じゅう きゅう
仕草にいちいち品があると、そこはかとなく感じてはいたが、それもそのはず。マキは紛れもなく、高貴な生まれだったらしい。
しかも、最上級に。
いわゆるご落胤だ。
そしてヴィルバートによって一応ちきんと座らされたルチカの眼前に立つのが、マキの父親で、リュオール国王。
そこまで顔は似ていないが、纏う雰囲気だけは同質のものだった。
「内緒だよ?」
茶目っ気たっぷりにウインクをされて、これは好機とばかりにルチカは口を開いた。
「この本をください」
次の瞬間、横から思いきりはたかれた。
恋人にするものではなく、上司が部下を叱るとき並みに容赦がなかった。
「口を慎め!」
本気の叱責を受けても、ルチカが口をつぐむことはない。
「そんなことをしたらわたしの個性が死にますよ。……わかりました。言い方を変えます。この本をくれるのなら隠し子の存在を内緒にしておきます」
「なっ……!?国王を脅す気か!?」
ぞっと血の気を引かすヴィルバートとは対照的に、ルチカは平然として国王を見上げていた。
彼がマキと似た笑みを、深めるまでは。
「その髪の色……懐かしい。リタ国王に散々自慢されたことが、まるで昨日のことのように思い起こされる。″俺の一番可愛い、銀白桃の愛――″」
「本は返却します!マキさんのことも内緒にしておきます!ですからリタにだけは売らないでください」
ルチカは素早く本を床へと置くと、借りてきた猫のように口を閉ざして俯いた。
ヴィルバートが不審がるほど、ルチカは神妙に控える。
リタ国王と旧知の仲ならば、下手を打てば捕らえられて返還されてしまうだろう。
本のありかを知っていれば、いつか再び手にする機会が訪れる。
背に腹は変えられない。
――――リタにだけは、戻りたくはない。
その心情を汲んだのか、王は一つ頷いた。
「リタ国王に、恩も義理もないから安心していい。それに、彼を喜ばせても面白くも何ともない。君がいなくなった後の、あの慌てぶりと憔悴しきった顔を思い出すだけで……ふっ、一生笑いには事欠かないからね……ふふっ」
もしかすると彼は、マキ以上に意地悪な性格かもしれない。
あのどうしようもない男がどうなろうと、ルチカの知ったことではないが。
「それにしてもまさか、ヴィルバートが幼女趣味だったとは」
国王はからかいの眼差しをヴィルバートへと向けたが、彼は無謀に突っかかることはなかった。
変わりにルチカが、猫かぶりを止めて口を開いた。
「これで謎は全て解けました。国王が失礼なので、この国の国民はことごとく失礼なんですね」
「いいではないか。ヴィルバートがその粗末な体が好みだというのなら。下手に豊胸などしたら、嫌われるかも知れぬよ?」
その考えはルチカにはなかった。
が、しかし。聞き捨てならない一言に、ルチカは心の底へと暴言を吐いた。
(鬼畜王め!いつかぶっ飛ばすっ……!!)
ぶるぶると怒りに震えるルチカを宥めるように、ヴィルバートが肩を引き寄せる。
「しかし、よく考えると以外でも何でもない組み合わせだったか……。こんな地下の書庫で睦み合わなくとも、部屋ならばいくらでもあるというに」
「睦み合っていた訳ではなく、閉じ込められておりました」
ルチカを抱くヴィルバートの腕に、力がこもった。
「閉じ込められて、ね。――――ここは、誰に?と聞くべきか?」
「はい。閉じ込めたのは別の人間ですが、裏で手を貸していたのは……あの男です」
屈辱を押し殺して告げたヴィルバートを、国王は不思議と初めから知っていたかのように一つため息をついた。
「上も面白いくらいに手酷く引っ掻き回してくれたが、自分の息子まで手にかけるとは。――――まぁ、復活祭の薔薇が全て黒く染まった光景は、なかなかに壮観ではあったのだが」
ヴィルバートが、ルチカの横で息を呑んだ。
彼は驚愕に声も出ない様子だ。
しかし反対にルチカは沈黙を決め込み、密かに首を捻っていた。
ルチカの代わりに復活祭に色彩師として出席するつもりだと明言していたというのに、何か状況が変わったのだろうか、と。
(それに……)
ルチカは王の様子を窺い、眉を顰めた。
国を治める王だとしても、もう少し慌てる素振りを見せてもいいのではないか。
ルチカの疑いの眼差しをさらりと受け流し、王は飄々と話を続ける。
「代わりの薔薇は時間的に用意不可でね。いくら箝口令を敷こうと、白薔薇が黒薔薇に変わったなど、噂にでもなれば悪王の再来だ何だと争乱になりかねない。不利を被るのは――――ヴィルバート、おまえだよ」
刹那、ふっとヴィルバートから表情が抜け落ちた。
実の父親からの仕打ちに、怒りを通り越して考えが追いつかなくなったのだろう。
王はあくまで穏やかな口調ではあったが、ヴィルバートを非難しているようにも聞こえた。
「それで、どうする気なんですか?」
ルチカがむっとして、やや横柄に尋ねると、間髪入れずに思いがけない言葉を返された。
「どうすればよいものか、進言してくれてもいいよ。――――偽色彩師さん」
敬意を込めてにこりとされたが、その呼称は戴けない。
しかし有事でありながら、やけに平静に話をしていた違和感はこれで納得がいった。
まず、間違いなく、上にマキがいる。
ルチカを偽色彩師だなんて揶揄するのは、その世にマキぐらいしかいない。
つまり、二日酔いを振り切り、皆でルチカとヴィルバートを助けに来てくれたのだ。
ここにいることも、おそらく了解済みなのではないか。
それでも彼らではなく、王自らが何食わぬ顔をして出向いて来たのは、公式ではない交渉のためだったのだろう。
マキの父親という立場で親しみを持たせ、このままではヴィルバートに害があるような物言いをし、ルチカが断らないように計算して攻めてきた。
偽色彩師もとい、復原使である、ルチカを。
何を要求されているのかは、考えずともわかる。
「……正直に言えば、わたしには荷が重すぎます。それでもいいのなら……努力だけはします。その代わり、ご褒美にこの本をくれますか?」
ルチカが尋ねると、王は本を一瞥してからまた無邪気にウインクをした。
「滞りなく、復活祭が終わればね」
「わかりました。空腹を満たしてから始めます」
王の見えない陰で、ヴィルバートに軽く小突かれた。
激励だと思うことにして、ルチカは凝り固まった背筋を、ぐぐっと伸ばした。
♢
地上はまるで終末とでもいうかのように、悲嘆に暮れた人々で溢れ返っていた。
王の姿を見てはっと姿勢を正す者たちは、その背後についていくヴィルバートには酷く冷たい眼差しを向けるので、一人ずつぶっ飛ばしてやろうかと思いながらルチカは後に続いた。
しかしそんなことを考えているとは露知らずに、欲を孕んだねっとりとした視線が寄越す人も多々おり、ヴィルバートが苦肉の策で上衣をルチカの頭へと被せた。
「犯罪者の護送みたいですよ」
「手錠がないからそうは見えない」
「ヴィルは蛇に噛まれてますし、病院に行ったらどうですか?皆に見られずに済みますよ」
「見届けたら大人しく従う」
そんなことをひそひそと話していると、王が帽子を二つ持って来るように側仕えの者へと命令した。
外へと出ると辺りは薄暗く、今が夜明け前であることを知った。
そして人海戦術で黒薔薇は包囲されており、そこで、マキの姿を発見したルチカは、だっと走り出した。
向こうも気づいたのか、ほっとしたような表情をしている。
「マキさんが来ないと助けられた気分になりませんよ!」
ルチカは傍へと駆け寄り、開口一番にそう言うと、マキはよしよしと上衣の上から頭を撫でた。
「こうして二日酔いを押して、助けには来ただろう?二人を閉じ込めた侍女もすでに捕らえて護送した。最後のおいしいところだけは、取られたけれど」
最近すっかりと仲良しになった二人の間に、ヴィルバートがずいっと割り込む。
「俺のだ」
そう宣言され、ルチカはぱっと破顔した。
「何だ、すっかり仲直り?例の妹がどうとかいう、変な誤解は解けたのか?」
マキはヴィルバートが何に悩み、ルチカを避けていたのかを、知っていたような口ぶりだった。
しかもそれが誤解だと承知の上で、傍観していたらしい。
「……マキ、まさか……知ってて黙って――」
マキはにっこりとして、さも当然とばかりに言った。
「知っていたよ。当たり前だろう?どこもかしこも全然、似ているところがないからね。ちょっと考えればわかるだろう」
さすがにヴィルバートは言い返すことも出来ない様子で押し黙った。
冷静に考えれば、容姿の一切が似ていない時点でおかしいと気づくものだ。
そこへ、息子と甥のじゃれあいを微笑ましそうに眺めていた王が、持って来させた二つの帽子を、ルチカとヴィルバートそれぞれへと手渡した。
ルチカは上衣を脱ぐと、素早く頭を帽子へと捻り込んだ。
髪を後れ毛のないよう丁寧に詰め込むと、王はルチカの顔を見つめてしみじみと呟いた。
「ああ、髪を隠すと……そっくりだ」
王は誰にという部分は伏せてくれたが、ルチカとしては、どうせなら本音全てを胸に閉まっておいて欲しかったと、叱られない程度に睨んでおく。
箱庭時代を知る彼は、ルチカの素性も知っているのだろう。
きっと、何から何まで全部。
「彼女のことを、ご存じで?」
マキは王の言葉に引っ掛かりを覚えたようだ。
「箱庭を直に見学したことがあるからね」
答える王の口調には、マキへのかすかな慈愛が混じった。
息子に話しかけられたことを、静かに喜んでいるような微笑みをしている。
だがマキはあまり嬉くはなさそうに、「そうですか」と一枚壁を隔てた様子で応えた。
内心では対応に困っているだろうことをおくびにも出さずに、今は国に遣える一騎士として接しているようだ。
「君の箱庭も、まだ当時のまま残されているらしいよ。戻って来ると信じているところが、リタ国王の可愛いところだ」
「頭わいてるんじゃないですか。死んでも戻りませんよ。わたしの帰る家は――――ここですから」
ヴィルバートの右側にぴたりと寄り添うと、彼は照れたのかそっぽを向いた。
王はヴィルバートとルチカの件に関して口出しするどころか、悪どい笑みを噛み殺しながら心情を吐露する。
「リタから消失した宝を、合法的に手に入れるいい機会だ。リタ王の面白い姿を、もう一度拝めるかもしれぬな……ふふっ」
ルチカとしては、あのどうしようもない男が泣き喚く姿など見ても、面白くと何ともない。
もはや溜飲を下げるどころか、ただただ呆れ果てるだけだ。
「わたしがここにいると知れたらすぐに捕らに来て、ヴィルと一緒に檻に入れるかもしれませんよ?」
「いくら彼の頭が弱くても、他国の王族に手は出さないだろう」
さりげなく辛辣な部分を素通りし、ルチカは眉を寄せて思考に耽った。
(マキさんと従兄弟ってことは、そうなるのか……)
「身分のことは――」
ヴィルバートが言いかけるのを、王は軽く手を翳しただけで制止させた。
「確かに身分はないが、私の甥であることは事実だ。それにヴィルバートの存在はこのまま隠しておきたい。――――まぁ、彼の執着は、可愛いそこの娘だけだから関係ないだろうが」
「心底ぞっとします」
「さて、」
(流された!)
「時間はさほどないが、この夜陰に紛れぬ気高い漆黒の薔薇を、白く戻してくれるかな?」
王が目で示す先に広がる先には、花弁だけではなく茎や葉まで黒々とした薔薇。
ルチカは師匠ほど力に長けていないので、黒を白に戻すのは至難の業と言っても過言ではなかった。
しかし植物は素直なので、人間よりはまだやり易くはある。
とにかく、白まで剥落してしまわないように、細心の注意が必要だ。
騎士らがルチカを通し、黒薔薇に触れる距離まで近づいた。
天に向かい花をほころばせかけた蕾の一つに、ルチカは試しにそっと指先を掠める。
しかし黒薔薇はあろうことか、瞬く間に鮮やかな赤へと変わり、慌てて棘のある茎を掴んで手折った。
幸いにもそこで止まり、ルチカは安堵と同時に、手の痛みに顔をしかめた。
「大丈夫か?」
色酔いで顔色を悪くなったヴィルバートが、薔薇を握り締めているルチカの手を開かせると、あちこちにぷつぷつと赤い斑点が出来ていた。
一本くらいならば失敗しても誰も気づかないだろうが、これが続けば別の問題が生じてくる。
「最終的に丸坊主の薔薇園になりそうです。これって重罪ですか?」
「…………情状酌量は、つく」
小汚ない本さえ、ただではくれないのだ。王宮の薔薇をむしり散らかしただけでも罪になるらしい。
手のひらを見つめていると、マキがひょいと覗き混んで、ハンカチを巻いて応急処置をしてくれた。
「逮捕されたら、ずっとヴィルといられるよ?」
「自由がないのは嫌です。マキさんの権限で無罪にしてください」
「残念だけれど、俺にもそんな権限はない。そうだなぁ……、牢にお菓子を差し入れるくらいが、精々かなぁ」
「そんな優雅な囚人生活なんかしていたら、妬みと僻みで他の囚人たちに苛められますよ」
マキと言い合っていると、ヴィルバートがぽんぽんと軽く頭をはたいてきた。
「苛められないように独房にいれてやるから、努力しろ」
(……嬉しくない)
「ヴィルはわたしのことなんて、大事じゃないんですね……」
突然しょんぼり猫になったルチカにヴィルバートがたじろいだ。
そんな彼の肩を、マキが叩く。
「ヴィル。今はルチカしか打開出来る人間がいないから、意欲を湧かせる言葉をかけないと」
「そうだ、ヴィルバート。愛してるの一つでも言って、何としてでも薔薇を元に戻させることが、今のおまえの使命だ。地下で襲いかかっていたときの、熱烈な感情を思い出すといい」
王の明け透けない発言にヴィルバートは絶句し、マキがいいことを聞いたとばかりに口角を上げた。
「やっと俺の猫から、俺の女になったのか」
ヴィルバートはマキを冷たく見据えつつも、王命に逆らえずに眉を寄せて、口を開くかどうかを逡巡している。
ルチカはもじもじとしながら、それを待った。
愛を囁かれたら、その気力で黒薔薇に立ち向かえる気がする。
しかし――――、
「こんな人前で、無理だ!」
ヴィルバートは、周りでにやにやとするマキ隊の騎士たちをぐるりと睨みつけた。
「空腹と愛情不足でお腹と背中がくっつきそうです」
「元々どっちが前か後ろかわからない体だろう」
瞬間、ルチカの目がすぅっと細められた。
ルチカが欲しているのは確固たる愛情の証であり、呆れ混じりの暴言ではないのだ。
言い募ろうとしたとき、ヴィルバートが耳元へと顔を近づけてごく小さく囁いた。
「……金の花を、探しておくから」
意味がわかったルチカは怒りなどあっという間に捨て去り、急激に熱の集った顔で黒薔薇に対峙した。
花弁をひたすらにむしりたい衝動をどうにか耐え、女神の加護による力へと集中させる。
咲き誇る花を両手で優しく包み込み、アニスを模して唇を落とす。
触れた先からぱらぱらとした欠片がこぼれて、涼やかな風に乗って舞い上がる。
花から、茎へ、葉に流れて、次から次へと黒がほどけゆく。
どこからか、感嘆の声がもれ聞こえてきた。
ルチカは気を抜かないように、薔薇に触れたまま祈り続ける。
胸にじんわりと沁み出した愛情を添えれば、剥落が加速していく。
さっきまで出来なかったはずなのに、不思議だ。
今が復活祭だがら、女神が奇跡を起こしたのだろうか。
ルチカは女神を探すように、星の輝きが薄らいだ天を仰いだ。
そして青藍の明け空を埋め尽くすがごとく黒い霧となった悪意は、形を変える風に弄ばれながら散り散りになって、遥か彼方へと消えていった――――。
その場にいた誰もが目を奪われたその光景を、最後まで見届ける出来なかったのは、真っ白な味気ない薔薇の根本に仲良く倒れる――――ルチカとヴィルバートだけであった。




