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第四話 「何も持たない犬賢者」(前編)

 僕の名前はジャック・ウォッチャー。下層市民の貧乏人。女房子供を養う為に、今日もしがなくお仕事探し。

 ……といつもは語っているけれど、今回の僕は失業中。

 なかなか仕事が見つからず、ひとり貧民街(スラム)を歩いてた。


 川縁(かわべり)に差し掛かった時、樽の中から声がした。


「おーい、ジャック! 何しとるんじゃ。

 最近顔を見せなんだが、ずいぶんシケた面しとるのぅ」


「これはどうも……賢者さま」僕はぺこりと頭を下げた。


 樽から現れ出でたる老人、身なりはボロボロ、髪はボサボサ。どっから見ても浮浪者だ。


「そんな畏まらんでええ! 皆ワシの事を『犬』だの『樽』だの、好きに呼んどる!

 馬鹿にするのは許さんが、へりくだられてもむず痒いわい!」


 樽を寝床に暮らす老人、巷のあだ名は「犬賢者」。

 その経歴はハッキリしない。罪を犯して追放されて、一時(いっとき)奴隷に落ちぶれたとか。

 ところが奴隷にされた時、ご主人様に聞かれたそうな。


「貴様は一体何ができる? 何が得意だ?」

「私は人を支配する才能がございます」


 普通なら大言壮語で終わるところを、問答明瞭、威風堂々。ひとかどの大人物に違いない。

 才を見抜かれ、奴隷を脱し。教師としての教鞭を取り、学者や名士を輩出す。

 多少皮肉屋ではあるが、頭脳明晰「犬賢者」!


「……何度聞いてもビックリなんですが。

 そんなスゴイお人が何で、スラムの樽の中で暮らしてるんです?」

「ポリシーじゃ! 人は欲望に囚われちゃならん。

 物などできるだけ持たず、清貧に暮らす事で幸福に繋がるのよ」


 そんな彼の信念のもと、犬同然の暮らしをするから「犬賢者」。

 樽の中身を覗いてみると、ものの見事にすっからかん。


「以前持っていたコップ、どうしたんです?」

「叩き割った。手で水をすくって飲む子供を見たからな」


「皿もないみたいですが……食事とか大丈夫です?」

「そんなモン、固まったパンで十分よ。スラムの暮らしはいいぞ、ジャック。

 コップや皿なんぞ持たなくても、人間は生きていけると教えてくれる!」


 確かにそうかもしれないけれど、女房子供もいる身としては、こんな生活ご勘弁!

 ……もっとも、このまま仕事が見つからないと、僕も「犬賢者」の仲間入りかな?


「……そうかそうか。前の仕事をクビになったのかジャック。

 なら暇じゃろ! どうじゃ、ワシの講義を聞いていかんか?

 もちろんカネなど取らぬ。決して損はさせんぞい」


 僕は少々迷ったけれど、「犬賢者」の話を聞くのは好きだ。

 周りを見ると、ぽつぽつぞろぞろ、人がいっぱい集まってくる。

 浮浪者同然「犬賢者」だけど、これでも人望すごいんだよね!

 貧民街(スラム)の人たちのみならず、役人や貴族だけでなく、学者もこっそり聞きに来るほど。


 黒山の人だかりにて、「犬賢者」の談、始まりはじまり。


**********


「モノを細かく砕いて割っていくと……やがて重さのない『点』となる。

 陽の光に照らされた(ほこり)を見た事があるじゃろう?

 あんな風に『点』となったモノは、勝手気ままに動き回るんじゃ。

 ワシはコレを――『原子(アトム)』と名付けた」


 「犬賢者」、講義の内容分かり易くもスケール大きく、他所では聞かない新鮮さ。

 モノの根源、水や火などに例える話はよく聞くけど、埃というのは初耳だね。


 ()の「犬賢者」のお話も、教会とかじゃ教えてくれない、常識外れなものばかり。


「生き物っちゅーのはな。子々孫々に下るにつれ、環境に適した肉体を得ていくのじゃ。

 よく使うモノは発達して大きくなり、使われなくなったモノは縮んで、無くなってしまう。

 ゆえにワシは、よく右手を使ってムスコをこする。無くなっては困るからのォ!」


 時折下ネタ交えては、皆を笑わす「犬賢者」。これも教会じゃご法度だ。

 やがて賢者の講義は終わり、皆感激し、礼を言っては去っていく。

 人によっては授業料と、食べ物差し入れ残していく。


「やれやれ……せっかくだから受け取っておるが。こんなに沢山食べきれんわい。

 食欲満たせば幸せになる。じゃが度が過ぎれば、むしろ苦しい。

 適度に欲望を満たす事こそ、最も肝要なのじゃがなぁ」


 「犬賢者」ふと、最後に残った僕を見るなり、ニヤリと笑う。


「そうじゃジャック。ここにある食べ物、女房子供に持っていってやれ。

 何なら隣近所におすそ分けするぶんも、持ってっていいぞ」

「そんな……! 悪いですよ。これは賢者さまの報酬なのに」


「食べ物をくれなどと、ワシゃあ一言も頼んどらん! あいつらが勝手に置いてったんじゃ。

 ワシひとりじゃ腐らせちまう。助けると思って、引き受けてくれんか?」


 そこまで言われちゃ、僕も断り切れなかった。

 「犬賢者」にしてみれば、仕事探しに行く僕を、引き留めた詫びのつもりかもね。


「おお、ありがたい! ではジャック、またな。

 ワシゃあこれから、用事があるでのゥ」


 「犬賢者」、指さす先には別嬪さん。街一番の高級娼婦。そういや講義を聞きに来ていた。


「えっ……あの人とデートですか? お金は大丈夫です?」

「ワシの講義への対価じゃよ。一晩の花代ぐらいにはなるそうじゃ」


 助平面して「犬賢者」、ウキウキしながら美女の下へと。

 う、羨ましくなんかないんだからね!


**********


 ある日のこと。「犬賢者」暮らす樽の前、男がひとり怒鳴り込んできた。


「聞いたぞ『犬賢者』! 私の持論をバカにしたんだってな!

 言うに事欠いてこの私、哲人プルートの『イデア』世界をこき下ろすなど……!

 教会にも認められた、権威ある思想なんだぞォ!?」


 肩幅がっしり、背丈はのっぽ。人呼んで哲人プルート。貴族出身の著名な学者だ。

 でもその見た目、学者というよりスポーツ選手。これじゃ「哲人」じゃなくて「鉄人」だよ!


「フン。何が『イデア』じゃ……確か彼岸の彼方にある、何もかも完璧な世界じゃったか?」

「ああそうだ! 我々が様々な形の円を全て『円そのもの』と認識できるのも!

 色や毛並みの違う猫を全て『猫そのもの』と認識できるのも!

 完璧なる『イデア』世界の、完璧な円や猫の記憶を持って人が生まれるからだ!

 現実世界が不完全で争いが絶えぬのも、イデアを模した歪な世界であるがゆえなのだ!」


 言葉の意味はよく分からんが、とにかくすごい自信だ哲人プルート。

 「犬賢者」、呆れて嘆息答えて(いわ)く。


「まだるっこしい上に抽象的じゃのう。

 何度も言っておるが、ワシはこの目で見たモノしか信じぬ。

 どうしてもワシに『イデア』を信じて欲しくば、今ここにそのイデア世界とやら、持ってきて見せるがいい!」

「ぐぬぬ…………!」


 話に聞いてはいたけれど、「犬賢者」と哲人プルート、実にすこぶる仲が悪い。

 事ある毎に口論しては、互いを指さし(けな)し合うんだ。


 ある時哲人プルートが「二本足で歩くのが人間である」と語った時。

 「犬賢者」、(ニワトリ)捕まえこう言った。


「こいつも二本足で歩いておるが、プルートに言わせれば『人間』らしいのゥ!」


 そこでプルート、「二本足かつ、羽を持たないのが人間だ」と訂正した。

 すると「犬賢者」、捕えた(ニワトリ)羽をむしって、さも可笑しげにこう続けた。


「つまり羽のない(ニワトリ)も人間という事かのゥ?」


 随分な揚げ足取りもあったもんだと思うけど、一事が万事この調子。


 ところが今日のプルートは、怒り狂うと思いきや――突如表情(たい)らかになり、真摯(しんし)な口調でこう告げた。


「……私をバカにするだけならまだいい。だが今回ばかりはマズイんだ。

 アンタの唱えた学説が、教会の大司教どのの耳に入った。

 アンタの説は、神を否定し、死後の世界――天国と地獄を否定し、人々の信仰と道徳を脅かす危険思想だとさ。

 このままじゃアンタは教会に身柄を拘束され、異端として火あぶりにされてしまうぞ!」


「そいつらは、ワシの講義を聞いた事がないんじゃろうな」

 やれやれと「犬賢者」、呆れ顔して鼻で笑った。

「ワシゃあ神も、死後の世界も否定なぞしとらん。

 見た事がないから、あるかどうか分からん――そう言うておるだけじゃ。

 教会の連中が勝手に信じ、吹聴する分には、何の文句もないんじゃがの」


「アイツらはそんな風には捉えない。自分の教義に従わない奴は敵なのさ」

 プルートは血を吐くように言った。

「私は『イデア』世界を、教会の言う天国と地獄になぞらえる事で、どうにか事なきを得た。

 そうでもしなきゃあの連中、私や私の弟子たちにどんな嫌がらせをしてくるか……!

 『犬賢者』。アンタの事はいけ好かないが、その知識や見分は、私も大いに尊敬してるんだ。

 だから頼む! 逃げ延びてくれ……アンタほどの男、ここで死なせるのは惜しい」


 いがみ合いつつも哲人プルート、「犬賢者」のこと認めてたんだね。

 すると我らが「犬賢者」、溜め息ついて首を振る。


「ワシの住処はこの樽よ。今更どこへも行けやせん。

 奴らがワシを殺すというなら、この舌で精一杯、抗ってみせようではないか」


 プルートも、それ以上は二の句が継げず。


「お主も大変よのう。なまじ教会なんぞに認められ、大勢の弟子の生活を考えにゃならんが故に、それが足枷となっておる。

 一度ワシのように、何もかも捨てて自由になってみたらどうじゃ? しがらみに囚われぬ解放感が味わえるぞ!」

「……アンタはそれでいいのかもしれんが、生憎と私はそういう訳にはいかない。

 忠告を無視するというのなら……もう勝手にしろ!」


 彼は吐き捨てるように言い、肩いからせて去っていった。



(後編へ続く)

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