3-3 荒野の夜
東の町ザンの手前で街道を外れてから、最初の夜である。
半日ばかりを歩いたガルディルらは、雑木林を抜けて、荒野の真っ只中にいた。
足もとはさらさらとした砂の地面で、ところどころに黄色みがかった岩塊が顔を覗かせている。見渡す限りは同じような光景が広がっており、しばらくは人里に行き当たる気配もなかった。
「今日はここで夜を明かすか。まだまだ食料に不足はねえからな」
吹きっさらしの場所では砂まみれになってしまいそうなので、大きな岩塊の陰を選んで、そこに腰を下ろす。そうしてぺたりと座り込むなり、メイアは「おなかすいた」と発言した。
「わかってるよ。ちっと待ってな」
ガルディルは荷袋をあさりながら、ふっと視線を傾ける。岩塊の脇からジェンカと馬が顔を覗かせて、ガルディルたちをじっと見ていた。
「えーと、お前さんは、どうするつもりなんだ?」
「ふん! あんたたちを逃がさないように、あたしは近くから見張らせてもらうよ!」
「だったら、こっちに来ればいいじゃねえか。そんなところでにらまれてたら、落ち着かなくてたまらねえよ」
「……そっちに行っていいの?」
「ああ。ちょいと頼みたいこともあるしな」
ジェンカはちょっともじもじしてから、やがて決然たる面持ちでこちらに近づいてきた。豊かな胸の下で腕を組み、ことさら尊大な表情をこしらえつつ、ガルディルの姿を傲然と見下ろしてくる。
「頼みって、何さ? 言っておくけど、あんたの仲間になった覚えはないからね!」
「そんな大した話じゃねえよ。お前さんも、何かしら食料を持ってるんだろ? こっちの食料と、何か交換できるものでもねえかと思ってな」
ジェンカは拍子抜けした様子で、かくんと首を傾げた。
「野宿をするつもりなんてなかったから、そんな大したもんは持ってないよ。ヒヨコマメのパンと、干した林檎と、あとはせいぜい干し肉ぐらいだね」
「お肉」と、メイアが瞳を輝かせた。
顔そのものは無表情だが、紫色の瞳に期待の光が躍っている。ガルディルは苦笑を噛み殺しつつ、ジェンカに座るようにうながした。
「それなら、十分以上だよ。タマネギやニンニクを分ける代わりに、干し肉を恵んでくれねえか?」
「タマネギやニンニク? 何でそんなもんを持ち歩いてるのさ?」
「家の畑の収穫だよ。そうそう腐りはしねえから、持てるだけ持ってきたんだ」
ジェンカは「ふん」と鼻を鳴らしてから、馬に運ばせていた荷袋に手をかけた。
まずは長めの杭を取り出し、それを地面に埋め込んで、馬の手綱を結びつける。しかるのちに、革の敷物を地面に敷いて、その上にどかりとあぐらをかいた。
「だからそんな、鉄鍋の準備までしてたのか。まさか、あたしには生のタマネギをかじらせるつもりじゃないだろうね?」
「ああ。俺の自慢のスープをご馳走してやるよ」
地面の上に紅玉の魔石を置いて、台座代わりの石ころと小ぶりの鉄鍋を設置する。藍玉の魔石を封入した水筒から水を注ぎ、皮を剥いたタマネギとニンニクを投じて、ひとつまみの塩とパセリも加えることにした。
その間に、ジェンカも魔石で火の準備をしている。赤褐色をした干し肉は鉄串に刺して、炙り焼きにするつもりであるらしい。まあ、もっとも無難な食べ方である。
「あ、こっちにも、ちょいと干し肉を分けてくれねえか?」
「あん? 火で炙るのも待てないってのかい?」
「そうじゃなくって、スープに入れてえんだよ。肉そのものはぐずぐずになっちまうだろうけど、たいそう上等な出汁が取れるだろうからな」
ジェンカは興味なさげに肩をすくめてから、小さく切り分けた干し肉を放り投げてきた。ガルディルは、それもすみやかに鉄鍋へと投じ入れる。
「よしよし。昨日よりは、豪華な晩飯になりそうだな。もうちっと待ってろよ、メイア」
「うん」とうなずきながら、メイアは炙り焼きにされている干し肉を一心に見つめていた。ガルディルと出会って四日目にして、ついにメイアは待望の肉を食する機会を得たのだ。
「それじゃあ鍋を煮てる間に、包帯を取り替えておくか。そら、足をこっちによこしな」
視線は干し肉のほうに固定したまま、メイアは両足の先を差し出してきた。
包帯を外してみると、足の裏の傷口は赤い肉で埋まりつつある。順調に回復してきているようだ。これならば、もう数日で歩けるようになるだろう。
「何だい、そりゃ? 折檻の痕かい?」
「人聞きの悪いことを言うんじゃねえよ。裸足で山の中を歩かされただけさ」
「そんなの、折檻みたいなもんじゃないか。……ねえ、その娘っ子は、何者なの?」
メイアの足に新しい薬を塗り、新しい包帯を巻きつけながら、ガルディルは「知らん」と答えてみせた。
「知らんってことはないでしょうよ。それじゃあ、あんたはどうして、その娘っ子を庇い立てしてるのさ?」
「だから、行きがかり上、しかたなくだよ。何せこいつは自分の名前の他には何も覚えてねえって話だから、俺にも事情はさっぱりわからねえんだ」
ジェンカは、きょとんと目を丸くした。そうすると、年齢相応のちょっと幼げな顔になる。
「それじゃあ、あんたは何の事情もわからないのに、そいつを庇い立てしてるっての? そいつが本当に大罪人だったら、どうするのさ?」
「こんな十歳かそこらの娘っ子に、どんな悪さができるってんだよ? 罪状を明かさねえ手配書なんて、本当は罪人じゃねえって証みたいなもんだろ」
「そりゃまあ、そうかもしれないけどさ……あんた、酔狂だねえ」
「ああ、よく言われるよ」
メイアの治療を終えたガルディルは、木匙でスープの味を確かめてみた。
「うん、悪くない。……けど、ひと味たりねえな」
しばし悩んだ末、ガルディルはとっておきの乳酒を引っ張り出すことにした。
水筒の封を開けると、豊かな酸味が匂いたつ。炙り焼きの面倒を見ていたジェンカは、ぎょっとした様子でガルディルを見やってきた。
「何それ? 乳酒? まさか、そんなもんを鍋に入れようっての?」
「ああ、ちょいと隠し味にな。肉を入れたスープには、こいつが合うんだよ」
白みがかった乳酒をふた口ていど注いでから、鍋が再び煮立つのを待つ。それから灰汁を取って味見をしてみると、さきほどよりも格段に深みのある味になっていた。
「よしよし、こんなもんだな。そっちもそろそろ焼けた頃か?」
「とっくだよ。こんなの、ちょいと表面を炙るだけで十分なんだからね」
ならば、スープが仕上がるのを待っていてくれたのだろう。ジェンカのそんな気づかいが、ガルディルには少し可笑しかった。
「それじゃあ、もうちっと待ってろよ。せっかくだから、今日は奮発しちまおう」
ガルディルは新しいタマネギを取り出して、それを短剣で薄く切り分けた。切った分は木皿にのせて、ジェンカの足もとの敷物に置かせていただく。
さらには丸いヒヨコマメのパンも、真ん中から平たく切り分ける。ジェンカはとてもうろんげな眼差しでその様子を眺めていた。
「あんた、さっきから何やってんのさ? パンを噛みちぎるのも難しいぐらい、老いぼれちまってるの?」
「俺はただ、せっかくの晩餐を美味しくいただきたいだけさ。よかったら、お前さんのパンも同じように切り分けておきな」
ガルディルは、パンの上にタマネギを敷いて、その上に串焼きの干し肉をのせてもらった。その肉の上にもパンをのせて、上下からぐっと力を込める。
「いいぞ。串を抜いてくれ」
「……いちいち面倒なことをするおっさんだねえ」
ジェンカの手を借りて、同じパンを三組こしらえる。そうして鍋のスープを木皿に取り分けて、ようやく完成だ。
「よし。待たせたな、メイア。おかわりはねえから、よく味わって食うんだぞ」
「うん」とうなずいて、メイアは肉とタマネギをはさみ込んだパンを受け取る。その瞳には、さきほどよりも強く期待の光がくるめいていた。
小さな口が、パンをかじり取る。そうしてひと噛みするごとに、期待の光は喜びの光へと移ろっていくようだった。
「どうだ、美味いか? オリーブの油でもあったら、もっとよかったんだけどな。……さ、スープも食ってみろよ」
「うん」
「スープもなかなかだろ。やっぱ干し肉の出汁がきいてるよな」
「うん」
いつも食事には夢中になるメイアであるが、やはり本日は普段以上に心を躍らせている様子だ。
そんなメイアの様子を眺めていると、ジェンカが不機嫌そうな声をあげてきた。
「あのさあ……まさかあんたたち、本物の親子なんじゃないだろうね?」
「馬鹿なことを言うんじゃねえよ。こんな似てない親子がいるもんかい」
「だったら、もう何年も一緒に暮らしてるとか?」
「俺がこいつに会ったのは、お前さんより一日早いだけだよ。……馬鹿なこと言ってねえで、俺たちも食おうぜ」
ジェンカは文句ありげに口をとがらせつつ、スープの注がれた木皿を手に取った。
ごく無造作にそれをすすり込むと、途中で青い目が大きく見開かれる。
「どうだ? ありあわせの食事にしては、まあまあだろ?」
「…………」
「何だよ。一夜をともにする仲なんだから、ちっとは素直になってもいいんじゃねえか?」
「お、おかしな言い方すんな! この助平親父!」
「そんな意味は含ませてなかったよ。どっちが助平だい」
ジェンカは顔を真っ赤にしながら、干し肉とタマネギのパンを乱暴に噛みちぎった。
その間に、メイアは自分の食事を食べ終えてしまっている。木皿を敷物に戻したメイアは、紫色の瞳を明るく瞬かせながら、ガルディルを見上げてきた。
「ガル、すごくおいしかった」
「そうだろう。この姐さんに、感謝しなくっちゃな」
とたんにメイアは半分だけまぶたを閉ざすと、横目でジェンカをねめつけた。
「……でも、ガルはお野菜をあげるかわりに、お肉をもらったんでしょ?」
「ああ、まあ、そういうこったな」
「だったら、ガルのお肉だもん」
そんな風に述べてから、メイアはガルディルの膝を枕にして、ころんと寝転がった。
「メイア、ねむい」
「おいおい。そんなところに頭をのせてたら、スープをこぼしちまうかもしれねえぞ?」
「いいよ」と言いながら、メイアは完全にまぶたを閉ざしてしまった。
苦笑を浮かべかけたガルディルは、ジェンカの視線に気づいて、表情を引き締める。
「えーと、これはだな……まあ、拾った小鳥が人間に懐くようなもんなんだよ」
「……あたしは何も言ってないけど?」
「いかにも何か言いたげな面がまえじゃねえか。言っておくけど、お前さんは好きこのんで、ここに居座ってるんだからな?」
ガルディルは食べかけのパンを呑み下してから、あらためてジェンカのほうを見やった。
「ひとつだけ、はっきりさせておこうか。お前さんは、どういった目的で俺たちにまとわりついてるんだ? 金貨が目当てなんてのは、本心じゃねえんだろう? それだったら、どんどんザンやリールから遠ざかっていく俺たちを放っておくわけがねえもんな」
「…………」
「お前さんが悪さを仕掛けてくるとは、どうにも思えねえんだ。それなら、きっちり理由を話してくれねえもんかなあ?」
ジェンカはきゅっと唇を噛むと、やがて荒っぽく自分の頭をかき回した。それから、上目づかいでおずおずとガルディルを見つめてくる。
「……あんたはさ、そんな等級外の刀剣で、あたしと互角にやりあったじゃん。どうやったらそんな真似ができるのか、そいつを突き止めたかったんだよ」
「ふうん? そんなの別に、秘密でも何でもねえぞ。ただ修練を重ねたってだけのことだ」
「修練だったら、あたしだって重ねてるよ! あたしは十歳の頃から、七年も腕を磨いてきたんだからね!」
ジェンカの目が、火のように燃えあがる。
しかし、それはすぐに静まった。
「あたしはさ、七年前に故郷を失っちまったんだよ。王国の人間なら、知ってるでしょ? ほら、『レミアムの悪夢』ってやつさ」
「……お前さんは、レミアムの出身だったのか?」
「うん。剣王様と騎士団のおかげで、何とか領民の半分ぐらいは助かったけど……でも、あそこまで竜脈が活性化したら、その土地は魔石の鉱山にされちまうからね。あたしらは、北方の辺鄙な領地に移されて……そこで、奴隷みたいに働かされることになったのさ」
ジェンカの目が、今度は熾火のような光を灯す。そこに宿るのは、深くて静かな怒りの情念だった。
「だからあたしは、竜人や魔獣をぶっつぶすために、剣士として生きることに決めたんだよ。周りの連中には馬鹿にされたけど、毎日毎日、仕事の合間に棒切れを振り回して……それでいまでは、こうやって二等級の刀まで手に入れることができたのさ」
「だったら、王国の騎士でも目指すべきだったんじゃねえのか?」
ガルディルの言葉に、ジェンカは「はん!」とせせら笑った。
「王国の騎士なんて、冗談じゃない! ……いや、騎士に罪はないけどね。性根の腐った王族や貴族どもに使われるなんて、まっぴらさ!」
「そりゃあ俺だって、あんな連中には関わりたくもねえけど……お前さんも、ずいぶんな嫌いっぷりだな」
「当たり前でしょ! あいつらは、あたしたちの恩人を……あたしたちを救ってくれた《黒曜の剣王》を、罪人みたいに追放しちまったんだからね!」
ガルディルは、ますます穏やかならぬ心地であった。
そんなガルディルの心情には気づかずに、ジェンカは気炎をあげている。
「あのお人は身体を張って、あたしたちを救ってくれたんだ。あのお人がいなかったら、レミアムの領民は全滅してたはずさ。それなのに、王宮の連中は……」
「いや、だけど、たしかその《黒曜の剣王》ってのは追放されたんじゃなくって、自分から王都を出奔したんじゃなかったか?」
「おんなじことだよ! あれだけの活躍をした《黒曜の剣王》を、王宮の連中はないがしろにしたんだ! そうじゃなかったら、剣王の座を捨てて出奔するわけがないじゃん!」
それはまさしくその通りであったので、ガルディルとしても二の句が継げなかった。
「あたしはそんな性根の腐った連中のために、剣士を志したわけじゃない。《黒曜の剣王》みたいに、立派な人間になりたかったんだよ。この手で竜人や魔獣を斬り伏せて、困っている人たちを助けたいんだ」
「だったらまあ、やっぱりこんな幼い娘っ子じゃなく、魔獣や竜人を追いかけるべきだろうな」
「わかってるよ!」と、ジェンカはがなりたてた。その顔が、何かを恥じらうように赤くなっている。
「あんた、とぼけたおっさんのくせに、ときどき説教くさいこと言うよね。金貨のために人を殺めるような人間になるな、とかさ」
「うん、まあ、基本的に、他人が何をしようが関係ねえんだけどな。お前さんの場合は、何かその……似合わねえことをやってるなあと思って、ついつい口出ししちまったんだ」
ジェンカはますます赤くなりながら、恨めしげな目つきでガルディルをにらみつけてきた。
「ほんとに、やなおっさんだね。……あたしはあんたのせいで、昔のことをあれこれ思い出しちゃったんだからね?」
「お、俺がいったい、何をしたってんだよ?」
「あんた、等級外だけど、黒曜の刀剣を使ってるじゃん。それに、名前だって……あんた、ガルって名前なんでしょ? あのときの《黒曜の剣王》は、たしかガルディルって名前だったんだよ」
「へえ、そうなのかあ。そいつはなかなかの偶然だなあ」
ガルディルは、渾身の力でとぼけてみせた。
それが功を奏したのか、ジェンカは眉を吊り上げている。
「似てるのは、刀剣の色と名前だけだよ! 《黒曜の剣王》は、すごくすごく立派なお人なんだからね! いまでもどこかで剣士として、竜人を相手に戦ってるはずさ!」
「ああ、きっとそうなんだろうなあ。俺みたいな世捨て人とは大違いだ」
ガルディルは、内心で安堵の息をつくことになった。
剣王の時代、ガルディルは物々しい甲冑を身に纏っていた。よって、幼き少女であったジェンカにも顔までは見られていないのだ。まさか、あんな立派な兜の下に、こんなとぼけた顔が隠されていたなどとは、ジェンカも思わなかったのだろう。
(それにしても、まさかこいつがレミアムの生き残りだったとはな。人生、何が起きるかわからねえもんだ)
ガルディルがそんな風に考えていると、ジェンカはさらにわめきたてた。
「とにかくね! あんたには、何か人と違う秘密があるはずだ! そうじゃなきゃ、等級外の刀剣であんな真似ができるわけがないからね! そいつを暴きたてるまでは、絶対に逃がしゃしないよ!」
「秘密なんて、なんにもねえってのに。……ま、何をどうしようが、お前さんの自由だ。斬りかかってくる気がないなら、好きにしな」
ジェンカの顔に、一瞬だけ子供のような喜びの色が閃いた。
が、慌ててそれを打ち消すと、ことさら不機嫌そうに「ふん!」と鼻を鳴らす。
その姿を見やりながら、ガルディルはふっと考えた。
(俺はあのとき、半分の領民しか守ることができなかったけど……お前さんを守ることができて幸いだったよ)
この娘ならば、今後も立派な剣士として活躍していくことだろう。
ガルディルは、七年前の自分を少しだけほめてやりたい気分であった。