1-2 銀髪の少女
「おいおい、どうして竜人なんざが、こんなところにいるんだよ?」
ガルディルは大事な塩の詰まった荷袋を木の枝に引っ掛けて、等級外の刀剣を抜いた。
刀剣の属性は、『闇』である。魔石を鍛えて生みだされた退魔の刀剣の刀身は、闇を凝り固めたかのように漆黒であった。
「まあ、何でもいいけど退治させてもらうぞ。竜人なんぞに居座られたら、ますます竜脈が活性化しちまうからな」
そのように述べながら、ガルディルは恐れげもなく赤い眼光のほうに近づいていく。さすがに等級外の刀剣で竜人を相手にするのは分が悪かったが、この地はまだそれほどの瘴気を帯びてはいない。これならば、竜人も本来の魔力を十分に発揮することはできないはずだった。
(それでも力のある竜人だったら、太刀打ちできねえけど……そのときは、とっとと逃げ出して騎士団でも呼びつけるしかねえからな)
そんな風に考えながら、ガルディルは竜人の前に立ちはだかる。
しかし、大樹の根もとにうずくまった竜人は、身を起こそうともしなかった。
その竜人は、すでにほとんど瀕死の体であったのである。
「人間……本当に人間であったのか……」
竜人が、かすれた声でそのようにつぶやいた。
まだ若い、娘の姿をした竜人である。マントのフードをかぶっているために、その顔はほとんど隠されてしまっていたが、赤く燃える双眸と、鋭い爪と白銀の鱗を持つ指先が、竜人としての正体を明かしていた。
竜人は、人間の天敵である。
魔獣というのは、いわば瘴気の結晶だ。本当の意味では肉体を持っておらず、魔石の武具をもちいなければ傷ひとつつけることもできない。それはそれで、きわめて厄介な存在であるのだが――魔なるものでありながら、人間と同じように肉体と知性を持つ竜人というのは、それ以上に厄介な存在であるのだった。
「……お前さんは、もう死にかけてるみたいだな。こいつは不幸中の幸いだったぜ」
ガルディルは、真面目くさった面持ちで退魔の刀剣を振りかざしてみせた。
「死にかけの相手を斬り捨てるってのはあんまり気分がよくねえが、俺たちは相容れない存在だ。悪いけど、遠慮なく斬らせてもらうからな」
「待て……わたしはすでに、戦う力を持っていない……」
薄闇の中にうずくまった竜人が、鱗のある指先で自分のフードをはねのけた。
その下から現れたのは、美しい女の顔貌だ。しかし、鬼火のごとく燃えあがる双眸ばかりでなく、咽喉もとから頬のあたりまで白銀の鱗に覆われているために、美しいという言葉は不相応であったかもしれない。
しかしガルディルは、そのような余所事に気を向けているゆとりはなかった。
この娘には、竜人としての最大の証たる、角が存在しなかったのである。
ただし、最初から存在しなかったわけではない。その角は根もとからへし折られており、くすんだ灰褐色の髪の隙間から、その断面を覗かせていた。
「竜人の角ってのは、お前さんたちの魔力の源だろ? そいつを二本とも失って、よく生きていられるもんだな」
「わたしは、まだ死ぬわけにはいかないのだ……このような場所で人間に会えるとは、僥倖だった……」
弱々しい声音でつぶやきながら、竜人の娘はマントを脱ぎ捨てた。
それでガルディルは、いっそうの驚愕にとらわれる。
竜人の胸もとには、幼い人間の少女が抱かれていたのだった。
幼き少女は、無言でガルディルを見返してくる。
その少女こそ、掛け値なしに美しかった。
年齢は、せいぜい十歳ぐらいだろうか。竜人の鱗よりも美しい白銀の髪を長くのばしており、瞳は神秘的な紫色に瞬いている。その肌は透き通るように白く、まるで硝子の彫像みたいに精緻で秀麗な容姿をしていた。
乱暴につかんだら折れてしまいそうなほど華奢な身体つきで、粗末な夜着のような灰色の長衣だけを纏っている。そこから除く手足の先も、作り物のように色が白くて、きわめて優美なる曲線を描いていた。
「この御方を、お前に託したい……どうか、大事に扱ってくれ……」
「た、託す? お前さんは、何を言ってやがるんだ?」
「見ての通り、この御方は人間だ……だから、人間のお前に託したい……お前ほど力のある人間であれば、この御方を守り抜くこともかなうだろう……」
ガルディルは、がりがりと頭をかきむしってみせた。
「お前さんの言うことは、さっぱりわからねえな。どうして竜人が、人間の子供を大事そうに抱きかかえてるんだよ? お前さんは、そいつをどこかからさらってきやがったのか?」
「この御方は、人間だが……わたしにとって、かけがえのない存在であるのだ……しかし、竜人の世界で人間を育てることはできん……だから、お前に託したい……」
竜人の腕が、少女を解放した。
少女はぺたりと、草むらに座り込む。
「さあ、お行きなさい……そして、幸福に生きるのです……それが、あなたのご家族の願いです……」
竜人の顔が、優しげに微笑んだ。
その顔に、びしりと黒い亀裂が走る。
「ああ!」と悲痛な声をもらして、竜人は身体をのけぞらした。
さらなる亀裂が、顔や腕に走り抜け――ガルディルが声をあげる間もなく、竜人の肉体が白銀の塵と化した。
そちらを振り返った少女の上に、白銀の塵が雪のように舞い落ちる。
そうして竜人は消滅し、どこへともなく魂を返してしまった。
「いったい何なんだよ……けっきょくわけがわからねえままじゃねえか」
ガルディルは溜息をつきながら、等級外の刀剣を鞘に収めた。
その間に、少女はまたガルディルに向きなおっている。ガルディルは、いちおう周囲の気配に用心しながら、そちらにゆっくりと近づいていった。
「えーと……お前さんは、いったい何なんだ?」
「…………」
「とりあえず、名前を聞かせてくれ。俺は……ガルってもんだ」
複雑な経歴を持つガルディルは、王都を出奔して以来、略称だけを名乗っていた。少女は感情の欠落した面持ちで、小首を傾げている。
「まさか、言葉がわからないわけじゃねえよな? 名前を聞かせてくれよ、お嬢ちゃん」
しばらくの沈黙の後、少女は「……メイア」とつぶやいた。
その容貌に似つかわしい、銀の鈴を転がすような声音である。しかし、その声にもやはり人間らしい感情は備わっていなかった。
「メイアか。いい名前だな。それじゃあメイアは、どこの生まれなんだ?」
「わかんない」と、少女メイアは首を横に振った。
ガルディルは、仏頂面をこしらえてみせる。
「わかんないってことはねえだろうがよ。それじゃあ、両親の名前は?」
「わかんない。メイアって名前も、さっきの人がそう教えてくれただけ」
「さっきの人って、竜人のことかよ? それじゃあお前さんは、そいつに聞くまで自分の名前すら知らなかったってのか?」
「うん」と、メイアはうなずいた。
からくり仕掛けの人形みたいに、作り物めいた動作である。ガルディルは、何度目かの溜息をこぼすことになった。
「まったく、とんでもねえもんを押しつけられちまったなあ。町に送り届けるって言っても、それじゃあ帰りには完全に日が暮れちまうし……かといって、置き去りにもできねえよなあ」
「…………」
「わかった。今晩だけは、俺が面倒を見てやる。町に届けるのは、明日になってからだ。さっさと立って、きりきり歩きな」
メイアは「やだ」と首を振った。
すでにきびすを返しかけていたガルディルは、怒った顔を作ってみせる。
「こんなところで、夜を明かすつもりか? だったら好きにすりゃあいいけど、魔獣が現れたら一巻のおしまいだぞ」
「足が痛いから、歩きたくない」
そう言って、メイアは剥き出しの足の裏をガルディルに向けてきた。
ぬけるように白い肌をした足の裏には、痛々しい切り傷がいくつもできてしまっている。ガルディルは、思わず眉をひそめてしまった。
「何だよ、そりゃ。まさか、さっきの竜人にやられたのか?」
「ううん。歩いてたら、痛くなった」
「……お前さんは、こんな山の中を裸足で歩かされてたってのか?」
返答は、「うん」であった。
あの竜人には、こんな小さな少女を抱いて歩く力も残されていなかったのだろう。ガルディルは再び頭をかきむしりながら、メイアの前で膝を折った。
「それじゃあ、お前さんに進むべき道を選ばせてやろう。魔獣が出るかもしれない山の中で野宿するのと、見も知らぬおっさんに抱きかかえられて連れ去られるのと、どっちがいい?」
「……メイア、おなかすいた」
「だったら、家で何か食わせてやるよ」
ガルディルは、片腕でメイアの身体をすくいあげた。
メイアはガルディルの首に両手を回して、じっと見つめ返してくる。
黄昏刻の空を切り取って、そのまま封じ込めたかのような瞳であった。
そんな瞳に間近から見つめられていると、何だか魂を抜かれそうな気分になってきてしまう。それに、片腕で簡単に抱き上げることのできる少女の小ささが、わけもわからぬままガルディルの胸をかき乱した。
(ったく、こんな幼い子供を親から引き離すんじゃねえよ、竜人め)
ガルディルは内心の惑乱を悟られないように努めながら、しかつめらしい顔をこしらえてみせた。
「行っておくけど、俺はつつましさを信条にしてるんだからな。どこのお姫様だか知らねえけど、あれこれ文句をつけるんじゃねえぞ?」
「…………?」
「どんなに粗末な食事を出されても、文句を言うなって言ってるんだよ」
「……おいしいものじゃないと、やだ」
「食べる前から文句を言ってるんじゃねえ!」
行きがけに荷袋を回収して、それを逆の肩に担ぎながら、ガルディルはすっかり暗くなってしまった帰路を辿った。
そうしてガルディルとメイアの運命は、その夜に結び合わされることになったのである。