6-2 謝罪と和解
王太子エデュリオンとの密談をひとまず終えた後、ガルディルたちの身柄は小宮の客間へと移されていた。
さきほどの応接の間と大差のない、小綺麗な一室である。扉の外には見張りの兵士たちが立ちはだかっているのであろうが、屋内にはガルディルたち三名の姿しかない。晩餐の時間まではこの部屋でくつろぐべしと言い渡されて、ガルディルたちはここまで案内されたのだった。
「僕の申し出を受け入れるかどうか、一晩じっくりお考えください。それまでは、あなたがたを大事な客人として歓待させていただきます」
それが、王太子の言い分であった。
その申し出を断ったらどうするつもりであるのかとガルディルが問い質すと、王太子は優美に微笑んでいたものである。
「むろん、それであなたがたを大罪人として処断するような真似は、決していたしません。……だけどそれでも、僕たちはあなたの身柄を王弟ルイムバッハに渡すことはできないのです」
「どうして俺なんざの身柄が、そんな大層に扱われなきゃならないんだい? 俺が何をどうしようと、誰の迷惑になるとも思えないんだがねえ」
「そのようなことはありません。あなたの力は、あまりに強大であるのです。何せあなたは、二等級の刀剣で剣王をも退けられるような剣士であるのですからね。それだけの力を持つ剣士であるからこそ、王弟もあなたの存在を欲しているのでしょう」
どれだけ優美に微笑んでいようとも、王太子の瞳にはすべてを見透かすような光がたたえられていた。
「王弟は、邪悪にして遠大なる野望をその胸の中に隠しています。その野望を成就させるために、あなたの存在が不可欠であると考えているのですよ」
「どういうこったい。まさか、俺に国王陛下の暗殺でも持ちかけようって魂胆なのか?」
「いいえ。王弟が見据えているのは、玉座を簒奪した先のことです。……王弟は、近隣諸国への進軍を目論んでいるのですよ」
その言葉には、ガルディルも呆れるしかなかった。確かにこの地には数多くの王国がひしめいているはずであるが、どこの国でも竜人や魔獣の討伐で手一杯のはずであるのだ。
「そのために、王弟はまず宮廷内の邪魔者を一掃しようとしているのです。あなたを騎士団長の座に据えて、宮廷内で最強の騎士団を結成し――僕や宰相殿を武力の面でも黙らせようというおつもりなのでしょう」
聞けば聞くほど、剣呑な話である。権勢欲の権化であった宰相や《藍玉の剣王》が可愛く思えてくるほどの所業であった。
「僕は、あなたを信じました。どうかあなたも、僕を信じてください。領民たちの預かり知らぬところで、ドルミア王国は未曽有の危機を迎えているのです」
そんな暗鬱なる密談を経て、ガルディルたちはこの部屋に閉じ込められていた。
しばし放心していたガルディルは、気を取り直して、ジェンカのほうに向きなおる。
「とりあえず、あれこれ頭を悩ませるのは、後回しにするか。……その前に、やらなきゃいけねえことがあるもんな」
メイアはガルディルのかたわらに座していたが、ジェンカはわざわざ離れた場所にある長椅子に陣取って、そっぽを向いていた。ガルディルは、メイアの小さな頭をひと撫でしてから立ち上がり、そちらへ歩み寄っていく。
「ジェンカ、さっきは助かったよ。それから、えーと……いままで悪かったな。お前さんに、長々と隠し事をしちまってよ」
「…………」
「何を言ったって言い訳にしかならねえし、許してもらえるとも思っちゃいない。ただ、本当に悪かったと思ってるし、こんな俺を助けてくれたことには感謝してる。それだけは、きっちり伝えさせてくれ」
ジェンカはそっぽを向いたまま、「何で?」とつぶやいた。
「あたしは出会って二日目には、身の上話をしてみせたよね。それであたしがレミアムの生き残りで、あのときの《黒曜の剣王》にはすごく感謝してるって打ち明けたのに……どうしてあんたは、何も言ってくれなかったの?」
「そりゃあまあ……お前さんをガッカリさせたくなかったんだろうな。尊敬してた相手がこんな世捨て人のおっさんに成り果ててたら、お前さんも興ざめだろ?」
「……たったそれだけのことで、あんたはあたしに嘘をついてたの?」
ジェンカの横顔は頑なに仏頂面を保っていたが、その声はわずかに震えてしまっていた。
ガルディルは頭をかきながら、懸命に言葉を探してみせる。
「俺としては、剣王の時代のことを誇る気持ちになれねえんだよ。あの頃の俺は、王宮の連中にうんざりしてて……竜人や魔獣を相手にしてるほうがよっぽどましってぐらい、気持ちが倦んでたからよ。それでもって、何もかもを捨てて王都を出奔しちまった身だから……いまさらお前さんにどんな面をさらせばいいのかもわからなかったんだよ」
「…………」
「あとまあ、それに……ええい、言っちまうか。お前さんやメイアとあちこちうろつき回るのは、けっこう楽しくてな。あの雰囲気を壊しちまうのが、嫌だったんだ。俺は剣王様なんかじゃなく、世捨て人の風来坊として、お前さんたちと一緒にいたかったんだ」
ジェンカが、がばりと身を起こした。
ガルディルの前に立ちはだかり、頭半分ほど低い位置から、首をもたげてじっと見上げてくる。その青い瞳には、さまざまな激情が渦を巻いていた。
「……あたしはあんたがあのときの《黒曜の剣王》なんじゃないかって、ずっと心の中で疑ってたんだよ」
やがてジェンカは、震える声でそのように言い捨てた。
「でも、あたしがどんなに水を向けても、あんたはすっとぼけてたから……やっぱりあたしの勘違いだったんだって、無理やり自分を納得させてたんだ。こんなとぼけたおっさんが剣王なわけはないって気持ちも、確かにあったしね」
「ああ、まあ、そりゃあそうだろうなあ」
「でも、あんたはものすごい力を持ってたから……やっぱりあのときの剣王様なんじゃないかっていう気持ちが、どうしても捨てきれなかったんだ。それでもあたしは、あんたの言葉を信じようって決めたのに……あんたのほうは、平気な顔して嘘をついてたわけだよね」
「言い訳はしねえよ。お前さんの気が済むなら――」
好きなだけ殴ってくれ、と言いかけたガルディルの腹に、ジェンカの右拳がめりこんだ。
遠慮も容赦もない一撃である。ガルディルがあらかじめ気を張っていなかったら、おそらくは這いつくばって反吐を撒き散らすことになっていたところだろう。ガルディルが腹をおさえて「うぐぐ」とうめいてみせると、ジェンカは「ふん!」と盛大にそっぽを向いた。
「本当にね! あたしの憧れだった剣王様がこんなとぼけたおっさんだったなんて、心の底からガッカリだよ! 嘘をつくなら、最後までつき通しやがれってんだ!」
「おお、本当になあ……まあ、盗み聞きしたのは、お前さんのほうなんだけどよ」
「……あんた、言い訳はしないって言わなかったっけ?」
「言い訳じゃなくて、事実確認だよ。……本当に悪かったな」
ジェンカはそっぽを向いたまま、きつく唇を噛みしめた。
それから少しうつむくと、前髪の隙間から横目でガルディルを見つめてくる。
「でも……あたしの家族や友達を救ってくれたのは、あんたなんだ。あんたがどんなに最低最悪の嘘つき野郎でも、その事実だけは変わらないよ」
そうしてジェンカは聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で「ありがとう」とつぶやくと、自分の言葉から逃げるように身をひるがえした。
ことさら荒っぽい足取りで部屋を横断し、メイアの正面の長椅子にどかりと腰を下ろす。その姿を見届けてから、ガルディルもメイアの隣に戻ることにした。
「それで、これからどうするのさ? 話が大きくなるいっぽうで、いいかげんに頭がこんがらがってきちゃったよ!」
そのように言い放つジェンカは、もういつも通りのジェンカであった。あらぬ方向に視線を据えており、わずかに頬を染めている。ガルディルはずきずきと疼く腹を撫でさすりながら、「そうだなあ」と答えてみせた。
「俺だって、そいつはご同様だよ。国王の暗殺に余所の国への進軍なんて、いくら何でも話がでかすぎだ」
「……いちおう聞いておくけど、あんた、王弟なんざに力を貸すつもりはないだろうね?」
「当たり前だろ。騎士団長ってだけで迷惑だってのに、余所の国との戦争なんて冗談じゃねえよ。退魔の刀剣は、人間じゃなくって魔を斬るもんだろ」
ジェンカが、きゅっと唇を吸い込むような仕草を見せる。これは、この少女がほころびそうになる口もとを抑制しようとするときに見せる仕草である。きっと、ガルディルの返答に安堵したのだろう。
「それじゃあ、どうするの? あのすました王太子様に力を貸すってわけ?」
「うーん。敵の敵は味方っていうからなあ。王弟のやつがメイアをつけ狙ってるっていう話が本当なら、俺ひとりじゃどうこうできねえし……まあ、もうちょい情報が欲しいところだな」
「だけどさ、あんたはまだ竜人の話を――」
ガルディルは、すかさずジェンカの口をふさぐことになった。
ジェンカが逃げようとするので、逆の手で首根っこをひっつかむ。ジェンカは顔を真っ赤にしながら、ガルディルの胸もとを平手で叩いてきた。
「……言うのが遅れちまったけど、たぶんこの部屋は伝声管か何かで盗み聞きされてるんだよ。竜人の一件は、口にしないでくれ」
もがくジェンカの耳もとに口を寄せて、ガルディルはそのように囁きかけてみせた。その耳も、真っ赤になってしまっている。
「俺もまだ、あの王太子様を心の底から信じたわけではねえからよ。竜人とメイアの話に関しては、まだ打ち明ける気になれねえんだ。悪いけど、お前さんも協力してくれよ」
「……! ……!!」
「わかったら、俺の肩を二回叩いてくれ。そうしたら、この手を離すからな。俺のことをぶん殴ってもいいから、口には何も出さないでくれ」
ガルディルの肩が、二回叩かれた。
ガルディルがジェンカの身を解放すると、頭上から拳が振り下ろされてくる。そうしてガルディルの脳天に鉄槌をくらわせてから、ジェンカは長椅子の肘掛けに取りすがり、ぜいぜいと息をついた。
「……まあそんなわけでな。やっぱ退魔の刀剣ってのは、竜人や魔獣を斬るために使うべきなんだよ」
不自然に会話が途切れてしまったので、ガルディルは適当な言葉を並べておくことにした。盗み聞きをしている人間がいるのなら、声をひそめて何を話していたのかと、首を傾げていることだろう。
そこで、回廊に通ずる扉が外から叩かれる。
「はいよ」と返事をすると、そこから現れたのは剣王レオ=アルティミアであった。
「失礼する。何も不自由なく過ごせているであろうか?」
「ああ、おかげさんでね。……剣王様が、自らご機嫌伺いかい?」
「……晩餐の前に、しばし言葉を交わしておきたかったのだ」
レオ=アルティミアは後ろ手で扉を閉めると、ガルディルたちのほうに近づいてきた。その顔は、何故だかいくぶん悄然としているように見える。
「ガルディル殿。私はここに、謝罪の言葉を申し述べさせていただきたい」
「謝罪? 何についての謝罪だい?」
「それはもちろん、言葉を交わす前から、貴殿を罪人扱いしてしまった件に関してだ。王太子殿下に懇々と諭されて、私はようやく自分がどれだけ非礼な真似をしていたか、思い至ることになった」
そうしてレオ=アルティミアは絨毯の上に片膝をつくと、深く頭を垂れてきた。蜂蜜色の長い髪が、その秀麗なる面を隠してしまう。
「どうか、許していただきたい。私は王弟憎しと思うあまり、目が曇ってしまっていたのであろう。あの卑劣なる王弟めに与していないのなら、貴殿は王国に献身を尽くした功労者に他ならない。そんな貴殿を罪人扱いしてしまったことを、心から申し訳なく思っている」
「ああ、確かにあんたは、完全に逆上してたみたいだな。まさか、王都につくなり剣王から聖剣を向けられることになるとは思わなかったよ」
ガルディルが軽口を叩いてみせると、レオ=アルティミアはさらに小さくなってしまった。そのまま床に額をつけそうな勢いであったので、ガルディルは慌てて取りつくろう。
「だけどまあ、俺の言い分を信じてくれたなら、ありがたいこったよ。とりあえず、あんたと和解できるなら何よりだ」
「……私の非礼を、許していただけるのだろうか?」
「そりゃあまあ、べつだん痛い目を見たわけでもねえからな」
レオ=アルティミアは、すっくと立ち上がった。
その面には凛然とした表情が蘇っていたが、金褐色の瞳には安堵の光がくるめいている。さきほどまでの悄然とした様子は、どうやら演技ではなかったようだ。
「ガルディル殿の寛大なお心に、深く感謝する。……やはり、稀有なる才覚を持つ剣士には、それに相応しい崇高なる魂が宿るものであるのだな」
「いやいや。俺なんざ、そんな大層なもんじゃねえよ」
「いや。私にとって、貴殿は長らく憧憬の対象であったのだ。貴殿が剣王として活躍されていた時代、私は見習いの従士に過ぎなかったが……どのように過酷な任務でも確実に遂行して、数多くの領地と領民を救ってきた貴殿の行いには、いつも心を震わせていた。私は貴殿のような剣王を目標として、騎士としての鍛錬に励んできた身であるのだ」
レオ=アルティミアの瞳には、真剣きわまりない光が浮かんでいた。
「そんな貴殿が、誇りを捨てて、あの卑劣なる王弟めに魂を売り渡してしまったのかと……そのように勘違いをして、私は逆上してしまったのだ。どうか、許していただきたい」
「だから、許すも許さないもねえけどよ。……でも、あんたは俺が王都に現れたって聞いただけで、そんな風に思っちまったのかい?」
「うむ。王弟に与する気持ちがなければ、貴殿が王都に現れるはずもないからな」
レオ=アルティミアの表情は、真剣そのものである。ガルディルとしては、苦笑を禁じ得なかった。
「そいつはずいぶん、気の短いこったな。剣王様なら、もっとどっしりかまえておくべきだろうよ」
「己の不明に、恥じ入るばかりである。私はどうも……感情を律するのが不得手であるようなのだ」
と、真剣な面持ちをしたレオ=アルティミアの白い頬が、うっすらと薔薇色に変じる。そして、それを隠すようにレオ=アルティミアは身をひるがえした。
「では、晩餐の前に身を清めていただきたい。浴堂までご案内いたそう」
「浴堂? いやあ、そこまでもてなしてもらう必要はねえよ」
「しかし、旅塵にまみれたそのお姿で、王太子殿下との晩餐に迎えるわけにもいかぬのだ。召し物も準備しているので、身を清めた後には召し替えも願いたい」
「いや、だけど……」と言いかけて、ガルディルは口をつぐむことになった。この七年間ですっかり忘却の彼方へと押しやられていた、宮廷内の作法というものを思い出してしまったのである。
ガルディルは何年も着古した粗末な装束であるし、メイアは夜着のような長衣、そしてジェンカは酒場の踊り子のごとき胸あてひとつの姿であるのだ。このような姿で王家の人間と晩餐を囲むことなど、どう考えても許されるはずがなかった。
「……しょうがねえなあ。俺とメイアは、一緒に身を清めさせてもらえるかい? こいつは俺と離ればなれになることを嫌がるもんでね」
「承知した。では、こちらに」
ガルディルは溜め息をこらえながら、メイアの身体をすくいあげた。
そうしてジェンカのほうに目をやると、妙にじっとりした目つきでこちらをにらみつけている。
「何だよ? 浴堂が嫌いなのか?」
「べっつにー! そんなの、どうでもいいけどさ!」
ジェンカは勢いよく立ち上がると、背伸びをしてガルディルに耳打ちをしてきた。
「あっちこっちの人間に憧れられて、さぞかしいい気分だろうね。しかも今度は、あんな凛々しい女剣王様だもんね」
そうしてガルディルに返事をするいとまも与えず、「ふん!」と鼻息をふいて出口のほうに向かってしまう。
こらえかねた溜め息をこぼしつつ、ガルディルはその後を追いかけるしかなかった。