6-4 それぞれの思惑
「実はね、こっちもまだ打ち明けてねえ話があったんだよ。そいつを、聞いてもらえるかい?」
ガルディルはまず、そのように切り出してみせた。
王太子は優雅に微笑みながら、「ええ、もちろん」と首肯する。
「思えば僕は自分の心情を語るばかりで、ガルディル殿のお気持ちやご都合をほとんど耳にしていません。それをお聞かせくださるのでしたら、心より嬉しく思います」
「それじゃあ、聞いてもらうけどさ。……俺とメイアに襲いかかってきたのは、人間じゃなくて竜人だったんだよ」
ガルディルはさりげなく、王太子とレオ=アルティミアの顔色を注視していた。
王太子はわずかに眉を寄せ、レオ=アルティミアはきょとんと目を丸くしている。口を開いたのは、レオ=アルティミアのほうであった。
「それはいったい、何の話であろうかな? このたびの一件に、竜人などは関係なかろう?」
「それが、そうでもないんだよ。その竜人は、王都の誰かに頼まれて、俺やメイアを始末しにきたっていう話だったからな」
「馬鹿な!」と、レオ=アルティミアが大きな声をあげる。
王太子はゆったりと手を上げて、それを制した。
「それは、驚くべき話ですね。竜人が、そのように語らっていたのですか?」
「ああ。ただし、人間同士の縄張り争いなんざには興味がない、とも言ってたな。おそらくは、どこかの誰かに交換条件でも持ちかけられて、俺たちを始末することを引き受けたってことなんだろう」
「ガルディル殿、それは、ありえぬ話であるぞ!」
王太子の制止を振り切って、レオ=アルティミアが大きな声をあげた。
「人間と竜人が取り引きをすることなど、ありえない! だいたい、どのような条件を持ち出せば、そのような取り引きをすることがかなうのだ? 竜人には、富も名声も必要ないのだからな! あやつらは人語を介するが、その本質は野獣そのものだ! 大地にはびこって、生あるものから生気を吸い尽くす、ただそれだけの存在が人間と取り引きしようなどとは――」
「アルティミア、ちょっと黙りなさい」
王太子が静かに声をあげると、レオ=アルティミアは頬でも叩かれたように口をつぐんだ。
王太子は、翡翠のごとき瞳を炯々と光らせている。
「ガルディル殿、ひとつおうかがいしたいのですが……その竜人は、いずれの部族に属する竜人であったのですか?」
「部族って、そいつは六種の属性の話だよな? どこの部族かまでは名乗らなかったけど、とりあえずそいつは火の属性だったよ」
「では、《赤の一族》か《緋の一族》か《朱の一族》である、ということですね。属性さえわかれば、それで十分です」
王太子は沈着な表情と口調を保っていたが、その目の光だけが内心を表していた。この少年は今、激しく昂揚しているのだ。
「人間と竜人が取り引きをするなどとは、僕にもとうてい考えられません。しかし、あの王弟であるならば……実の兄たる国王を弑して、近隣諸国への侵攻を目論むような人間であれば、そのように人の道から外れた行いに手を染めるのかもしれません」
「……何だか、心当たりでもありそうな口ぶりだな」
「ガルディル殿にお話をうかがうまで、そのようなことは想像もしていませんでした。でも僕は、以前から気にかかっていたことがあるのです」
王太子は小さく息をついてから、さらに言葉を重ねていった。
「この一年、王弟やそれに与する人間の領地は、竜人に襲撃される回数がずいぶん減っている様子でした。その分、他の人間の領地が襲撃される回数が増えていたので、余計に差が顕著であったのです」
「ふうん? でも、まったく被害がなかったわけでもねえんだろ? ただの偶然なんじゃねえのか?」
「はい。僕もそのように考えていました。しかし……今にして思えば、その差はすべて火の属性を有する竜人に関してであったのです」
ガルディルも、それでわずかに息を詰めることになった。
「それは、つまり……火の属性の竜人だけが、王弟やそのお仲間の領地を避けてるって意味なのか?」
「はい。そしてその分、他の領地が火に属する竜人に襲撃される頻度が増加しているのです。ガルディル殿もご存じの通り、ドルミアに姿を現す竜人は、火、風、土、の三種ですので……王弟は、三割強の被害を免れることになった、という計算になるのでしょう」
王太子は椅子の背にもたれかかると、優美な指先で前髪をかきあげた。
「火に属する竜人だけが、王弟と何らかの密約を結んで、領地を襲撃することを控えている。そのように考えれば、すべての辻褄が合ってしまうことになりますね」
「だけど、それじゃあ竜人がいいように使われるばっかりじゃねえか。いったいどんな見返りを準備したら、そんな風に竜人をこき使うことができるんだい?」
「わかりません。しかし必ず、何らかの見返りは与えているのでしょう。そうでなければ、竜人が人間の命令に従うことなどありえません」
ガルディルは、「うーん」と考え込むことになった。
「俺から言いだしたことだけど、何だかとんでもねえ話になってきちまったなあ。……だけど、王弟も《黒曜の剣王》も、ずっと王都に引きこもったままなんだろ? どうやったら、竜人なんざと密約を交わせるってんだ?」
「その両名は、たびたび王都を離れています。現に今も、王都の外ですしね」
「なに? そうなのか?」
「はい。王弟はレミアム領に別邸を構えており、王都よりもそちらで過ごすほうが長いぐらいであるのです」
カランと硬い音がしたので振り返ると、ジェンカが匙を皿に落としたところであった。その青い瞳には、穏やかならぬ光が灯されている。
「えーと、レミアムって、あのレミアムだよな? あそこは鉱山にされちまったんじゃなかったっけ?」
ジェンカの代わりにガルディルが尋ねると、王太子は「ええ」とうなずいた。
「数年前に、レミアムは王弟の領地となったのです。そこから採掘される豊潤な魔石によって、王弟は現在の権勢の基盤を固めたと言っても過言ではないでしょう。それだけ重要な地であるからこそ、王弟はその場所に別邸などを建てたのでしょうね」
「なるほどなあ。それだけ王都の外に出向いてるんだったら、いくらでも竜人と出くわす機会はあったわけか」
ガルディルは、レオ=アルティミアのほうに視線を差し向けた。
「この一年ばかりで出陣を繰り返してる剣王はあんただけだって話を聞いてたから、俺はあんたを疑っちまってたんだよな」
「うむ? それはもちろん、剣王の座を授与されたからには、討伐の任務に励むのが本道であろう。私はそのために、剣王を志したのであるからな」
王太子の言葉に動揺しまくっていたレオ=アルティミアは、気を取りなおした様子でそのように答えていた。
「しかし、私には王太子殿下をお守りするという使命もある。本当は、かつての貴殿のようにもっと討伐の任務に打ち込みたいところであるのだが……王弟どもが暗躍している以上、それもままならぬのだ」
「なるほどなあ」と、ガルディルは自分の頭をかき回す。
「まあ、出陣を繰り返してるって言っても、せいぜい月に一度ぐらいだって話だったもんな。竜人なんざと密に連絡を取り合うには、王都の外で過ごしてるほうが、よっぽど都合もよさそうだ」
「はい。僕はもちろん、宰相殿にだって竜人と絆を結ぶ機会などは存在しませんでした。……そしてそれ以前に、そのようなおぞましい行為に手を染めるのは、王弟の他にないものと思われます」
「うーん。そもそもあの竜人は、俺とメイアが狙いだって言いきってたもんなあ。俺はともかく、メイアの手配書を回してたのが王弟だってんなら……やっぱり王弟がすべての黒幕ってことなのか」
すると、王太子の視線がガルディルを飛び越えて、メイアを見つめた。メイアは普段通りの野趣あふれる作法で、宮廷の料理をもりもりと食している。
「かえすがえすも、謎であるのはメイア嬢の存在ですね。王弟は何故、メイア嬢をそこまで執拗につけ狙うのでしょう?」
「さてね。俺はそいつを突き止めるために、この王都まで出向いてきたようなもんなんだよ。もしかしたら、メイアは王都の生まれなんじゃないかっていう期待もあったんだけどな」
「そのお考えは、外れていたようですね。少なくとも、王族や貴族に連なる身分の家に、そのような容姿をした子女は存在しないはずです」
そこで王太子の瞳が、また何かを見透かすような光をたたえた。
「ですが……メイア嬢が名もなき家の生まれであるということも、なかなか考えにくいように思います。それこそが、ひとつの真実を示唆しているのではないでしょうか?」
「ふうん? 何か見当がついたんなら、是非とも聞かせてほしいところだね」
「あくまで、推論です。しかし、僕にはそれ以外の答えを見つけることができません。……メイア嬢は、ドルミアではない別の王国の姫君なのではないでしょうか?」
ガルディルは、いきなり後頭部を殴られたような心地であった。
「別の王国の姫君、か……そいつは、考えつかなかったよ。やっぱりあんたは大したもんだね、王太子殿下」
「いえ、ごく簡単な推論です。僕はただ、王都に住まうすべての王族と貴族の名前と姿を見知っているつもりでありますので……そこに該当する人間がいない限り、余所の王国に答えを見出すしかなかった、ということです」
そのように語る王太子の目は、いまだメイアを見つめたままであった。
「ここからは、さらに乱暴な推論となりますが……近隣諸国への侵攻を目論む王弟であれば、そちらの姫君をかどわかすこともありえるように思うのです。しかし、ドルミアの領内でその姫君に逃げられてしまい、慌てて大罪人としての手配書を回したと考えれば、それなりに辻褄が合うのではないでしょうか?」
「うーん。あんたの口から語られると、それ以外の真実はありえないって気分になってきちまうなあ」
ガルディルがそのように答えると、王太子はちょっと可笑しそうに口もとをほころばせた。
「それはさすがに、過分なお言葉です。あくまで目の前の材料だけでこしらえた穴だらけの推論なのですから、あまり重きを置かないようにお願いいたします」
「……あんた、そんな風にも笑えるんだな」
ガルディルは酒の代わりに、林檎の香りがする茶をあおることにした。
「わかった。ひとまず、あんたを信じることにするよ。少なくとも、メイアの手配書を回したのは、あんたじゃないんだろうしな」
「では、お力をお貸しいただけるのでしょうか?」
「どちらかというと、こちらが助力を願いたいところだね。俺とメイアをつけ狙うのが王弟だったら、そいつをとっちめるのに力を貸しちゃあもらえないかい?」
王太子は、得たりとばかりに微笑んだ。
「そのお言葉をお待ちしておりました。では……その前に、最後の懸念を払拭させていただけますでしょうか?」
「最後の懸念? そいつは、なんの話だい?」
「ガルディル殿のかたわらにおられる、そちらのジェンカ殿に関してです」
メイアと競争をするように食事を進めていたジェンカが、不遜な眼差しで王太子をねめつける。ガルディルとしても、ここでジェンカの存在を取り沙汰されるとは考えていなかった。
「こいつが、どうかしたのかい? ジェンカに関しては、さっきあれこれ説明したはずだよな?」
「はい。それで僕は、ひとつの懸念を抱くことになったのです。そちらのジェンカ殿が王弟の密偵である、という可能性はありませんか?」
ガルディルは、心の底から呆れることになった。
「いったい何をどんな風に考えたら、そんな突拍子もない話を思いつくんだい?」
「あなたとメイア嬢が襲撃を受ける直前、ジェンカ殿は別行動で町に下りていたというお話であったでしょう? 伝書鴉を飛ばしたのは、騎士団ではなくジェンカ殿だったのではないか、と考えてみたのです」
優雅に微笑んだまま、王太子はそのように言葉を重ねていった。
「それに彼女は、ガルディル殿がアルティミアに捕縛されそうになったとき、それを助けました。ガルディル殿の身柄が、僕の手に渡ることを阻止したのではないか――と、考えられなくもありません」
「なるほどね。頭が回りすぎるのも考えもんってことか」
ガルディルとしては、苦笑するしかなかった。
「ジェンカに関しては、この一件に関係ありそうな部分しか伝えてなかったからな。材料がそろわないと正しい答えを出すことはできないっていう言葉の意味が、よくわかったよ」
「では、僕に伝えていない部分で、彼女を信頼するに足る出来事が生じていた、ということでしょうか?」
「そういうこった。俺を信用するんなら、こいつのことも同じように信用してほしいもんだね」
ジェンカが王弟の密偵などであるならば、ガルディルの正体を最初から知っていたことになる。それだけは、絶対にありえない話であるのだった。
「まあ、こいつのことを信用できないってんなら、これまでの話もご破算だ。あんたの敵に回ったりはしねえけど、助力を願うって話もなしにしてくれ」
「わかりました。ガルディル殿がそこまでの信頼を置かれているのでしたら、是非もありません。僕の懸念も解消された、ということにいたしましょう」
そう言って、王太子はにこりと微笑んだ。
「では、王弟の野望を阻止するために、どうか助力をお願いいたします。その行いこそが、あなたとメイア嬢の身を助けることにもなるはずです」
「そいつはけっこうな話だけど、具体的にはどうしたらいいんだい? まさか、真正面から剣を交えるつもりではないんだろ?」
「はい。ガルディル殿のお話をうかがって、僕にも進むべき道が見えました。……王弟を、告発するのです」
「告発?」と、ガルディルは繰り返す。
「ええ」と、王太子はうなずいた。
「王弟は、こともあろうか竜人族と密約を交わして、ガルディル殿とメイア嬢に刺客を差し向けた疑いがあります。その大罪を、告発するのです。王家の人間が竜人族と密約を交わすことなど、決して許されないのですからね」
それは、ガルディルの頭にもあった計略のひとつであった。
しかし、この王太子の口から語られると、一気に重みを増してしまう。もしも王弟が密約など交わしていなかったら、ガルディルたちのほうこそが王家の人間を誹謗した大罪人と見なされてしまうのだ。
(いよいよ剣呑な話になってきたな。……まあ、この状況を打破するには、どっかで無茶をするしかねえか)
そんな風に考えながら、ガルディルは連れの二名を振り返った。
メイアとジェンカは食事の手を止めて、ガルディルの姿をじっと見つめている。それらの胸には、いったいどのような思いが去来しているのか――ガルディルには、見当をつけることも難しかった。