第四話 「何も持たない犬賢者」(後編)
数日後。「犬賢者」住む樽の前、白い法服纏った僧侶、数を揃えてやって来た。
「我はエドウッドの街の教義を統括する大司教である!」
最前列にて恰幅のいい、自信に満ちた僧侶が叫んだ。
「迷える子羊から、聞き捨てならぬ訴えがあったゆえ、こうして参った!
『犬賢者』。貴様――常日頃から神を否定し、天国を否定し、我らの信仰を揺るがさんとする大罪人だそうだなァ!」
ポーズ決めつつ声高に宣言するも――周りに集まる野次馬から、ガヤガヤざわめき不穏な空気。
気まずくなった大司教、隣の部下とヒソヒソ話。
「……オイ、どうなってる? 今回の訪問、抜き打ちの秘密裏で進めてたハズだろう!
なのになんでこんなにギャラリーがいるんだ?」
「それが……分かりません。一体どこから情報が漏れたのやら……」
僧侶たち、不思議に思っているようだけど――僕含めここに集まった人々は、情報リークを美女から受けた。
そう。「犬賢者」の講義を聞きに来ていた、例の高級娼婦の人さ。
顔の広さもあるんだろうけど、こういうルートで情報漏洩……いやはや、高潔な聖職者さま達だこと!
「なんじゃなんじゃ騒々しい。
偉いお坊さん方、雁首揃えて何の用じゃい?」
欠伸と共に呑気に出てきた「犬賢者」。相も変わらず小汚い。
「『犬賢者』よ。我らは神を冒涜せし貴様に、裁きを申し付けに来たのだ。
もう少し神妙にしたらどうだ? 我らが神の威光を畏れよ!」
「じゃあ聞こう。あんたらの神は善人かね? それとも悪人かね?」
とぼけた素振りで尋ねる老人。大司教さま顔真っ赤っか。
「貴様ッ……何という無礼な質問を……!
あまねく地上を見守る神が、悪人の訳がないだろうがッ!?」
「ならばワシが恐れる必要はどこにもないのゥ。
何故なら神は善人なのじゃろう? 善人を恐れる必要がどこにあろうか?」
その後も何やかんやと舌戦三昧。
まあこの戦い、最初から勝負ついてるけどね。
「神の存在を否定したと聞いたぞ! 畏れを知らぬ愚か者め!」
「ワシはそんな事言うておらんぞ? もし全知全能なる『神』がおるとしてもじゃ。
そんな完璧な存在が、ワシらのような不完全で出来損ないの人間たちに、そこまで頓着すると思うか?」
「黙れ黙れ! 神を信仰する心に曇りなくば、神は我らに奇跡をお示し下さるのだ!」
「お主らの宗教の経典を読んだ事はあるが……お前さんとこの神さん、ちと人間に厳しすぎやせんかね?
自分を信じぬ者たちに容赦なく罰を下すし、悪魔や魔王などよりよっぽど殺しまくっとるじゃないか」
「貴様、さっきから聞いておれば……我らの信仰すら否定する気かァ!?」
「……やれやれ。誰もそのような事を言うてはおらん。信じたければ勝手に信じるが良い。
ワシは余り意味がないとは思うが……神を信仰して精神の安寧が得られるなら、それを邪魔立てする気はないからのゥ」
そもそもがして、皮肉屋としても知られる「犬賢者」。正直相手が悪すぎる。
頭に血が昇っていては、勝てるモノも勝てやしないよ。
もしもギャラリー少なかったなら、問答無用で引っ立てられてたかもしれない。
しかし生憎衆目の中。説法商売してる身としちゃ、口で勝てなきゃ権威ガタ落ち。僧侶やるのも大変だ!
僕はふと人混みの中、プルートさんの姿に気づいた。
「……やっぱり『犬賢者』さんの事、心配だったんですね」
「勘違いするな。私の忠告を聞き入れなかった男がどんな風に抵抗するか、見に来ただけだ」
肩幅いかつい哲人プルート、口調はきついが表情は緩い。
「……そういう割には、何だか嬉しそうですよ。プルートさん」
「そんな事は断じてない。
……ま、普段から偉そうにしてる坊主どもの醜態は、ちょいとばかし胸がすくかな」
僕らが話す間にも、僧侶と賢者の舌戦続く。
「ええい……こちらが下手に出ていれば、よくも偉そうに!
聞く所によれば貴様、人目も憚らず自慰行為に及ぶそうではないか!
貴様のような快楽主義者に、決して天国の門は開かれぬと知るがいい!」
「自慰行為はいいぞ? 右手だけで手軽に幸福が得られ、性欲も満たされる。金もかからん。
食欲もこれぐらい、手軽に満たせればどんなに良い事かと思うがのゥ」
言ってる事は正しいような……でも何かが違うような?
「それにお主らの言う『快楽主義者』とは、金に飽かして贅沢する者の事であろう?
ワシはこの通り、樽の中で犬のように暮らしておる。
お主らのような太ましいお坊様より、よっぽど清貧に暮らしておる自負があるがのゥ!」
痩せっぽちの腕を見せつけ、恰幅のいい僧侶ら絶句。
群衆たちから笑いと共に「そうだそうだ!」と囃し立てる声、ひっきりなしに上がってくる。
「ぐぬぬ……小賢しい民衆どもめ。だから私は図書館の一般開放には反対だったのだ。
大衆が知恵をつけたら、我らの思い通りに導けぬではないか!」
大司教さま。本音ダダ漏れですがな。
「『犬賢者』よ。貴様がいくら大衆を扇動しようが、神は行いを見ておられるぞ!
お主の細腕と薄汚い舌ごときでは、我らの信仰、決して曲がらぬと知れ!」
「……ほう。それは面白い事を言う……んッ!?
見よ! そなたらの後ろに、たわわに実った果実の如き胸持つ、瑞々しい美女がッ!」
指をさし、奇声を発する「犬賢者」。大司教は眼を見開き、思わず後ろを振り向いた。
「……誰もおらぬではないか」
「ほっほほ。見たか皆の衆! わしの細腕と汚い舌で、偉いお坊様の首を捻ってやったぞ!」
これには居合わせた一同、どっと吹き出し大爆笑。
大司教らは顔真っ赤にし、怒りに震え怒鳴り散らした。
「おのれ『犬賢者』! 今日の所はこのくらいにしといてやる!
覚えておれ。後で絶対、吠え面かかせてやるからな! 犬だけにッ!」
上手い事言ったつもりかな?
「フン。お前の今やっている事を何というか知っておるか? 『負け犬の遠吠え』じゃ。
これではどっちが犬だか、分からんのう!」
一同再び大爆笑! 皮肉においても「犬賢者」、大司教より数枚上手。
僧侶たち、大恥かいて退散し。ギャラリーからは拍手喝采。
やれやれ安心。大事に至らず良かったよ!
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結局のところ大司教たち、リベンジの機会訪れなかった。
というのも――あれから一週間の後、知れ渡ったは「犬賢者」の死。スラムの皆が悲しんだ。
死因はよく分からずじまい。「タコを食べ腹を下した」とか、「犬に足を噛まれた」だとか、「息を止めていたらそのまま窒息した」だとか。
噂が飛び交い、何が何だか分からなかったよ。
「ワシが死んだら、遺体はその辺適当に捨ててくれ」
とか言ったらしいけど、彼を慕って人が集まり、立派な葬儀を上げるに至った。
一番激しく嘆いていたのは、やっぱり哲人プルートさん。仲良く喧嘩してたんだなぁ。
もちろん僕も参列したさ。期間は短かったけど、僕も一応彼の弟子だし。
参列者の中、書物を抱いて号泣する三人の男たちがいた。
熱心に教えを聞いてた弟子たちらしい。
「貴方様の教えに従い、立派な君主の在り方を説いて見せましょう」
「貴方様の叡智を科学探求に活かし、神の作りし世界の謎を解き明かしましょうぞ」
「貴方様の理念を尊び、信仰と自由が両立できる国を、必ずや作り上げてみせます」
皆さんすごく立派だこと! 夢が実現できるといいね。
(自由もいいかもしれないけれど――やっぱり好きだから、しがらみを選んじゃうんだよね。
そういう不自由も、きっと決して悪くはないさ)
僕の名前はジャック・ウォッチャー。下層市民の貧乏人。女房子供を養う為に、今日もしがなくお仕事探し。
(第四話 終わり)