71.
残り5分で弾着と予想されているさなか、欧州連盟は考え込んでいた。
テレビがおかれている、大学の小さめの講義室のような会議室で、最初に口を開いたのは欧州連盟大統領だった。
「いよいよウブスナガミが破壊される時が目前に迫った。5分後には目的地であるシルベスタークレーターに弾着する。これで一気呵成に攻めることができるだろう。現状を、所管大臣より報告をしてもらう」
大統領に言われるままに、ホッチキスで止めている書類を見ながら、5つ星の肩章をつけた軍服の男が読み上げる。
「敵対している日本皇国軍は、シルベスタークレーターに無人部隊を配備しており、いつでも我が軍のミサイルを撃ち落せる体制を整えています。現状では使用する動きはありません。北米条約連合については、今回のミサイルについて、全体の作戦名をソビエト山脈作戦と称しております。意図は不明。また、日本皇国月面県においては、戒厳令が敷かれており、臨戦体制を整えております」
「して、当方の動向は」
中国からテレビ中継をして、今回の会議に参加している中華人民共和国国防部部長の王陳凛中華人民共和国陸軍上将が発言する。
王は同時に中華人民共和国中央軍事委員会主席および中国共産党中央軍事委員会主席を務めている。
ここでいう主席とは、委員長と同義語である。
「現在は、東南アジア地域で交戦をしております。さらに満露、欧露各国境線についても、こう着状態が続いています。北米は黙して語らず、日本皇国に対しては、言わずもがな」
王に対して、同じ軍人が答える。
「中国についても、あの密約を忘れてはおりますまい。期待しておりますぞ」
「当然、こちらが勝利をしたとき、東アジアの覇権は、中国へ。我々は、ロシアの西半分をいただき、東半分、モンゴル等は、すべて中国へ」
「覚えていただけていたようでなによりです」
その時、北米から何か連絡が入ったという情報が、欧州連盟大統領のもとへと寄せられた。
場所は変わり、北米条約連合大統領は、部下に作戦の状況を確認していた。
ホワイトハウスにある執務室で、国務長官、国土安全保障長官、国防長官と大統領の4人が相談をしているようにも見える。
「ソビエト山脈作戦は、どの程度進んでいる」
「ほぼ完了しつつあります。しかし大統領閣下、よろしいのですか」
国務長官が大統領へ尋ねる。
「どういうことだ」
「この作戦が完了するということは、欧州連盟側と絶対的に敵対することを意味します。実際に砲火を交えなくても、入国禁止措置など、冷戦と同様の状況になるのは、火を見るよりも明らかです」
「それは分かっている。だが、ウブスナガミという量子コンピューター技術は、我が国も手に入れたい。それに、日本皇国側から再三言われているが、どちらかに与するということは明確にしなければならない」
「ならば、なぜ日本へ。欧州連盟も、量子コンピュータ技術はすぐに手に入れてみせると豪語しておりましたが」
「太平洋という巨大な海の向こうにある、小国が、明治維新により一瞬で列強の仲間入りをした。一方、昔から数々の世界帝国を作り上げ、列強も多かった欧州。どちらが潜在的な力を持っているか、わかるだろう。日本だ。だからこそ、その力にかけようと思う」
「…大統領閣下、ならば、ご決断を」
国防大臣は、合衆国の紋章の透かしが入った、トップシークレットと赤色で書かれている書類を大統領へ渡す。
「…これは」
「ソビエト山脈最後の命令書です。これにサインすると同時に、欧州連盟とたもとを分かつことは確実となるでしょう」
「…賽は振られたのだよ。もう、その動きを止めることは、誰にもできない」
そういって、サインを一気に書き上げた。
「わかりました。大統領閣下のご決断を尊重いたします。すぐに、ソビエト山脈作戦を完遂します」
国防大臣が、執務室から出ると、大統領直々にスイス連邦大統領へ電話を掛ける。
「ああ、北米条約連合大統領だ。中央捕虜情報局を移転したい」
日本皇国は、北米条約からの情報に記されていたソビエト山脈とは何かから調べていた。
「ソビエト山脈というのは、1959年にソ連が打ち上げたルナ6号によって、発見されたとされた、月面の山脈です。東経111度北緯19度から東経124度南緯5度へと続く、クレーターの列でしたが、当時の写真技術では、あまりにも不鮮明でしたので、複数の要因により、山脈のように見えていたということです」
閣議で、内務省大臣が報告をする。
「…ソビエト山脈、実在しない山脈を作戦名につけるとは」
軍務総省大臣がつぶやく。
「その場には無いと、北米は理解したのでしょう。ウブスナガミは、クレーターの内部のあの建物には無いと」
「だからこそ静観を続けているのでしょうね。量子コンピューターの知識はまだ無事だということが分かっているから…」
「それは分かった。おそらく北米条約連合は、ソビエト山脈作戦をすでに実施しているだろう。問題は我々だ。あと3分ほどでミサイルは到達する。位置はすでに確定されているか」
軍務総省大臣へ、首相が直接聞く。
「ええ、シルベスタークレーター内、もしくは周囲10km以内に着弾をするのは確実です。月面県に対して影響は何らないことは、確認しました。防御は行う予定です。すでに実施されていますが、ミサイルに当たらないようにという指示をしています」
片眉をあげて、ただおとなしく聞いているだけだった首相が聞き返す。
「どういうことだ」
「現状としましては、欧州連盟が、我々に対してなめてかかるということが必要となります。孫子についても「兵とは詭道なり」とあるとおり、敵をだまして、騙されてが戦争です。だからこそ、これも必要なものの一つとなります」
「こちらが弱いと見せて、油断を誘うということか…」
首相が少し唸っていると、誰かの携帯電話が鳴りだした。
「申し訳ないです」
軍務総省大臣だった。
「たったいま、シルベスタークレーター内にある、電波塔から受電が切れた報告がありました。着弾した模様です。周囲20kmを立ち入り禁止区域として、設定したと月面県から」
「破片などは」
「飛び散っているという情報は、今のところありませんが、クレーター内部で崩壊や、地震動を観測している地域があるようです。月面県では、震度2相当の揺れがあったそうです」
「こちらの人員に被害は」
「特には」
首相が軍務総省大臣から次々と情報を引き出していると、大慌てで首相秘書官が閣議室へ駆けこんできた。
「申し上げます。本日、シルベスタークレーター内に着弾と同時に、月面にある北米条約連合領の建物の一部が破壊された模様。欧州連盟と国交を見直す動きが始まったようです」




