断絶のクロニクル⑤
――お前が生きているときに、俺が死んだら、その時は……。
そう言ってあいつは笑ったんだ。
悲しそうに、けど、限りなく近いであろう未来を見据えて。虚ろな目で、笑っていたんだ。
とある荒廃した国。
過去の過ちにより、自然の恩恵がほぼ皆無なそこは、当たり前のように身分差があった。
まき散らせる程、金を持つ者は、当たり前のように政治を牛耳り、甘い蜜ばかり啜っているのに対し、下の身分の者達は、明日の食事すらままならない状態だ。
そんな国だからか、沢山の家がない者が寄り集まって暮らす、スラム街というものがあちらこちらに顕在していた。それは大小様々で、その中でも大きいと称されるスラム街は、普通の国と同じくらいの大きさにもなっている。
スラム街の中には、決して政府の手が入ることはない。言わば、無法地帯だ。何をしても、どんな事をしても、全て許される。そんな場所だ。
お陰で、スラム街には暗殺者や暴力団がかなりいる。中には、政府の息がかかった者もいるというのだから、呆れてしまう。
そんな中でも、密かに名が売れた暗殺者がいた。闇夜に紛れ、確実に獲物をしとめ、後など残さない今世最高と称される殺し屋。
名のない彼に付けられた通り名は、鴉。しかし、その姿を見た者はかなり少ないと言われている。
そんな伝説に近い彼が、なんで自分の前にいるんだろうか? 目の前の人物を見ながら、ぼんやりと少年は考えてしまった。
ここは、中級階級の人達が住む街だ。本来なら、自分達のような下の者が入れる場所ではない。
そんな彼らがこの場所にいる理由は、殆どが罪になることをするためだ。例に漏れず、少年も今回はこの近くにある宝石店である宝石を狙って仲間と侵入した。
けど、向こうの方が一枚上手で……。仲間は全員撃たれた。きっと、自分を助けてくれた、リーダーであり、お人好しのあいつも。
「ねぇ、あいつは、どこ?」
「へ?」
「お人、好し」
「あっちに……けど」
「良いの」
何が良いのだろうか? 少年の中で渦巻いた混乱と疑問が、逃避するかのように、今の状況を覆い隠そうとしている。近くから聞こえてきている怒声や銃弾の音、噎せかえるような血の臭いまでもを聴覚が、嗅覚が、視覚が伝えてこなくなりそうだ。
その中でも、やけに目の前にいる飴色の瞳が場違いのように存在感を醸し出していた。その場だけ全ての空間から切り離され、取り残されてしまったのではないだろうかと錯覚してしまう。
1分、いや一瞬だったかもしれない。交じり合っていた視線はふいに反らされた。
「いたぞ!」
背後から聞こえたのは、自分を追い掛けてきたらしい男の声。彼のスーツに付いた血が、やけに鮮明に視界に写ったのは気のせいだろうか。
いや、気のせいではない。だってあれは、一緒に盗みに入った奴らの生命の源なのだから。
「邪魔」
ふいに鴉がそう言った。瞬間、彼の姿が目の前から消えた。え? と思っている間に響いたのは、絶叫とこの場の空気に上書きするかのように広がった鉄の臭い。
少年は、ゆっくり振り返った。そんな彼の視界に映ったのは、血だまりに倒れた男と、その彼からでた血に濡れたナイフを持った鴉。電灯の光を受けて、血に濡れていない部分の刃が乱反射してて正直、綺麗だと思ってしまった。
鴉は何も言わずに、騒ぎを聞きつけて駆けつけた、男の仲間らしき者達を殺していく。そこに感情など一切ない。ただ黙々と致命傷を与えていくだけ。
彼の歩いた後には、紅が広がっていく。まるで、彼が歩んできた道を見ているような錯覚に陥った。
「待てよ!」
ぼんやりとしていた少年は、慌てて鴉を呼び止めた。振り返った彼の瞳には、やはり何も浮かんでいない。冷たい飴色がとても恐ろしく、また美しかった。
「なに」
「俺も行く」
「邪魔」
「俺の事は、いないものだと思えばいい」
「……勝手に、すれば」
さっさと行ってしまう鴉の後を、少年は慌てて追い掛けた。銃弾を避け、持っていた釘バットで男達を殺していく。まぁ、殆どの奴は鴉の手で殺されたから、少年自身はそこまで殺していないが。
周りに死体しかなくなった頃、鴉はとある場所でしゃがみ込んだ。その視界にあるのは、無残な姿になったお人好し。瞳孔が開かれたままの青色の目が、彼はもう生きてない事を意味していた。
少年は、吐き気を覚えて、口を押さえる。この壊れた世界では珍しく、お人好しで、唯一自分が心を許していた人物。その人の死がこんなにも辛いものだとは思ってもみなかった。
「……馬鹿だな。本当に」
そう言ったのは、鴉。しかし、その言葉に嘲るような響きはない。どちらかと言うと、泣きそうな声音だった。
鴉はそっと見開かれたままの彼の瞳を閉じると、耳へと手をやる。そこにあったのは、彼の瞳と同じ色の青色の石が嵌まったピアス。いつも彼が片時も離さず付けていたものだ。
それを取った鴉は、自分の耳にしてある、紅色の石が嵌まったピアスの横に躊躇いなく刺した。白い肌に垂れる赤がとてもアンバランスなのに、綺麗だった。
「じゃあね。良い、夢を」
鴉は踵を返す。もう用など無いかのように。それには、流石の少年も叫んだ。
「このままほっとくのかよ!」
あの状況を見ると、鴉とお人好しが知り合いなのは分かる。なのに、なんで死体をそのままにしとくのだろう? このままではいい見せ物だ。そんなの絶対にあってはいけない。
「別に、関係、ない」
「嘘だ! こいつと知り合いなんだろ、ならなんで」
「君、馬鹿?」
さっきのとは違う、蔑む音が混じった言葉。それは、氷の刃のように鋭く尖って少年の胸を突き刺した。
「な……」
「俺は、死体、愛好、家、じゃないし、カニバ、リズム、でもない。それに、此処に、来たのは、ただ、約束、を、守るため」
「約束……?」
「君には、関係、ない」
「関係なくなんかない!!」
大声で叫んだ少年に、鴉は目を見開いた。今日はじめ見た彼の表情だった。
けど、それに気付かず、少年は続ける。
「こいつは、俺を庇って死んだんだ! 右も左も分かんなかった俺を拾って、こんな自分で精一杯な世界で俺の事を気にかけて、いつも笑ってくれたんだ。大丈夫、俺がいるよって。あいつがいたから、俺は今ここにいるんだ。そんな大切な奴を、まるでそこら辺にあるゴミみたいなことを言われて黙ってられるかよ!!」
「……君も、こいつに、似てるね」
本当に、お人好しの馬鹿。そう言われて、カッとしたが、その怒りは、次の言葉で跡形もなく消えた。
「けど、失いたく、なかった」
「え?」
「あいつの、笑顔に、救わ、れたのは、何も、君だけ、じゃない、よ」
「お前」
「なんで、こうも、俺の、大切な、ものは、ほんの、少し、手が、届かない、で、零れて、くんだ」
涙は流してないが分かった。鴉は、お人好しの死を、自分以上に悲しんでいると。
「墓は、作ら、なくて、良いって、言われた。死体も、放って、置いて、って。その、変わり、約束、した――」
『俺が死んだら、このピアスあげる。出来れば死ぬまで身につけといて欲しい。その変わり、俺の為に泣くなよ』
少年は目を見開く。自分も言われた。けど、意味は全く逆だった。少年は、彼に『出来れば、少しでも泣いてくれると嬉しいな』と言われていたのだ。
その時の彼は、冗談混じりの声音で笑っていたが、目は虚ろで。とても悲しかったのを覚えている。
「俺は、泣けない。約束、は、破れ、ない」
ふと、鴉の視線がこちらを向いた。無機質な飴色の中に、しゃがみ込んだ自分の姿が映る。
「だから、我慢、しないで。君だけ、でも、彼の、為に、涙を、流して、あげて」
「っ!」
耐えきれなかったように、少年は、鴉の懐に飛び込んだ。そして、彼の服にすがりついて泣いた。わんわんと声を上げて、泣けない目の前の彼の分まで補うかのように――。




