4-4 紅蓮の死闘
魔石には、六種の属性が存在する。琥珀、藍玉、紅玉、翡翠、金剛、黒曜――それぞれ、地、水、火、風、光、闇、の属性である。
そしてそれは、竜人の属性とも同一となる。もともと魔石というのは瘴気を帯びた鉱物であるために、竜人の魔力と根源を同じくしているのだ。
この竜人は、火の属性を有する存在であった。
最初に炎の攻撃を仕掛けてきた時点でそれは明らかであるし、その外見からも推し量ることは容易である。その竜人は、顔や手足が赤く輝く鱗に覆われていた。
それこそ炎のように逆立った髪は、赤と黒のまだらであり、そこから禍々しい二本の角が生えている。その角も、炎が結晶化したかのように、深紅と黄金に輝いていた。
ごつごつとした岩のような顔貌で、双眸は赤く燃えあがり、口からは鋭い牙が覗いている。それなりに長身であるガルディルよりも頭ひとつ分は大きな図体をしており、腕や肩には筋肉が盛り上がっている。たいていの竜人は、男が魁偉なる風貌をしており、女は妖艶なる風貌をしているものであるのだ。
そしてこの竜人は、かたわらに巨大な魔獣を従えていた。
蛇の胴体に、蝙蝠のごとき翼、それに竜人のごとき角を持つ、翼竜と呼ばれる魔獣であった。日中に見た大蛇の魔獣よりは小ぶりであるものの、胴体の太さは人間ほどもある。それに、瘴気の濃密さは比較にもならぬほどであった。竜人は、この翼竜にまたがって天空を飛来してきたのであろう。
「……どうして竜人が、こんな竜脈も通っていない地に出張ってきたんだい?」
ガルディルが問い質すと、竜人は白い牙を剥き出しにして笑った。
「知れたこと。貴様たちを、この世から滅するためだ。……貴様と、そこの娘をな」
竜人の目は、ガルディルとメイアを見据えている。
すると、ジェンカが「へーえ」と声をあげた。
「それじゃあ、あたしに用事はないってことかい? ずいぶん愉快なことを言ってくれる竜人だね!」
「ふん。用事はなくとも、出くわした人間を生かしておく理由はない。貴様もともに、滅びの炎で焼き尽くしてくれよう」
その言葉に、ガルディルは眉をひそめることになった。
「ちょっと待った。お前さんは、メイアと俺の両方を狙ってやがるのか? そいつは、おかしな話じゃねえか。俺とメイアは、数日前に出会ったばかりの仲なんだぜ?」
メイアをガルディルにもたらしたのは、竜人だ。だから、別の竜人がメイアの存在をつけ狙うというのは、ありえる話なのかもしれない。
また、ガルディルはかつて、数多くの竜人を討伐してきた身である。同胞を弑された竜人が、ガルディルの身をつけ狙うというのは――いささかならず竜人らしからぬ行いではあるものの、まあありえない話ではないだろう。
しかし、メイアとガルディルの両方をつけ狙うというのは、おかしな話である。
そもそも二人が行動をともにしているということを知りえているのは、日中に出くわした騎士団とジェンカのみであるはずだった。
(しかもジェンカは、まだ俺の素性を知らねえはずなんだからな。ってことは……騎士団と竜人がつるんでるってことになっちまうじゃねえか)
しかし、それこそありえない話である。
それゆえに、ガルディルはいぶかっているのだった。
「貴様もその娘も、この世に存在することを許されぬ身であるということだ。さあ、大人しくその首を差し出すがいい」
竜人の角が、いっそう激しい輝きを帯びた。
竜人が無造作に右腕を振り下ろすと、虚空に生まれ出た炎の濁流が、渦を巻いて襲いかかってくる。
ガルディルは、渾身の力を込めて、黒曜の刀剣を振りおろした。
炎と刀身がぶつかりあい、深紅と漆黒の魔力が四散する。
幸いなことに、それで刀剣をへし折られることにはならなかった。
それを見て、竜人は「ほお」と声をあげる。
「そのように貧相な刀剣で、我の魔力を弾くとはな。……貴様がそれだけの剣士であるからこそ、あやつも我の力を借りたいと願ったのであろう」
「あやつってのは、誰のこったい? そこまでの恨みを買う覚えなんて、これっぽっちもないんだがねえ」
「ふん……人間同士の縄張り争いなど、我の知ったことではない!」
そのように吠えるなり、竜人は開いた手の平をあらぬ方向に突き出した。
竜人に襲いかかろうとしていた炎の斬撃が、それで消滅する。ジェンカが横合いから、刀剣をふるったのだ。
「か弱き炎よな。真なる炎にまがいものの炎で太刀打ちできるとでも思ったか?」
「はん! そのすかした顔を、こいつで真っ二つにしてやるよ!」
刀剣をかまえたジェンカの身体は、凄まじいばかりの気迫に包まれていた。それに呼応して、紅玉の刀剣は深紅に燃えあがっている。
しかし、火の刀剣で火の竜人に立ち向かうのは、あまりに分が悪い。それでは完全に魔力で上回らない限り、相手を滅することはかなわないのだ。
(せめてそいつが藍玉の刀剣だったら、ジェンカでも五分の戦いができたんだろうけどな)
そんな風に考えながら、ガルディルも声をあげてみせた。
「おい、お前さんは、俺たちに用事があるんだろ? よそ見してると、逃げちまうぜ?」
竜人は、敵意にまみれた顔で笑った。
「心配せずとも、貴様たちを逃がしはせん。貴様は、こいつと遊んでいろ」
竜人の命令に従って、翼竜がジェンカに襲いかかった。
ジェンカは裂帛の気合をあげて、それに応戦する。それもまた過酷な戦いではあったが、竜人そのものを相手にするよりは、数段救いがあるはずだった。
(さて、こっちも何とかしねえとな。心もとねえけど、やるだけやってみるか)
メイアの身体を抱えなおして、ガルディルは慎重に間合いをはかる。
竜人の角が、再び凄まじい輝きを帯びていた。
「その貧相な刀剣では、魔力を放つこともかなわぬようだな。それで我にあらがおうとは、まったく度し難い人間だ」
「うるせえなあ。上等な刀剣ってのは、値が張るんだよ」
言いざまに、ガルディルは足を踏み出した。
とたんに、炎の濁流が襲いかかってくる。
ガルディルは横合いに飛びすさって、その猛攻をやりすごした。
竜人の巨体が、眼前に肉迫する。
竜人の口が、くわっと開かれた。
そこからも、灼熱の炎が放出される。
ガルディルは、相手の肉体ごと斬り伏せる勢いで、刀剣を振り下ろした。
それで炎は飛散したが、竜人は後方に退いている。そうして、そこからまた炎の攻撃を仕掛けてきた。
ガルディルが正眼に刀剣をかまえると、それに触れた炎は二つに分かれて、消滅する。それを見やりながら、竜人は哄笑をあげた。
「大した力量だ! しかし、その貧相な刀剣が、いつまで形を保っていられるであろうかな?」
「ふん。等級外にしちゃ、立派なもんだろ」
ガルディルはそのように答えたが、確かに限界が迫っていた。あと二、三回も竜人の炎をしのいだら、この刀剣も二つにへし折られてしまうことだろう。土台、等級外の刀剣で竜人に挑もうというのが、無茶な話なのである。
(だけどまあ、ここが竜脈の通ってない土地で助かったな。もしもここがダムドの山ぐらい竜脈の元気な土地だったら、最初の一撃で刀をへし折られていただろうさ)
竜人の力は、その土地に脈打つ竜脈の度合いに左右される。竜脈のまったく通っていない土地においては、半分がたの魔力しか行使することはかなわないのだ。
しかし逆に言うならば、竜脈の通っていない地でこれだけの魔力を使うことのできるこの竜人は、かなりの上級であるということだった。
(さあて、どうするか……こいつは、正念場だな)
そのとき、不可思議な感覚がガルディルの五体を走り抜けた。
びりびりと、全身の皮膚がひきつっていくかのような感覚である。それはまるで、魔石をあしらった甲冑の上から、魔力を帯びた攻撃をくらったような感覚であった。
(何だよ、こりゃ。護符の魔石は、さっき砕けたはずだよな?)
それは、護符の魔石が瘴気に耐えかねて鳴動するのと、同一の波動なのである。
しかし、メイアが身につけていた護符は砕け散ったばかりであるし、残りの護符は荷袋に放り込んだまま、発動させていない。ガルディルの手にあるのは、メイアの小さな身体のみであった。
そのメイアが、ガルディルの襟もとをぎゅっと握りしめている。
竜人の姿を見据えるガルディルの耳に、メイアの低い声が囁きかけられた。
「ガル……しんじゃやだ」
「心配すんなよ。まだ負けると決まったわけじゃあ……」
そのように言いかけて、ガルディルは息を呑むことになった。
メイアの肉体から、強い魔力が伝わってきたのである。
眼前の敵から目をそらす危険を犯してでも、ガルディルはそちらを振り返らずにはいられなかった。
ガルディルの腕に抱かれたまま、メイアはじっと竜人を見やっている。
その紫色の瞳が、炎のように燃えあがっていた。
まるでそれは――竜人のごとき、凄まじい眼光であった。
そしてもう一点、不可思議な現象が発生している。
メイアの額にも、激しい輝きが灯っていたのだ。
銀色をした前髪の向こう側に、玉虫色の光が透けている。それはどうやら、メイアの額にはりついている瑪瑙のごとき石が燦然と輝いているようだった。
(こいつは……何かの護符なのか?)
ガルディルの全身に走った奇妙な感覚は、どうやらその石からもたらされたものであるようだった。
その石が、限界を迎えて悲鳴をあげているのだ。そして、悲鳴をあげさせているのは――メイアの肉体から生じた魔力であった。
「ふん。封印の石を砕こうというのか。それを見届けるのも、一興であるが……どの道、貴様を生かしておくことはできん」
悪意に満ちた竜人の声が響く。
慌ててそちらを振り返ったガルディルの鼻先に、紅蓮の炎が迫っていた。
(……しくじった!)
ガルディルは、すかさず刀剣に闘気を注ぎ込む。
しかし、その刀身が炎を弾くより早く――前にのばされたメイアの手の平が、炎に触れていた。
その瞬間、炎は木っ端微塵に弾け飛ぶ。
さきほど竜人がジェンカの炎を消し去ったのと、同じ光景であった。
「封印の解けきっていない状態で、我の炎をも退けるか。これは、我が長も躍起になるはずだ」
竜人が、笑い声を響かせる。
それを聞きながら、ガルディルはメイアの身体を抱きすくめた。
「おい、やめろ、メイア! そいつは……たぶん、よくないことだ」
「でも、メイアはガルをたすけたい」
爛々と燃える紫色の瞳が、ガルディルを見つめてくる。
竜人のごとき、凄まじい眼光である。
しかしガルディルは、その瞳の奥底に、強い不安の色を見て取ることができた。
「大丈夫だよ。あんな竜人なんざ、俺だけでどうにかしてやるさ」
ガルディルは、せいぜいふてぶてしく笑ってみせた。
メイアの瞳が、すうっと炎を消していく。
「……ほんとに? ガル、まけない?」
「ああ。こう見えて、俺はそれなりの剣士だからな」
そのように言い捨てるなり、ガルディルは身をひるがえした。
「馬鹿め! 逃がすものか!」
「馬鹿はどっちだ。逃げてるんじゃねえよ」
走りながら、ガルディルは背後に刀剣を振りかざした。
声とともに追ってきていた炎の濁流が、それで四散する。ガルディルの刀剣は、不満の声をあげるように激しく軋んだ。
(あと一発か二発が限界だな。なんとか保ってくれよ!)
ガルディルが向かうは、ジェンカのもとであった。
ジェンカは中空を舞う翼竜を相手に、奮闘している。ガルディルは背後の竜人を警戒しながら、翼竜の巨体に検分の触覚をのばした。
「ジェンカ! そいつの核は、胸のど真ん中だ! 翼と翼の間を狙ってみろ!」
叫びながら、ガルディルは背後に向きなおった。
新たな炎が、目の前に迫っている。それを斬り伏せると、また刀剣が頼りなく軋んだ。
そして、翼竜の断末魔が響きわたる。
ジェンカが首尾よく、翼竜の核を打ち砕いたのだ。
「よくやった! あとは、俺にまかせておけ!」
「お、おっさん? あんた、いったい何を――」
ほっと息をついていたジェンカが、惑乱した目を向けてくる。
ガルディルは足もとに黒曜の刀剣を突きたてると、ジェンカの腕から紅玉の刀剣を強奪した。
振り返ると、また炎の渦が迫ってきている。
ガルディルは一瞬だけ呼吸を整えて、紅玉の刀剣を振り下ろした。
視界が、深紅に包まれる。
炎の斬撃は炎の渦を呑み込んで、そのまま竜人の左腕を吹き飛ばした。
漆黒の鮮血がほとばしり、地鳴りのごとき絶叫が響きわたる。
「貴様……貴様、よくもこんな……!」
「うるせえよ。喧嘩を売ってきたのは、そっちだろ」
ガルディルは、さらに闘気を注ぎ込んだ。
二等級の刀剣は、何の抵抗もなく、それをするすると受け入れてくれる。この闘気の伝導率の如何こそが、刀剣の等級を定める最たるものであるのだった。
(ただ、紅玉の刀剣ってのは、扱い慣れてねえんだよな)
よほど集中しなければ、せっかくの魔力もどこに飛んでいくかわからない。下手をしたら、背後で立ちすくむジェンカを焼き尽くしてしまう恐れすらあるのだ。深紅に燃えあがる刀剣を右腕一本でかまえながら、ガルディルは狂乱する暴れ馬の手綱を握っているような心地であった。
(でも、これしか手は残されてねえんだ! 頼むから、真っ直ぐ飛んでくれよ!)
ガルディルは、渾身の力で刀剣を振り下ろした。
炎の斬撃が、天から地までを斬り伏せる。
その渦中にあった竜人の肉体は、脳天から股座までを寸断された。
断末魔の絶叫とともに、竜人の肉体は赤い塵と化す。
その塵も、吹き荒れる炎に呑み込まれて、すぐに見分けがつかなくなった。
「よし、おしまいだ! さ、後片付けに取りかかるぞ!」
ガルディルは、ジェンカの手もとに刀剣を押しつけた。ジェンカはぽかんと口を開けて、ガルディルを見返してくる。
「何だよ、いまの……あ、あんな魔力が、人間に出せるの!?」
「そんな話は、後にしてくれ。ほら、このままじゃあ山火事になっちまうだろ? 藍玉の魔石で、炎を消すんだよ! お前さんも、手伝ってくれ!」
それでもジェンカが呆けているので、ガルディルはその豊かな尻をぴしゃんと叩いてみせた。たちまちジェンカは、顔を真っ赤にして飛び上がる。
「正気に戻ったか? さ、お前さんの魔石も引っ張り出してくれ」
何かわめいているジェンカを残して、ガルディルは魔石の眠る荷袋のほうに駆け寄っていった。
その途中で、ふっと手もとのメイアを振り返る。
「な? 何とかなっただろ?」
メイアは無表情のまま、「うん」とうなずいた。
その瞳には、安堵と喜びの光が灯されている。
胸中にわきあがる疑念や懸念を押し殺しながら、ガルディルはそちらに笑いかけてみせた。