ほたるのひかり
嫁にお題を出されたので。
あえて性別書いてないので、好きな組み合わせで楽しんでくだされば。
「蛍を見に行きたい」
そんなことを言い出したのは、どちらの方だったのか。
とにかく、私たちは一念発起して、蛍を見に行く運びになった。
理由なんてなんでもよかった。だって私たちは恋人同士で、デートのための理由なのか、理由があるからデートするかなんて、もはや曖昧なのだから。
「夜、涼しいね」
都会から離れて、山深くの道の駅。
車で結構な時間がかかってしまったけど、学生は暇だ。あるいは、暇を作るのか。
地に足をつけてみれば、舗装の甘い道路の感触。鼻につく独特の香りは、若い竹のものだった。
「うーん、竹くさい……」
「あ、竹のにおいなの、これ」
「うん。昔、おばあちゃんちで嗅いだ」
懐かしさが嗅覚に触れてくることを感じながら、私は相手に手を伸ばす。
自然とつながりが生まれて、私たちは、『誰が見ても恋人ですよ』というふうに、歩き始めた。
「えへへ……」
「なに、嬉しそうにして」
「ううん。手を繋いでくれるの、慣れてくれたなって」
「……今も、少し恥ずかしいよ」
ぎゅ、と照れ隠しをすれば、返ってくる力は優しい。
自分がだけが恥ずかしがっているような気がして、私はどうにも納得がいかないものを感じながら、先に歩く。相手がしっかりとついてくることは、もう知っていることだ。
デートの前の下調べで、蛍が飛ぶ場所や時間帯は分かっている。時刻は夜の八時過ぎ。絶景を見逃さないように、私たちは川辺を目指した。
「なんかもう、歩くだけで面白い!」
「そういうものかなぁ」
「うん。だっていつもの都会とは空気が違うし。風の温度も、雲の高さも違うよ!」
「……ああ、そうかも」
言われてから、そのことに気付いた。
ここに来て、私が感じていたのは足の裏の感触と、竹林の匂い。
だけど相手が感じているのは、雲の高さや、風の温度だった。
ふたりいれば、違うモノを見ている、感じているときもある。
疎外感ではなく、新鮮さを感じながら、私はなんとなく歩調を緩めた。
既に日は落ちて、月は明るい。蛍はきっと飛んでいる。だから、隣で手を握っている人が言った雲や、温度を、のんびりと感じてみたいと思ったのだ。
「あ、もうすぐ見えるよ。あそこ、絶好のスポットらしいよ!」
「あー、うん。そんな感じするね」
恋人が指先で示す場所には、既に大勢の人が集まっていた。
家族連れや、ひとりでカメラを構えている人、そしてカップルたち。
人間の気配に誘われるようにして橋に近づいて、私は言葉を失った。
「っ……!」
田舎らしい、夜の川辺の景色なんて、一瞬しか目に入らなかった。さわさわとした川のせせらぎも、ほんのひとときで忘れてしまった。
ふわり、ふわり。橋の向こうに、たくさんの薄緑色の輝きが浮かんでいる。
光りは強くなったり、弱くなったりしていて、まるで心臓の鼓動のようだった。
生き物が光るなんてまるで冗談のようで、この世のものではないような印象すらあるけれど、目の前で浮かぶ無数の輝きは紛れもなく、命を燃やす光りだった。
儚くて、力強くて、麗しくて、切なくて、終わるようで、永遠に焼き付きそうな光。
この感覚を、目の前の景色を、なんと呼べば良いのかすら困ってしまうほど、息が詰まる。
ああ、でも。胸の奥から湧き上がってくるこの感覚が口に出せるなら、たったひとつだ。
「綺麗」
「きれいだね」
お互いに同じ言葉をこぼしたことに、違和感はなかった。
だって、こんなの、綺麗ではないか。
いくつもの言葉を重ねることができても、どれほど心が揺さぶられているとしても。
隣にいる人には、その一言で通じるのだ。
「すっごいねえ……」
ふわふわと浮かぶ、命の色をした光たち。
そのどれに目を向けていいか分からないままで、私たちは立ち尽くした。
見えている景色は、暗闇の中で薄緑色が舞う、ただそれだけ。だというのに、目が離せない。
じん、と頬が震えて、手指にこもった力が自然と強くなる。
相手が同じように、手の結びを強くしてくるのは、私に応えてくれているのか、それとも隣のこの人も震えているからなのか。
そこまでは分からないけれど、今、私たちは同じものを見ている。それがなんだかすごくくすぐったくて、悪い気持ちではなかった。
「あ、飛んできた」
「え……わっ」
ふわりと、風に運ばれるようにしてやってきた薄緑色に、私は反射的に手を伸ばしてしまった。
手のひらに乗った感触はくすぐったくて、この光が、蛍が、間違いなく生きているのだと分かる。
「あっ」
という間に、蛍は再び飛び立った。
まるで明滅する光のように、淡い触れ合い。
どこか切なくなる気持ちだけを置いて、蛍の光は群れの中へと飛んでいく。ふらふらと、けれど確かに。
「……飛んでいる蛍って、オスなんだっけ? 光るのってオスだけ?」
「メスも光るけど、葉の影でじっとしてることが多いらしいよ」
「ふぅん……」
では、今飛んできた子はオスなのか。
私はもう一度光の群れを見て、ため息をついた。
「ああやって、恋の相手を探してるんだね」
「あ、今のはロマンチックだった」
「うるさい」
柄にもないことを言った。しまったと思ってついつい、恥ずかしさから逃げるようにして睨むと、相手は微笑んでいた。
「……なに?」
「ううん。きれいな光だなって、思っただけ」
「うん。蛍、綺麗だよね」
「ああ、いや……そうじゃなくて。君が」
「へっ!?」
ついついおおきな声を零してしまい、いくつかの視線がこちらに向く。
気恥ずかしくなって相手の身体をはたくと、いたっ、という言葉が漏れた。
「あれは蛍の光だったんだな」
「なにがよ」
「君をはじめて見たときに、もっと見たいと思った。目が離れなくて、釘付けになって……なんというか、輝いて見えたんだ」
嬉しそうに、なにか大切なものを得たような顔でそう語る相手の顔を、私はつい、夢中で見つめてしまう。
「? どうかした?」
「ううん、なんでもない」
いつからなんてもう分からないけれど。
あなたも、私にとっては蛍の光だ、なんて。
そんなことを言ったらまたこの人は嬉しそうに笑うから、きっと私の心臓が保たなくなってしまう。
蛍の光のように、浮かんでは沈む気持ちを、私はややこしいと思いながらも、受け入れた。
「……うん」
蛍のように、なにも言わなくても伝わるだろうかと思って、私は相手の手を強く握った。
あなたが私のことをきれいだと、そう言ってくれるように。
きっと私も、輝くあなたを見つけたのだ。
「きれいだねえ」
「うん、ほんとに綺麗」
なにがなんて、言うまでもなく。
私たちは長い時間、揺れ飛ぶ光を見つめていた。