第六話 「ふしぎ聖人! リンゴさん」
「ジャック君。今日は記念すべき『リンゴさん』の生誕祭だ。
気合を入れてそのポスター、全部売りさばいきてくれよ!」
「は、はいッ! 分かりました」
僕の名前はジャック・ウォッチャー。下層市民の貧乏人。女房子供を養う為に、今日もしがなくお仕事探し。
臨時で雇われポスター販売。束ねた紙はちょっぴり重いが、これも仕事だ頑張らなくちゃ!
しかしちっとも知らなかったよ。今日「リンゴさん」の誕生日だとは。
いやいや一応、彼の話は知ってるよ? 「リンゴさん」ってば、僕らの街の救世主だもの!
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今は平和なエドウッドの街、三十年前はそうじゃなかった。
各地で戦乱相次いで、食べるものすら不足気味。あわや集団飢餓状態で、洒落にならない有様だった。
そんな時、やって来たのが「リンゴさん」。その本名は誰も知らない。
リンゴの苗木や種を片手に、当時の飢えで苦しむ人に、タダ同然で配り歩いた。
「リンゴさん」のもたらすリンゴは必ず育ち、大きくたわわな実をつける。
評判の良さと安さもあって、街はたちまちリンゴでいっぱい!
お陰で飢えてた貧民たちも、その時大勢救われたそうな。
確かに街の救世主さまだ! 天晴れ我らが「リンゴさん」!
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「そんな伝説の救世主の割には……貧相なイラストだなぁ」
僕はポスター見やりつつ、思わず溜め息ついちゃった。
だってこの絵の「リンゴさん」、とってもみすぼらしいんだもの。
よれよれ作業着、ひょろりとのっぽ。細いどころか痩せっぽち。まるでどこぞの浮浪者だ。
こんなのホントに売れるかな? そんな懸念は杞憂だった。
あの「リンゴさん」のポスターと知るや、皆我先にと買おうと群がり、鳥飛ぶように売れていく。
生誕祭なのも大きいのかな? 中には泣いて喜ぶ人まで。よっぽど慕われてるんだなぁ。
お陰で重たいポスターの山、お昼過ぎには綿毛同然。僕の心も軽くなった。
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街の郊外まで出ると、リンゴ畑に人だかり。
「リンゴさん! お久しぶり」
「帰ってきてくれたんだね。会いたかったよ!」
何とビックリご本人。生「リンゴさん」がこの目で見れる!
僕は思わず人混み掻き分け、彼の姿を拝もうとした。するとまたもやビックリしたね。
「リンゴさん」のホントの姿――服の代わりに小麦の袋、帽子の代わりに錫の鍋。もちろん靴など履いちゃいない。
何てこった、このポスター! これでも実物よかマシだった! 相当美化して描かれてたんだね!
それはともかく「リンゴさん」、どうして街に来たかというと。
彼は一生懸命に、リンゴ畑を渡り歩いて、リンゴの様子を見に来てたんだ。
元はと言えばもちろん全部、本人が配り歩いたリンゴだよ。
「『リンゴさん』はねえ、ああやってリンゴを定期的に調べてくれるんだ。もちろんタダで。
んで、育て方や不作の時の対策、害虫予防まで……親身になってアドバイスもしてくれる」
というのは、リンゴ農家のおじさんの言。
なるほど伝説本当だった。これだけ手厚いアフターケアなら、そりゃあ立派に育つよね。
「リンゴさん」、見た目は奇抜で貧相で、髭ももじゃもじゃみすぼらしい。
それでも皆に愛されてる。大人も子供もニッコリだ。僕もつられて微笑んじゃった。
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彼の仕事も一段落し、ふと僕に気づいたらしく――「リンゴさん」から声かけてきた。
「きみは……何をしているんだ? その紙は何だい?」
「ああ、これは……『リンゴさん』、あなたを描いたポスターなんですよ。
今日はあなたの生誕祭なんで」
言われて怪訝な「リンゴさん」、ポスター1枚手に取って、まじまじ見ながらこう言った。
「……僕、鏡をあんまり見ないから分からないけど……こんなにハンサムだっけ?
それに今日、僕の誕生日だったのか。初耳だなあ」
まさか当の本人相手に、こんな会話をする羽目に。事実はポスターより奇なり。
すると突然「リンゴさん」、粗末な本を取り出し言った。
「教会の経典は好きかい? ええと、きみ名前は――」
「ジャックです。ジャック・ウォッチャー」
「ジャックか、良い名だ。
何も持たずとも、神の教えがあれば生きていける。
もし経典をじっくり読む機会がなければ、僕の本を貸すぞ」
そう言えば聞いた事ある。「リンゴさん」は信心深く、経典4冊持ち歩いてるとか。
彼は神の教えを守り、清貧旨とし、生涯独身。
「その歳で何故、嫁を貰わないんだい?」あるとき誰かが彼に尋ねた。
「僕は天国で二人の天使と結ばれる事になっていてね。
でも条件がある。地上では結婚しないこと。動物を食べないこと。善良でいること、さ」
彼はあちこち渡り歩いて、戦争中の地域だろうが、どこでもお構いなしだった。
もちろんしばしば拘束される。でも彼の善良な立ち居振る舞い。それらを見て皆、彼を解放するんだって。
ある時なんて、自分を襲った毒蛇を、殺してしまって嘆いたそうな。
「済まない――生き物を殺さないと誓ったのに」
街の人より善良で。野に住む人より自然に暮らす。彼は誰からも慕われていた。
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温厚極まる「リンゴさん」、それでも怒った事はある。生涯たったの一度だけれど。
あるとき街の酔っ払い、「リンゴさん」に向かって言うには。
「アンタが熱心に信奉する経典には、『知恵の実』が出てくるじゃないか。
食べた罪で『始まりの夫婦』が楽園を追放されるっていうアレさ。
アレはリンゴの事じゃないのか?」
それに対して「リンゴさん」、珍しく熱くこう語った。
「馬鹿言っちゃいけない。経典には『知恵の実』がリンゴだなんて、一言も書かれちゃいないだろう。
経典をよく読んでごらん。リンゴに関して11回も肯定的な記述が載っているんだから」
やり込められた酔っ払い、さすがに酔いが醒めたのか、我に返って謝罪した。
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「――すっかり話し込んでしまったね、ジャック。
申し訳ないけど、もう行かなきゃ。次の街でリンゴの木が待ってるんだ」
別れ際、僕はふと気になり尋ねた。
「どうしてリンゴを育てようと思ったんです?」
すると我らが「リンゴさん」、当然のように胸を張る。
「そんなの決まってるじゃないか。リンゴが好きだから、だよ」
リンゴ大好き「リンゴさん」、誇らしげに語る語る。
「僕は子供の頃から、大きなリンゴの実を見るだけで、自然と笑顔になれたんだ。
好きなモノだから育てたいし、広めたい。それ以上に素晴らしい理由が他にあるかい?」
これ以上なくシンプルで――とても素敵な理由だった。
僕は頷き、後ろ姿を見送った。
めでたくポスター全て売り切れ、僕の右手に「リンゴさん」からリンゴの種が。タダ同然で譲って貰った。
さっそく帰って、家庭にでも植えてみようっと。
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数年後。旅の途中で歓迎された「リンゴさん」、寝床を断り野宿した。
その翌朝、地面の上で――眠るように亡くなっていた。たぶん予感がしてたんだろうね。
彼の墓碑にはこう刻まれた。「彼は人の為に生きた」と。
当然だよね。不思議な姿だったけれども、まごうことなく聖人だった。
死後の世界の事なんて、僕にはちっとも分からないけど。
「リンゴさん」なら天国で、二人の天使と添い遂げて、きっと楽しく幸せに、リンゴに囲まれ暮らしているさ。
僕の名前はジャック・ウォッチャー。下層市民の貧乏人。女房子供を養う為に、今日もしがなくお仕事探し。
(第六話 終わり)