7-1 出陣
王太子の小宮で一夜を明かしたのち、ガルディルたちはレミアム領に別邸を構えた王弟ルイムバッハのもとを目指すことになった。
あれだけ苦労をして王都にまで辿り着いたのに、滞在期間はわずか一日で終了してしまったわけである。
しかしまあ、ガルディルとしても好きこのんで王都にまで出向いてきたわけではない。むしろ、一生足を踏み入れることはなかろうと思っていた場所であるのだから、未練や感傷などといったものを抱く筋合いはなかった。
(それにしたって、こいつは大仰だよなあ)
ガルディルたちと行動をともにしているのは、レオ=アルティミアが率いる騎士団の一軍であった。というか、王弟の告発と捕縛を目論むこの一団に、同行を命じられたというほうが正しかっただろう。ガルディルとメイアは、王弟を告発するための生き証人であるのだった。
騎士団の規模は、総指揮官のレオ=アルティミアと隊長格の人間を含めて、百六名である。一等級の刀剣と、魔石をあしらった甲冑を支給された、王国の精鋭たちだ。白銀の胸甲には《琥珀の剣王》の直属部隊である証として、黄金色の紋章が刻み込まれている。地方の領地に駐屯している騎士団とは、風格からして異なっていた。
「僕に動かせる騎士団は、これで総勢です。王国の行く末を決する任務としては、頼りない人数に思えてしまうかもしれませんが……王弟のほうとて戦力に大差はありませんので、どうかご容赦ください」
出立の前に、王太子はそのように述べたてていたが、これはけっこうな規模であるはずだった。元来、騎士団というのは広大なる王国の各地に派遣されているため、王都といえどもそれほどの人数を擁しているわけではないのである。そもそも一等級の刀剣というものが希少であるため、騎士の数にはどうしたって限りが生じてしまうのだった。
(だいたい騎士団ってのは、竜人や魔獣を討伐するために存在するんだからな。そいつを人間同士の争いで使おうってほうが間違ってるんだ)
とはいえ、王弟のほうも騎士団を抱え込んでいるのだから、こちらも騎士団で対抗しなければ、お話にならない。一等級の刀剣を有する騎士には、鋼の剣も槍も弓矢も通用しないのである。騎士団を擁する人間が悪心を抱けば、かくも厄介な事態に至る。王国の行く末を決するという王太子の言い様も、決して大仰ではないのだろう。
ちなみに王太子は、王都に居残っている。そちらはそちらで、王都にひそむ王弟の腹心たちを相手取って、権謀術数を凝らすのであろう。要約すれば、それらの者どもが加勢の兵力などをレミアム領に出陣させないように、弁舌ひとつで足止めをしようという計略であるようだった。
ともあれ、ガルディルたちの新たな旅――というか、進軍はこうして開始された。
レミアム領までの距離は、馬車で三日ほどである。七年前、騎士団の指揮官として通った道を、今度はメイアやジェンカとともに辿っている。それはガルディルに、きわめて奇妙な心地を抱かせてやまなかった。
ガルディルたちに準備されたのは、頑丈そうな箱型の馬車であった。馬にまたがった騎士たちに護衛されての、優雅な旅だ。路銀や食料の心配をする必要もないので、ただ安穏と馬車に揺られていればいい。ただひとつの問題は――護衛兼お目付け役と称して、総指揮官たるレオ=アルティミアまでもが同じ馬車に居座っていたことであった。
「えーとな、いちおう俺たちは同じ目的のために邁進する同志なんだからよ。もうちっと仲良くできねえもんかなあ?」
街道を進む馬車に揺られながら、ガルディルがそのように述べたてると、ふたりの娘たちはなかなかの勢いで振り返ってきた。
「私とて、無用の騒ぎを起こすのは本意ではない。しかし、どうにもこの娘御は、相手を尊重しようという気持ちが希薄であるようなのだ」
「ほら、聞いた? 自分のことは棚に上げて、人に文句ばっかりつけるんだよ、この剣王様は。どうせ内心では、平民のことなんて見下してるんだろうね!」
「そのようなことはない。貴族とは、民衆を正しく導く立場であるのだ。私はジェイズ家の末席に名を連ねる者として、常にその信条を胸に抱いている」
「王都の貴族なんて、城壁の中でふんぞり返ってるだけじゃん。あんたたちが、いつあたしらに施しをしてくれたってのさ?」
溜め息をつくガルディルのかたわらで、メイアは無表情に林檎をかじっている。感心なことに、メイアはこういった騒ぎには決して加わらず、常に我関せずの姿勢をつらぬいていた。
「……メイア、あんまり食べすぎると、晩飯が入らなくなっちまうぞ?」
「大丈夫。果物ではおなかいっぱいにならない」
「でもな、食べすぎってのは身体によくねえんだ。それに、腹を空かせておいたほうが、晩飯も美味く感じられるだろ?」
メイアはガルディルの顔をじっと見つめてから、新たな林檎を手に取った。
「じゃあ、もう一個だけ。……食べていい?」
「ああ。それじゃあ、もう一個だけな」
ガルディルは、メイアの小さな頭の上に手を置いた。
その間にも、二名の猛き娘たちはがなりあっている。
「だいたい、妙齢の子女がそのように肌をあらわにするのは、つつしむべきであろう? ましてや、殿方たるガルディル殿も同席されておられるのだからな」
「うっさいなあ。レミアムでは、みんなこういう格好をしてたんだよ! あんたたちに故郷を奪われたって、あたしは死ぬまでレミアムの人間なんだからね!」
「レミアム領を奪ったのは、竜人どもであろうが? その竜人どもを退けたのが、ガルディル殿を筆頭とする王都の騎士団であるのだぞ?」
「で、あたしらを追い出して、レミアムを鉱山にしちまったわけだよね? そうやって故郷を追い出された人間が、見も知らぬ土地でどんなみじめな気持ちを抱え込むもんか、あんたらには想像もつかないんだろうさ!」
藍玉のごときジェンカの瞳と、虎目石のごときレオ=アルティミアの瞳が、ばちばちと火花を散らしている。どちらも顔立ちの整った妙齢の娘たちであるのに、獲物を取り合う山猫さながらの有り様であった。
「おい、いいかげんにしとけよ、ジェンカ? 故郷を追い出されたのは気の毒だけど、そいつはレオのせいじゃねえだろ?」
ガルディルがそのように声をあげると、ジェンカは愕然とした面持ちで振り返ってきた。
「何それ! おっさんは、こんなやつの肩を持とうっての!?」
「肩を持つわけじゃねえけど、レオはその頃から騎士団の従士だったって話なんだから、国政なんざとは無関係だろ。お前さんを故郷から追い出したのは、もっとお偉い連中の決めたことなんだよ」
「そんなの、わかってるけど……だけどこいつらは、平民の苦しさなんてわかろうともしないじゃん」
そのように述べるジェンカは、すっかりしょげかえってしまっていた。
「おっさんだったら、わかってくれると思ってたのに……やっぱりあんたも、貴族の味方なんだね」
「貴族の味方だったら、王都を出奔してねえよ。俺は貧しい生まれだって言ったろ? できることなら、貴族なんざとは関わりたくもねえや」
「では、私の存在も忌避されておられるのだろうか?」
と、今度はレオ=アルティミアが思い詰めた面持ちで顔を寄せてくる。
ガルディルは「ああもう!」と頭をかきむしることになった。
「俺はどっちにも肩入れしちゃいねえし、どっちのことも嫌っちゃいねえよ! ただ、道中を心安らかに過ごしてえだけだ! メイアを見習って、ちっとは静かにしてもらえねえもんかな?」
ジェンカは口をとがらせて、レオ=アルティミアは口をへの字にする。生まれも育ちも異なる彼女たちであるが、直情的で短絡的な部分はよく似通っているようだった。
そんな賑やかな道中ではあったものの、旅そのものは平穏である。この近在の竜脈はあらかた静められているために、竜人や魔獣に襲撃される恐れもない。とりわけ、王都とレミアムを結ぶ街道の近在に関しては、王弟の擁する騎士団によって入念に平定されているのだという話であった。
「しかし、ここ最近の王弟は、レミアム領で過ごすほうが長いぐらいであるからな。王弟が出向いても魔石の採掘がはかどるわけでもないのだから、その行動に関しては王太子殿下も以前から不審の念を抱いておられたのだ」
レオ=アルティミアは、そのように語っていた。
「確かにレミアムの鉱山は、現在の王弟の権勢の源であるといえよう。そこから採掘される魔石によって、王弟は大きな富を築き、それで宮廷内の地盤を固めることがかなったのであろうからな。……しかしそれでも、王弟自身がレミアムにおもむく理由はない。王弟と竜人が裏で密約を交わしているなどという話は、いまだに信じ難いところであるのだが……それが事実だとしたら、やはりレミアムが密会の場であるのであろう」
「しかし、レミアムが鉱山にされたのは、もう七年も前の話だろ? それなのに、まだそんなザクザクと魔石が出てくるのかい?」
ガルディルが尋ねると、レオ=アルティミアは「うむ」とうなずいた。
「レミアムの魔石はすべて採掘し尽くしたということで、ひとたびは閉鎖の声があがっていたのだ。そこで王弟が、自らの領地にしたいと名乗りをあげたのだが……執念で、新たな鉱脈を掘り当ててみせたのだな。レミアムは、かつてないほどに竜脈が活性化した土地であるので、想定以上の魔石が眠っていたようであるのだ」
「ふん! 最初っから剣王の出し惜しみをしていなければ、そこまで竜脈が元気になることもなかったんじゃないのかね!」
ジェンカが鋭く声をはさむと、レオ=アルティミアは無念そうに拳を握った。
「私もそれは、同じ気持ちだ。ガルディル殿おひとりで、領民の半分を守ることができたのだから、残りの剣王たちも派遣していれば、すべての領民と領地を守ることができたのかもしれん。一介の従士に過ぎなかった私は、王都でほぞを噛むような思いであったのだ」
「ああ、うん、まあ、それに関しては、あんたが悪いわけじゃないけど……」
と、ジェンカがいくぶん慌てた風に声をあげると、レオ=アルティミアは気を取りなおした様子でガルディルを振り返ってきた。
「また、その時代に剣王の座にあれば、ガルディル殿と肩を並べて任務に励むこともかなったろう。それは見果てぬ夢に終わったが、今はこうして志を同じくすることができている。私はそれを、心から誇らしく思っているのだ」
ジェンカは、たちまち眉を吊り上げる。
「何だよ、それ! あんたはけっきょく、下心で動いてるってわけ? 騎士の誇りが聞いて呆れるね!」
「ち、違う! 私はあくまで、剣士としてのガルディル殿に憧憬を抱いていたのだ!」
けっきょくは、そんな騒ぎに落ち着いてしまう。
ガルディルとしては、最後の林檎を大事そうについばんでいるメイアの頭を撫でながら、ひっそりと心を和ませるしかなかった。




