6-5 ひそやかな夜
晩餐の後、ガルディルたちはもとの客間に戻されることになった。
そこには、寝所も設えられていたのだ。頑丈そうな木造りの寝台に、羽毛を詰め込まれたふかふかの寝具が準備されており、さらにはそれぞれの夜着までもが用意されていた。
窮屈な衣装から夜着に着替えたガルディルとメイアは、並んで寝台に横たわる。寝所はふた部屋あったので、ジェンカだけは別室である。そうして寝台に横たわるなり、メイアはぴったりとガルディルの胸もとに身を寄せてきた。
「今日は大変な一日だったな。メイアも、疲れたろ?」
その質問には答えぬまま、メイアはガルディルの顔をじっと見つめてきた。
その紫色の瞳に宿るのは、不安と困惑の光である。
「どうしたんだよ? 何か心配事でもあるのか?」
メイアはあまり世間の道理がわかっていなそうであったので、王太子の言葉もほとんど理解できていないように思えた。
しかしそれでも、何か感ずるものはあったのだろう。その白くて小さな指先は、ガルディルの胸もとの生地をぎゅっと握りしめていた。
「心配するなって。確かにずいぶん話は大きくなっちまったけど、ようやく敵の正体も見えてきたみたいだからな。そいつをぶっ倒せば、俺もお前さんものんびり暮らせるようになるだろうさ」
「…………」
「何だよ。心配事があるんなら、そいつをきちんと話してみな」
ガルディルがそのようにうながすと、メイアはようやく口を開いた。
「メイアは……ここにいちゃいけない人間なの?」
ガルディルは、とっさに言葉が出なかった。
が、すぐに気を取りなおして、メイアの頭をかき回してみせる。
「人間ってのはな、自分の好きな場所にいていいんだよ。周りの人間が何をほざこうが、最後に決めるのは自分なんだからな」
「…………」
「もしかしたら、お前さんが余所の王国のお姫さんかもしれないって話を気にしてるのか? あんなもんはただの当て推量なんだから、気に病んだってしかたねえよ」
そのように述べながら、ガルディルは王太子の言葉に強い説得力を覚えてしまっている。
(もしかしたら、メイアのあのとんでもねえ力も、余所の王国で作りあげられたもんなのかもな。竜人に生身で対抗できるように、魔石を体内に埋め込んだ、とか……馬鹿げてはいるけど、ありえない話ではねえだろう)
そんな風に考えるガルディルの胸もとで、メイアが小さく身を震わせた。
「……メイアは、ガルといっしょにいたい」
「ん? だからこうして、一緒に寝てるだろ」
「これからも、ずっといっしょにいたい」
表情の動かない顔の中で、その瞳だけがすがるようにガルディルを見つめている。
ガルディルは苦笑して、今度はその銀髪を優しく撫でてやった。
「お前さんは、そればっかりだな。俺なんざと一緒にいたって、なんにも面白かねえだろうに」
「…………」
「お前さんが貴族の姫君だったら、今日みたいなご馳走を毎日食えるんだぞ?」
ガルディルの胸もとにしがみついたまま、メイアはぷるぷると首を振った。
「そんなの、いらない。ガルの焼いてくれたお肉のほうがおいしい」
「ヤギより蛇の肉のほうが好みだなんて、とんだ悪食だな」
ガルディルは笑い、メイアの華奢な肩を手の平で包み込んでやった。
「約束したろ。お前さんの居場所は、俺が見つけてやるよ。なんにも心配はいらねえから、今日はゆっくり寝ちまいな」
納得がいったのかどうなのか、メイアは最後にじっとガルディルの顔を見つめてから、紫色の瞳をまぶたの裏に隠した。
ほどなくして、その可憐な唇から寝息が聞こえ始める。やはり、相当に疲れていたのだろう。ガルディルとて、こんなに一日を長く感じたのは初めてのことだった。
と――寝所の扉が、遠慮がちな調子で叩かれる。
ガルディルが低い声で「おう」と応じると、そこから夜着姿のジェンカが現れた。
「まだ起きてたんだね。……ちょっといい?」
ガルディルの返事も待たずに足を踏み入れて、扉を閉める。そうして寝台まで近づいてきたジェンカは、すうすうと寝入っているメイアをちらりと見やってから、絨毯の上にぺたりと座り込んだ。
「どうしたんだよ? さすがにこの立派な寝台でも、三人はきついと思うぞ?」
ガルディルが軽口を叩くと、ジェンカはとたんに顔を赤くした。が、眠るメイアをはばかってか、大きな声をあげようとはしない。
「そんなんじゃないよ、馬鹿。……ねえ、この部屋も盗み聞きされてるのかなあ?」
「そいつは、王太子様が俺たちのことをどれだけ信用しているかにかかってるだろうな。ま、こうやって小声で語らってる分には、心配ねえさ」
「そっか」と言いながら、ジェンカはさらに身を乗り出して、ガルディルの枕もとに頬杖をついた。燭台に照らされるその顔は、いくぶん憂いの色をたたえている。
「お前さんも、どうしたんだよ? やっぱりレミアムの一件が気にかかってるのか?」
「……レミアムの一件って?」
「王弟が別邸を構えてるとかって話だよ。国王の暗殺を目論むような人間が、自分の故郷でふんぞり返ってるなんて、胸糞悪いだろ?」
ジェンカはほろ苦い微笑を浮かべて、わずかに首を振った。
「故郷って言ったって、そんなの七年も前の話だからね。いまさら何を騒いだって、どうにもならないよ」
「そうか。だったら、いいけどよ。……それじゃあ、何の話だったんだ?」
「そりゃあもちろん、今回の馬鹿騒ぎについてだよ」
メイアの青い瞳に、彼女らしい力強さがみなぎった。
「あんたは明日、あの女剣王と一緒に、王弟のところまで出向こうってんでしょ? 王家の人間を、大罪人として告発するなんて……よくもまあ、あんな話を受け入れたもんだね」
「まあ、乱暴な話だとは思うけどな。あの賢そうな王太子様だったら、勝算もないのにそんな真似はしねえだろ。これで王弟の悪事を暴けるなら、話が簡単でいいじゃねえか」
「あんた、あの王太子を本当に信用してるの? その割には、最後まであのことを話そうとしなかったけど」
あのこととは、メイアの不可思議な魔力についてであろう。その一件に関しては、ガルディルも最後まで打ち明ける気持ちになれなかったのだ。
「心の底から信用しない限り、あんな話は打ち明けられねえよ。俺は九割がた、あの王太子様を信用してみようって気持ちになってるけど……まだ一割ぐらいは、不安が残ってるからな」
「ふうん? だったらどうして、あたしなんかのことを信用しようって思ったのさ?」
ジェンカが、さらに身を乗り出してくる。
さらりと流れた茶色の髪から甘い香りが感じられて、ガルディルは少し落ち着かなかった。
「だってお前さんは、俺の正体を知って怒り心頭だったじゃねえか? さすがにあれが、演技だとは思えねえよ」
ジェンカの頬が、わずかに赤くなる。
ガルディルは、なるべく深刻に聞こえないように、飄々と述べたててみせた。
「それに、お前さんが敵方の人間だったら、もっといくらでもやりようはあっただろう? あの王太子様はそういう経緯を知らないから、あんな突拍子もねえことを思いついちまっただけだよ。何も気にする必要はねえさ」
「……あんなやつのこと、あたしは何も気にしちゃいないよ」
そう言って、ジェンカはきゅっと唇を吸い込んだ。微笑みをこらえようという仕草である。ここでどうして微笑みたくなるのか、その理由はガルディルにもよくわからなかった。
そうしてしばらくののち、ジェンカはさらに言葉を重ねた。
「それじゃあさ、明日はあたしも一緒に行くからね。足手まといだなんて言ったら、承知しないよ?」
「ええ? そいつは別に、かまわねえけど……でも、何でだ? 俺とお前さんの貸し借りはチャラになったろ?」
「あんたとのことは関係ないよ。もしも王弟ってやつが、本当に余所の王国との戦なんて考えてるなら……あたしの家族だって、危ない目にあっちゃうじゃん」
ジェンカの瞳に、再び真剣な光が宿る。
「これ以上、王都の馬鹿どものせいで家族が苦しむなんて、あたしは絶対に許せないんだよ。だから、明日はあたしもついていく。わかったね?」
「わかったよ。お前さんがそばにいてくれりゃあ、俺も心強いしさ」
頬杖をついていたジェンカの顔が、手の先からずり落ちた。
枕で半分顔を隠しながら、ジェンカはガルディルをにらみつけてくる。
「あんたさあ、普段はすっとぼけてるくせに、そういうことをさらっと言うの、やめてくんない?」
「そういうことって、どういうことだよ? お前さんが顔を赤くするきっかけが、俺にはいまひとつよくわからねえんだよな」
「もう」と怒った声で言い、ジェンカは指先でガルディルの鼻を弾いてきた。
それから、無防備な寝顔をさらしているメイアのほうを、またちらりと見る。
「この娘っ子……本当に、余所の王国のお姫様なのかなあ?」
「さてな。もっともらしい話ではあったけど、俺には何とも言えねえよ」
「それが本当だったら、あんたはどうするの? その娘っ子を、余所の王国まで送り届けることになるってわけ?」
「そこにメイアの居場所があるってんなら、俺も考えるよ。その前に、まずはこの馬鹿馬鹿しい騒ぎを切り抜けねえとな」
ジェンカは布団の上で腕を組むと、その上にころんと顔を転がした。それで、寝台に横たわっているガルディルと正面から向かい合う格好になる。
「けっきょく、あんたは……困っている人間を放っておけない性分ってこと?」
「俺はそこまで、善良な人間じゃねえよ。……だけどまあ、こんな小さな娘っ子を見捨てたら、夢見が悪いじゃねえか」
ガルディルは、せいぜいふてぶてしく笑ってみせた。
「何度も言うように、俺はのんびり暮らしてえだけなんだ。そいつを邪魔しようとするやつは、王族だろうと竜人だろうと蹴散らすだけさ」
「何だよ、それ。本当にとぼけたおっさんだね」
ジェンカは、くすくすと笑い声をもらした。
どうも様子がおかしいと思ったら、睡魔に見舞われているらしい。ガルディルを見つめるその瞳も、半分ぐらいはまぶたに閉ざされてしまっていた。
「眠いんだったら、そっちの寝台に移ったらどうだ? そんな格好じゃ、身体がいてえだろ」
「うっさいなあ。あんたの指図は受けないよ」
眠気のせいでやわらかくなった声で、ジェンカはそのようにつぶやいた。
「ねえ……あんたはどうして、そんなに強いの?」
「それはな、餓鬼の頃から蛇やトカゲの肉を食ってたからだよ」
「もう。こっちは、真面目に聞いてるんだよ……?」
「俺も、真面目に答えてるんだよ。他に理由はなさそうだからな」
闇に沈んだ天井のほうに視線を向けつつ、ガルディルはそのように答えてみせた。
「俺は、砂トカゲや蛇しか出ないような荒れ地で育ったんだ。生まれた場所は、魔獣どもにぶっ潰されちまったからよ。……それで、頭のおかしい剣士に拾われて、無茶な修行をさせられることになったんだ。これぐらいの力をつけねえと、あの場所では生きのびることもできなかったんだよ」
「…………」
「それでようやく一人前の力を身につけたら、今度はあっさり捨てられちまってよ。剣をふるうしか能がねえから、しぶしぶ王国の傭兵団に加わって……そこから、騎士団にまで引っ張りあげられたわけだな。何も、人様に憧れられるような人生じゃねえんだよ」
返事がないので見てみると、ジェンカは寝台にもたれかかった格好で眠ってしまっていた。
何か、微笑んでいるように見えなくもない寝顔である。ガルディルはひとつ溜め息をついてから、毛布の一枚をジェンカの背中にかけてやった。
「たまに真面目に語らったら、これだよ」
メイアもジェンカも、とても安らかに眠っている。
王国の存亡を揺るがすような陰謀劇に巻き込まれながら、大した心臓である。彼女たちの寝顔を眺めていると、ガルディルも思い悩んでいるのが馬鹿らしくなってきてしまった。
(ま、なるようにしかならねえか)
ふたつの寝息を聞きながら、ガルディルもまぶたを閉ざすことにした。