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偽色彩師と漆黒の騎士  作者: 名紗すいか
美少女誘拐事件編
3/39


 強かに後頭部を打ちつけたルチカは慣性の法則に従い、つんのめった。


「う、わっ……!」


 両手は宙を彷徨い、腰が座席から浮き上がる。


(あ、ぶつかる――――!)


 ルチカは目をぎゅっと瞑り、これからくる衝撃にそなえた。

 が、予想した痛みは襲ってはこない。むしろ後頭部の方がズキズキとして地味に痛むくらいだ。

 薬草のような、すっとする香りが鼻腔を掠め、額の触れる場所から、ルチカとは異なる拍子を刻む鼓動が伝わってくる。


 ルチカはそっとまぶたを上げると、そこにあったのは一面の深い藍だった。彼の外套にすっぽりと包まれている。

 馬車の床から膝が少し浮き、座っている彼の腰に抱きつくような形で受け止められたらしい。

 背中に落ちてしまっていたルチカのフードを、彼の手が素早く被せ直し、そのまま頭を掴むと自分の胸へと押しつけた。

 たんこぶのせいか、彼の手の温度のせいか、後頭部がじんじんと熱を持つ。


 しばらく放心していたルチカだが、髪の色を見られたことに焦るよりも、男の人に抱きしめられているという状況に意識した途端、真っ赤になった。

 痛みはどこか彼方へと飛んでいき、全身が羞恥に染まっていく。

 慌てて逃れようともがくと、さらに強い力で抱き込まれ、鋭く潜められた声が頭上にかかった。


「しっ……!静かに」


 彼の全身から張りつめる空気が、触れ合うルチカへひしひしと伝わる。

 周囲へと意識を澄ませると、かすかに御者らしき男の短い悲鳴がした。反射的に肩が跳ねたルチカの手を、彼の大きな手のひらが慰めるように包み込む。


 いくつかの足音が近づき、それが馬車の扉の前で止まると息を飲んだ。

 ルチカは彼の外套を握り締め、顔をうずめて引き寄せた。

 

 心細い。でも、一人きりではない。少しだけ気持ちが浮上する。


 宵の気配を纏い入り込んで来たのは、顔と頭を布で覆った男たちだ。目以外をすべて隠して、人相はまるでわからない。手袋をはめ、首もとも薄い布で巻いている。体の線がよくわかる装飾のない服を着ていて、成熟した大人というよりかは、市井の若者の雰囲気に近い。

 彼らは鋭利な大ぶりのナイフをちらつかせ、一人がその切っ先をルチカへと向けた。


「大人しくしていれば痛い目にはあわせない。……そっちの男もだ。逃げようとすれば……わかるな?」


 男が彼をナイフで差し、互いが互いの枷となるよう脅しをかけた。

 さっき会ったばかりでも、ルチカは彼を切り捨て逃げるほど人でなしではない。それに、逃げ切れると思うほど自分を過信してもいなかった。

 大人しくしていればいいのなら、とりあえずはそれに従うまでだ。


 震えながらこくりとうなづいたルチカを、気遣わしげに見下ろしながら藍の外套の彼は「……わかった」と男たちに告げた。


 見張りの男が二人残り、後は閉ざされた扉の向こう側へと消えた。

 揺れ始めた窓のカーテンをきっちり閉めながら、男が藍の外套の彼を顎で差す。


「この男も連れて行くのか?」

 

「ここで処分して、死体と相乗りか?悪かないが、この女が悲鳴でも上げて暴れだしたら、傷つけずに押さえられるのかよ」


「傷つけずにって面倒だな、くそっ!どうせ色しか見ないくせに」



 嫌悪の混じる男のつぶやきが、ルチカの胸を静かにえぐりつけた。

 


◇◆◇◆◇◆



 いくつもの朝と夜を過ごし、荒廃した建物だった。

 石造りの壁はいたるところにひび割れが走り、吹きさらしの天井には混沌とした闇が帳を下ろしている。

 割れた窓ガラスの奥からは、かがり火が靡く。

 朽ち果てた庭園には白き茨が蔓延り、固い葉を擦り合わせて、乾いた音を立てていた。

 人の目を遮る樹木が廃墟を囲み、そこから続く狭い林道を、二本の轍が決して交わらない線を引く。


 彼は、ながめていた。

 

 数人の男たちに拘束され、馬車から下りてきた白と藍の少女と青年を。

 建物の中へと消えて、しばらく経つ。


「……不思議な夜だ。これが縁というのか。まさか揃ってまみえようとは」


 彼は独白を続ける。


「誰の計らいか。……まさか『大陸の女神』とは言わないだろうな」

 

 彼はくつくつと笑う。

 これほど愉快なことはない、とでもいうように。


 闇に溶けることのない月華の金髪が影を落とす、冷然とした美貌。

 微笑むように細められた瞳は、光の角度で鋭しき緋にも冴え冴えとした碧にも見える。世間で希色と呼ばれる色彩だった。

 

「まぁいい。役者は多い方が興をさかす。精々抗え。その色彩を散らすことなく」


 彼は轍にそって踵を返した。


 二本の平行線に彼らを例えて。




◇◆◇◆◇◆



 どこかでカチカチと、虫の音がした。

 雨風に晒されてうっすらと異臭を放つ広間には、すでに三人の男たちがいた。

 ルチカたちを襲撃したのが四人だったので、合わせて七人の賊がいる計算だ。


 間隔をあけて床に置かれたいくつものランプが橙に灯り、廃墟が場違いにも幻想的に揺蕩っていた。

 まるで水面に浮かぶ蛍火のようだ。

 おかげで薄暗さはなく、男たちの瞳の色もよくわかる。


 テーブルや飾り棚などはなく、部屋の隅には砂と埃がこんもりと溜まっている。

 無惨に引き裂かれたカーテンは、風にそよがれ死霊めいて見えた。

 一つだけあった椅子には誰も座っていない。脚が一本真ん中でへし折れ傾いていたからだろう。


 両手を縄で戒められている藍の外套の彼は、左右からも両腕を捕らえられている。だが、ルチカに手首の拘束はない。非力な女だと侮っている証拠だ。


 ルチカが首を巡らせていると、代表格らしき男の一人が、「確かめろ」と指示を出した。


 彼と引き離す非情な手に両腕を捕らえられ、足を張って抵抗した。しかし悲しいことに、踵はずるずると引きずられ、ルチカはすがるように彼を振り返り仰いだ。


 身長差で覗き込んだフードの下で、濃い紫色の瞳と初めて視線が交わった。

 紫石英よりも濃く透き通っているその瞳に、一瞬苦痛に似た何かが過る。


 思わず伸ばした指先は、彼の外套に触れることなく空を切った。背を押され、代表格の男の前に踊り出たルチカは、強引に外套を剥ぎ取られた。


 ふわりと長くたおやかな髪が現れると、しばらく惚けていた男たちの目がじわじわと熱をはらんでいく。

 ルチカの側にいた男が魅了されたように、そっと一房をその無骨な手に取った。


「これは……何て色だ」


 陶然としている男にルチカは、自ら捨てた本来の身分証明書に記載されている名称を、顔をしかめながら答えた。


「――――銀白桃」


 同じ色を持つ人間は一人としていない、正式に認められた希色。


 ――――魔の寵作。


 ルチカの髪に触れる男に、別の男が不快そうな口調で言った。


「いつまでもべたべた触るな。汚れちまうだろう」


「減るもんじゃないし、触るくらいいいだろ!」


 男に頭をなでられ、ルチカはぞっと怖気を震った。

 師匠にされるときと、なぜこうも違うのか。

 あのしなやかな長い指と手のひらのあたたかさが懐かしいと思うほどに、恋しさが募る。


 叱責されても触ることをやめない男に、苛立った様子の男が近づき、短く舌打ちしながらルチカの腕をぐっと引く。すると男の指に絡んでいた髪が、ぷちぷちと千切れた。

 頭から切り離された髪は見る見るうちに、端から白く染まり始めた。


「余計な手間をかけさせるな。死なれでもしてみろ、体だけじゃない、この髪だって白に戻るんだぞ」


「はっ!『白で始まり白で終わる』、そんな当たり前のことで説教すんな!触ったぐらいで死ぬだとか!」


 首をすくめているルチカを挟んだまま、男たちが言い争う。


「おまえみたいな汚い男に触られたら、死にたくもなるよなぁ?」


「あぁ?、やんのか、こら!!」


 カッとなった男に突き飛ばされたルチカに、もう一人の男が触発されて大きく舌打ちをすると二人は掴み合いのけんかになった。


「何やってんだよ!」

「ばか、やめろって!」

「おい、おまえはそっち止めろ!」

「暴れるな、この……!」


 慌てて二人の間に割り込んだ仲間たちがお互いを羽交い締めにして引き離し、部屋の隅と隅に連れていく。

 それを横目で見ていた代表格の男が短いため息をついた。床に倒れていたルチカを起こして、怪我がないかをさっと確かめる。


「希色は人を惑わし狂わせる、か。早いとこ売り払った方がいいな」


 苦々しくつぶやかれ、ルチカはうなだれていた顔をはっと上げた。

 視界の隅に、両手を拘束されたままの紫石英の彼がいる。

 側に監視の男が一人、仲間のやり取りに呆れながらも気を緩めてはいない。手には未だナイフが握られ、ランプの明かりで冷たい光を反射している。

 今のところ手荒な真似はされていないが、フードが表情を隠して、今何を考えているかさっぱりわからない。一言も声を発さず、じっと佇んでいる。


 ルチカが売られたら、彼はどうなるのか。

 彼の方を見ていたルチカの顔を、代表格の男が引き戻した。顎をつかまれ上を向かされる。


「悪いな。俺たちも別に好きでやってる訳じゃないんだぜ?わかるだろ、こうでもしなきゃ人間にすらなれない。つてが必要なんだ」


 その言葉に、ルチカは両側から殴られたような衝撃を受けた。


(お金のためじゃない……?)


 初めから気づくべきだった。彼らが目以外を隠している事に。


 『瞳は前払いの色彩』


 色彩師の悪しき手法。


 師匠の言葉が蘇り、ルチカはそおっと息をはいた。震えは自然と収まり、冷静さが戻ってくる。


 やることを見つけた。やるべきことを。


「そのためにわたしを鬼畜変態色彩愛好家に売るんですか」


 その表現がおかしかったのか、男は布の下でくっ、と笑った。


「下衆と強欲も足りないな。……おまえもこんな髪の色してなかったら、普通に暮らせてただろうに」


 男はぽつりと言った。その言葉がやけによく響き、他の男たちのは後ろめたそうにルチカから目を逸らす。

 そこにはおそらく同情があった。同時に彼ら自身を投影してもいた。ルチカに、共感している。

 色彩差別を受ける仲間として。


(この世界が本当に、嫌いだな……)


「それなら、わたしが――――」


 ルチカの声はそこで途切れた。 





 たくさんの明かりとともに、藍の制服を着た騎士たちがなだれ込んで来た。



「――――拉致監禁の現行犯だ!即刻捕縛しろ!」


 鳶色の髪をした優男風の青年騎士が、毅然としたよく通る声で、他の騎士たちに命令を下す。

 賊たちは突然の招かざる来訪者たちに、すぐ応戦の構えをした。

 だが騎士たちの方が圧倒的に数が多く、結果は目に見えている。腰に履いた長剣に加え、革製のホルスターには銃まで収まっているのだ。


(ちょっと待って、タイミングが悪すぎる!)


 ルチカは平和的かつ安全な解決策を思いつき、提案しかけたところだった。もう少し早いか遅いかだったならば。


 賊の男たちには投降の意志がまるでない。捨て鉢なのだ、とルチカは愕然とした。


 さっきまで会話をしていた男がルチカを盾にして、場を一旦膠着状態へと持ち込んだ。

 後ろから絡まりついてきた腕にぐっと体を寄せられ、首筋にナイフが当てられる。

 耳朶にあの、「悪いね」という声がかかり、ルチカは顔だけ振り返った。

 かちりと視線が重なると、男は不自然に逸らし、騎士たちを見据えた。


「人質がいることを、忘れるなよ」


 ひりつくような騎士たちの視線が、ルチカを通りすぎて背後の男へと刺さる。

 鳶色の騎士が肩をすくめて大袈裟にため息をついた。リュオール国花である、薔薇を模した金の記章が左胸で揺れている。


「逃げ切れると思ってるのか?この数相手に?君たち素人だろう。人質をこっちに寄越して、きっちりと証言するなら悪いようにはしないよ。……そうそう、どこぞの伯爵家仕えの色彩師が、なぜか慌てて逃げていったらしいな」


 意地の悪い笑みをした鳶色の騎士の言葉に、ぴくっと背後の男が反応を見せた。驚愕に目が見開いている。

 おそらくそれが彼らの雇い主なのだろう。その色彩師が仲介役で、色彩を与える変わりに希色持ちのルチカを狙わせた。

 師匠が昔言っていた通りだ。瞳は前払いの色彩だった。


 初めから短期決戦でいくつもりだったのか、彼らに走った動揺を騎士たちが見逃すことなく、的確に動いた。

 反応の遅れた賊たちは、次々にねじ伏せられていく。あっという間の出来事だった。


 ルチカを人質にしている男以外、床に押さえつけられ、後ろ手に手錠をかけられている。

 賊たちの苦悶に満ちた顔は、捕らえられたせいだけではないのだろう。


 辛い光景だが、ルチカには目を背けることができない。これが色彩師による驕りと怠慢の結果だ。


「『たかが色のせいで……』」


 自然ともれたのはどこの国の言葉だったか、ルチカにもわからなかった。


 不思議そうに鳶色の騎士が見つめてくる。長剣の先を向けながら。


「女の子を傷つけるのは、趣味じゃないんだけどなぁ」


 鳶色の騎士の、嘘っぽい発言と呑気な口調に気取られとき、背後で藍が掠めた。騎士のとは違う藍の外套。


 紫石英の彼は賊の男めがけて長剣を薙いだ。その拍子にルチカは男から離れ、阿吽の呼吸で動いた鳶色の騎士に保護された。

 彼はルチカの肩を抱きながら顔をのぞき込み、ほっとした笑みをする。

 ルチカは大丈夫、というようにうなづいてから、そちらへと目を戻した。


 すばやく飛び退いた男だったが、左腕の服が横一文字に薄く切れた跡があった。切り口からのぞく肌は白く、にじんだ血液も同じ色だ。


 色なし、と騎士の誰かがつぶやいた。


 賊の男は腕を反対の手でかばうように押さえ、屈辱に歪んだ目で――――まがい物の青い瞳で騎士たちを睨みつけた。


「色がないことがそんなにおかしいかッ……!?おまえたちは最初から色があったと。ちがうよな、親兄弟が金で買ってくれたんだろ。それがそんなに偉いのか!」


 しぃ、ん。と静寂が落ちた。

 騎士たちには差別的な発言をした自覚がなかったのかもしれない。自然と口にできるほど、色なしという言葉は根深く浸透しているようだ。

 男は憎しみを箱にしまい、ナイフを構え直した。痛々しいほどの拒絶をもって。


「言いたいことはそれだけか」


 無慈悲な声が紫石英の彼からした。

 長剣はまるで、たましいを吸い取るまで諦めないとでもいうように、まっすぐと男に狙いを定めている。

 男が切りかかれば、容赦なく長剣を振るう。軽い怪我で済むはずがない。

 動くなら、今しかなかった。


「――――殺さないで!!」


 ルチカの痛烈な叫びに鳶色の騎士が迷惑そうに片耳を押さえた。そのほどかれた腕から脱し、藍の外套めがけてルチカは突進する。彼の殺気を削ぎたかった。


 予想外の衝撃に、彼は低くうめき、横からしがみついたルチカは額を擦りつけながら言いつけた。


「殺したり死んだりしたら、許さない!黄泉の国まで追いかけて必ず、ぶっ飛ばしてやるッ……!」


 だがいつまで経っても、誰からも何の反応もない。


 訝しみながら顔を上げると、賊の男たちが目に恐怖を浮かべていた。彼らの視線の先が、ルチカの頭上で縫いとめられている。


 ルチカはゆっくりと、仰ぎ見た。

 彼のフードが、背に落ちていた。

 

 そこにあったのは紫石英がかすむほどの鮮烈な――――闇。


 夜より深く、黒より明瞭。どれだけの色を重ねようと、この淀みのない気高き黒を織り成せない。


 希色であり、忌み色。

 アルフレッドの色彩――――漆黒の髪。


 彼は冬の湖のような冷たい表情をしていたが、すぐに眉を潜めて鳶色の騎士へ居丈高に命令した。


「……さっさと捕らえろ、マキ」


 マキ、と呼ばれた鳶色の騎士は物言いたげな眼差しを彼へと投げた。それからルチカを人質に取っていたあの男のナイフを、目にもとまらない早さで薙ぎ払った。

 丸腰になった男はすでに戦意を喪失していたのか、両手を軽く上げて首をすくめている。右手は衝撃が残っているのか軽く左右に揺らしていた。


「あーあ、とんだ茶番だぜ。色彩師は逃げるし、売り払おうとした娘にはかばわれるしな。……おまえ、何で騎士団なんかにいるんだ?」


 男は彼に問いかけた。彼が国に仕えている理由を。色彩の差別を受けてきた男は、彼を畏怖してはいないようだった。


 彼は腰にルチカをしがみつけたまま、淡々と言った。


 ここにしか居場所がない、と。


 マキが「もういい?」という空気を読まない顔をしながら男に手錠をかけた。男は満足したように、「そうか」とだけもらした。


 騎士たちに連れられていく途中、足を止めて、男は振り返った。

 ルチカに向かって言う。


「おまえ、名前は?」


「ルチカです」


「ふうん。ルチカ、ね。おまえもっと気をつけて生きろな。どうせまた、すぐに捕まるぜ」


(お節介め。……でも、嫌いじゃないな、この人)


 ルチカは男に駆け寄ると、騎士たちに止められた。大丈夫ですと言っても渋い顔をしたので、さくっと無視をした。

 男の手錠がかけられた手を取り、手袋を外す。


「何?」


「おまじないです。今日は仲良くみんなと手を繋いで寝てくださいね。そうしたらきっと、明日はいい日になりますよ」


 ぽかんとしている男の手の甲に、人差し指で七枚の花弁を持つ花の紋様を描く。ルチカの外套に刺繍されている花だ。

 そして軽く、唇を落とした。


 男がぎょっとして、手を引きかけたとき、ふわりと花の絵が浮かび上がった。たった今、蕾から咲きほころんだように花びらを広げる。

 花弁の一枚一枚は色が異なり、時計回りに赤、橙、黄、緑、青、藍、紫だ。

 女神を表す七色の花。

 加護をあたえる『ハクラクの花』。


 男はそれを唖然とした面持ちで見つめているが、他の人間は怪訝そうにしている。彼らには、なぜ男が固まっているのかわからないのだ。

 彼の手の甲に現れた刻印は、この場ではルチカと彼にしか目視できない。明日になれば彼の目にも映らなくなるはずだ。


「絶対に、七人で手を繋ぐんですよ。きちんと素手で。わたしを誘拐しようとした罰ですからね」


「野郎と手を繋ぐとか……。まぁ、了解した」


 この徴の意味を薄々受け取ったようで、何事もなかったかのように男はサッと器用に手袋をはめた。

 騎士たちが今度こそ彼を連れて行く。見送った後ろ姿は余分な荷物を下ろしたようにすっきりとしていた。



 名前を聞いておけばよかった、とルチカはちょっとだけ後悔をした。



ちなみにコスモスっぽい花です。

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