4-3 渦巻く疑念
「……おっさん、戻ったよ」
薄暗がりの中に、ジェンカの声が響きわたる。
魔石の炎で夜食をこしらえていたガルディルは、「よお」と気安く言葉を返してみせた。
「お疲れさん。町の様子は、どうだった?」
「ああ、ありゃ駄目だね。その娘っ子の手配書が、あちこちにべたべた張られてたよ。リールの領主よりも、よっぽど熱心にそいつを探してるみたいだね」
そのように述べながら、ジェンカは手近な木の枝に馬の手綱を結びつけた。
谷底で大蛇の魔獣を退治してから数時間が経過して、すでに太陽は沈みかけている。騎士団の追跡をかわした一同は、また人外の地で夜を明かすことになったのだ。
昼下がりまで歩いていた荒野よりは、緑の多い区域である。あの谷底を突破して岩場を踏み越えると、とたんに様相が一変したのだ。樹海というほど大層なものではないが、広大なる雑木林といった様相であり、身を隠すにはうってつけであった。
そして、この地はいくぶん高台になっており、少し歩くと、眼下に大きな町を臨むことができた。おそらくは、あの谷底から出現した魔獣どもが、その町に被害を与えたことにより、騎士団が派遣されることになったのだろう。被害を受けた人間の申し出がなければ、なかなか騎士団が派遣されることにはならないのだ。
「ま、このまま南西に進んでいきゃあ、五日で王都らしいからね。王都に近い領地のほうが、罪人探しに熱心ってことなんじゃないのかなあ」
そんな風に述べながら、ジェンカは敷物の上に腰を落ち着けた。その青い瞳が、ガルディルをじっと見つめてくる。
「……で、おっさんはどうするつもりなの?」
「そうだなあ。さっきから手立てを考えてるんだけど、なんにも思いつかないんで困ってたところだよ」
「ふーん? あたしには、呑気に鍋を煮込んでるようにしか見えないけどねえ」
「そりゃあまあ、どんなに厄介な状況でも腹は減るからなあ」
ジェンカは茶色の長い髪をかきあげながら、ガルディルの隣にちょこんと座しているメイアのほうに視線を転じた。
「いくら何でも、王都の連中を敵に回すのは、まずいでしょ? その娘っ子は、引き渡すしかないんじゃない?」
「へえ? お前さんは、偉ぶった貴族を嫌ってるんだろ? しかも、王都の貴族はなおさら気に食わないんじゃなかったっけ?」
「だからって、王都の貴族を敵に回せるわけないじゃん! あいつらに逆らったら、このドルミア王国に居場所がなくなっちまうんだよ?」
ガルディルに語りかけながら、ジェンカの目はメイアから離れない。
しかしメイアは人形のごとき無表情を保ったまま、じっと魔石の炎を見つめている。その瞳は長い睫毛の陰に隠されてしまい、ガルディルにも内心をうかがうことはできなかった。
「ねえ……あんたは本当に、何も覚えてないの? 王都の連中に大罪人扱いされるなんて、よっぽどの話なんだよ?」
「…………」
「ちょっと! あたしの話を聞いてんのかい? あたしらがこんな風にコソコソ隠れてるのは、みんなあんたのせいなんだからね!」
「やめろって。こいつが貴族の悪巧みなら、メイアだって被害者だろ?」
ガルディルが取りなすと、ジェンカは子供のように頬をふくらませてしまった。
いっぽうメイアは、やはり無表情のままである。ガルディルは溜息を噛み殺しつつ、その白銀の髪をわしゃわしゃとかき回してみせた。
「空きっ腹で考えたって、どうにもならねえよ。とりあえず、食事をいただいちまおう。……お前さんも腹が減っただろ、メイア?」
「……うん」
「今日の鍋には、肉もたっぷりだからな。明日に備えて、しっかり食っておけよ」
ガルディルの言葉に、ジェンカはぎょっと身をすくませた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。あたしの干し肉は、まだ渡してなかったよね?」
「干し肉を鍋にぶち込んだって、ろくな仕上がりにならねえだろ。こいつは、昼間の余りだよ」
砂トカゲの肉は、まだ半分ばかりが残されていたのだ。ジェンカは頭をかきむしりながら、わめきたてた。
「町のすぐそばまで来たんだから、肉なんていくらでも買えるじゃん! わざわざ砂トカゲの肉なんて食べなくてもいいでしょ!?」
「俺の懐は、そこまで潤っちゃいねえんだよ。食えるもんをみすみす捨てることなんざ、できないね」
そのように答えながら、ガルディルは鍋の中身を木皿に移した。肉とタマネギとニンニクの香りが、夜気にしみわたっていく。
「お前さんは、食わねえのか? 今日のは、ちょっと自信作なんだけどなあ」
「……自信作ったって、トカゲじゃん」
「トカゲだろうが、肉は肉さ。……そういえば、俺は餓鬼の頃からトカゲの肉を食ってたんだよ。俺が剣士としていっぱしになれたのは、食い物の選り好みをしなかったからかもしれねえな」
ジェンカは心から恨めしそうに、上目づかいでガルディルをにらみつけてきた。
ガルディルはにんまりと笑いながら、ジェンカのほうに木皿を差し出してみせる。
「さ、どうする? お前さんが食わないなら、俺とメイアで全部食っちまうぞ?」
「…………」
「ま、お前さんは町に下りれば、もっと上等なもんがいくらでも食えるもんなあ」
「あのねえ! 言っておくけど、あの町には昼間の騎士連中が戻ってたんだよ? あいつらは、あたしらのことまで罪人みたいに嗅ぎまわってたんだからね!」
ガルディルは目をぱちくりとさせてから、「そうか」と言ってみせた。
「それじゃあお前さんには、ずいぶん危ない橋を渡らせちまったんだな。からかっちまって、悪かったよ」
「やっぱり、からかってたんじゃん!」
「いや、俺が餓鬼の頃からトカゲ肉を食ってたのは本当だし、こいつが自信作ってのも本当だ。タマネギもニンニクもこれで使いきっちまったから、お前さんにも食べてほしかったんだよな」
怒りに顔を赤くしていたジェンカが、たちまち困惑の表情となる。が、ガルディルとしては、べつだんおかしな言葉を述べているつもりもなかった。
「お前さんとも、これで五日のつきあいだからな。俺が精魂こめてこしらえたタマネギとニンニクの最後の収穫を、一緒に味わってほしかっただけのこった。悪気はねえから、へそを曲げねえでくれよ」
「な、何なのさ、それ? 他人には興味ありませーんって顔して、どの口で言うわけ?」
「ああ。他人に興味は薄いほうだと思うけどよ。こんなに同じ人間と顔を突き合わせるのは数年ぶりだから、ちっとは情が移ることだってあるだろうさ」
ジェンカの顔が、再び赤くなっていく。が、今度は怒っているわけでもなさそうであったので、幸いであった。
(……そうじゃなかったら、こんな厄介な娘っ子を放り出さないわけがねえもんなあ)
ガルディルは、ちらりとメイアのほうをうかがった。
待望の食事を眼前にしているというのに、今日は何も急かそうとしない。これだけ大勢の人間がメイアを追い回しているという事実が、ようやくこの無感動な少女にも暗い影を落としたのかもしれなかった。
そんなことを考えていると、ガルディルの手から木皿が奪われた。
視線を転じると、木皿を手にしたジェンカが赤い顔でガルディルをねめつけている。
「あ、あんたねー! 人の心をさんざんかき乱しておきながら、よそ見なんてしてるんじゃないよ!」
「そんな大層なことは言っちゃいねえだろう。大げさだな、お前さんは」
「もー!」と大きな声をあげながら、ジェンカは座ったまま地団駄を踏んだ。なかなか器用な娘である。
「よし、それじゃあ、食うか。ほら、お前さんの分だぞ、メイア」
「うん」とうなずき、メイアも木皿を受け取った。
そうして木匙で砂トカゲの肉をすくいあげ、口の中に投じると、ようやくその目がガルディルのほうに向けられてくる。
「……ガル。すごくおいしい」
「そうだろう。砂トカゲの肉は、焼くより煮込んだほうが美味いかもしれねえな」
そんな風に述べながら、ガルディルも砂トカゲの肉を食した。
半日ほど塩とニンニクに漬けておいたので、下味がしっかりとついている。出汁のきいたスープと相まって、上出来の仕上がりであった。
そこに、「んー!」という悲痛な声が響きわたる。
見てみると、ジェンカが真っ青な顔で、手足をじたばたとさせていた。何かを訴えたい様子であるが、その口はぴったりと閉ざされてしまっている。
「どうしたんだよ? 舌でも噛んだのか?」
口の中でうめきながら、ジェンカが木皿を突き出してきた。
スープの表面に、赤黒くてひょろりとしたものが浮いている。それを見て、ガルディルは納得した。
「ああ、そいつは砂トカゲの血を詰め込んだ腸だよ。砂トカゲの腸は細っこいから、血を詰め込むのに苦労したんだぜ?」
「んー! んー!!」
「ぷりぷりしてて、美味いだろ? 砂トカゲの血には、昼間のうちに塩と水をぶちこんでおいたからな。そうすると、そういうぷりっとした触感になるんだよ」
「んんんんー!! んんー! んんんー!!」
「何を言ってんのか、わかんねえって。食べにくいなら、呑み込んじまいな。もったいねえから、吐き出すんじゃねえぞ?」
ジェンカは目に涙をためながら、口の中身をごくりと呑み下した。蠕動する咽喉もとが、妙に艶めかしい。
「あ、あんたねー! な、なんてもんを、あたしに食わせるのさ!」
「別にそんな、おかしなもんでもねえだろう。ヤギの腸詰肉とか、食ったことねえのか?」
「ヤギと砂トカゲじゃ、大違いだってんだよ! こんな嫌がらせをするなんて、ひどいじゃん!」
「嫌がらせとは人聞きが悪いな。腸は一本しかないから、当たりなんだぞ?」
ガルディルは手をのばして、ジェンカの皿から食べかけの腸をすくいあげた。
それを口に放り入れると、濃厚なる血の味が広がっていく。いくぶん鉄臭いやもしれないが、それも確かな滋養を持つ証であった。
「うん。俺もひさびさに食ったけど、なかなかのお味じゃねえか。口に合わなかったんなら、悪かったな」
「あ、あんた! 家族でもないのに、かじりかけを食べないでよ!」
と、ジェンカはいっそう顔を赤くしている。つくづく、かしましい娘であった。
「あいにく、育ちが悪いもんでね。あとは血詰めの胃袋もどっかに沈んでるはずだから、気に食わなかったらこっちによこしな」
「もう! あんたって、本当に――!」
ジェンカがそのようにわめきかけたとき、周囲の空気がふいに軋んだ。
世界がびりびりと震えを帯びて、いまにも爆散しそうな気配である。ガルディルがメイアを振り返ると、その胸もとで瞬いていた金剛の魔石が、硬い断末魔の音色とともに砕け散った。
「な、何? また上級の魔獣が現れたっての!?」
「そんな馬鹿な。瘴気なんざ、これっぽっちも感じなかったぞ?」
そのように応じたガルディルの知覚に、いきなり濃厚なる瘴気が触れてきた。
しかも方角は、頭上である。何を考えるいとまもなく、ガルディルはメイアの身体につかみかかった。
二人の身体は地面を転がり、木皿の中身が敷物にぶちまけられる。
そして、いままで二人が座していた場所に、巨大な火の柱がたちのぼった。
手近な木に繋がれていた馬が、高々といななく。ジェンカは紅玉の刀剣を引き抜いて、頭上をにらみあげていた。
「ふん。外したか。やはりこのように瘴気の薄い地では、思うように力を使えんな」
不吉なる声音が、頭上から響く。
地面に起きあがったガルディルは、左腕でメイアを抱えたまま、抜刀した。
「こんな竜脈も通ってない場所に、竜人かよ。まったく、迷惑な話だな」
「ふふん。そのように貧相な刀剣で、我にあらがおうという心づもりか?」
清涼なる夜気が、瘴気に汚されていく。それはすべて、頭上に潜んだ竜人からもたらされる瘴気であった。
ジェンカは唇を噛みしめて、声のする方向をにらみあげている。
メイアも無感動な眼差しで、同じ方向を見やっていた。
「どのようにあらがおうとも、貴様たちの生命はこの夜までだ。あがけば、苦しみが増すばかりだぞ」
声が、ふいに近くなる。
ガルディルとジェンカは、弾かれたような勢いで後ずさることになった。
轟々と燃え上がる炎の柱を背景に、竜人と魔獣が地に降り立ったのだ。
竜人は、鱗に覆われた咽喉をのけぞらして、せせら笑った。
「それでは、始末をつけるとしよう。貴様たちの卑小なる神に祈りでも捧げるがいい、人間ども」