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偽色彩師と漆黒の騎士  作者: 名紗すいか
女神の復活祭編
29/39

じゅう いち


 氷枕に頭をつけて、うつらうつらしていたルチカは、廊下からもれ聞こえてくるただならぬ気配の到来を、ごろりと寝返りを打って迎えた。


 ルチカのいる子供部屋へと飛び込んで来たのは綺麗な女性だった。

 師匠であるアニスとは、系統の異なる美人だ。

 中性的な美しさを持つアニスに対して、こちらは女性としての魅力を全て兼ね備え、艶美さの中にもどこか奥ゆかしい気品のある雰囲気を併せ持った美女であった。鬼のような形相をしてなお、その華美さは損なわれていない。


 彼女は、寝台で尊大に寝転がるルチカへと乗り上げると、忌々しそうに三編みだらけのルチカの髪を手に取った。

 憎しみの対象としてこの銀白桃の髪を見られることは滅多にない。

 なのでルチカは、平然とした顔の下で内心動揺していた。

 もしかしたら、彼女の顔立ちがヴィルバートによく似ていたからかもしれない。

 彼に睨まれているようで、胸がつきんと痛む。


「どうして、来たの?リタの――」


 彼女が何かを言いかけたところで突入してきたのはヴィルバートだ。

 子供のようにルチカの髪を握り引っ張る彼女を後ろから羽交い締めにして、寝台から引き離す。

 なかなか髪が離して貰えなかったので、ルチカの頭は氷枕からずり落ちた。

 

「誰かッ−−!鎮静剤を!」


 ヴィルバートが廊下へと向かって叫ぶと、近くにいた使用人が慌ててふためき駆けつけてきた。

 室内の惨状を目にし、ヴィルバートに物言いたげな一瞥してから、指示に従い鎮静剤を取りに走った。

 程なく鎮静剤入りの約瓶と注射器を持ってきた使用人が、その場で手早く準備を整えると、暴れる女性の腕の内側へと注射器の針を射す。

 薬が効くまでの間支離滅裂なことを喚いていた女性は、緩やかに勢いをなくしていき、最後は糸が切れたようにヴィルバートの胸へと体を預けて深い眠りについていった。

 はぁ……、と疲労のにじむ息を吐き出し、ヴィルバートは彼女の膝裏に手を入れ抱き上げた。

 瞼を閉ざした彼女の表情は、さっきまでとは打って変わり、穏やかそのものだった。

 いい夢でも見始めたのかもしれない。

 

「怒った顔がそっくりでしたね」


 場を和ませようと言ったルチカの軽口に、ヴィルバートは反応に困った複雑な表情を返す。

 逡巡してから、結局彼は何も答えることなく、彼女を部屋へと運ぶために彼は廊下へと出ていった。

 氷枕から離れ難いルチカは、病気を理由に布団に潜ったままで待機することにした。


 彼女がヴィルバートの母親なのだとは一目で気づいたが、正気ではなさそうだったので、抵抗もせず何も口を挟まなかった。

 ルチカがリタにいたことを知っているような口振りだったが、あの男と関係のある人間ならばどこかで話しに聞いていても不思議ではない。

 

(あんな男のどこがよかったんだろう……?)


 顔だろうか。

 性格は悪魔の方がましと言えるほど鬼畜なので、後は才能くらいしか思いつかない。

 真剣に悩んでいると、ヴィルバートが深刻そうな面持ちで戻ってきた。

 

「大丈夫でしたか?」


「眠っているから何とも言えないが……。そっちは、平気なのか?」


「氷枕が気持ちよくて寝そうです」


「……そうか」


(……?)


 反応がいまいちだ。母親の状態に、気落ちしているのだろうか。

 

「歩けるか?」


 歩けないと言い掛けたルチカだが、抱っこされることが恥ずかしく思えて、考えた末に「転がれます」と妙案を提示した。


 ヴィルバートの手がいつものように頭へと翳されたが、宙でふいに停止し、躊躇いながら下ろされた。

 はたかれることを期待していたルチカは、拍子抜けして目をぱちぱちと瞬く。

 もしかしたら病人なので、手加減したのかもしれない。


「……仕方ないか」


 小声でつぶやいたヴィルバートは、掛け布団を捲り、ルチカを横抱きにした。

 体が密着し、ルチカは頬を赤らめて視線を彷徨わせた。逞しい腕に抱かれて、胸がきゅんと鳴り響く。


 しかしヴィルバートは対照的に血色が悪く、足早に邸を出ると通りまで足を伸ばし、馬車を捕まえると説明も何もなく、ルチカを乗せてすぐに扉を閉めてしまった。

 訳もわからずにぽかんとしていると、馬車が動きだしてルチカは座席から落ちかけた。

 体勢を立て直したルチカは、窓に張りつき外を覗く。

 ヴィルバートは後ろから馬でついて来ているようだった。

 馬を放置出来ずに、ルチカ一人を馬車へと乗せたのだろうか。


 様子のおかしいヴィルバートを気にしながらも、明日には元通りになると、ルチカは気楽に構えて第二の家となりつつある騎士団の本部へと向かって行った――――。




            ◇




「ヴィ……」


 声を掛ける寸前で踵を返され、ルチカは中庭の定位置である噴水の台座で肩を落とした。

 寂しさを紛らすために、包帯を替え終えたばかりのマリアの毛を食んだ。


「ニギャー!」


 マリアは前足でルチカの頬をすぱんと叩き、毛を逆立てた。警戒体制で、隙あらば前足を伸ばして来ようと睨んでくる。

 きっと猫には、人間の傷心など理解出来ないのだろう。


「毎日包帯を替えているのに一向に懐きませんね。ありがとうくらい言ったらどうですか」


「ニギャー」


「それが猫語でありがとうですか?」


 真面目に尋ねたルチカを、マリアは付き合ってられないとばかりに、ふんっと鼻を鳴らして台座から下りると、のしのしと足音を響かせ去って行ってしまった。

 ヴィルバートにだけでなく、マリアにも見捨てられたルチカは一人台座でくるんと丸くなった。

 

(あの薄情なゴリラめ……)


 噴水から吹き出る水飛沫を浴びて、ルチカはごろごろしながら夜空を見上げる。

 外出禁止のお陰か熱中症もすっかりと完治し、女神の復活祭も残すところ後三日になっていた。

 明後日はマキと、事前確認のために再び王宮へと赴かなくてはならない。

 ルチカだけは飛び入り参加なので、王宮雇いの色彩師たちにいびられないかと心配してくれてもいいはずなのに、ヴィルバートは傍にさえいてくれない。


 恋心を意識した途端失恋したような気分で、胸を押さえて弱々しいため息をついた。

 本当はアニスの元へと戻って泣きつきたいところなのだが、まだマキとの約束が残されているので帰る訳にもいかない。

 

「――――あ。ルチカ」


 たった今想像していた人物が淀んだルチカの顔を覗き、正反対の爽やかな笑顔を見せつけてきた。

 苦境でも微笑みを絶やさないであろうマキに、ルチカは怠惰に転がったまま問い掛けた。


「飼育放棄でヴィルを逮捕出来ませんか?」


 マキはルチカの頭側に腰掛けると、あっさり無理だと切り捨てた。


「十分なご飯代を貰っているだろう?」


「お金だけ与えておけばいいと思っている時点で虐待ですよ。例えお腹いっぱいになっても愛情に飢えた猫は寂しくて死んでしまいます。いいんですか?」


「猫が寂しくて死んだ例は知らないからなぁ……」


 マキは真面目に取り合ってくれず、噴水の揺らぐ水面に片手を浸して涼んでいる。

 それでも、ここのところのヴィルバートの不審さを、マキも気にしているようだった。


「……ヴィルはヴィルで何か拗らせているようだから、長い目で見てあげたらどうだ?いつもみたいに、鬱陶しいぐらい摺り寄ったら、案外すんなりと解決するかもしれないよ」


「……ちなみにマキさんだったら鬱陶しく摺り寄ってくる女の人をどう思いますか?」


「あはは。考えるだけで煩わしいね」


(参考にならない……!)


 ルチカはわなわなと震えた。

 マキの助言はあてにならないようだ。

 

「…それならマキさんはどんな女の人ならいいんですか?」


 マキの女性関係はまっさらで、ルチカが知る範囲の情報でも、浮いた話一つなかった。

 マキは目をぱちくりとさせて、ルチカをじっと凝視した。興味本意よりかは、一般論としての意見を求められていると察し、それならばと考える素振りを見せる。


「つまり、俺やヴィルがどんな女に魅力を感じるか、ということ?」


「有り体に言えばそうです。女に興味のなさそうなところで二人は似てますから」


「まさか。興味ないことはないよ。対外に見せていないだけだからね。それに、学生時代に二人で花街に行ったこともあるよ」


 ルチカは思わず飛び起きた。

 話の続きを求める視線はひらりと躱され、マキはルチカの額をちょんと突いた。


「ヴィルに口止めされているから、これ以上は言えない」


「花街にも色々な女の人がいますよ?どんな人を買ったんですか?」


 ずいっと身を乗り出すと、言葉に合わせて立て続けに三度額を突かれた。


「君はっ、表現がっ、悪いよっ。花街は一時の夢を買うところで、人身売買している場所ではないからね」


 そんなことは百も承知だ。花街の娼婦たちとは、一月近く同じ釜の飯を食った仲なのだから。

 

「ご託はいいので白状してください。どんな子とお楽しみになったんですか」


 明け透けない物言いに、マキは口論を諦めたのか肩を竦めた。


「それならどういう子が好みですか。それくらいなら教えてくれても問題はありませんよ」


「そうだなぁ……普通に可愛い子、かな?」


「普通って何ですか。普通という曖昧な表現ではわかりません。そんなこと言ったらわたしだって師匠に可愛い可愛いって言われてますよ」


「君は可愛いよ」


 さらりとマキに褒められ、ルチカはじんわりと頬を赤くして素直に照れた。


「可愛いけれど、恋愛対象にはならない『可愛い』だからね。動物をながめて愛でる気持ちが、一番近いかな」


 どこまでいってもルチカは人ではなく猫扱いだって。

 ルチカとしても、マキに対して恋愛の意味での愛情は持っていないので構わないのだが。


「本当に愛でてますか?苛められてる印象しかないですよ」


「そうだった?……それなら明日、砂糖菓子を買ってあげようかな」


 ぱぁっ、とルチカの顔が輝き、それを目にしたマキはくすくすと笑う。


(さすがはお菓子の神様!)


「熱も下がったようだから、カドニールに連れて行ってあげるよ」


 数日寝込んだルチカだが、今ではすっかりと健康体だ。

 心に負傷があるものの、砂糖菓子の甘い誘惑にいとも容易く陥落した。

 マキやクラン経由で、ヴィルバートからお見舞いと称したお土産は毎日貰っていたものの、初日以来なぜか砂糖菓子は禁止されていた。

 再びあのふわふわじゅわ甘を味わえる機会が訪れようとは。


「あ、そうだ。ヴィルが構ってくれないなら、あの砂糖菓子屋の青年に可愛いがって貰ったらどうだ?」


「アストですか?」


 彼はルチカに恩義を感じているので、邪険に扱われたことはない。

 触れ合いが過多だが、根は善人だ。


(砂糖菓子を余分にくれるし)


「俺たちは忙しい。目が回るほど、忙しい。砂糖菓子の傍からなら、君も離れないだろう?また誘拐されても面倒だからね」


「あれも誘拐に入れるんですか。ヴィルのお母さんですよ?」


「そのヴィルのお母さんに嫌われて強制送還されかけたのに、庇うのか?」


「未遂ですし、まだリタにわたしの居場所がもれていなかったので構いません」


 ヴィルバートの母親の精神はまともではなかったので、ルチカとしても事を荒立てるつもりはない。


「リタ国王が追い求める秘宝、だったかな?あんまり、ぴんと来ないけれど」


 マキはルチカを上から下までながめ見て、首を捻っている。


「柄じゃないですからね。わたしには旅人風情がお似合いですよ」


「女神の復活祭が終わったら、また旅に出るつもりなのか?ヴィルのことは、このまま放置?」


「放置してるのはヴィルの方ですよ」


 ルチカは拗ねてごろんと体を倒した。

 上手いことマキの膝に頭が乗ったが、彼はそれくらいのことで不快になったりせず、むしろ手慰みにルチカの髪を結って前衛的な髪型の制作に没頭し始めた。


「大分俺にも懐いたよね」


「機嫌の悪いときに怒らせなければ優しいと学習しました」


「それを言っちゃうところが、君が君たる所以だよねぇ」


 マキはさらに編み込みを細かくし、ルチカの頭皮をぎちぎちと締めつける。

 左側頭部にレースのような繊細な模様を編み、次は右側だと言われて頭を逆に傾けさせられた。

 視界がマキの腹部のみとなったところで、彼はふと顔を上げた。

 

「あ。ヴィル」


 背後にヴィルバートがいるのかと、ルチカは急いで振り向こうとするが、髪を弄るマキに頭を固定されていて身動きが取れなかった。

 また例の深海魚のごとくびちびちとしていると、ヴィルバートの呆れたような声が下りてきた。


「マキ。病み上がりの猫を、あまり夜風に当てるな」


(心配してくれている……?)


 なのにルチカがまるで見えていないかのように、一言も掛けてはくれない。

 しゅんとしたルチカは暴れるのを止めた。

 何か縋るものが必要だ。眼前にはマキしかないので、仕方なく彼の服の裾を握り締めた。


「……仲、いいな」


 ヴィルバートがぽつりと呟いた。

 ぎこちなく聞こえたのは気のせいだろうか。


「羨ましい?」


「いや、」


「ヴィルがいらないなら貰おうかな、この猫。躾がいがありそうだし、それに何といっても毛並みがいい」


 マキがルチカの髪を手櫛で梳いた。

 癖のない滑らかな触り心地を気に入ったようだ。


 返事の代わりに背後でじゃりっと音がした。ヴィルバートの靴底が地面を踏み締めたかすかな響きだ。

 何かに躊躇い、二人に近づいて来ない意思がそこから垣間見えた気がした。


「……好きにすればいいだろう」


 言い捨てたヴィルバートが、どこか遠くへと離れていってしまう気配がした。


(捨てられた……)


 捨て猫となり野良に逆戻りしたルチカは、目から溢れだした涙を誤魔化し、顔を伏せてマキにしがみついた。

 熱でうなされていたときよりも、どうしてなのか息苦しい。

 アニスに置き去りにされたあの日でも、罵る気力があったというのに。

 今は「ぶっ飛ばす」とさえ出て来ずに、ただただ悲嘆に暮れている。


 一方通行のこの感情は砂糖菓子のように紡がれ膨れ上がっていくのに、甘いどころか苦味ばかりが増していく。

 いつか溶けてなくなるのだろうか。それはいつのことなのだろう。

 その前に棒から手を離してしまえたらいいのに。

 

 これでは大好きな食事も、喉を通りそうになさそうだ。


「はぁ……。何だろうねぇ、あの態度は。――――それと、ルチカ。泣くのはいいけれど、男の下腹部に顔を埋めるのは、問題があるからね?」


 無視していると、マキがため息混じりに続けた。


「変な噂が立ちそうだ……。君も、発情期の雌猫って言われるよ?」


 ルチカは全てを聞き流した。

 今は誰に何といわれようと、情けないこの顔を上げることは出来ないのだ。

 野良猫は弱いところを見せてはいけない生き物なのだから。


 頑なな捨て猫ルチカを、マキはいい子いい子と宥め続けた。



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