6-3 王都の晩餐
「へえ、なかなか似合ってるじゃねえか」
控えの間に入室してきたジェンカに、ガルディルはそのように述べたててみせた。
当のジェンカはいくぶん頬を染めながら、もじもじとしている。その青い瞳は、とても気恥ずかしそうにガルディルを見やっていた。
「あ、あんまり見ないでよ。こんなの、あたしはちっとも着慣れてないんだから」
「いやあ、本当によく似合ってるよ。そんな格好だと、とうてい賞金稼ぎの女剣士には見えねえなあ」
ジェンカに準備されていたのは、それほど華美ではない絹仕立ての衣装であった。
淡い朱色の生地に黄色い糸で精緻な刺繍がされており、足もとにはふわりとひだの飾りがひらめいている。貴婦人さながら――というのは言い過ぎであるとしても、良家の子女ぐらいの称号は与えても差し支えないだろう。何より、いつも頭の上で結わかれている髪が綺麗にくしけずられて、ふわりと胸もとまで垂らされているのが、何とも新鮮であった。
ガルディルのかたわらにたたずむメイアも、似たり寄ったりの格好である。
ただしこちらは、もともとが尋常でないぐらい秀麗な容姿をしていたので、どこからどう見ても貴族の娘にしか見えない。湯あみで輝きを取り戻した白銀の髪が、何よりもメイアを美しく彩っていた。飾り気の少ない、清楚でつつましい衣装であるはずなのに、その姿は一幅の絵画であるかのように、神秘的で、優美であった。
そんなメイアにちょっときつめの視線を送ってから、ジェンカはガルディルの前まで進み出てくる。
「……おっさんのほうこそ、ずいぶん立派な格好じゃん」
「そうかあ? 襟つきの装束ってのは、どうにも窮屈で好きになれねえんだけどな」
ガルディルの装束も絹仕立てで、色は黒を基調にしている。それは剣王の時代のお仕着せを連想させたので、ガルディルとしてはなおさら落ち着かないところであった。
「……そんな格好するんだったら、無精髭ぐらい剃ればいいのに」
「そこまで手間をかける気にはなれねえよ。飯ひとつ食うのに、まったく面倒なこったよなあ」
ガルディルがそのように言い捨てたとき、従者が楚々とした足取りで進み出てきた。
「それでは、ご案内いたします。こちらにどうぞ」
従者の手によって、扉が開かれる。
身を清めている間にすっかり日も暮れていたが、その部屋には無数の燭台が置かれており、昼間のように明るかった。
「ようこそ、ガルディル殿。お待ちしていました」
王太子の小宮の、食堂である。十名ぐらいが掛けられる巨大な卓の上座に、王太子エデュリオンが座している。左の側にはすでにレオ=アルティミアが座しており、その向かいには三名分の食器が並べられていた。
「おや、これはお美しい。……メイア嬢はもちろん、ジェンカ殿も実によくお似合いですよ」
と、王太子は如才なく、そのように言いたてた。ジェンカの素性やこれまでの関わりについても、さきほどの密談の場であらかた打ち明けていたのだ。王都の貴族や王族に大きな不信感を抱いているジェンカは、なんとも言えない面持ちで小さく頭を下げていた。
「では、どうぞお掛けになってください。アルティミアも、ご一緒させていただきます」
ガルディルたちの背後で、扉が閉められる。案内の従者は入室せず、その部屋に控えているのは年老いた侍女のみであった。
自分たちに準備された席へと歩を進めながら、ガルディルは身を屈めてメイアに囁きかけた。
「格式を気にする必要はねえだろうけど、俺が先頭に座るべきだろうな。メイア、真ん中の席でいいよな?」
メイアは無表情に「うん」とうなずいてから、横目でジェンカをねめつけた。おそらくは、ジェンカがガルディルを殴打したことで、また反感をつのらせているのだろう。そうと察したジェンカのほうも、子供のようなしかめ面で舌を出している。半月の時間をともにしても、斯様にして両者の溝は埋まっていなかった。
そんな一幕を経て、ガルディル、メイア、ジェンカの順で腰を落ち着けると、老いし侍女が音もなく進み出て、配膳を開始する。ずいぶん立派な晩餐であるようなのに、配膳の役目はこの老女ひとりが受け持つようだった。
「色々と内密の話も持ち上がるでしょうから、他の従者たちは遠ざけておきました。彼女は決して秘密を漏らすような人間ではありませんので、ご心配は不要です」
と、ガルディルの内心を察したように、王太子がそう述べてきた。
「しかしまずは、晩餐をお楽しみください。急ごしらえの料理ですが、お口に合えば幸いです」
急ごしらえと言いながら、それでも王太子が口にする晩餐だ。そこに準備されていたのは、いずれも平民にはなかなかお目にかかることのできない料理の数々であった。
主菜は、ヤギ肉の香味焼きである。さまざまな野菜や香草と一緒に蒸し焼きにされた料理であるのだろう。表面にはこんがりと焼き色がついており、分厚く切り分けられた断面からは赤みがかった色が覗いている。食べる前から、そのしっとりとした噛みごたえが想像できそうな、素晴らしい色合いであった。
その他には、川魚の切り身やタマネギや茸を酢で和えた前菜や、鳥肉の蜂蜜焼き、ふわふわに焼きあげられた小麦のパン、腸詰肉とレンズマメのシチューなど、とうてい五名では食べきれないほどの量が準備されている。それに、中央の銀の大皿には、林檎や葡萄やザクロなどの新鮮な果実がどっさりと山積みにされていた。
「酒は、麦酒と林檎酒と蜂蜜酒を用意しています。お好きなものをお選びください」
「至れり尽くせりで、恐縮しちまうね。粗相をしちまったら大変だから、酒は遠慮させてもらおうかな」
ガルディルは、まだこの明敏に過ぎる少年を味方と判じたわけではないのだ。
王太子は「そうですか」と虫も殺さぬ顔で微笑んだ。
「それでは、お召し上がりください。宮廷内の食事作法などお気にする必要はありませんので、どうぞご随意に」
それは、ジェンカやメイアに向けられた言葉であるのだろう。戦に臨むような面持ちで着席したジェンカは、物怖じする様子もなく小麦のパンを噛みちぎった。
いっぽうメイアは、いくぶん困惑しているような眼差しをガルディルに向けてくる。
「……これ、食べていいの?」
「ああ。とりあえず、明日の朝までは客人として歓迎してくださるそうだからな。遠慮をするほうが失礼ってもんだ」
メイアはこくりとうなずいてから、三つ又の串でヤギ肉を捕獲し、それを口にした。その紫色の瞳に満足げな光が浮かぶのを確認してから、ガルディルはシチューをすすり込む。
「……今、明日の朝までと仰いましたね。やはり、僕たちにお力を貸すのは気が進まない、ということなのでしょうか?」
と、優雅に肉を切り分けながら、王太子が問うてくる。
ガルディルは「さてね」と肩をすくめてみせた。
「お言葉に甘えて、ひと晩じっくり考えさせてもらおうと思っているところだよ。俺にとっても、この先の人生を左右する一大事だからさ」
「では、僕の申し出を断るとしたら、その後はどのように振る舞われるおつもりなのでしょうか?」
どうやら王太子は、最初から静かに晩餐を楽しむ気持ちなどこれっぽっちもないようであった。
ガルディルは川魚の和え物を咀嚼してから、「そうだなあ」と首をひねる。
「まず最初に、どう転んでも王弟様なんかに与する気持ちは一切持ち合わせちゃいないから、それだけは安心していただきたいところだね」
「しかし、あなたもメイア嬢も王弟ルイムバッハに追われる身であるのでしょう? 王弟に与するお気持ちがないのでしたら、それはどのように乗り越えるおつもりなのですか?」
「それはまあ……いざとなったら、余所の王国にでも逃げ出すか、ってな風に考えてたんだけど……」
「はい。王弟は、近隣諸国に侵攻する心づもりでいます。王弟の暴虐な振る舞いを止めない限り、どこにも安息の地を求めることはかなわないでしょう」
そのように述べてから、王太子はまた微笑んだ。
「そしてそれ以前に、余所の王国への移住など、そう簡単に為せるとも思えません。もしかしたら、お連れの方々はそちらに縁故でもお持ちなのでしょうか?」
「いや、そんなあては一切ねえんだけどな」
「それでは、いっそう困難であると思われます。ドルミアと隣接する王国は四つ存在しますが、それらのいずれとも友好的な関係は構築できていないのですからね」
それは、王太子の言う通りであった。この時代、王国はそれぞれ完全に独立しており、国交らしい国交も結んではいないのだ。竜人や魔獣の存在がなかったら、それこそ人間同士で領地争いに励んでいたことだろう。
「そして、現在の王弟に対抗できる勢力は、この僕か宰相殿の他にありません。ガルディル殿は宰相殿と不和な関係にあられると聞き及んでいましたので、僕と手を携えてくださるのではないかと期待していたのですが……」
「王弟様はもちろん、宰相殿とだって手は組む気はねえよ。向こうだって、そんな気はさらさらないだろうしな」
「それは、どうでしょう。当時の宰相殿があなたを敵視していたのは、あなたがあらゆる派閥に背を向けていたからだと思われます。あなたが恭順の意を示せば、快く迎え入れてくださるのではないでしょうか?」
「……あの頃の王太子様は、五歳かそこらだろ? そんな頃から、あんたは宮廷内の様子を検分していたのかい?」
「とんでもありません。当時を知る方々に話を聞いて、そのような結論に至ったまでのことです。……あなたのそういった清廉な生き様に、アルティミアは憧れを抱くことになったのでしょう」
レオ=アルティミアはまたわずかに頬を染め、ジェンカは半眼でガルディルをねめつけてくる。ガルディルとしては、鳥肉の蜂蜜焼きと一緒に溜め息を呑み下すしかなかった。
「ガルディル殿、どうかお力添えを願えないだろうか? 貴殿のお力さえあれば、王弟とて何するものでもないはずだ」
と、頬を染めたレオ=アルティミアが、何とか騎士らしい威厳を取りつくろいながら、そのように問うてくる。ガルディルは、がりがりと頭をかいてみせた。
「ずいぶん買いかぶってくれるなあ。立派な騎士団を編成してりゃあ、俺ひとりの力なんてちっぽけなもんだろ?」
「そのようなことはない。聖剣を持つ剣王の存在は、百名の騎士に匹敵するのだからな。しかも貴殿は、二等級の刀剣で私と互角に渡り合ってみせたではないか。貴殿はそれほどまでの力量を有しているからこそ、王弟めに目をつけられることになったのだ」
「そうですね」と、王太子も同意の声をあげた。
「いわばあなたは、聖剣を持たずして剣王と同じ力を持つ存在であるのです。僕か、王弟か、宰相殿か、いずれかがあなたを手中にすれば、それは王国内で一番の武力を有する、ということになるのでしょう」
「……そんな風に扱われるのにうんざりしたからこそ、俺は王都を出奔したんだよなあ」
ガルディルは口の中でつぶやいたのだが、それは王太子の耳にも届いてしまったようだった。王太子は「なるほど」と目を光らせる。
「つまりあなたは、いまだに宮廷内の頽廃した空気を嫌悪しており、それゆえに、王都の誰にも与したくはない、ということなのですね」
「うん、まあ、簡単に言っちまえば、そういうことだな。志が低くて申し訳ないけど、俺はのんびり暮らしていければ、それで満足なんだよ」
「いえ、そのお気持ちは、十分に理解できると思います。あなたは五年もの間、その身を挺して王国の安寧を守ってきたというのに、いわれもない誹謗を受けて、王都を去ることになってしまったのですからね。あなたが貴族や王族を信用できないのは、致し方のないことであるのでしょう」
王太子は食器を置くと、真っ直ぐな眼差しでガルディルを見つめてきた。
「では、僕も言葉を改めさせていただきます。ガルディル殿、王国ドルミアの安寧を守るために、あなたのお力を一時的にお借りできないでしょうか?」
「……一時的に?」
「はい。さしあたっては王弟さえ打倒できれば、当面の危機は回避されます。王弟を失脚させて、黒曜の剣王から聖剣を奪取する……そこまでの計略に、お力をお借りできませんか?」
ガルディルも食事の手を止めて、思案することになった。
「それで、王弟を失脚させたら、俺はどうなるんだい?」
「その後のことは、ガルディル殿におまかせいたします。もちろん、僕の腹心として働いてくださるのでしたら、大いに歓迎させていただきますが……それを望まないのでしたら、これまで通り、ひとりの王国の民として好きなようにお暮らしください」
ガルディルは「うーん」と考え込む。
「あんたは本当に、人の心を見透かすのがお得意なんだね、王太子殿下。……あ、いや、悪い意味で言ったんじゃないから、怒らないでほしいんだけどよ」
「はい。それはつまり、僕の提案にお心を動かされたということでしょうか?」
「まあね」と、ガルディルは肩をすくめてみせる。
内心では、あまりに的確に自分の望みを見透かされてしまったので、少なからず辟易していた。
(だけどまあ、自分の力だけでどうにかできる話でもねえみたいだし……こっちからも、ちょいと探りを入れさせてもらうか)
そのように考えて、ガルディルは居住まいを正してみせた。