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偽色彩師と漆黒の騎士  作者: 名紗すいか
女神の復活祭編
33/39

じゅう ご


 なぜこんなことになってしまったのだろうか。


 ルチカは、酔いつぶれた騎士たちの累々たる死屍を肴に、残った酒をもったいない精神で処理しながら回想していた。




 ことの発端であるマキとロランツの勝負は、初めの一口で不正が発覚するという、あまりにも残念で予想通りな結果に終わった。

 方々から非難を浴びたロランツが反省して撤収となるはずだったのだが、そこからあれよあれよという間に酒盛りへと転じて、無謀な飲み比べ合戦が繰り広げられ始めた。

 彼らは明日、非番だというので、その解放感からだったのかもしれない。


 正体をなくした騎士が、一人また一人と床に伏せっていく様子を、ルチカは酒のつまみで空腹を紛らわしながら黙ってながめていた。


「ルチカは、飲まない?」


 普段よりも陽気なマキが、こてんと首を傾げて尋ねてきた。

 頬が火照って赤く、目は蕩けそうなほど甘く細められている。


(可愛いな……この人も)


 マキはにこにこしながら、ルチカに果実酒を水で割って飲みやすいように給仕する。

 そこまでされたら口をつけない訳にはいかず、水滴のついたグラスを手に取った。

 だが次の瞬間、横から伸びてきた手によってそれは掠め取られ、その手の持ち主であるヴィルバートの胃の腑へと一滴残らず流れていった。


「……あれぇ?ヴィルも?」


 ろれつが怪しいマキは、楽しげにヴィルバートにもと、水の代わりに蒸留酒をどぷどぷついだグラスをどんと差し出した。

 酔っていても、人を弄る判断能力は明瞭のようだ。

 ヴィルバートを見遣ると、彼はやや顔を引き攣らせていた。


「……飲まないのか?それならこれは、ルチカに」


 マキがルチカへと視線を移すと、ヴィルバートは渋々それを飲み始めた。

 彼はあまり強くないのか、最初の一杯ですでに目尻が赤くなっている。

 

(庇ってくれなくてもいいのに)


 ルチカはそう思いつつも、彼から話しかけてくれないので、沈黙を貫き通した。

 そこへ、あの残念な男がにゅっと湧いて出た。

 

「ヴィルゥー!俺の仇を、打ってくれぇー!」


 悪酔いしているロランツは、酒瓶片手にヴィルバートへと抱きつく。

 彼は鬱陶しいそうにはしているが、振り払うことも面倒なのか放置していた。

 

「ヴィルがマキを倒したら、ルチカをやるからっ!なぁ、頼むー!」


「わたしはいつからロランツさんの所持品になったんですか」


「あははっ。ルチカが景品なら、俺、参加しようかなぁ?」


 マキはルチカの肩に頭を預けて、愉快だとばかりに笑い転けている。

 彼が参加表明したことによって、他の潰れかけた赤ら顔の騎士たちがやいやいと煽り立て、不機嫌そうなヴィルバートを決戦の場へと引きずり出した。


「誰もやるとは言っていないだろう」


「はい。不戦勝で俺の勝ちー」


 マキはおどけてそう言うと、ルチカを腕にすっぽりと収め、頬をくっつけてじゃれてきた。

 それがヴィルバートの琴線に触れたのか、ロランツにグラスを突きだし、つげと要求した。


「落ちた方が負けだからな」


「うん、いいよ。ヴィルと競うなんて、何年ぶりだろう……」


 マキは純粋にヴィルバートと対決したかったのか、吐息が熱っぽい。瞳は潤んでとろんとしている。

 ヴィルバートはヴィルバートで、開始前からこめかみを押さえ疼痛を堪えていた。


(これは二人とも、二、三杯で潰れるな)




 そして半刻と経たず、ルチカの予想は現実となった。




 マキがすやすやと眠るのを苦悶に満ちた表情で見届けてから、ヴィルバートが天幕の外へと吐きに走った。そして帰ってきたと思ったら、マキと仲良く並んで潰れた。

 この二人とは別に繰り広げられていた飲み比べも佳境に突入し、起きている者は皆敵となり、ルチカも強制参加を余儀なくされ、ただ一人の勝者以外が気を失うまで飲み明かした――――。





 回想を終えたルチカは、彼らを俯瞰し心の中でつぶやいた。


(騎士のくせに情けない)


 全ての酒瓶を空にして、ルチカはぐっと腕と背筋を伸ばす。

 ヴィルバートに気を遣われずとも、ルチカは生まれてこの方酔った経験などない。

 

(とはいえ、ちょっと飲みすぎた)


 意識ははっきりとしている。だが満腹による眠気に誘われて、マキの設えた迷子出張所へと横たわった。

 ヴィルバートの大きめの帽子を被ったまま、ルチカはそっとまぶたを下ろした。




◇◆◇◆◇◆



 騒音に目を覚ましたヴィルバートは、意識の回復とともに訪れた鈍い頭痛に呻き声をもらした。

 こめかみ辺りを押さえつつ周囲を見渡すと、床で仲間たちがいびきをかいて爆睡していた。

 あちこちに酒瓶が転がり、酷い有り様だ。

 

(昨夜の記憶が曖昧だ……)


 ヴィルバートが覚えているのは、マキが寝てしまったことで勝ったことと、その後耐えきれずに吐きに走ったところまでだ。

 それすらも断片的で、なぜ皆潰れているのか判然としない。


(……ルチカは)


 はっとしてルチカを探すと、迷子出張所の敷物の上で、一人寝相よく眠っていた。

 安堵しつつ、ヴィルバートはルチカの傍で腰を下ろした。

 ルチカだけは、安らかで心穏やかな寝顔だ。

 だが匂いを嗅ぐまでもなく酒臭い。


(結局飲まされたのか?)


 それともこの空間に充満した匂いが染みついたのだろうか。

 酔っ払いたちに絡まれなかったかだけが気がかりだ。

 ヴィルバートはルチカの隣で横になり、その横顔をじっくりと見つめた。

 ルチカも母親似なのだろうか。

 アーモンド型の目も、小さめの鼻も、薄いが柔らかそうな唇も、ヴィルバートとは似ても似つかない。

 ルチカの耳を摘まんで形状を確認しても、やはりヴィルバートとは異なる。

 徹底的に調べようと、顎を掴んで口を開き、口腔内の歯列を覗き込んだ。

 奥歯まで見ようと親指で口を抉じ開けると、ルチカが無意識に反発してきた。

 ヴィルバートの親指を甘噛みし、食べ物と間違えてもぐもぐし出す。

 痛くはないが、むしろそちらの方がまずい。

 妙な感情が沸き上がる前に、指を引っこ抜いた。

 唾液にまみれた指をハンカチで拭い、ルチカの額を軽く叩いた。


「……ヴィル……」


 名前を呼ばれてどきりとしたヴィルバートだったが、ルチカが起きる気配はなく、ただの寝言かと胸を撫で下ろした。

 ルチカのことだ。もしかしたら指の味で誰かを判断したのかもしれない。

 それはそれで末恐ろしくもあるが。


(夢に見ているとかは……ないか)


 口をもごもごさせたままなので、淡い期待は霧散した。


 ルチカは初めの捕らえたばかりの頃よりも性格が丸くなったのだろう。

 気を許しているからこそ、騎士たちに囲まれても平気で寝ていられるのだろう。

 この隊では需要がないので安心ではあるが、酒に酔った勢いで押し倒されたらルチカの細腕では抵抗しても敵わない。

 自分ががしっかりとしていなくてはならなかっというのに酔い潰れるとは、とヴィルバートは反省を込めてルチカの安眠のための防御壁に徹することにした。


 例え妹であっても、ルチカを大事に想う気持ちは変わらない。

 そこに折り合いをつけるまでは距離を保とうと誓い、苦々しいため息をこぼした。




◇◆◇◆◇◆



 何やら辺りが騒々しい。

 呻き声が重なり合い妙な和音を奏でていた。

 ルチカが覚醒して目を見開くと、頭を押さえて眉間にシワを寄せている男たちの姿が臨めた。


(当然と言えば当然か)


 ルチカに挑み、負けた者はたちはさらに酷い二日酔いで、頭すら起こせずに蹲っていた。

 そしてルチカの傍にはなぜかヴィルバートがいて、彼らを冷ややかに見据えていた。

 だが彼自身も、例にはもれず顔色が優れない。

 ルチカからしてみれば、皆平等に残念な光景だった。

 

「……ル、チカ……」


 ある種男臭い唸りの中で一つ、儚げな掠れ声がルチカの耳に届いた。マキだ。


「マキさんは楽しい雰囲気に弱いところがあります。気をつけた方がいいですよ」


「うん……全く記憶がない。……俺、何かした?」


「わたしを賭けてヴィルと勝負して競り負けてました」


 マキはルチカとヴィルバートの横にくたりと座ると、やはり何も覚えていないと首を左右に振った。


「あぁ……、今日はルチカを王宮に連れて行く予定だったのに……」


「一人で行けますよ。大人ですから」


「余計心配だよ。ヴィル、悪いけれど、ついて行っ……うっ」


 マキは吐き気を催したのか、眉を寄せて口元を押さえた。

 ヴィルバートの背中に寄りかかり、しばらくして難所を越えたのか、はぁと小さく息をつく。


「本当に大丈夫ですか?全く想像を絶するほど情けない騎士団ですね。体だけ鍛えていても酒に飲まれていたら夜襲に一発でやられますよ。わたしが善人だったからよかったものの寝首掻かれてから後悔しても遅いです。酒は飲んでも飲まれるな。さぁ、声を揃えて斉唱してください。――――酒は飲んでも飲まれるな。はい」


「「酒は飲んでも飲まれるな」」


 ルチカの説教を神妙に受け止める騎士たちの図は、なかなかに壮観であった。

 まるで隊長になったような清々しい気分である。

 

「という訳なので、一人で行ってきます」


「わかった……。ヴィル」


「……仕方がないな」


 マキに指名されたヴィルバートが、普段よりも格段にゆっくりと立ち上がった。


「人の話を全く聞いていませんね」


 ルチカとしては、このまま一人で王宮へ行きたいところだ。

 アイリーナとの約束通りに、薔薇園へと向かわなくてはならない。

 何かの罠であるのは間違いないのだが、だからこそ行かなくてはならないのだ。

 アイリーナに気取られ、迂闊にも警戒を怠ったルチカを軽やかな手刀で叩き落とした人物と、一瞬だけ目が合った。――――あの瞳と。

 だから、行かなくてはならない。

 

(師匠に手紙を書いている暇は、ない)


 そのとき、思考に没頭していたルチカへと、ヴィルバートが早くしろという視線を投げてきた。


(釈然としない!)


 しかしこれ以上ごねて探りを入れられてもことなので、ルチカは諦めて先を行くヴィルバートの後を続いた。


     

            ♢




 結局ヴィルバートは、王宮まで無言でルチカの隣を歩いた。

 険しい顔つきで頭痛を堪え、周囲を威嚇している彼に近づく者は野良猫すらいなかったので、護衛としては役立ったと言える。


「ここまででいいですよ」


 王宮の門の前で、ルチカが声をかけると、ヴィルバートは短く返事をして呆気なく別れた。

 だが彼のことだ。帰ることなく、ルチカが出てくるまで外で待っているのだろう。

 距離はあっても、こうしてルチカが拐われないように気を配ってくれる。

 そこだけは、前と変わらないところだった。


 ルチカはヴィルバートに見送られて、罠だと知りながら薔薇園へと歩みを進めていた。

 そちらを優先させたのには訳がある。

 ルチカの身に何かあれば、予定通りに現れないことでコルテシアからマキへと何らかの連絡が行くのではないかという打算があってのことだ。

 それ以前に、帰りが遅いということでヴィルバートが王宮の騎士たちに掛け合ってくれるかもしれない。


 薔薇園の濃密な甘い芳香を手繰り寄せるように、ルチカは庭園を一瞥もすることなく進んでいく。

 薔薇の花や実といえばジャムや紅茶だ。

 なのでルチカにとっての薔薇は観賞用ではなく食用品。愛でる気はさらさらない。

 瓶詰めされた薔薇の美しさには到底敵わないだろう。

 最奥で深紅の薔薇に包まれ、ルチカはぐるりと周囲を見渡し声をかけた。


「来ましたよ。こそこそ隠れていないで出てきたらどうですか」


 しばらく待って、カサリと背後で薔薇の葉が揺れ、ばっと勢いよく振り返った。

 そしてルチカは、ぱちくりと目を瞬く。

 薔薇の陰から現れたのは、あまりにも意外な人物だったのだ。


「コルテシアさん……の侍女の……?」


 例の蛇が入れられていた金網を持ってきた侍女だ。

 偶然通りかかった雰囲気ではなさそうなので、ルチカをここへと呼び寄せた張本人が彼女なのだと悟った。


「そうです」


 彼女は落ち着いた様子で名乗った。


「コルテシア様の侍女でララと申します」


「ララさん、ですか。何でここにいるんですか?あの男の知り合いですか?」


 ルチカは、セオルスかもしくはアイリーナがこの場所で待っていると予測していたのだが、甘かったらしい。

 あの男自ら出てくることなど、滅多にないというのに。


「あの方には、他にすべき事があるのです」


 裏で何やら画策ているのだろうか。

 果たして目的は何なのか。


「そうですか。それでわたしに何か用ですか?あなたがヴィルのことについて何か知っているとは思えませんけど?」


 まず彼女がなぜここでルチカと対峙しているのか、会話から探らなくてはならない。

 あえてヴィルバートのことへと話を移した。

 そのことが一番訊きたかったのだというように、不機嫌さをにじませながら。

 恋に妄執していると見せかければ、相手も警戒されているとは思わないだろう。


「悪王の子ですか……。あなたも単純な人ですね。恋は盲目と言いますが、忌み色の男となんて……」


 嫌悪に彩られたその顔に、ルチカにも不快さが増す。


「しかも騎士団。あんな……、下等な人間たちの一員だなんて」


 ララは低く吐き捨てた。騎士団に対する怨嗟の念が感じられて、ルチカは怒りを鎮めて伺うように問い掛けた。


「騎士団に怨みでもあるんですか?」


 肯定するように苦く口元を歪めたララは、浅くため息をついた。


「あなたは色彩師なのに……騎士団に大切に飼われているそうですね。そして王宮の色彩師として、復活祭に出席する……」


「王宮雇いの色彩師が逮捕されたせいですよ?」


 ルチカが事実を言うと、ララに鋭く睨みつけられた。

 激情に駆られるように彼女はルチカの肩口を掴み、薔薇の茨へと押しつける。


「痛っ……!」


 棘がちくちくと背中に刺さり、ルチカは思わず声を上げた。


「騎士団があの人を連れて行ったからでしょう!?」


 顔をしかめつつも、大体状況は読めてきた。

 

(捕まった王宮雇いの色彩師が、彼女の恋人か何かだったということね)


「わたしに八つ当たりしても意味がないと思いますよ?」


 確かにルチカは騎士団に飼われているようなものだが、その色彩師が捕まったことには一切関与していない。

 色彩師の代理もマキに推挙されてのことだが、きちんと実力でコルテシア直々に認められている。

 ルチカに怒りをぶつけても、彼女には何の得もないはずだ。


「そんなことはありません。あなたが当日現れなければ、騎士団の失態となりますので。代わりの色彩師がいますので、あなたはどうか安心して、明日が過ぎるまで消えていてください」


(代わりの色彩師……もしかして、あの男?女神の復活祭に出席したとして何の意図が……)


 瞬間、腹部に衝撃を受け、ルチカの思考はそこで途切れた。

 ララの拳がめり込めんだ腹を押さえて、ルチカは冷や汗をにじませて呻きながら、心の内で叫んだ。


(ぶっ飛ばし返してやる……!)


 しかし体は言うことを聞かず、ルチカはそのままずるずると力なく地へと伏せた。



このパターンばかりですね……。

ルチカは師匠がいないとただの誘拐されやすい子です。

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