兆し
三崎 晶、24歳、男。
最近は社会人としてある程度慣れてきたけれども、まさかこんなに自分の時間がないとは思わなかった。
残業もそこそこ、週末は上司に連れ回されて休日は部屋でダラダラ。
最後にショッピングしに行ったのは最早いつかわからない。ぶっちゃけ、彼女とも上手くいってる訳でもない。仕事が原因じゃないんだけれども…。
個人的に酒は好きだし、上司や周りとの円滑な人間関係の為。
大きな面倒が起こらないように小さな面倒を細かくこなしている。
普通の面白味のないただのサラリーマンだ。
面白味のないただのリーマンと言えど、腹が減れば飯を食う。
会社にいる間、唯一安らげる時間。
いつものフリースペースで手製の弁当を広げる。
しかし、つかの間の休息を邪魔するやつがいるもので、
「三崎!今日の夜暇だろ?武田課長に誘われちまってさー…。」
同期の高野が話しかけてくる。
とにかくやかましい。
もう少しその声量はどうにかならないのか?
「あ〜、はいはい。メンツ集めてるわけだね?暇だけど決めつけは良くないぜ?」
「結局暇なんだろ?他にも声掛けとくから来いよな!」
昼休憩に難儀な事で。
「はいはい、わかったよ。つーか、飲みに行きたいなら自分で誘えばいいのにな。」
僕の返事も待たず次の宛を探して高野は奥へ消えていった。
♢
週末の夜は大体こうだ。
安い居酒屋で夕食を済ませ、ガールズバーだのキャバだのなんだの飲み屋へ行く。
正直、興味が無い。
正直、帰りたい。
義理として一次会、せめて二次会までは良しとしよう。
しかし、気づけば三次会…。
そしてここは…ニューハーフクラブである。
まさかこんな趣味があるとは…。
課長の趣味を否定はしないが、僕の趣味ではないし、明日は珍しく予定を入れている。
それに、なんと言うか、物凄い居心地の悪さを感じる。
「こう言うお店、初めてですか?」
リサと名乗った女性?が話しかけてくる。
「そうですね。そもそも付き合いじゃないと飲み屋も行かないので。あ、なんか飲みます?」
気が乗らないなりにドリンクを勧める。
「ありがとうございます!お願いしまーす!ビールで!」
どう聴いても女性にしか聴こえない声で飲み物を頼む。が、ふと疑問に思ってしまう。
『本当にニューハーフなのか?』と。
「あの…リサさんは…その…ニューハーフなんですよね?なんでなろうと思ったんですか?」
彼女は少し困ったような表情をした。
周りも渋い表情だ。
興味本位で聞いたことに少し後悔をしたが、リサは答える。
「私の場合は、なろうと思ってなったんじゃないんですよ。『性同一性障害』って知ってますか?」
「詳しくは知らないです。」
正直に答えた。
テレビで聞きはするが何なのかははっきりと知らない。
リサは続ける。
「体の性別と心の性別が一致しないことなんです。私の場合、体は元々男なんだけど、物心ついた時から女の子の様に過ごして来たんです。」
彼女は昔を思い出すように遠くを見つめている。
「でも、周りと違うって気づいちゃって…。かと言って自分を偽って男子として生きられない。だから、ここで手術費用の足しにしようって思って。」
♢
帰りの電車の中、僕はリサさんの言葉を思い出していた。
『なろうと思ってなったんじゃないんです。』
『男子として生きられない。』
チクリと何かが僕の心を刺した。
興味本位で聞いた彼女へ対する罪悪感なのか、それとも別の何かなのか。
しかし、得体の知れない『それ』は確実に僕の心に小さな波を立てて行った。