が現れた。
琥珀の聖剣をかまえた、ジェンカである。革のマントは失われて、全身が砂塵で汚れていたが、どこにも手傷を負っている様子はなかった。
「いまのは絶妙な判断だったけど、これ以上は聖剣を地面にぶっ刺さねえでくれ。ここまで崩れちまったら、目も当てられねえからな。……さあ、これで二対三だ。ちっとは勝機が見えてきたぞ」
ガルディルがそのように宣言すると、ゼラムスの向こう側で這いつくばっているレオ=アルティミアが身をよじらせた。
「私も健在であるぞ、ガルディル殿! 娘よ、聖剣を私に返すのだ!」
「あんたが手足を縛られてなきゃあ、そうしてやってもよかったけどね。あたしの刀剣はへし折れちゃったから、しばらくはこいつをお借りするよ」
ジェンカは不敵に笑いながら、琥珀の聖剣を正眼にかまえた。
刀身は、まばゆい黄金色に光り輝いている。
「状況はさっぱりわかんないけど、立ってるやつは全員敵ってことでいいの?」
「ああ、俺とメイアを除いては、な」
「そっか。うっかり斬り捨てなくてよかったよ」
軽口を叩き合うガルディルとジェンカに、ギレンとゼラムスがじりじりと近づいてくる。
そこに、ヴィーラの笑い声が響きわたった。
「人間というのは、本当に愚かね。それで本当に、勝ち目があるとでも思っているの?」
「どうだかな。悪あがきする価値ぐらいはあるだろ」
「ないわよ。私がいる限りはね」
ヴィーラが、右腕を振り下ろした。
虚空に炎の濁流が生まれいで、ガルディルに襲いかかってくる。それを斬撃ではねのけると、翡翠の刀剣は頼りなく軋んだ。
「冗談じゃねえなあ。竜脈も通ってない場所で、この威力かよ」
「ええ。この忌々しい結界の向こう側に行ければ、あなたたちなんて一瞬で塵にできるのだけれどね」
それは、誇張ではないのだろう。半分がたの魔力しか行使できないで、この威力であるのだ。もうひとたび同じ攻撃を受けるだけで、二等級の刀剣はへし折られてしまいそうなところであった。
「何にせよ、その娘だけは最初に始末させてもらうわよ。あとは好きなように殺し合いなさい、人間ども」
「ふざけんな、誰が手前なんかにメイアを――」
ガルディルがそのように言いかけたとき、硬質の音色が響きわたった。
メイアの胸もとの護符が砕け散る音色である。
ガルディルが愕然と振り返ると、メイアの瞳が紫色に燃えあがっていた。
「やめろ、メイア! そいつは使うなって言っただろ!」
「ごめんなさい。……メイアはもう、約束を守れない」
メイアの身体が、ガルディルの左腕からするりと抜け出した。
「メイア!」と、ガルディルがそれを追おうとすると、メイアが右の手の平を差しのべてくる。
その手の平には、白銀の魔力が渦を巻いていた。
「近づかないで。ガルを傷つけたくない」
「何でだよ! お前さんがそんな真似をしないでも、俺がきっちり始末をつけてやる!」
メイアは、ぷるぷると首を振った。
「メイアは、人間じゃなかった。……だから、もういいの」
「メイア!」
ガルディルが叫ぶと同時に、ヴィーラが再び炎の濁流を繰り出してきた。
メイアがそちらに手をのばすと、炎は跡形もなく霧散する。
ヴィーラは鱗の生えた咽喉をのけぞらして、哄笑した。
「さすがは族長の娘ね! でも、あなたが封印を解いたところで、私の敵ではないわよ!」
「……それでも、メイアは負けない」
「やめろ、メイア! そんな真似をしたら、お前さんは竜人に――」
そのように言いかけたガルディルのもとに、黒い疾風が飛来した。
慌てて刀剣を振りかざすと、黒い魔力が弾け散る。その向こう側では、ギレンが引きつった笑みを浮かべていた。
「王弟殿下の申し出を断っていただき、ありがとうございます、ガルディル殿。あなたの愚かさには、心の底から感謝しておりますよ」
「うっせえよ! 手前にかまってるヒマはねえ!」
「ならば潔く、魂を返されるがよろしい」
ギレンがさらに、黒曜の魔力を放出してくる。
黒曜の属性は闇であり、すべてを無に帰す破滅の力である。その攻撃を弾くだけでガルディルの魔力は削り取られて、刀身もみしみしと軋み始めた。
気づけば、ジェンカはゼラムスと刃を交えている。
ヴィーラはメイアに炎の攻撃を繰り出しており、ルイムバッハは悠然とそれを眺めている。地べたのレオ=アルティミアは口惜しげに唇を噛みながら、それらの死闘を見守っている様子であった。
(ふざけんなよ、畜生め……人間でいることをあきらめるんじゃねえよ!)
ガルディルは、意を決してギレンのほうに踏み込んだ。
しかしギレンは、執拗に魔力を飛ばしてくる。ゼラムスほど強力な攻撃ではなかったものの、それでも聖剣によって増幅された魔力である。それを一撃受けるごとに、翡翠の刀剣は確実に摩滅していった。
「しぶといわね! いいかげんに、あきらめなさい!」
ヴィーラの声が響いた瞬間、世界が深紅に染まりかけた。
が、次の瞬間にはもとの色彩を取り戻す。ガルディルが横目で確認すると、メイアはすでに全身が白銀に発光していた。
(くそっ! こうなったら……!)
ガルディルは左右に回避するのをやめて、真正面からギレンに突っ込んだ。
ギレンは歪んだ笑みを浮かべながら、聖剣を振り上げる。
「闇の精霊よ! 我の敵を、虚無に返したまえ!」
これまで以上の魔力の渦が、ガルディルの頭上に降り注がれる。
ガルディルは、渾身の力でそれを斬りはらった。
漆黒の魔力は左右に分かれて――翡翠の刀剣は、鋭い音色とともにへし折れる。内から送り込まれるガルディルの魔力と、外から押し寄せるギレンの魔力に耐えかねて、ついに限界を迎えてしまったのだ。
ガルディルはへし折れた刀剣を放り捨てて、そのままギレンに突っ込んだ。
ギレンは殺意に両目を燃やしながら、聖剣を繰り出してくる。
聖剣の切っ先が、ガルディルの頬をわずかにかすめた。
熱い痛みが走り抜け、目の端に赤い飛沫が散る。
そんなものにはかまいつけもせず、ガルディルはギレンにつかみかかった。
刀剣の柄を握ったその手の上に自分の手を重ねて、何とか動きを封じ込める。
背後の岩盤に背中を押しつけられながら、ギレンは毒蛇のように笑っていた。
「悪あがきですね……素手で聖剣をもぎ取ろうというおつもりですか? わたくしが魔力を放出すれば、あなたは塵と化しますよ」
「やってみろよ。……いや、俺が手伝ってやる」
ガルディルは、左手で聖剣の刀身を握ってみせた。
鋭く磨かれた刃が指と手の平を傷つけたが、それにもかまわず闘気を注ぎ込む。
「あ、あなたは何をやっておられるのですか? どんなに闘気を注ぎ込もうとも、わたくしに向けて魔力を放つことはかないませんよ?」
「ああ、柄を握ってるのは、お前さんだもんな。俺もそんな横着をする気はねえよ。……ただ、黒曜の聖剣の本当の力を見せてやろうと思っただけさ」
ガルディルは、いまこそすべての力を解放した。
普段は腹の底にしまってある闘気も、あまさず聖剣に注ぎ込む。一等級や二等級の刀剣では、これだけで刀身が砕け散るほどの闘気であった。
しかし、特等級たる聖剣は、それを貪欲に呑み込んでいく。
聖剣の刀身は、いつしか漆黒の炎のように燃えあがっていた。
「な、なに……あなたは、いったい何を……」
「だから、こいつが黒曜の聖剣の真の力だよ。すべてを虚無に返す、破滅の力だ」
ギレンの顔から血の気が引いていき、脂汗が浮かんでいく。
聖剣の柄を握った指先は、びくびくと脈打つように震えていた。
「ただし、そいつを扱うのはずいぶん骨なんだ。うかうかしてると、自分まで虚無に引きずられちまうからな。黒曜の聖剣ってのは、お前さんが考えている以上に厄介な代物なんだよ」
「や、やめ……やめてくれ……」
「やめてほしかったら、その手を離しな。さもないと、すべてを聖剣に呑み込まれちまうぜ?」
それが、ガルディルの最後の忠告であった。
しかしギレンは恐怖の形相になりながら、しっかりと柄をつかんだままである。まるで、それが最後の命綱であると信じているかのようだった。
(……お気の毒にな)
黒曜の聖剣が、覚醒した。
その刀身の隅々にまで、ガルディルの闘気が行き渡ったのだ。
それと同時に、悲痛なうめき声がギレンの口からこぼれ落ちる。
ギレンは岩盤に背中をつけたまま、ずるずると地面にへたり込んだ。
貴公子らしい面立ちであった顔が、老人のようにやつれ果てている。
兜からこぼれる褐色の髪は、真っ白に変じてしまっていた。
聖剣を握った指先も、枯れ枝のように骨ばってしまっている。聖剣に、すべての生気を吸われてしまったのだ。
それでもギレンは、かろうじて生きていた。剣王に選ばれるぐらいの人間であったから、なんとか死なずに済んだのだ。これが並の人間であれば、皮膚の下の肉まで腐り果てているはずであった。
「……こんな厄介な聖剣の主人に選ばれたのが、運の尽きだったな」
ガルディルは、力を失ったギレンの手から聖剣を奪い取った。
とたんに、凄まじい脈動が体内を駆け巡っていく。聖剣が、もっと生気をよこせとわめいているのだ。七年ぶりの、懐かしくもおぞましい感覚であった。
ガルディルは身を起こして、素早く視線を巡らせる。
それと同時に、ヴィーラの声が響きわたった。
「さあ、ついに封印が解けるようね! どうせなら、すべてを思い出してから魂を返すといいわ!」
メイアの小さな身体は、さきほどよりも強烈な白銀の光に包まれていた。
それと相対するヴィーラも、深紅の輝きに包まれている。
その場にあふれかえっているのは、禍々しい瘴気だ。
ガルディルは奥歯を噛み鳴らして、メイアのもとへと足を踏み出した。