じゅう ろく
真っ先に扉から転がり入って来たのはロランツだった。
「ミアさんッ――――!!」
ルチカとヴィルバートの存在を欠片も気に止めず、ミアの棺目掛けて走って来た。
棺を開けようとするが、鍵が無情にもロランツを阻む。
「くッ、鍵がッ!――――ぶっ壊す!」
「……似て」
「ません!わたしのどこがロランツさんと!?」
ロランツが拳で棺を殴りつけ始めたところで、クランたちが続々と駆け込んで来た。
「ロランツ!何やってっ……!」
クランたちは無謀なロランツを羽交い締めにして、棺から引き剥がした。
後から悠々とやって来たのはマキで、ルチカとヴィルバートに目を止めて言った。
「あ。邪魔した?」
きょとんとしたルチカだったが、ヴィルバートと抱き合っていたことに思い至り、二人して慌てて距離を取った。
だが、手錠の鎖がぴんと張り、少し戻る。
ルチカは俯き、ヴィルバートは顔を背ける。
赤くなっていることを、マキが見逃がすはずもなく、にやにやしながら二人の肩に手を置いた。
「初々しいねぇ」
「……どうしてここが?」
マキがひらりと、金色のリボンを制服の内側から摘まみ出した。
「それは!」
ルチカがヴィルバートから貰った、大事なリボンだった。
マキがルチカの手を取り、リボンをそっと乗せた。
ほつれや汚れもさほどなく、ほっと胸を撫で下ろした。
「もともとこの邸に団長が目をつけててね。裏門の内側にこれが落ちてたから、君のお陰かな」
リボンをきゅっと胸に当てると、ヴィルバートが横からそれを抜き取り、ルチカの髪へと結び直した。
無くしたと思っていたので喜びも一入だ。
もう二度と、なくさないようにしなければ。
「ヴィル。幸せを噛み締めながらでいいから、仕事」
マキはそう言って、四つの棺を指差した。
そこでルチカはすぐさま口を挟んだ。
「でも鍵が」
「――――鍵ならこちらにありますよ」
突如降ってきたその優しげな声に、ルチカは驚き瞬いた。
なぜなら騎士団の制服に身を包んだシュトレーが、鍵を片手に階段を下りてきたのだ。
「庭師さん?何でここに……?」
茫然とつぶやくルチカを、ヴィルバートがはたいた。
「団長だ」
「庭師さんが団長さんだったんですか?」
「あははっ。団長を庭師だと思ってたの?」
マキが笑いこけ、シュトレーが彼の肩を叩いて窘める。
「私が指摘しなかったからでしょう。団長という肩書きでは、猫ちゃんが気負うかと思いましてね」
「この猫が気負うことなんてありません」
ヴィルバートが、ルチカの頭を鷲掴みして下げさせた。
(さっきまでと態度が違う!)
「構いませんよ。猫ちゃんの頭を上げさせてください」
シュトレーの一言でルチカの頭は解放された。
(照れ隠しかな)
ルチカはいそいそと、乱れた髪を毛繕いのように整えた。
シュトレーから鍵を渡されたクランたちが、棺の蓋を開き、中で眠る少女たちの脈を取り始めた。
「脈はあります」
「このまま病院へと運びましょうか。ですが、その前に……」
シュトレーは、ロランツが迷惑にも張り付くミアのまぶたを指で開き、瞳を確認した。
ルチカも確認のため、ひょいっと覗き込む。
「――――え?」
「どうした?――――これは」
「え。何?どうし――――これって」
ヴィルバートやマキ、騎士たちの視線がルチカの髪へと集中した。
「君と、同じ色?」
ルチカも目を疑ったが、間違いなく同じ色だ。
(これってもしかして、ただの転写なんじゃ……)
「希色は世界に一つしかないとばかり……」
「希色は同じ色彩師なら何度も出せますよ。それだと希色の価値が下がるので普通はしません。二度目以降は複製なので転写になりますし」
「つまり?」
ルチカが答えようと口を薄く開くと同時に、階上からドゥウェリの喚き声が轟いた。
「おまえッ――――!返せ!俺の力を返せーー!!」
次に聞こえて来たのは、軽やかな靴の音色。
こつ、こつ、こつ。
その音だけで、ときめが全身を駆け巡った。
胸が詰まって、唇が震える。
このときを、どれほど待ち焦がれていたか。
ふいに足音が、止まった。
ルチカは入り口に、全神経を注ぎ込む。
金の長い髪が、揺れた。
お揃いの白い外套の裾が靡く。
こつり。
最後の一歩が踏み出された。
室内の明かりが、その麗しい姿を映し出す。
懐かしい、大好きな師匠の、柔らかい微笑みがそこにあった。
それだけで感極まって、ルチカの目には涙がにじんだ。
肩にはあの、希色のフェレットがちょこんと乗って、「きゅう」と甘えた声で鳴いている。
師匠は真っ直ぐにルチカを見つめ、言葉を紡いだ。
「お久し振りですね。私の、愛しい弟子――――ルチカちゃん」
「し……しょ……う……?」
ルチカは溢れそうな涙を堪えて、師匠に飛びつこうとした。そのときだ。
なぜか、ヴィルバートが茫然として前へと進み出た。
「ア、アニス……さ、様?」
(……?)
「大きくなられましたね。私の、可愛いあなた」
(…………)
アニスが慈愛に満ちた表情を浮かべて、ヴィルバートを抱き寄せた。
(…………は?)
「アニス様こそ、お変わりなく」
アニスがヴィルバートの背中を、子供にするように、とんとんと叩く。
(これは……?わたしは……?)
置き去りのルチカを、マキが可笑しそうにながめ、シュトレーが苦笑して言った。
「ヴィルを騎士団に連れて来た女性は、アニスさんですよ」
(師匠ぉぉぉ……)
よく考えればわかったはずだ。師匠はヴィルバートのことを知っていたし、シュトレーとしたアルフレッド王の話でもそうだ。
そもそも師匠が、『大陸の女神様』の仮説の前身となる話を寝物語にしてくれたのだから。
「何なんですか、これは。わたしとの感動の再会はどこへ?」
「ルチカちゃんも来たいのですか?私の胸は、皆のためにあるのですよ。遠慮なく、いらっしゃい」
「師匠ぉ……」
ルチカが行こうとした拍子に、マキが水をさした。
「この美少女たちを先に、元に戻してくれませんか?病院に早く運びたいので」
マキの意見は正しく、ルチカは涙を飲んで潔く身を引いた。
おっとりとうなずいたアニスがまず、ミアの頬に振れた。
ルチカはヴィルバートを手錠で引っ張り、部屋の隅へと避難させた。
「アニス様も、色彩師なのか?」
「復原使ですよ。色彩師は彩色。復原使は剥落。白を剥がして、本来の色彩を取り戻させるのが復原使。世界を復原するために女神から加護を受けた、教会が認める唯一の使徒。だから金銭を要求しません」
アニスがミアの唇に、自分の唇を落とした。
体に触れるだけでいいというのに、彼女は必ず口づけをする。
(キス魔め)
アニスが離れると、ミアの唇に気高い七色のハクラクの花が咲いた。剥落の花が。
ルチカのものとは比べものにならないほど、高潔で繊細。色の奥深さに、目が奪われる。
刹那、皮膚にピシッと、細かな亀裂が走った。
騎士たちが動揺し、ロランツは泣き叫んでいる。
復原使たちが人前で力を使うことは、まずない。
そしてアニスのように、すぐに対象へと影響を及ぼすほどの強い加護を持つ人間も稀だ。
ルチカの力では、剥落に一晩は掛かってしまう。
今目の前で起きていることを、すぐに受け入れろというのは容易ではないだろう。
ヴィルバートは顔をしかめて口元を覆いだした。色酔いを我慢しているようだ。
ルチカは彼の背をさすり、吐き気をなだめながらミアの様子に注視した。
亀裂はみるみる全身を駆け抜けて、そして――――一気に弾けた。
色のついた白い陶器が割れるように、ミアの体から余分な色が綺麗に剥がれ落ちた。
そして剥がれたまがい物の色彩は、跡形もなく、ほろほろと崩れて消え去った。
アニスは立て続けに、三人にも口づけていった。
出来ることを全て終えると、アニスは目を伏せ、儚げに彼女たちをながめて謝罪した。
「すみません。皆さま。私が至らないばっかりに。もっと早く、美しの姫君たちを彼から救うことが出来ていればよかったのですが」
「そんなことないです!」
「そうですよ!アニス様は騎士団に通報してくれたじゃないですか!」
「身を呈して潜入までして、ありがとうございます!」
「全部アニス様のお陰です!」
(いつの間に騎士たちを手懐けて……?)
胡乱な目をしていたルチカは、ヴィルバートが前屈みになったことで、気持ちを切り換えた。
「どこかで横にならせて貰いますか?」
「……いい。平気だ」
「まだ気分悪いんですよね。師匠には甘えてのに猫には強がりますか。わたしも胸くらいなら貸してあげますよ。ヴィル一人ぐらいならきっと支えられます」
腕を広げてみせると、ヴィルバートが目尻をうっすら染めた。
「……呼んだな」
「呼んだ?」
「何でもない。アニス様の手が空いたみたいだな。……感動の再開を仕切り直してくるか?」
「落ち着いてからでいいです。なぜか騎士の皆さんに囲まれてますし。……新しい愛人候補たちめ」
(目の前で睦み始めたら、今度こそぶっ飛ばしてやる)
騎士たちの視界にはアニスしかおらず、彼女にいいところを見せようと、彼らは懸命に働いている。
「師匠に会えば誰もが惹かれるんです。猫として可愛がられてたわたしなんて、もう見向きもされませんね」
「……別に構わないだろう。俺の猫なのに、あちこちで餌付けられて」
「あのゴリラ猫もどうせそこら辺で餌付けされてますよ」
「マリアだ」
「わたしはルチカですよ。師匠がくれた、大切な名前です」
ルチカが初めて貰った、言葉の贈り物。
皆に愛されるアニスを見つめて、ルチカは自然と微笑んだ。
そしていくぶんか顔色が回復してきたヴィルバートを向いて、改めて自己紹介をした。
「わたしの名前はルチカ・ペシュランシェ。教会所属の復原使見習いです。表向きはしがない旅人ですけど」
「旅人で、猫だろう」
新しい属性として猫を追加するかどうか悩んでいると、ヴィルバートが気が乗らなそうにだが、姿勢を正した。
「……ヴィルバート・ローゼル。王立騎士団所属のしがない騎士だ」
「騎士で、飼い主ですね」
くすくす笑い合っている間に、復原処理された美少女たちが、騎士たちによって棺ごと階上へと運ばれていった。
ルチカとヴィルバートもその後に続き、見事地下室からの脱出を果たしたのだった。
◇
「――――ルチカちゃん」
パルフラット伯爵を含め、連行されていく男たちを背に、アニスがルチカの名を呼んだ。
外はすでに日が落ちていたが、邸の窓から漏れる明かりで、アニスの端麗な姿は判然としていた。
「お暇しましょうか」
「……お暇?」
「一度どこかの教会に戻りませんとね。私、怒られるのは嫌です」
アニスは子供のように、肩を竦めてはにかんだ。
フェレットが足場の揺れに、「きゅう」と不満をもらす。
ルチカは目を落として、胸を押さえた。
ここから去ることに心構えはしていたが、あまりに急なことで戸惑っている。
アニスとの再会を心待ちにしていたはずなのに、胸に空虚な穴を穿たれたようだ。
そこに凄然とした風が通り抜けて、じくじくと痛みを宿す。
(そうだった。師匠が迎えに来てくれたら、もうここにいる意味はないんだ……)
ルチカがアニスの元へと、覚束ない足取りで踏み出すと、手錠の鎖をヴィルバートが掴み引き止めた。
「不法滞在の件は」
「――――それは解決済みだよ、ヴィル」
証拠品押収のため、箱を抱えた騎士たちに指示を出ていたマキが、振り向きざまにそう言った。
「団長がアニスさんと繋がってたからね。とっくに入国証明はされていたよ」
「それなら何でわたしは手錠のままだったんですか。無実の人間を捕らえるのが騎士団のやり方ですか」
未だルチカの左手首を戒める手錠を、マキへと突きつけた。
「泳がすにしても、目の届く範囲で泳がせないとねぇ?団長から内密に身柄を保護するよう言われていたけれど、使えるものは猫でも使わないと。それに普通はね、不法滞在者が騎士団内の施設で、ごろごろと野良猫ごっこなんて出来ないから。可笑しいと思わなかった?」
違和感なく過ごしていたルチカに、返す言葉など存在しなかった。
やはりルチカを絶句させれるのはマキのようだ。
消沈している間に、マキによって左手首の枷を外された。
ヴィルバートが握り、張り詰めていた鎖が、抵抗をなくしてぶら下がった。
二人の絆が途切れてしまったようで切ない。
慣れた負荷が消え、左手が軽いはずなのに、ひどく重たい。
無罪放免となったルチカに、留まる理由などありはしなかった。
(師匠のところに行かないと……)
だがルチカは二の足を踏み、未練を表すようにヴィルバートを仰いだ。
彼は不機嫌な、険しい顔つきをしてルチカを見据えている。
「行きますね。いつかきっと遊びに来ますから、そのときはまた餌をください」
「……山猫になるんだろう」
「餌をあげたら一生面倒みるのが騎士団の規則ですよ。首輪までつけたんだから、わたしはずっとあなたの飼い猫です」
「……そうやって愛想を振り撒いて、飼い主を増やしていくのか。浮気猫」
「ルチカです」
最後ぐらい、名前を呼んで欲しかった。
浮気なんてするはずがないのに。
彼だから、傍にいたのだ。
彼だから、傍にいたい。
「わたしの家はヴィルの右側です」
正直に本心をぶつけたルチカに、ヴィルバートの紫石英の瞳が揺れ動いた。
あんな牢獄の中の楽園は、家なんかではない。
また帰って来たいと思う場所が、本当の家だ。
「――――ルチカ」
ただ名前を呼ばれただけなのに、全身が甘く痺れたように熱を持つ。
彼の声は、本当に心地いい。
ヴィルバートが真剣な眼差しで、ルチカを見つめて言った。
「行くなって言っても、行くのか?」
だからルチカも、思いを告げた。敬語の壁を、取っぱらい。
「ついて来てって言っても、ついて来てくれないよね?」
二人の思いは平行線だった。
交わるには、どちらかが折れるしかない。
(今は、行かないと)
ルチカは最後に、にこりと笑ってみせた。
次はいつ会えるのだろうか。
せめて笑った顔を、覚えていて欲しい。
それが薄らいで来た頃に、また会いに来よう。
ヴィルバートはため息をついて、ルチカの頭をはたいた。そのまま数度撫でる。
「たまには帰って来い、放浪猫」
「帰って来ますよ。放浪猫日記でも送りますか?」
「……待ってる」
小さく言って離れかけた彼の手を、ルチカは恭しく取った。
その甲へと、静かに唇を落とす。
ヴィルバートが驚いたのか、びくりとした振動が唇から伝わってきた。
そっと離すと、ハクラクの花が咲いて――――萎んだ。
あっという間に枯れて、朽ち果てる。
ルチカ同様、剥落を拒絶された。
「これは……?」
「マーキングです」
誤魔化すようにしれっと言い、名残惜しく手を離した。
彼を守る力はまだない。自分を守る力さえも。
「――――ルチカちゃん」
「今行きます」
ルチカは輝きを増す髪を揺らし、アニスの隣へと駆けつけた。
そして、決して振り返らずに、歩き出した。
帰る場所は、ここだから。
◇
「ここに居てもよかったのですよ?」
「……」
「これは、リュオール中心に活動すると、教会に願い出ないといけませんね」
「……」
「強情なところがまた、可愛いのですが。私の、愛しいルチカちゃんは」
「……師匠」
「どうしたのですか?」
「ぶっ飛ばしても、いいですか?」
「いいですよ。――――泣き止んでから、ね」
アニスが横からそっと、ルチカの頬を伝う透明な涙を拭い取った。




