5-1 王都ディアーン
それから半月ほどの時を経て、ガルディルの一行はようよう王都に辿り着いていた。
もともとは五日で到着できる距離であると聞いていたものの、それは切り開かれた街道を通るという前提で弾き出された日数であったのだ。人目を忍ぶガルディルたちは、道ならぬ道を押し進み、しかも徒歩であったものだから、それだけの時間がかかってしまったわけである。
しかしそのおかげで、道中は平和に過ごすことができた。
竜人や騎士団に遭遇することなく、ときたま出現する魔獣を斬り伏せて、無事に王都まで到着することができたのだ。ガルディルとしては、至極満足な結果であった。
「しかも、人里に近づかなかったおかげで、銅貨をほとんどつかわずに済んだからな。まったく、ありがたい話だぜ」
ガルディルがそのように述べたてると、ジェンカはたちまち眉を逆立てた。
「こんなの、まともな人間のやることじゃないよ。あたしは二度と、蛇の肉なんて食べないからね!」
「うるせえなあ。蛇もトカゲも変わらねえだろ? お前さんだって、最初は美味そうに食ってたじゃねえか」
「あれは、あんたが野鳥の肉だって騙したからでしょ!」
そんな具合に、ジェンカとの関係も相変わらずであった。
メイアはときおり物思わしげな眼差しを見せるようになっていたが、あれ以来はおかしな力を暴発させることもなく、元気に過ごしている。食欲も旺盛なままで、毎日ガルディルと同じぐらいの食事を口にしていた。
そんな三人の前に、王都の城門が立ちはだかっている。
王国ドルミアの心臓部、王都ディアーンである。
数万人の民が暮らす王都は堅固なる城壁に囲まれており、大勢の兵士に城門を守られている。入場を望む人間は、まずは城門で身分をあらためられて、そののちに入場料を支払わなければならないのだ。ガルディルたちにとっては、文字通りここが最初の関門であった。
「とりあえず、お前さんはここで待っててくれねえか? 上手い具合に突破できそうになかったら、逃げ帰ってくるからよ」
ガルディルの言葉に、ジェンカは「どうしてさ?」とまた眉を吊り上げる。
「どうしてって、もしも守衛にまで敵の手が回されてたら、厄介だろう? いつでも逃げられるように、お前さんは馬の準備をしておいてくれよ」
「……ここまで来て、あたしから逃げようってつもりじゃないだろうね?」
「半月以上も一緒に過ごして、どうしてそんな真似をしなくちゃならねえんだよ。お前さんには情が移っちまったんだって言わなかったっけ?」
とたんにジェンカは顔を赤くして、ガルディルの背中を引っぱたいてきた。
「わかったから、さっさと行ってきな! あんたたちが城門をくぐったら、すぐに追いかけるからね!」
「ああ、よろしくお願いするよ。荷物は、預けたままにしておくからな」
ガルディルは気安く手を振って、いざ城門へと歩を進めた。
メイアは、その腕に抱いたままである。足の裏の怪我はすっかり回復していたが、道中はメイアの歩調に合わせるわけにもいかなかったし、そもそも靴を手に入れる機会さえなかったので、けっきょくはガルディルが抱いて歩くことになったのだ。
城門の前では、大勢の人々がひしめき合っている。城下町で商売をしようという商団の人間たちや、雇い主を求めてやってきた賞金稼ぎの剣士たちである。それらの人混みを迂回して、ガルディルは立ち並んでいる守衛の一人に近づいていった。
「なあ、ちょいと確認したいことがあるんだがね」
「何だ。まずはそちらで、人相あらためを済ませよ」
「いや、こいつがまだ有効かどうかを教えてほしいんだよ」
ガルディルは、懐に忍ばせていた通行証を、そっと示してみせた。
剣王であった時代に授かった通行証である。銀色の円盤に記された名前を見て、まだ若い守衛はぎょっとしたように目を見開いた。
「ガルディルとは……もしや、かつて《黒曜の剣王》であられたガルディル殿でありましょうか?」
「シッ! いまじゃあ流浪の剣士だからよ。あんまり大ごとにしないでくれ」
そのように述べながら、ガルディルはいつでも逃げられるように準備をしていた。ガルディルを狙う人間がよほどの大貴族であれば、城門の守衛にまで手を回されている可能性があるのだ。
(でも、俺はメイアみたいに手配書を回されたりもしてねえし、最初に出くわした騎士団の連中にも罪人扱いされることはなかった。そういう表立った真似ができねえからこそ、どこかの誰かは竜人なんざに俺の始末を頼むことになったんじゃねえのかな)
ガルディルはそのような算段で、まずは正面から堂々と入場してみようと考えたのだ。
果たして、守衛の若者は恐縮しきった様子で目礼をしていた。
「かつての剣王にお目見えできるとは、望外の光栄であります。もちろん、人相あらためなどは不要ですので、どうぞお通りください」
「ありがとよ。この娘っ子も連れていっていいかい?」
「は。そちらはガルディル殿の娘御でありましょうか?」
「いや。親戚筋の娘っ子だよ。王都を見物させてやりたくってね」
もちろんメイアは、フードと襟巻きで顔を隠させている。守衛の若者は兜のひさしの下でうろんげに眉をひそめていたが、それでも「否」とは言わなかった。
「承知いたしました。どうぞお通りください」
ガルディルはほっと息をつきながら、跳ね橋に足を踏み出した。
大勢の人間にまぎれて歩を進めながら、ふっと後ろを振り返ると、馬を連れたジェンカがいそいそと行列に並んでいる。そちらに手を振ってから、ガルディルは巨大な城門をくぐり抜けた。
「……ガルは、ガルディルっていう名前なの?」
と、城門を抜けたあたりで、メイアがそのように問うてきた。
ガルディルはしかつめらしい顔をこしらえながら、「ああ」とうなずいてみせる。
「だけど、できればジェンカには知られたくねえんだ。そのうちバレちまうかもしれねえけど、なるべく黙っててもらえねえかな?」
メイアはあっさり「いいよ」と言った。
「ガルのほうが言いやすいから、メイアはこれからもガルって呼ぶ」
「ああ、お前さんは、いい子だな」
そのように述べてから、ガルディルは苦笑する。こんな埒もない隠し事を承諾することが、いい子の行いであるわけがなかった。
(やっぱりこいつは、もっとまともな人間に育ててもらわなきゃな。俺のところにいたんじゃあ、ろくでもねえ人間に育っちまうよ)
そんな風に考えながら、ガルディルは適当なところで道の端に寄った。ともに城門をくぐった人々は、町の中央に向かって歩を進めていく。王都に足を踏み入れたことによって、誰も彼もが少なからず昂揚している様子であった。
七年ぶりの、王都である。
足もとはすべて石畳で、道の左右には煉瓦造りの家屋がずらりと立ち並んでいる。七年前と、何も変わらぬ威容であった。
(問題は、俺が懇意にしてた連中が、元気にやってるかどうかだな)
この地において、ガルディルが頼ることのできる相手は、ごく限られている。なおかつ、そういった人々はのきなみ権勢争いに関わっていなかったので、身分のわりには宮廷内の立場も低かった。ガルディルのような偏屈者と気が合うのは、やはり同じような偏屈者ばかりであったのだ。そういった人々がどれだけの力になってくれるかは、あまり判然としなかった。
(でも、あの守衛はメイアの人相をあらためようともしなかったからな。やっぱり俺やメイアをつけ狙ってる連中は、裏でこそこそ暗躍してるってことだ。地方領主にメイアの手配書を回したのも、きっとそいつの独断なんだろう)
それが何者であるのかを突き止めるのが、最初に為すべき仕事である。
貴族同士の権勢争いにうんざりして出奔したガルディルが、このような形で王都の陰謀劇に巻き込まれてしまうというのは、実に皮肉な話であった。
「あー、いたいた! 逃げずにいたなんて、感心じゃん」
と、ようやく城門の向こうからジェンカが現れた。馬の手綱を引きながら、小走りでガルディルに近づいてくる。
「あんた、ずいぶんすんなり通れたもんだね。そっちの娘っ子も大丈夫だったの?」
「ああ。メイアをつけ狙ってる連中も、王都ではおおっぴらに動けねえんだろうさ。そうじゃなきゃ、ここまで出向いてきた甲斐もねえからな」
「で、これからどうするの? あんたが頼ろうとしてるのは、いったいどこのどいつなのさ?」
「まずは、そのお人らが元気でやってるかどうかを確かめなきゃな。とりあえず、城下町で話を聞いて回るか」
一同は、あらためて街路に足を踏み出した。
ジェンカは無邪気な表情で、きょろきょろと視線をさまよわせている。
「へー、これが王都かあ。侯爵領ぐらいだったら足を踏み入れたことはあるけど、それほど違いはないみたいだね」
「ああ。ご立派なのは、貴族や王族の住んでる辺りだけなんだろうさ」
そうは言っても、レヴィンの宿場町などとは比べるべくもない様相である。家屋はたいてい三階か四階建ての立派な煉瓦造りであるし、物々しい格好をした兵士たちがひっきりなしに行き交っている。ガルディルとしては、そのたびに顔を伏せなければならなかった。
「えーと……たしか、こっちだな。裏通りに、馴染みの酒場があるはずなんだ」
「ふーん。あんたみたいにとぼけたおっさんが、よく王都の城下町なんかで暮らせたもんだね?」
「そりゃあまあ、俺ぐらいの腕を持つ剣士だったら、不思議でもねえだろ?」
「ふん! だったら、その腕に見合う刀剣を持ちなよ。……あんただったら、その腕でいくらでも稼げるんじゃないの?」
と、ジェンカがふいに真剣な眼差しになる。この半月の間に、何度となく繰り返された話題であった。
「あいにくと、貧乏暮らしが性に合ってるんでね。金貨や銀貨のためにあくせく働く気にはなれねえんだよ」
「つまんないおっさんだね! あんたみたいなおっさんがあんな力を持ってるなんて、宝の持ち腐れだよ」
ジェンカのぼやく声を聞きながら、ガルディルは入り組んだ路地の奥へと踏み入っていった。
人の数はどんどん減じていき、大通りの賑わいは背後に遠ざかっていく。さすがに地方の宿場町のように無法者がたむろしていることはないが、なかなかにうらびれた雰囲気であった。
「ふん。ますます城下町らしからぬ雰囲気になってきたね」
「ああ。俺みたいな人間には、お似合いだろ?」
王宮に蔓延する頽廃的な空気を嫌ったガルディルは、こういった場末の区域で過ごすことが多かった。物々しい甲冑さえ脱いでしまえば、剣王だと悟られることもなかったのだ。そうして見も知らぬ剣士たちと、酒場で安酒を酌み交わすのが、当時のガルディルにとってはささやかな楽しみであったのだった。
「ああ、ここだ。数年ぶりだってのに、なんも変わっちゃいねえなあ」
と、ガルディルは足を止めて、その建物を見上げやった。
他と同じく四階建ての煉瓦造りで、一階の玄関口に《鴉の羽ばたき亭》という看板が掛けられている。ガルディルが、もっとも頻繁に通っていた酒場であった。
「二階から上は、宿屋になっててな。酔い潰れたときは、ちょいちょいお世話になってたもんだ。いやあ、懐かしいな」
「懐かしさにひたってる場合じゃないでしょ? さっさと行こうよ」
「ああ、そうだな。……えーと、お前さんは、ここで待っててくれねえか? 俺は主人と話してくるからよ」
ジェンカは眉をひそめながら、ガルディルに顔を近づけてきた。
「あんたさあ、いちいちあたしを仲間外れにしないと気が済まないわけ?」
「いや、わざわざ馬を預けるのも面倒だろ? そんなに時間はかからねえはずだからさ」
ここの主人は、城下町においてガルディルの素性を知る、数少ない人間であったのだ。しかしジェンカは「やなこった」と、子供のように舌を出していた。
「こんなところで待ちぼうけなんて、冗談じゃないよ。あたしはのんびり酒でも飲んでるから、その間に話をつけてきな」
そのように言い捨てるなり、ジェンカは酒場の入り口に足を向ける。
「邪魔するよ。馬を預かってもらえる?」
「いらっしゃいませ。あら、女性の剣士とはお珍しいですね」
ジェンカよりも少し年長の娘が、愛想のいい笑みをたたえながら表に出てくる。ガルディルには見覚えのない顔であった。
「それじゃあ、裏の小屋でお預かりするんで、こちらの木札をお持ちください」
「うん、ありがとね」
娘に馬の手綱を渡すと、ジェンカはずかずかと酒場に踏み入っていく。ガルディルは溜め息を噛み殺しながら、それを追いかけるしかなかった。
さして広くもない酒場では、数名ばかりの男たちが安酒をあおっている。ガルディルたちの姿に気づくと、今度はふくよかな体格をした年配の女が笑顔で近づいてきた。
「いらっしゃい。お好きな席に座ってくださいな」
「あたしは、林檎酒ね。……おっさんは、さっさと用事を片付けてきたら?」
「ああ、そうさせてもらうよ」
手近な卓に腰を落ち着けるジェンカを横目に、ガルディルは酒場の奥へと歩を進めていく。給仕の女は、うろんげな面持ちで後をついてきた。
「あの、あちらはお連れ様じゃないんで?」
「俺はここの主人に用事があってね。取り次いでもらえるかい?」
「はあ……主人のお知り合いで?」
ガルディルは、この女にも見覚えがなかった。みんなこの七年の間に雇った人間たちなのだろう。主人の他に見知った相手がいないというのは、ガルディルにとって幸いであった。
「俺は、ガルってもんだ。七年ぶりに顔を出したって言えば、たぶんわかってもらえるだろうと思うよ。できれば二人きりで話したいって伝えてくれ」
「ええ、それじゃあ、ちょいとお待ちを」
女はせわしない足取りで、奥の扉の向こうに消える。
それからほどなくして戻ってきたとき、その顔には愛想のいい笑みが復活していた。
「主人は、たいそう喜んでおりましたよ。厨にいるんで、そちらにどうぞ」
「ああ、ありがとさん」
ガルディルはメイアを抱えたまま、その扉をくぐらせていただいた。
夜に出す料理の下ごしらえに励んでいたところなのだろう。厨には芳しい香りが充満しており、メイアに「おなかすいた」と言わしめた。
「ああ、この酒場はヤギ肉のシチューが絶品なんだ。ひさしぶりに味わわせていただきたいところだな。……親父さん、いるかい?」
「おお、ガルディル様! ずいぶんご無沙汰でありやしたねえ!」
と、奥のかまどで鍋を煮込んでいた男が、こちらを振り返る。ずいぶん白髪が増えていたが、それはまぎれもなくこの酒場の主人であった。
「おやまあ、ずいぶん年を食っちまって! あの頃は、水もしたたる男ぶりだったってえのに、月日の流れってのは無情ですねえ」
「親父さんは、相変わらずだな。ようやく王都に戻ってきたっていう実感がわいてきたよ」
主人の変わらぬ姿を見て、ガルディルもようやく笑う気分になれた。
そうしてガルディルが次の言葉を探しているうちに、主人は性急にまくしたててくる。
「ガルディル様も、ついにまた王都の騎士として働く決心をなさったんですねえ! どうぞまた、うちの酒場をひいきにしてやってくださいよ」
「あん? そいつは、何の話だい?」
「何の話って、王弟殿下の呼びかけに応える気持ちになられたんでしょう?」
ガルディルは、目をぱちくりとさせることになった。
「王弟殿下なんざ、俺は顔も覚えちゃいねえな。その御仁が、いったい何だってんだ?」
「はあ。ちょうど一年ぐらい前でしたかねえ。王弟殿下が、ガルディル様を騎士団長にお迎えしたいってお触れを回したんでございやすよ。めぼしい領地には伝書鴉が飛ばされたはずですが……それを聞きつけて、王都に戻られたんじゃないんで?」
「そんな話は、初耳だね。この七年、伝書鴉が飛ばされるような領地には近づきもしなかったからさ」
「そいつは、ガルディル様らしいですねえ。だけどとにかく、そういうありがたい話が持ち上がってるんでございやすよ」
そう言って、主人は大らかに微笑んだ。
「まあ、ガルディル様ほどのお人だったら、騎士団長でも役不足でしょうがね。そのお力を見せつけてやりゃあ、すぐに剣王として返り咲くこともできるでしょうよ。いやあ、めでたい話ですねえ」
「いやいや、ちょっと待ってくれ。俺はそんなつもりで王都に戻ってきたわけじゃあ――」
そのとき、背後の扉が叩きつけられるような勢いで開かれた。
振り返ると、怒りで顔を真っ赤にしたジェンカが立ちはだかっている。
「あんた! やっぱり《黒曜の剣王》だったんだね!」
「お、おい。盗み聞きなんて、行儀が悪いじゃねえか」
「嘘つき野郎が、何を言ってやがるのさ! 半月以上も一緒にいたのに、そんな大事なことを隠してたなんて……!」
ジェンカの頬に、すうっと涙がこぼれ落ちた。
それを手の甲で荒っぽくぬぐってから、ジェンカは壁を蹴り飛ばす。
「あんたなんて、勝手にくたばっちまえ! この大嘘つきの、クソジジイ!」
そのようにわめき散らすや、ジェンカはマントをひるがえして厨を飛び出していっってしまった。




