表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽色彩師と漆黒の騎士  作者: 名紗すいか
女神の復活祭編
19/39

いち


 深紅の薔薇が、夜露に濡れていた。


 彼女はその、傷一つない滑らかな指で、滴の粒を拭い去る。


「わたくしの代わりに、泣いているのね……」


 薔薇と同色の瞳で、夜空を仰いだ。


 月を見上げては、彼を想う。

 夜毎形を変え、色を変え、移ろう姿を彼へと重ねては。


 薔薇園で一人佇み、彼女は愛する彼だけを待ち続けている。


 彼はいつ、会いに来てくれるのだろうか。


 彼女が恋慕うのは、生涯彼だけ。


 彼のためならば、どんなこともする。


 彼が彼女の、世界の全て。


 彼との間に生まれた息子に、何の躊躇いもなく漆黒を与えられても、恨むどころか喜びで心が震えたほどに。


 そういえば、あの息子はどこにいるのだろうか。


 彼に寵愛を受けた、あの息子は。


 彼女は、くしゃりと薔薇の花を握り潰した。


 彼の、あの素晴らしく美しい、輝きを称えたあの瞳に止まる者は、皆憎らしい。


 リタの娘も、――――自分の息子も。


 落ちた薔薇の花びらが、風に浚われていく。

 白く朽ちて、夜闇を汚しながら。


「――――アイリーナ」


 彼女の耳朶に触れたのは、睦言のような囁き。


 彼女――――アイリーナは、満ち足りた笑みを浮かべた。


 今すぐ振り返り、彼の腕の中へと飛び込もう。

 きっと抱き止め、頭を撫でてくれる。

 それから見つめ合って、どちらからともなく口づけを交わす。


 そしてアイリーナが伝えたい言葉は、いつも一緒。


「愛していますわ。――――セオルス様……」




◇◆◇◆◇◆




「寝坊助起きろぉ」

「起きろ、起きろー」


 朝日の差し込む狭い室内に、あどけない二つの声が響いた。


 彼らは布団にくるまる塊に馬よろしく跨り、とにかく揺さぶりまくる。

 上半身と下半身に乗った、決して軽くはない重みと、子供特有の黄色い声に、塊がもぞもぞと動き出した。

 ひょこんと布団の端から覗いたのは、銀白頭の頭髪だ。


「起きろ起きろぉ」

「起きろ−、起きろ−」


 右へ左へ揺すられ、髪まで手綱のように引っ張られたルチカは堪らず顔を出した。

 そして子供たちへと一言物申す。


「年長者を敬いなさい」


 きょとんとした子供たちだったが、いそいそと、みのむし化したルチカから下りた。

 簡素な寝台の横で並び、再び顔を埋めかけたルチカへと純粋な疑問を述べた。


「年長者って何ぃ?」

「なぁに?」


「年上の大人ってことですよ」


 布団を被り、くぐもった声で答える。


「えー?ルチカねぇは大人じゃないもん」

「子供だよー?」


 ルチカは途端にむくりと上体を起こして、お気に入りの大切なリボンで、髪を束ねて結い上げた。

 そしてしゃなりと靡かせ言う。


「大人です」


 子供たちは顔を見合わせ、首を傾げてから声を揃えた。


「「どこが変わったの?」」


「このレースのリボンが見えませんか?不可視ではありませんよ?」


「リボンなんて子供でもするよ?」

「大人の方がしないよ?」


「……。それよりも、朝ご飯の時間ですか?」


 ルチカが諦めて尋ねると、子供たちは幼い指で外を差した。


「ううん。もうすぐ郵便屋さんが来るよぉ」

「来るよー」


 ルチカは時計を確認して目を見張り、布団を跳ね上げ、寝巻き姿のまま部屋を飛び出した。



            ♢



 リュオール国の西に位置する、ストライエ国。

 その国境近くの教会に、ルチカはこの数日、師匠とともに滞在していた。


 一月以上の行方不明のせいで、危うく死亡と判断される寸前にこの教会へと辿り着いた。

 危惧したとおり、方々から叱られるはめになったルチカは、現在修道女として孤児たちの面倒を見ながら反省中である。


 リュオールの騎士団で散々甘やかされた怠惰な猫は、真逆な清貧生活にようやく馴染んだところだ。


 世界各地のいたるところに教会はあるが、その全てが復原使の存在を周知しているわけではない。

 さらには復原使の活動を支援出来るような、資金の潤沢な教会はごく少数だ。


 その一つであるこの教会の荘厳な礼拝堂を、見向きもせずルチカは走り過ぎた。

 逸る気持ちで、教会の外へと繋がる扉を押し開こうとしたそのとき、


「何です、ルチカ。その格好は」


 おずおず振り返ると、この教会を取り仕切るシスター・レイナが鬼の形相で腰に手を当て、仁王立ちしていた。


「朝の日課です。郵便屋さんへと挨」


「挨拶をするのならば、それなりの姿でなさい」


「修道女服は暑」


「髪が隠せてちょうどいいでしょう。今すぐ着替えていらっしゃい」


 ルチカの話し終わる前にことごとく言葉を被せられ、言いくるめられてしまった。


(師匠は修道女服じゃないのに)


 与えられた一室に引き返し、服を着替えてから、改めて外へと駆け出した。


 色彩豊かな花々が咲き誇る庭の、飛び石の上を猫のように跳ね、道沿いに設置された郵便受けを覗き込む。

 だが中は空っぽで、配達がまだされていないことを示していた。


 ルチカは郵便受けを背もたれにしてしゃがみ、周囲の草をぶちぶち千切って時間を潰した。


(遅い……。職務怠慢でぶっ飛ばしてやる)


 こんもりとした小山が完成した頃、郵便配達の青年が走って来るのが見えてきた。

 ルチカは立ち上がり、そわそわしながら青年を待った。


「遅くなりましたぁー!道が混んでて、ぬかるんでて、すべって、転んで」


「御託はいいです。さぁ、郵便物を出してください」


 両手を差し出し、受け取りの準備万端なルチカに、青年は苦笑しながら、肩からたすき掛けされた鞄をごそごそと漁る。


「今日こそは、あるといいですねー」


「なかったらあなたをぶっ飛ばします」


「あはは、止めてくださいよー」


 青年はへらへら笑いながら、数通の信書を束ねてルチカの手のひらへと乗せた。


 すぐさまルチカは宛名を確認する。


 一通目は、教会への寄付に関する書類。

 ストライエでは、教会が孤児を受け入れているので、時折貴族の夫人からこのような手紙が送られて来る。


 二通目から四通目までは、教会の子供たちと、シスターへの私信だった。


 残るはあと二通。


 ルチカは可愛らしい猫の絵が描かれている手紙を、期待して裏返す。


 そこに記されていたのは、――――師匠の名前。


(師匠ぉぉ……)


 五通目は、師匠の愛人からの恋文だった。


(破り捨ててやる……)


 涙目のルチカは萎みきって、もう一通の簡素な手紙は適当に裏返した。だが、


「あー!よかったですねー」


 青年に明るい声に導かれて目を落とすと、そこにはルチカの名が、しっかりと書き記されていたのだ。

 我に返ったルチカは手紙の封を慎重に破き、便箋を取り出した。


 毎日手紙を送るルチカとは対照的に、彼からはなかなか返事が来ない。

 久しぶりの手紙に、胸が弾む。


 ルチカはほころぶ顔で、ぴらっと便箋を開いた。


 そしてそこに記された内容を目にし、笑みを失い、血の気を引かせ、驚愕に引き攣り、――――卒倒した。


「シスター!?誰か来てください!大変です!――――シスター!!」


 ルチカは郵便配達の青年の叫び声が、意識の薄れていくルチカの耳に、こだました。




◇◆◇◆◇◆



 女神の復活祭まであと二日日、騎士団本部は警備の段取りで慌ただしく、それに拍車を掛けるように新たな問題までが起きていた。


 マキの執務室に呼ばれたのは、仏頂面を張りつけたヴィルバートだ。


 ルチカが禿げを作ったソファに腰掛けたマキと、肩を並べる作業着姿の団長シュトレーの対面へと座る。


「普通、団長室に呼び寄せませんか?なぜマキの部屋に?」


「中庭から近いので無理を言ったのですよ。ヴィルもこちらの方が慣れているでしょうしね」


 慣れてはいるが、あまりいい思い出はない。

 マキに呼ばれてよかった試しが、これまでに一度でもあっただろうか。


「またそんな恐い顔して。放浪猫日記が数日途絶えたくらいで。ねぇ、団長?」


「なぜ……!?」


 ヴィルバートが戦慄した。

 私信のやり取りを、マキだけには決して知られないように注意していはずが。

 一体、情報の漏洩元はどこか。


 凍りつくヴィルバートを、マキとシュトレーは弟や息子を見るような目で、微笑ましいそうにながめている。


「文通ってところが初々しいけれど、はっきり言えば、幼稚だよね」


「幼稚……」


「強引に唇奪っておかないから、こんな亀の歩みの恋愛ごっこをする羽目になるんだろう」


「亀って……。あれは猫だ。それに、恋愛ごっこって何だ。猫と恋愛なんてしてないだろう」


 顔を背けたヴィルバートに、マキがにやにやしながらシュトレーに耳打ちをした。


「照れてますね」


「あまりからかうものではありませんよ。マキ。――――それでヴィルは、猫ちゃんと良好な関係を築けていますかな?」


「……団長もからかっていませんか?」


 ヴィルバートは退出してしまおうかと、腰を浮かせかけた段になってようやく、マキが泰然と足を組み、本題を切り出した。


「先日、王家雇いの色彩師を捕らえただろう。覚えてる?」


 ヴィルバートは気を取り直して答えた。


「そこまで呆けてない」


 汚職まみれの色彩師を逮捕したのは、他でもないマキが率いる隊なのだから。

 ヴィルバートも、一応はそこに籍が置かれている。


「それで万事解決、といかないのがこの話でさ。王家から直接抗議された。女神の復活祭の目玉である色彩師を捕まえたのだから、代わりを用意しろって」


「代わりって、どこかの貴族から貸して貰えばいいだけだろう?」


 貴族ならば、一家に一色彩師くらい常備してあるはずだ。王家から貸与の申し出があれば、断るどころか喜んで差し出すだろう。恩を売っておけば損のない相手なのだから。


「ヴィル。俺、直接って言ったよね」


 マキが皮肉げに口を歪ませる。

 この表情をするときは大抵、彼の複雑な事情が絡んできているときだ。


「まさか……!」


「そう。そのまさか。嫌がらせだよね。まぁ、向こうもそう思っているだろうけれど」


 ヴィルバートと、時を同じくして騎士団に預けられたマキ。


 年長者ばかりの中を二人で過ごす内に、お互いの事情は全て余すとこなく知り尽くすこととなった。

 そうでなくとも、ヴィルバートとマキの間には、切っても切れない深い関わりがある。


「色彩師を貸すなっていう、お触れが出ているらしい。女神の復活祭には必ず七人が必要だ。用意できなかったら面倒なことになる。だから、ヴィル」


 マキが悪戯っぽく笑んで立ち上がると、執務机の引き出しを探り、開封された数通の封筒を取り出した。


 マキが指で挟むそれらに、ヴィルバートは既視感を覚えた。

 ヴィルバートの部屋の、鍵の掛けられる引き出しにしまっておいた手紙の一部だ。

 色や柄がまちまちで、日々引き出しの中が彩られていくので、数通抜けていても気づかなかった。


「――――マキ」


 冷気を漂わせ、ヴィルバートがマキを見据えた。

 もちろんそれが効くような繊細さを、彼が持ち合わせているはずもなく。


「よくこんな、ミミズがのたうち回って干からびたみたいな文字を読めるね。感心する」


「……人の部屋に勝手に入ったのか」


「マキ。ヴィルに形だけでも謝りなさい」


 そこでやんわりとシュトレーが窘める。


「形だけ……」


 ヴィルバートがつぶやいた間に、マキが見事な形だけの謝罪をして手紙を返却した。


 暗号めいた拙い文字を解読した努力は認めるが、人の私信を読むのは犯罪ではないのか。


「大した内容じゃなかっただろう?恋文かと思って読んだのに、ただの日記で拍子抜けしたよ」


「団長。この男を何か罪に問えませんか」


「無理でしょうね」


 さらりと返され、マキを睨みつけかけたヴィルバートだったが、話の繋がりに妙な胸騒ぎを感じて問いつめた。


「なぜこれを持ち出した?」


 色彩師が必要なマキと、偽色彩師こと復原使のルチカの手紙――――。


「彼女の居場所を知りたくて」


「ル、……猫を使う気なのか?もうストライエに入国したはずだ。今から呼び寄せても間に合うかどうか……。それに、色彩師嫌いのあいつが来るはずないだろう」


 別れてからまだ数週間。そう早く戻りはしないはずだ。


「誰が今呼ぶって?とっくに呼び寄せ終えてるよ。当たり前だろう?今日辺り、着く頃かな」


「な、どうやって!?」


 ヴィルバートが引き止めても旅立った彼女が、マキの言葉なんかで帰って来るはずがない。


 だがマキは、爽やかないい笑顔で言った。


「一言書いただけだよ?」


「何てだ」



「――――ヴィル危篤」




 愕然とするヴィルバートの耳に、切羽詰まったルチカの絶叫が聞こえた気がした。




初ヴィル視点です。ようやくです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ