6-1 小さき賢人
それから、半刻ほどのちのことである。
ガルディルとメイアとジェンカの三名は、王都の中央にある小宮にまで身柄を移されていた。
どうやら王太子の居住する小宮であるらしく、ガルディルにとっても見覚えのない場所だ。壁も床も天井も、すべてが白い大理石で造られており、それほど華美ではないものの、いかにも瀟洒で洗練された、王太子の宮殿には相応しい様相であった。
ガルディルたちが通されたのは、さして広くもない応接の間であり、三人は横並びで長椅子に座している。ガルディルが真ん中に陣取って、左右にメイアとジェンカが控えている格好だ。それはメイアがジェンカの隣に座ることを嫌がった結果であったが、ずっと無言で不機嫌そうな面をさらしているジェンカの隣に並ぶのは、ガルディルにとってあまり居心地のいいものではなかった。
そうしてガルディルが、この重苦しい静寂に耐えきれなくなって、軽口のひとつでも叩いてやろうかと口を開きかけたとき――部屋の奥にある扉がようやく開かれた。
現れたのは、王太子のエデュリオンと剣王レオ=アルティミアである。その姿を見て、ガルディルは「へえ」と声をあげることになった。
「若そうだとは思ってたけど、こいつは予想以上だな。あんたはいったい、いくつなんだい?」
レオ=アルティミアは、激情をひそめた目つきでガルディルをにらみつけてきた。彼女は物々しい甲冑姿から、白を基調とした武官のお仕着せに装いを改めていたのだ。
蜂蜜色の長い髪と、虎目石のごとき金褐色の瞳を持つ、実に秀麗なる容姿である。目つきは鋭く、口もとは引き締まり、きわめて凛々しい面立ちをしていたが、宴衣装でも着せてしまえば、さぞかし優美な貴婦人となることだろう。この美しい娘があれほどの剣技と魔力を有しているなどとは、にわかに信じ難いほどであった。
「アルティミアは、十九歳です。彼女が聖剣を授かったのは一年前ですから、ドルミア史上でもっとも年若く剣王となった人間である、ということになるのでしょうね」
悠揚せまらぬ微笑をたたえながら、そのように答えたのは、王太子のほうだった。
王太子は、巨大な白亜の卓をはさんで、ガルディルたちの向かいに座る。レオ=アルティミアは、その長椅子のかたわらに傲然と立ちはだかった。
「僕の招待に応じていただき、心から感謝しています、ガルディル殿。それに、そちらの方々も……ええと、まだお名前をうかがっておりませんでしたね」
「こいつらの名前を明かすのは、もうちっと親睦が深まってからにしてもらえねえかな。……っと、貴き身分の御方を目の前にするのはひさびさなもんで、口の利き方を忘れちまったんだよな」
「かまいませんよ。あなたとは、胸襟を開いて語り合いたいと願っています」
どうもこの王太子は、十二歳という年齢にはそぐわない沈着さと優雅さを備え持っているようだった。
翡翠のごとき瞳は、恐れげもなくガルディルたちを見つめている。もちろんガルディルたちは刀剣を取り上げられていたものの、それでもやっぱり大した度胸といえるだろう。ただひとりの護衛役であるレオ=アルティミアが、そんな王太子の分まで警戒心をあらわにしている様子であった。
「まずは、さきほどの非礼をお詫びいたします。そして、どうして僕たちがあのような非礼を働くことになったのか……それをご説明させていただけますか?」
「ああ。願ってもない話だね。ま、想像がつかないわけでもないんだけどな」
「ええ。市井でも、僕と王弟ルイムバッハの確執については、面白おかしく取り沙汰されていることでしょう。僕たちは、王弟がお触れを出した一年前から、あなたが王都に現れることを、ずっと危惧していたのです」
長椅子に深く腰かけた王太子は、そこでふっと息をついた。
「王弟ルイムバッハは、あなたに騎士団長の座を与えようとしています。……もちろんそれは、承知していますよね?」
「ああ。王都に到着するなり、馴染みの酒場でそんな話を聞かされることになったよ」
「王都に到着するなり」と繰り返してから、王太子はきらりと目を光らせた。
「では……あなたはそのお触れを耳にしたために、王都にやってきたわけではない。そのように解釈させていただいてもよろしいのでしょうか?」
「それ以外に、解釈のしようがあるのかい? 王太子殿下の前で失礼かもしれねえけど、俺はいまさら宮仕えの身に戻る気なんてさらさらなかったよ」
「そうですか」と、王太子は微笑んだ。
しかし、その瞳には探るような光がたたえられたままである。
「では、あなたは何のために、こうして王都までやってきたのでしょう? あなたはこの七年間、一度として王都の土を踏んでいなかったと聞いているのですが……」
「この王都に、俺をつけ狙ってるやつがいるみたいなんでね。それがいったいどこの誰なのか、そいつを突き止めようと思っただけのことだよ」
「あなたを、つけ狙う?」
王太子は、いぶかしそうに眉をひそめた。
ガルディルは「ああ」と肩をすくめる。
「で、王都に到着するなり、あの騒ぎだ。俺はてっきり、あんたがたが俺をつけ狙ってるんじゃないかと考えたんだけど、実際のところはどうなのかねえ?」
「とんでもないことです。確かにさきほどは無礼な真似をしてしまいましたが、僕たちにあなたの居場所を知るすべはなかったのですから、王都の外でつけ狙うことなどはかないません」
「実は半月ほど前に、騎士団の一行と出くわしちまったんだよ。あいつらが王都に伝書鴉を飛ばすか何かして、俺の居場所を教えちまったんじゃないのかね」
「なるほど」と、王太子は物思わしげな面持ちになる。
「では、その騎士団の所属を知ることができれば、あなたをつけ狙う不埒者の正体もわかるかもしれませんね。……半月前、どの場所で騎士団に遭遇したのでしょうか?」
「ザンの町から、歩きで南に二日ぐらいの場所だよ。荒野の峡谷に魔獣がわいて、近在の町に被害を出したみたいだな」
「ああ……でしたらそれは、現在の《黒曜の剣王》であるギレン殿の指揮下にある騎士団となりますね」
ガルディルは、「へえ」と笑ってみせた。
「これまた不敬な物言いかもしれねえけど、あんたはすべての騎士団の動向を把握しているのかい?」
「はい。騎士団が派遣されることなど、月に数回のことなのですから、何も難しい話ではありません」
王太子は、ゆったりとした微笑を浮かべる。
「でも、それもおかしな話ですね。ギレン殿の主君は王弟ルイムバッハとなりますが、王弟はあなたを配下に引き入れようと画策していたはずです。あなたにその申し出を断られたのなら、他の勢力に奪われまいとして、よからぬ振る舞いに出ることもありえるかもしれませんが……そういうわけでもないのでしょう?」
「ああ。何せ俺は、騎士団長がどうのこうのなんて話は耳にしたこともなかったんだからな」
「ならば、解せませんね」
と、王太子は口もとの微笑を消して、また思案顔になる。その翡翠のごとき瞳は、見果てぬ何かを追うように、虚空の一点を見据えていた。
どうもこの少年は、中身のほうも非凡であるらしい。わずかに言葉を交わしただけで、ガルディルにもその事実がまざまざと伝わってきていた。
(それで立場は、王太子だもんな。こんな賢そうなおぼっちゃんを敵に回したくはねえところだけど……実際のところは、どうなんだろう)
そんな風に考えながら、ガルディルはメイアの姿を盗み見た。
メイアはいちおう用心のために、フードと襟巻きで人相を隠したままにさせている。すべての事情がはっきりするまでは、とうていメイアの素性を明かす気持ちにはなれなかった。
「なあ、俺からも聞かせてもらいたいんだけどよ。王弟殿下ってのは、あんたの叔父にあたるお人なんだろう? それなのに、どうしてそんな風にいがみあっているんだい?」
「それはもちろん、王弟ルイムバッハが不当な手段で玉座を奪わんと画策しているためです。……僕は、父たる国王陛下に毒を盛ったのも、王弟ルイムバッハだと考えています」
「殿下!」と、初めてレオ=アルティミアが声をあげた。かなり泡を食った様子である。
「そ、そのような話を打ち明けてしまってもよろしいのですか? こやつは敵陣営の人間やもしれないのですよ?」
「僕はこれでも、人を見る目はあるつもりだよ、アルティミア。少なくとも、ガルディル殿はまだ王弟ルイムバッハと接触していない。……それだけは、まごうことなき真実であるはずだ」
そのように述べてから、王太子はふっと微笑をもらした。なんとなく、油断のならない笑い方である。
「ただ、僕にもひとつだけわからないことがあります。それを聞かせていただいてもよろしいでしょうか、ガルディル殿?」
「ああ。こっちにはやましいところなんて、ひとつもねえからな。なんなりとお尋ねくださいませ、王太子殿下」
「それでは、聞かせていただきます。どうしてあなたが、その少女をともに連れているのですか? ……それは王弟ルイムバッハが執拗に追い求めているという、メイアなる少女であるのでしょう?」
ガルディルは、完全に虚を突かれることになった。
「……なんの話だい? こいつは俺の、親戚筋の娘っ子だよ」
「その少女は、王国ドルミアではなかなか見かけない紫色の瞳をしています。それに、陶磁器のごとき白い肌に、背格好も、手配書の内容と一致しているようですね。……そして、あなたは天涯孤独の身であったはずですよ、ガルディル殿」
ガルディルは、おもいきり溜め息をついてみせる。
「人が悪いね、王太子殿下。あんたは最初っから、この娘っ子の正体がわかっていたのかい」
「はい。およそ二十日ほど前に、王弟ルイムバッハが王国中の領地に伝書鴉を飛ばしています。その内容は――大罪人メイアを捕らえるべし、という手配書であったようですね」
王太子はわずかに身を屈めると、卓の上に両肘をついて、少女のようになよやかな指先を組み合わせた。
「それは、王国の認可を受けていない手配書でありました。たとえ王弟であろうとも、独断でそのような真似をすることは許されません。……その少女は、いったい何者なのでしょう?」
「俺にも、さっぱりだよ。当人からして、何も覚えちゃいないって話なのさ」
「何も覚えていない? 記憶を喪失してしまったのですか?」
王太子の目が、メイアのほうに移動される。
メイアはそれを恐れげもなく見返しながら、「うん」とうなずいていた。
「……失礼ですが、お顔を拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」
メイアは無言のまま、ガルディルを見上げてきた。
ガルディルがうなずくと、フードを後ろにはねのけて、襟巻きを咽喉もとまで引き下げる。そうしてメイアの美貌が白日にさらされると、さしもの王太子もわずかに息を呑んだようだった。
「これは……手配書に『人形のごとき美しい面立ち』とありましたが、その言葉通りのお美しさですね」
そんな風に述べる王太子のかたわらでは、レオ=アルティミアがはっきりと驚愕に目を見開いている。両者のその反応からして、どうやらメイアとは完全に初対面であるようだった。
「この王都では、メイアの手配書なんて回されちゃいねえんだろ? 王弟様がどうしてコソコソとメイアをつけ狙うのか、あんたのほうこそ心当たりはないのかい?」
やがてガルディルがそのように問い質すと、王太子はゆるやかに首を振った。
「皆目、見当もつきません。メイアという少女が何者であるのか、どうして王弟が手配書などを回したのか、僕はずっと独自に調査していたのですが、手掛かりらしい手掛かりも見つけることはできなかったのです」
「そうか。そいつは残念だ。……実のところ、俺とメイアは同じ相手からつけ狙われてるようなんだよ。それで、メイアの手配書は王都から回されたもんだって話だったから、こうしてわざわざ出向いてきたってわけさ」
「では、やはりあなたをつけ狙うのも王弟であるということになってしまいますね。それはどうにも、解せない話です」
すると、レオ=アルティミアがいきりたった様子で発言した。
「殿下! やはりこやつは、王弟のもとに参じる心づもりであるのでしょう! その手土産に、王弟の追い求める娘も持参したというわけです! これで、辻褄が合うではないですか!」
「合わないよ。それだったら、その少女を確保した時点で、手近な領地に身を寄せれば済む話だからね。わざわざ人目を忍んで王都を目指す理由がないじゃないか」
「ちょっと待ってくれ。俺が人目を忍んでたなんて話が、どうして王太子殿下にわかるんだい?」
ガルディルが口をはさむと、王太子はきょとんと目を丸くした。
それから、「ああ」と納得したように微笑む。
「あなたは騎士団に遭遇した地点から王都に到着するまで、半月もかけています。それは、主要の町や街道を避けてきたという証でしょう? でしたらそれは、あなたがその少女を人目につかないように守りながら、王都を目指したという事実を示唆しています」
「……なるほど。あんたはずいぶん頭が回るようだね、王太子殿下」
「とんでもありません。でもそれは、あなたが王弟に与する気持ちがない、という事実を示してもいます。僕はそれを、心から喜ばしく思っています」
そこで王太子は背筋をのばし、真剣な眼差しでガルディルを見つめてきた。
「王弟ルイムバッハは、実の兄たる国王陛下を弑して、王国ドルミアの玉座を我が物にしようと企んでいます。たとえ僕が王太子という身分になくとも、そのように暴虐な真似を許すわけにはいきません。宮仕えをする気はないと仰るあなたに、このようなことを願い出るのでは、非常に心苦しいのですが……どうか僕たちにお力を貸していただけませんか、ガルディル殿?」