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偽色彩師と漆黒の騎士  作者: 名紗すいか
女神の復活祭編
31/39

じゅう さん


 砂糖菓子の露店へと辿り着いたヴィルバートは、子供たちの列から逸れた脇につけ、アストへと声を掛けた。


「ここにルチカが来なかったか!?」


 棒にくるくると呑気に綿雲を集めるアストは、怪訝そうに横目でヴィルバートを見遣った。


「女神なら初日以来見掛けていないが?」


 その物言いには含むところがあった。

 ルチカを彼から遠ざけようとしていることは事実だ。だがここしばらくについては、ヴィルバートの関するところではない。

 ルチカが寝込んでいただけだったのだが、あえて説明はしなかった。


「……それならいい。もしここに来たら、騎士団に連絡を」


 ヴィルバートは用件だけを端的に告げて踵を返すと、追いかけるようにアストが訊いてきた。


「いいけど、何だ?女神がいなくなったのか?……とうとう独占欲の強い男に嫌気が差したのかもな」


 どうしても最後の独白めいた皮肉を無視することが出来ずに、ヴィルバートは苛立ちを込めて振り返った。

 しれっとそう言ったアストは、砂糖菓子を子供へとにこやかに手渡している。


「公衆の面前で、許可なく唇を奪う男には言われたくない」


「許可って……。一体いつの時代の人間なんだ?……お前恋愛経験少ないだろう」


 引き気味のアストに図星を指されたヴィルバートは、顔を引き攣らせて押し黙った。

 

「色彩のせいにして言い訳をするなよ」


 先制されて、ヴィルバートはさらに言葉をなくす。

 確かにこれまで人と上手くいかないくても、この色彩だから仕方ないとすぐに諦めてきた。

 女性に対してもそうだ。どうせ怯えられるだろうと、自ら近づくことはしなかった。

 一生独身を貫くことに躊躇いもなく、傍らに仲間以外の誰かがいることを想像すらしてこなかった。

 他人が避けていくことにばかり目を向けて、ヴィルバートは傲慢にも自分自信に至らないところがあるとは考えてもみなかった。

 アストに己の浅はかさを見透かされたようで羞恥に染まった。


「キスは愛情を伝えるための手段の一つだろう」


「……だがそれは、相手の気持ちを」


「相手が嫌だったのなら、平手を打たれて終わりだぜ。それの何が難しい?」


 そう断言されて、男女の機微に疎いヴィルバートは、そういうものなのかと納得させられてしまった。


「嫌われることは、考えないのか?」


 アストは棒をくるくるさせ続けながら、呆れて大袈裟に肩を竦めてみせた。


「その消極的な考えが悪いね。大体お前の場合は他と違って、打算なく好意の塊みたいなやつしか集まって来ないだろう。軽く口づけるぐらいで目くじら立てるやつなら、初めから傍にいないだろうしな」


 アストの言葉は感慨深く、あの頑なだったヴィルバートは、次第に彼に感化されつつあった。

 

「ところで、女神を捜さなくていいのか?」


 指摘されて、ヴィルバートはルチカの捜索途中であったことを思い出した。

 

「ルチカが来たら、砂糖菓子で釣って引き留めて、騎士団に報せてくれ」



 そう言い残し走り去ったヴィルバートは、アストが背後で「からかい甲斐があるな」と笑っていたことなど、知る由もなかった。





 あらゆる食べ物関係の露店を回ったが、ルチカの姿はどこにもなく、ヴィルバートは誘拐の可能性を考えて一度天幕へと戻ることに決めた。

 次こそは始末書どころでは済まされないだろう。

 だがそんなことよりも、ルチカの身の方が大切だった。


 人の流れに逆らい進んでいると、鼻腔を甘い香りが掠めて、視線を彷徨わせた。

 最近嗅いだばかりの懐かしい薔薇の香りだ。それもヴィルバートの母、アイリーナが最も愛するあの深紅の薔薇の。

 これが偶然であるはずがない。

 ヴィルバートはその芳香の残り香を必死に辿ってアイリーナ捜すが、それらしい姿はどこにもなかった。

 何せ人が多すぎる。一瞬目を離しただけで、もうそこにいたはずの人の顔が代わっているのだ。

 

(埒が明かない。また邸に向かうべきか……)


 混雑を極める大通りを抜け、ヴィルバートは一旦路地裏へと脱した。

 店舗のひやりとした心地の煉瓦の壁に片手を突き、そこでふと顔を上げた。


(ここは……)


 この先には、例の色彩師が潜んでいた空き地がある。

 ヴィルバートは鋭い目で先を極んでいると、視界にきらきらとした破片が映り込み、眉を顰めた。

 路上で無惨に砕けたあめが散乱している。

 それはルチカが購入した花のあめに、形が似ていた。

 しゃがんで一欠片を指で摘み上げて検分していると、またあの香りが風向きの変化によって強まった。

 空き地のある方角から漂っているらしい。

 ヴィルバートはあめを地面へと戻して、喧騒から遠ざかり、薄暗い道を警戒しながら進んだ。

 誰かが敷いた道筋を、台本通りに歩かされているような不快さが常に後ろをつけてくる。

 ヴィルバートは顔をしかめて、空き地の手前で足を止めた。

 壁に背を預けて、一度様子だけを窺おうとした。

 だがそれを目にした途端、ヴィルバートは他事など頭から綺麗に抜け落ち、空き地へと飛び込んでいた。


「ルチカッ……!」


 空き地の中央部分に敷き詰められた、異様な薔薇の花びらたち。

 そこにルチカが、胸に手を合わせて横たわっていた。

 帽子はなく、青空の下に投げ出されて髪が美しく流線を描いている。


 薔薇を踏みつけルチカの傍らに片膝を突くと、ヴィルバートは彼女の首筋に指を当てた。

 脈には異常なく、鼻先に手を翳したが、こちらも健やかな呼吸を繰り返している。ただ眠っているだけのようだ。

 しかし、だからこそ気味が悪い。

 連れ去りもせずに、こうしてルチカを飾り立てていく行為が。


 軽く頬をぺちぺち打ったが、彼女が起きる気配はなかった。

 服装に乱れもなく、お金の入った袋も無事だ。

 ポケットから乾燥した薬草が覗いてはいるが、これはおそらくルチカの私物だろう。

 何でも彼んでもポケットに詰め込む癖を直させるべきかと、ヴィルバートは今考えなくていいことを真剣に悩みかけた。


 薬草を詰め直していると、ポケットの最奥に丁寧に折り畳まれた金色のリボンが秘められていることに気がつき、小さく息を呑んだ。

 ここのところ見かけなかったので、もう部屋に置きっぱなしで、忘れ去られてしまったのかと思っていた。

 だがルチカはこうして肌身離さず持ち歩いている。

 ヴィルバートの胸の辺りが、じわりと熱を持ち疼いた。

 アストが言っていた、好意の塊。ルチカはきっとそれだろう。

 嫌われていない。だからこそ、どうすればいいのかわからなくなる。


 酩酊しそうなほどきつい薔薇の香りに、戒められているようだった。


 ヴィルバートは一先ず、ルチカのやたらと軽い体を抱き上げ連れて帰ることにしたが、空き地を出る直前になって、帽子が紛失していたことに思い至り踏鞴を踏んだ。

 あれほど衆多な人前に希色を晒そうものなら、祭りを楽しむ人々はあっという間に暴徒と化すだろう。

 莫大な大金を裸で持ち歩くようなものだ。

 まず間違いなく、奪い合いによって死傷者が出る。

 ルチカも無傷ではいられないはずだ。

 だからといってヴィルバートの帽子を譲れば、今度は忌み色から逃げ惑う人達によって混乱が起き、やはり負傷者が出るだろう。

 究極の二択だ。

 どちらを選んでも、誰かが傷つく。


 薔薇に惑わされ、アイリーナの犯行だと思い込んでいたヴィルバートだったが、疑問が頭にもたげてきた。

 あの女に、そんな嫌がらせじみたことが思い浮かぶだろうか。

 

 ルチカの背の下にも丁寧に薔薇がびっしりと並べられていた。そこへ彼女を乗せたのだとしたら、それなりの腕力がなくてはならない。

 アイリーナの細腕では、明らかに無理な作業だった。


(使用人が手伝ったとも考えられるが……)


 ヴィルバートは一旦ルチカを柔らかな草の上へと寝かすと、意識を研ぎ澄ませて周囲の気配を窺った。

 ヴィルバートが忌み色と知った上でここへと誘い込み、意図的にルチカの帽子を奪ったのであれば、希色と天秤に掛けさせて陰で笑っている人物がどこかに潜んでいるのではないだろうか。

 ヴィルバートの選択を、嘲笑う人間が近くに――――。


「…………ゴリラ?」


「誰がゴリラだ」


 ヴィルバートの集中力がふつりと途切れて、寝ぼけているルチカの頭をはたいた。

 久しぶりの感覚に、手のひらをながめ苦い笑みがこぼれる。

 今は緊急事態なので、いつもの様に接してもいいはずだと、自分の中で言い訳をした。


 ルチカはようやく夢から覚めたのか、ぱちりと目を見開いた。

 最近は毎朝マリアが、手当てのお礼でルチカを起こしに行っているらしいので、勘違いしたのだろう。

 マリアは義理堅い、本当に利口な猫だ。


「……ここは?」


「覚えていないのか?」


 ルチカは瞑目し、倒れる前のことを上手く記憶の澱から引き揚げたのか、怒りに身を震わせた。

 

「何があった?」


 すかさずヴィルバートが問い詰めると、今度は平然とした顔でぺらぺらと饒舌に嘘を並べ立て始めた。


「何もありませんよ。ミアさんの店をお暇して人混みに酔ったので休憩がてら訪れたこの空き地でちょっと小石に躓いて運悪く頭を打って眠ってしまっただけです。わたしは野良猫なのでどこでも寝られますよ」


 淀みなく言い切ったルチカだったが、野良猫の部分にだけ拗ねたような響きがあった。

 そしてルチカはばつの悪そうな顔を隠そうと、いつもの癖で無意識に帽子を引っ張ろうとして、指先が宙を掻いた。


「帽子が……」


「俺が来たときからなかった」


「……折角、マキさんがくれた物だったなのに……」


 あからさまに気落ちするルチカに、ヴィルバートはむっとして自分の帽子を押しつけた。

 ヴィルバートが距離を置いているので、最近のルチカは目に余るほどマキにべたべたと懐いている。

 騎士団内では三角関係泥沼化などと噂され始めているのだ。

 思えばルチカが着ている服も履いている靴も、下着だってマキが選び買い与えた物だ。

 マキは昨夜の会話でルチカを飼いたいようなことを言っていたが、すでにマキの猫のようなものだった。


 自分で好きにしろと言ったのに、狭量なヴィルバートは自分の物を割り込ませた。


 帽子を手にしたルチカは、ヴィルバートの禍々しい漆黒の髪へと視線を上げて、それからまた帽子へと戻すのを数回繰り返した。


「そうするとヴィルが困りませんか?」


「……何とかする」


「何とかなるならこんな世界じゃありませんよ。……そこにあの小物色彩師が一時暮らしていた小屋がありますよね?帽子ぐらいなら探せばあるんじゃないですか?」


 ルチカは朽ち果てた掘っ立て小屋へと、頭頂を支点に地面へと突き、首を反らして目を向けるという、何ともものぐさな姿をヴィルバートに晒した。

 

「なぜ無理な体勢をする」


 不細工な格好に、込み上げた笑いを堪えるヴィルバートを、ルチカはまじまじと見つめてから、頬を朱に染めて恥じらうように、ぱっと顔を背けた。

 

(恥ずかしいならなぜする?)


 行動の不可解さを訝しみながら、ルチカの言う通りに、小屋の扉として機能していない板を押し開けて内部へと踏み込んだ。

 埃は無人となった一月分しか積もっておらず、元々この場所にあったのであろう荷物は箱詰めされて隅にまとめて寄せられている。

 そして反対の隅には、例の色彩師によって放置されたままの汚れた衣類が床に山を成していた。

 ルチカの予想した通り、帽子や眼鏡といった、変装用の小道具も傍に落ちている。

 ヴィルバートはそれを手に取り、叩いて埃を払うとかび臭い小屋を後にした。


 ルチカはさすがに上体を起こしていて、不自然に浮いている薔薇の絨毯を見据えて、何かを考えている様子だった。

 その横顔へと、返事がないだろうと思いながらも尋ねた。


「誰にやられた?」


 ルチカは薔薇から視線を外すことなく、やはり沈黙を貫いた。

 相手を庇っているのだろうか。もしくはアイリーナの犯行で、ヴィルバートのために黙っているのか。

 それとも、全く何も知らないのか。


「歩けるか?」


 訊くとルチカは「はい」返事をし、緩慢な動作で何とか立ち上がった。

 うなじの辺りが気になるのか、確かめるように何度か触れて唇を噛んでいる。

 ヴィルバートは下唇に犬歯が突き刺さり出血してしまう前に、頤を摘まんで顎を引き下げた。


「痛いのか?」


「痛くはないです。…………次会ったらぶっ飛ばす」


 怨念入り交じる不穏なルチカの小声から、犯人の見当はついているのだと察した。


「やはり手錠が必要か……」


「もう逃げたりしませんよ。……ヴィルが避けないならですけど」


 ルチカは寂しそうに帽子の庇を下げて、ぽつりと言った。

 避けていた自覚があるヴィルバートは戸惑ったが、真実を告げていいものなのかまだ整理がつかないこともあり、口をつぐんだ。

 

「……そうですか」


 何に納得したのか、ルチカは低い声でそう言ったきり、天幕につくまで、否それ以降も、自分から話しかけてはこなくなった。



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