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偽色彩師と漆黒の騎士  作者: 名紗すいか
美少女誘拐事件編
2/39

いち


 麗らかな陽気が澄んだ窓ガラスを通り抜けて、ルチカの膝の上にある絵本へと降り注いだ。

 表紙は破けて、ページの端もぼろぼろ。水に濡れたことがあるのか、シミの形にでこぼことしている。


 はっきり言って汚い絵本だ。


 それでもこの孤児院の子供たちにとっては大切な、色のついた絵本でもあった。

 ルチカは、ぱらりとページをめくって読み聞かせを再開した。


「……――大陸の女神様は言いました。『争いによって、人の血が流れすぎました。わたしの力も失われていくでしょう』と」


 戦いをする人間たちを見つめ、憂いの表情をする女神の絵をゆっくりとめくる。


「女神様の言葉通り、大陸を華やかに彩る数多の色が、少しずつ少しずつ失われていきました」


 ルチカはふと、顔を上げた。

 ルチカの周りに集っている子供たちは、何度も繰り返し読んだ本だというのに、真剣に聞き入ってくれている。


 色なしとして、差別を受けてきた過去のある彼らは、どんなことを思っているのだろうか。


(このまま色に優劣をつけない、まともな大人になって欲しいんだけどね……)


 しみじみとしながらルチカは、街に白が増えていくページを次へと繰ると、墨色の髪をした青年が現れた。本来の色よりも薄いその頭上には、金の王冠がのせられている。

 

「旧国の王であった、世にもめずらしい漆黒の色彩をもつアルフレッドは、他国との争いをやめました。しかし、大陸はもとには戻りません。それどころか、日に日に悪くなっていくようでした」


 芽を出したばかりのみずみずしい葉も、卵から帰ったばかりの温かな小鳥も、産み落とされたばかりのなきじゃくる人の子でさえも、みんな単調な、輪郭を描いただけの味気ない絵。


 この世に生を受けたものは、はじめに奪われる。

 それぞれの、個性を。


「だから、アルフレッドは決意しました。この原因である女神様を討つ、と。

 それを聞いた国民は反対しました。戦を休んでいた他の国の王たちも、もちろん反対です。しかしアルフレッドは一人、剣をもって女神様のいる神殿へと向かってしまいました」


 めくった先で、女神の胸へと銀の刃が深々と突き刺さる。

 波打つ七色の髪が揺れて大きく広がる様子がルチカの目の奥に浮かんだ。


 死を前にしても、女神の顔は慈愛に満ちていて、木洩れ日のような穏やかさがあった。その眼差しはアルフレッドへ――――。


 ルチカはいつもここで、胸がきゅっと締め付けられるのだ。それを悟られないように、女神の口調を思い描きながら続けた。


「世界中に女神様の声が響きました。『あぁ、愛しき人の子よ。わたしが消えれば大陸から、生あるものの色彩は奪われるでしょう。

 それでも、歩み続けなさい。

 己を顧み、明日を変えなさい。

 希望をその手に抱きなさい。


 そして……許しなさい』」


 女神の体は、ほろほろと光の中にほどけていく。

 彼女は微笑みながらアルフレッドの頬へと手をのばした。


 まるで涙をぬぐってるかのようだ。


「『わたしはこの力を地上へと遺します。

 いつかまた、あるべき色彩の未来が訪れますように……』」


 女神の微笑は永遠に失われ、アルフレッドだけが残された。

 空っぽの神殿に、加護はもうない。


 この後アルフレッドがどうなるかは、大陸に住む者なら誰もが知っている。

 指先の動きが鈍くなり、ルチカは静かに苦笑した。

 過去は、戻らない。変えられないのだから。と、言い聞かす。


「大陸は女神様の加護を失い、住まう人々は恐ろしさに震えました。そして、その怒りの矛先はアルフレッドへと向きます。

 アルフレッドは自分の国の民に捕らえられました」


 そして、処刑された。


 また、血が大陸に流れる……。


 絵本なのでその描写はないものの、子供でも容易く想像できるだろう。

 アルフレッドは今日に至るまで、色彩を奪った悪王としてその名を歴史上に残している。


 彼の持った、漆黒という色彩と共に――――。


 以来漆黒は『忌み色』と呼ばれ、畏怖の対象とされている。


「アルフレッドが死に、それでも世界は変わりませんでした。終わりへと近づき、人々は悲しみにくれました。

 悠久の加護を持つ空や海、大地は鮮やかな輝く色彩を際立たせ、生命は雪のような、しんと迫りくる白さに、心を凍えさせました。

 絶望の中で祈り続けます。女神様を信じて……」


 真っ白な少女が胸の前で指を組み、祈りを捧げている。寂しくて、厳かだ。


 そしてルチカはこの絵本で一番色彩豊かで美しいページを開いた。


「ある日、暖かな風が大陸を吹き抜けました。

 春を告げる始まりの風です。いくつもの産声を運び、そして色彩を届けました。

 ついに、女神様の力を持つ子供たちが生まれたのです」


 咲きほころぶ花々の、歓喜の調べが人々を寿ぐ。


 ルチカはそっと、最後の一枚へと、手を伸ばした。


「祝いの祭典が、女神様の七色の色彩に合わせて、七日間続きました。 そして、人々は女神様の力を授けられた使徒であり、色彩を与えることの出来る彼らのことを――――」


 ルチカは一瞬唇を噛み、それから息を吐き出すように言い切った。


「色彩師と名付けました」


 ぱたん、と絵本を閉じるとルチカは表紙を上にした。


 タイトルは『大陸の女神様』だ。


 リュオール国版のこの絵本はアルフレッドに対してあまり深く書かれてはいない。子供向けとはいえ全体を通して漠然としている印象だ。 

 他国の伝記になると、彼についてあることないこと悪く書かれていたり、彼のことには触れず、女神にのみ焦点をあてていたりする。


 ルチカは師匠と国を旅しながら、その国の絵本を読むのが密かな楽しみだった。

 幼い頃にできなかった反動だと師匠は言うが、絵本の言葉は易しいから、語学勉強の取っ掛かりになるのだと主張している。

 各国の絵本版『大陸の女神様』は、それぞれの国の言語で諳じれる自信がある。

 

(それにしても、アルフレッド王のお膝元でも、やっぱり悪王なんだね……)


 アルフレッドを捕らえたのが自国の民なので当然といえば当然なのだが。

 と、そんなことを考えていると、ルチカはくいくいと横から服を引っ張られ、現実へと意識を戻した。

 いつの間にか子供たちは外へと遊びに行き、一人だけ残った女の子が、ちょん、と愛らしく首を傾げている。


「おねえちゃんは、色彩師に会ったことある?」


「ありますよ。どうして?」


 女の子はにっこりとして、くったくのない笑顔を浮かべた。


「あのね、お礼がしたいの。今日、目が覚めたらね 、……ほら!白じゃなかったの!」


 女の子は立ち上がってくるりと回って見せた。

 ワンピースこそくたびれた白色だが、赤みを帯びた茶色いくせ毛にくりっとした澄んだ空色の瞳、頬は淡く染まり薄紅の小さな唇は大きく弧を描いている。

 ルチカはゆっくりと窓の向こうを見渡した。

 昨日まで目で識別することが困難だった子供たちが、自然な色合いで笑っている。


「でもね、すぐに帰っちゃったんだって。お仕事忙しいから仕方ないのよ、って園長先生が言ってた……


 しゅんとした女の子の頭をそっとなでで、ルチカは「そっか」とつぶやいた。


「もしその人に会ったら、みんなが感謝してたって伝えておきますよ」


 女の子はきょとんする。目を丸くして、小鳥のようだ。


「おねぇちゃんの知り合いなの?朝会った?」


「うん。大丈夫、よーく知ってる人間ですからね」


 ――――世界中の誰よりも。


 ありがとう、と言ってみんなの所へと駆け出した女の子をみつめながら、ルチカは苦く微笑んだ。



♢♦︎♢♦︎♢♦︎



(これでようやく仕事が一段落した!)


 仮の宿ではあるが、クラレットでゆっくりと休みたい。ローリエに紹介してもらった、落ち着いた雰囲気を持つ酒場の二階が今の寝床だ。

 ご飯と寝床を餌に、散々馬車馬の如く奔走させられ続けたこの一月を、ルチカは遠い目をしながら振り返った。

 フルーヴェルを蜘蛛の巣状にあちこち練り歩かされ、この三日はついに王都の外にある孤児院へと出張させられた。

 娼館に置かず、クラレットに居候させてもらっているルチカには、ローリエに文句を言う権利はないが。


(ローリエさんは鬼だ!美人だしいい人だけど!……そもそも師匠が悪いっ!)


 まだ風に冷たさが残っていたあの日、通りがかったフルーヴェルで、ルチカは師匠に放置された。

 一言の断りもなく。


(歓楽街に!年頃の娘を!一人で!)


 置き去りにされたルチカはフルーヴェル内を彷徨い歩いた。初めて訪れた土地で右も左もわからず、道を尋ねても無視されるか追いかけられるだけ。

 泣かなかったことだけは誉めてほしい。


 それだけでも酷い仕打ちだというのに、荷物をすべて持っていかれた。


 お気に入りの洋服も、よりすぐりの絵本たちも、こつこつ貯めた路銀のつまった皮の袋も、入国許可書(偽造)までも。


 この先どう生きていくかを憂うよりも、真っ先に思い浮かんだのは師匠の麗しい姿だった。天上の神人のような微笑で、物乞いたちにルチカの路銀を分け与えている様子が目に浮かぶ。

 ぷるぷると震えながら、ルチカはスカートを握り締めた。



(路銀使い切ってたら、今度こそぶっ飛ばしてやる!!)



♢♦︎♢♦︎♢♦︎


 

 何度も礼をする園長と、手を大きく振る子供たちに見送られ、ルチカは孤児院を辞した。

 フルーヴェルへと戻るには、王都に入り、さらに端から端へと移動しなくてはならない。

 王都内なら、相乗りの辻馬車を苦労せず探せるはずなので、愛用の外套のフードを深く被ると、一路王都へと歩き始めた。


 日が傾ぎ、沈む前にはフルーヴェルへと辿り着くのが望ましいが、近道をするほどルチカの危機管理能力は低くない。


 王都の周辺には人工林が点在していて、昼間でも寂としていた。

 喧騒が届かない、ということは、その林の中で何があっても外に伝わらない、ということだ。

 そんな危険地帯を横切るくらいなら、倍の時間をかけてでも迂回する。喜んで大回りする。


 砂利の、靴に優しくない道から舗装された石畳に出ると、ようやく王都らしさが現れた。

 リュオール国の王都は、レンガ造りの家が主流なおかげで、比較的落ち着いた色合いの街並みが広がっている。この辺りはサントゥール寄りなので、暮らす人々もきちんと人間らしい色をもっていた。


 ――――ルチカよりも、よほど。


 ルチカはフードの縁を両側から引っ張り、さらに深く被り直した。

 フードの形が変に崩れてしまうのは、無意識の仕草のせいだった。


 色彩師は色を与える。

 どんな色を与えるかは色彩師の自由。


 多くは既存の色彩を転用するだけだ。

 だが色彩師の中でも稀に、女神の力を濃く受け継ぐ人間がいる。

 その本人以外には、誰にも真似することのできない色彩、『希色』生み出す。


 希色を与えられた、特に人間は、高値で取引される。


 色彩愛好家の貴族たちに。


 ある南の国の王様は、自分の娘が希色持ちとなったことを大層喜び、ガラス張りの温室を造らせると、そこに娘を閉じ込めた。


 血の濃さは問題ではないのだ。


 彼らに人権なんてないに等しい。


 希色持ちの末路は、見せ物か愛玩動物か、それともただの道具として利用されるだけか……。


 うつむいたまま、ルチカは急ぎ足でフルーヴェル行きの辻馬車を探した。

 大通りには運よく、いくつかの馬車が停留していて、ルチカは、御者台で顔に帽子を乗せて、うたた寝をしているおじさんに声をかけた。


「すみません、この馬車はフルーヴェル行きですか?」


 どこか語学の教材本めいた言い回しだったが、御者は客だと気づくと帽子を掴み取り、顔を起こした。

 愛想のいい笑みは、客が白い外套だとわかるとすぐに消え、訝るように目を細めると「おまえ、金は持ってるんだろうな?」と、疑うようにずいっと顔を近づけた。

 怯んで後退りしたルチカの仕草を否定と捉えたのか、あっという間に追い払われ、その馬車は他の若者たちを乗せると意気揚々と走り去っててしまった。

 土煙が目に染み、けほっ、と咳をしたルチカは、馬車の後ろ姿を涙目で見送った。


 外套の色のせいか、それとも顔を伏せていたせいか……。


 気を取り直してルチカは別の馬車を見つける度に声をかけるが、適当にあしらわれ続けてさすがに意気消沈した。


(まぁ、仕方ないか……)


 ルチカ自身、怪しい風体だとわかっているがこればかりはどうにもならない。


 何台目かを見送り、沈み始めた太陽を背景にぽつんと道にたたずんでいると、背後から馬車の走る音が近づいてきたので、そっと端にずれて道を譲った。

 馬車はルチカの脇を通り過ぎ、少ししてから急停止した。

 何だろう、と思っていると御者が降りてきて、苦虫を噛みつぶしたような顔でルチカを手招きした。

 警戒しながら近づくと、御者は「フルーヴェルか?」と聞いてきたのでこくりとうなづいた。


「乗ってくか?」


 その言葉をどれほど待ち望んだことか。

 ルチカは一も二もなくその言葉に飛びついた。


「乗っていきます!」


 ローリエからもらったお小遣いの中から必要な分だけ渡すと、御者はあいまいな笑みで、馬車の方へと目を向けた。

 中には誰か乗っているようだ。小窓からは角度的に人影も見えない。


「変わったお客でな、嬢ちゃんをのせてやれって言うからなぁ……」


 仕方なくルチカを乗せるんだ、と言外ににおわしてくるが、乗せてくれるだけで御の字だ。


「似た者同士だからかねぇ……」


 御者のかすかなつぶやきが、馬車に乗り込むルチカの耳に聞こえた気がした。




 乗客は一人だけだった。

 薄手の深い藍の外套を羽織り、裾から男性用の暗褐色の靴が覗いている。

 座席の背もたれに体を預けず、伸びた背筋。足の幅はほどよく開かれ、膝の上に拳が軽く乗せられていた。


 摑みどころのない雰囲気と、精錬された少しの威圧。

 今ここでルチカが襲いかかっても、即座に反応してねじ伏せられるだろう、と思わせるような。

  

 対面に腰掛けながら、そうっと彼の顔をうかがう。


 御者の言葉はそのままの意味だった。


 見えるのは鼻から下、引き結ばれた唇と象牙色の鋭いあごの線だけ。

 なぜなら彼は、顔のほとんどををフードで隠していたからだ。

 見えている部分だけでも、どことなく端正な印象を受けた。ただ単に顔を隠したいだけなのかもしれないが、ルチカのように色を隠しているのかもしれない。


(髪か、それとも瞳か……)


 妙な仲間意識が、ルチカの緊張感を朝露ほどは緩ませた。


 馬車が揺れはじめ、窓の外を王都の街並みがのんびりと流れていく。

 ルチカはフードの首もとにある留め具の上を片手で厳重に絞り、顔だけ出るようにした。髪がこぼれてこないように反対の手でフードの中へと押し込む。

 その辺の道端に師匠らしき人物がいないかどうか、金の瞳をきょろきょろ彷徨わせていると、突然ふっ、という押し殺したような笑い声がした。


 もちろんルチカではない。


 ということは、と目を向けると、彼はやや顔を落としてフードに表情を隠してしまっていた。


(笑われた……?)


 フードを掴む手をほどき、ルチカは大人しく座席に座り直した。


「………………」

「………………」


 がたごと、と馬車の揺れる音だけがやけに大きく響く。

 会話がない。

 何か話すべきなのだろうか。


(天気の話とか、天気の話とか、天気の……)


 堂々巡りに陥り、ルチカはフードの下で頭を悩ませる。

 人見知りこそしないが、こういうときはいつも間に師匠がいて、男女構わずいい雰囲気になり始めたところを、「ぶっ飛ばしますよ!」とたしなめるのが常だった。

 

 博愛主義の師匠は、人というものを愛している。

 その美貌は甘い花の蜜のように、誰彼構わず惹きつける。

 色彩にではなく、師匠の生来の美しさに。


 色彩にとらわれているのはルチカの方だ。


 対面の彼の目には、この世界がどう映るのだろうか。この偽りの色彩世界が――――。



 と、次の瞬間、馬車の車体が大きく揺れた。


 悲痛な馬のいななきがつんざいだ。



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