じゅう ご
「……どういうことだ?」
半狂乱のドゥウェリを取り押さえたヴィルバートが、ルチカを厳しく問う。
「美女の誘惑に乗って大切なものでも失なったんじゃないですか」
そっけなく言うルチカをはたき、ヴィルバートが距離を詰めた。
「要約しろ」
「この小物色彩師は小物人間に成り果てました」
ルチカの淡々とした言葉を突きつけられたドゥウェリが、絶望を表すようにがっくりと項垂れた。
「無くなるものなのか?」
「不朽のものなどこの世にはありませんよ……」
訳知り顔にものを言うルチカは、格好をつけるな、とまたヴィルバートにはたかれた。
「その美女は何者だ」
「……」
すぅっと目を逸らすと、再度強めにはたかれた。三連続だ。
「……わたしの、師匠ですね。こんなやり方をする人は他には知りません」
「師匠って、女なのか?……男だとばかり」
ヴィルバートがかすかなつぶやきをもらして、すぐさま口元を手の甲で隠した。
ルチカは多めにはたかれた頭を押さえながら答える。
「いくら何でも男の人と二人きりで旅なんてしませんよ。中性的な美人ですけど、生物学上は女の人です」
師匠に関しては性別を超越した美しさと嗜好で、男女の区分が曖昧ではある。
「そんなことより早くしないと、取り返しのつかないことになります」
東の空からは群青が迫っている。
ルチカが意識を失っている間に、それなりに時間が経過した証拠だ。
ヴィルバートがドゥウェリを引き起こし、案内しろと命じた。
「早くここにいる微少女を連れていけ」
「美しいじゃなくて微妙の微を使いませんでしたか?」
「聞き違いだろう。――――色……ドゥウェリ。騎士団に協力するなら減刑を訴えてやろう」
「この俺がどんな罪を犯したって言うんだ!」
ドゥウェリがやや復活してがなり立てる。
ルチカは呆れたが、ものは言った。ルチカを絶句させれるのはマキだけだ。
「……誘拐しましたよね?」
「誘拐したな。杖で殴られもした」
ドゥウェリは自らの所業を改めて突きつけられて、額に玉のような汗を浮かせた。
「お、脅されてたんだ!」
「反論は後で聞くから、今はそいつのところへ連れて行け」
「いいのか?知らないぞ?」
ドゥウェリがヴィルバートに押されて歩きながら、何度も確認するように言った。
ルチカにではなく、彼に。
◇
ドゥウェリが足を止めたのは意外にも、パルフラット伯爵邸の敷地内だった。
本邸に比べたら質素な邸ではあるが、それでも庶民からしたらかなりの豪邸だ。
ルチカのような、一介の旅人とは無縁の。
「パルフラット伯爵がカドニール事件の犯人なんですか?」
「正確には、パルフラット元伯爵な」
ドゥウェリがぼそりとつぶやき、呼び鈴を鳴らした。
彼は彼でこの邸に用があるらしく、慌てた様子で扉をがんがん叩いている。
(師匠がここに?)
だとするならば、師匠はこの邸の主に目をつけ、潜り込んでいたことになる。
「――――はい、どちら様で……きゃぁ!」
使用人を押し退けて、ドゥウェリが邸内に飛び込んだ。
だが、ヴィルバートが包帯をぐいっと引き返して、ドゥウェリはどすんと尻餅をついた。
そしてドゥウェリは、顔をしかめてヴィルバートを睨み上げて罵る。
「くそっ!幼女趣味の変態騎士さまが!」
「誰が幼女趣味だ」
(幼女……。ぶっ飛ばすぶっ飛ばすぶっ飛ばす)
ルチカとヴィルバートの冷たい一瞥をものともせず、ドゥウェリは使用人の女性へとすがりついた。
「あの女はどこだ!?」
足に絡みつく中年男に、女性は派手な悲鳴を上げ、すぐさまヴィルバートが包帯を手繰り寄せて彼女から遠ざけた。
まるで躾の出来ていない犬の散歩のようだ。
「この邸の主は?」
「ど、どのようなご用件で……」
ヴィルバートが問うと、彼女はぶるぶると震え、身を竦ませながら尋ねてくる。
恐怖の対象がドゥウェリではなく、ヴィルバートなところが哀しい。
ルチカはマリアを真似して、彼へと擦り寄った。
「……。邸の主に、所望する品を持参したと」
使用人の女性は、状況を飲み込めないまま、何度も振り向きながら奥へと駆けていった。
「物扱いは演技だからな」
「わかってますよ。本来は猫扱いで、こっちの小物は駄犬扱い」
ドゥウェリはルチカを睨みつけながら立ち上がり、後ろ手にされながらも服の汚れをはたき落として言った。
「幼……いや、美少女。美しき、少女。俺の力を返してくれるよう頼んでくれたら、俺の中の美の基準を下げてやってもいい」
「横柄な態度ですね」
「二、三日ならこの俺が付き合ってやろう」
にやりとしたドゥウェリだったが、凍てつくヴィルバートの眼差しが首筋に突き刺さったのか、無駄吠えを自粛した。
そうこうしている内に、使用人の女性が戻ってきて、三人をおどおどしながら中へと招き入れた。
邸内は薄暗く、どこか寂れた印象だ。
栄枯衰勢は世の常というが、パルフラット伯爵邸の華やかさを見た後だと余計に。
歩きながら、ヴィルバートは怪しまれないようにと、ドゥウェリの拘束を解いた。
精神が負傷しているドゥウェリ本人は、そのことに気づかす、両手を後ろにしたまま歩く。
(滑稽な……)
三人が通されたのは、いたって普通の書斎だった。
扉を開いた女性は主へと、恭しく一礼をする。
室内にいる杖をついた男が、「下がれ」と嗄れた声で言うと、女性はもう一度軽く頭を下げてから部屋を辞した。
ルチカはこの邸の主である男と、眉を潜めて対峙した。
(このおじさんが、カドニールの……)
足が悪いのか、男は上半身を杖が支える姿勢で立っている。
だが、老齢というわけではなさそうだ。眼光はしっかりと三人を捕らえていた。
(あの杖……)
男の杖は間違いなく、ルチカとヴィルバートを殴打した例の杖だった。
男はドゥウェリ、ヴィルバート、ルチカの順に目を据えて、ドゥウェリへと戻し言った。
「美少女を以外を、なぜ連れてきたのかね……?こんな小娘、息子にくれてやるがよい」
「ことごとく失礼な国ですね」
ルチカが平常通りに口を挟むと、男はふと目を見張り、興味深げに近づいてきた。
かつかつと床を鳴らす杖の音が迫ってくると、その威圧で不安が煽られる。
男は杖の持ち手をルチカの顎下に添えると、ぐいっと顔を持ち上げさせた。
「この色と顔を、昔どこかで見たのだが、ね……」
男は確信を持っているが、あえて焦らすようにぼかして言った。
内心の動揺を気取られないよう、ルチカは務めて冷静に返した。
「よくある顔だからじゃないですか」
男はルチカの髪に、弧を描くように目を細めた。
「よくある色ではないがね。これは売るより、返還が妥当……」
その瞬間、ルチカは取り繕っていた表情を失い、咄嗟に杖を払いのけて後退した。
手錠の鎖が限界まで伸びた辺りで、ヴィルバートがルチカを覆い隠すように、男との間に割り入る。
男はヴィルバートをながめ、労わるような口調へと変えた。
「忌み色とは、噂には聞いておったが……。外に出て来ていいのかね?王が、憂いておらんか?」
その言葉に、ヴィルバートの纏う雰囲気に、いくばくかの躊躇いが過った。
(王……?リュオール国王にまで、存在を知られてるの……?)
「国に恩を売っておくといい……。ちょうどそこに、リタ国王家が極秘裏に捜し求める、秘宝がある」
男が杖の先で指し示したのは、紛れもなくルチカ。
ヴィルバートがゆっくりとした動作で振り返り、紫石英の瞳に怯えるルチカの姿を映した。
これまで沈黙を守っていたドゥウェリは、驚嘆をもらす。
「リタの王家が!?」
「あの国は、希色をしまい込まずに、己の権力を誇示するように展示する……。この娘は、リタ国王の持ち物。返還せねば……」
「何を呆けたことを言ってるんですか。わたしはただのしがない旅人ですよ。リタ国?行ったことありません。見間違いじゃないですか?」
「そう言うならば、よい。他の娘たちをリタに運ぶついでに連れていくまで」
「リタに……?」
「あの国ならば、高く売れるだけでなく、娘たちも大切に扱われるよう。――――ドゥウェリ。娘を下に運ぶのだ」
ルチカは身震いをした。
パルフラット伯爵同様、希色を集めることが目的だと思っていたが、まさか売るためだったとは。
リタの王ならば、莫大な金額を吹っ掛けようと希色持ちを買うためならば、いくらでも喜んで出すだろう。
そういう人間なのだ、あの国の王は。
(あのどうしようもない男は、まだ元気なのか……)
ルチカは小さくため息をこぼした。
「この手錠はどのように……?」
低姿勢のドゥウェリが、ルチカとヴィルバートを繋ぎ止める鎖に目を向けた。
「鍵師を呼べばよい」
あっさりとした解決法に、ドゥウェリが拍子抜けして 間抜け面でうなづいた。
(息子の方は腕を切り落とそうとしてたからね……)
男に再度要求され、ドゥウェリが動こうとしたとき、ヴィルバートがそれを制した。
「俺が運ぶ」
見上げた彼はたじろぐルチカを感情なく見つめ、背中と膝裏に手を入れ、造作もなく抱き上げた。
(演技……だよね?)
「こっちに」
男は杖で正方形を描くように、四ヶ所壁を叩いた。
すると、ぎしぎしと壁の内部が鈍い音を軋ませ出す。
壁に切り込みが浮き出て、扉型に盛り上がった。
その隙間へと男が杖を捻り込み、持ち手を引っ掛けて開くと、真っ暗な空間が現れた。
あるのは階段で、暗闇を下へと続いている。
男が先んじて進み、ヴィルバート、ドゥウェリと縦に並んで無言で階下へと下っていく。
ルチカはしっかり抱かれているので、不安定ではないものの、迫り来る恐怖を耐えるため、ヴィルバートへとしがみついた。
彼からは何の反応もなく、杖の無情な音だけがルチカの耳を打った。
「ここだ」
男は最下の段を踏み、暗がりに潜む扉を開くと、真っ先にヴィルバートを誘った。
その室内は、無人でも明るく照らされていた。
(……違う、無人じゃない)
剥き出しの石壁が四方を囲み、中央には棺が四つ揃えて置かれている。
その一つに、よく知る顔があった。
「ミアさんッ――――!」
ルチカはヴィルバートの腕から抜け出して、ミアの眠る棺へと駆け寄った。
胸で手を組み、まぶたを閉じたミアの姿に息を飲む。
棺を揺すってみるが、彼女の体が左右にぶつかるだけで、ルチカは力なく腕を下ろした。
最後に入って来たドゥウェリが、棺を一瞥して男へと問い掛けた。
「色変えは?」
「もう済んでおる」
「……色変え?」
ルチカに引き摺られ、傍らで事の成り行きをながめていたヴィルバートが訝しむように口を挟んだ。
彼にはまだ、彼らの本当の目的を告げていない。
あの男の、存在もだ。
出来ることなら、このまま伏せておきたい。
ルチカは彼らの注意を引くように、咄嗟に思い浮かんだ疑問を叫んだ。
「でも!どこの色が違っ――」
そこで氷解し、ミアの顔へと即座に目を向けた。
(瞳か!)
透明な棺には鍵が掛けられいて、ミアの瞳を確かめるのは困難だった。
「ミアさん……」
ミアは美しい姫のように、花に囲まれ深い眠りについている。
「復原使の力でも、希色はどうにもならないって噂だったか。迷子の幼女は諦めてお家に帰るんだな」
せせら笑うドゥウェリに、男が尋ねた。
「復原使とは何だね?」
「色彩師の偽物ですよ。教会が裏でこそこそ糸を引いて、色彩師の仕事の邪魔をする悪辣なやつらだ。なぁ?」
(まがい物はそっちなのに!)
ルチカはきっ、とドゥウェリを睨みつけた。
背景に徹している、ヴィルバートにも。
彼はリュオール国王の話が出てから様子が変だ。
ルチカを庇いもせず、男とドゥウェリにやり込められているのを黙ってながめている。
漆黒の髪が表情を隠して、ルチカの視線を遮断してしまう。
すぐそばにいるのに、遥か遠い存在になってしまったようだ。
「例の、偽色彩師ってのがふさわしい称号だ」
「……もう色彩師でもない小物が」
ルチカが低音でつぶやくと、まだ癒えぬ傷口に塩を振られたドゥウェリは、呆気なく沈んだ。
「女神の加護を持つ希色とは、彼に似ている……セオルスに」
ルチカは瞬時にヴィルバートを仰いだ。
彼は、怒りを含めた感情の全てを、一つ残らず押さえ込んでいる。
ルチカはそっと彼の手を包んだが、やんわりと振り払われてしまった。
そのとき地下室内に、くつくつとした嘲笑が響き渡った。
ルチカはその不快な笑いのする方へと目を向けると、ドゥウェリがもう立ち直ったのか、傲然とした態度で棺へと手をついた。
「いいや、あの鬼才に似ているのはこっちだろうが」
ドゥウェリが顎で示したのはルチカではなく、ヴィルバートだった。
「何言ってるんですか?女神の力と一緒に視力まで奪われましたか。似てませんよ」
「おまえこそ目を瞑って生きてるんじゃないのか?目の形とか瓜二つじゃないか」
(目……?)
一度だけ会ったことのあるあの男。よくわらかない言葉。酷薄な瞳。緋と碧の、冷めた眼差し。
ルチカはヴィルバートを見つめた。
背伸びをして前髪を指で払うと、彼の瞳がこちらへと向いた。
緋と碧を透かし重ねたような、紫の瞳が。
負の感情があふれて、それでも押し殺し、耐え凌いでいる瞳。
ルチカに何も悟らせないよう、逸らすこともない。
それはあまりに明白で、ルチカの胸の内では衝撃よりも庇護が勝った。
(……そんな顔してたら、ぶっ飛ばしますよ)
ルチカはいつもの口調で、ドゥウェリに首を傾げてみせた。
「ほら、似てませんよ。目の形なんてどれも同じじゃないですか。わたしは猫と似てますよ。そんなことより、ここでまごまごしてていいんですか?もうすぐ騎士団が乗り込んできますよ」
「何を言う。騎士団ごときが……」
男は言い掛けたまま深く考え込み、ルチカの判断も一理あると頷いた。
「ドゥウェリ、ここで見張っておれ」
そう告げ、ドゥウェリは扉の外で見張りをし、男は階段を上がっていった。
「……馬鹿猫」
「……?」
「何のために時間を稼いでたと思ってるんだ。あんな悪党に同調した振りまでして」
ヴィルバートが内容とは裏腹に、呆れまじりの穏やかな声音で言った。
彼はマキたち騎士団を信じて、助けが来るまでの時間を延ばそうとしていたようだ。
その邪魔を、してしまったらしい。
「王がどうとか恩どうとかは……?」
「この国の王は意外と寛大だから、恩なんか売らなくても忌み色の一人くらい大目に見てくれている。そうでなければ、騎士団にも入団出来ないだろう」
(言われてみればそうか)
ヴィルバートがルチカの頭に、ぽんと手を置いた。
すると手のひらから熱が伝わり、じわじわと顔が赤くなっていく。
俯いたルチカを、彼は自分の胸へと寄せた。
額が彼の肩に当たり、火照った顔を悟られないように深く埋める。
「手錠に、位置がわかるような機能が搭載されてませんかね」
「そんな魔法みたいなこといくらマキでも……無理だろう」
「今の間は少しはあり得るかもという間ですか?」
ルチカはそっと、ヴィルバートの手錠に触れた。
その手を緩く握られ、心臓が破裂しそうなほど暴れ出す。
しかし、むしる物が何もない。
感情の発露先に困ったルチカは、ヴィルバートの背に右手を回してシャツをむしった。
「……穴が空く」
「繕いますから、ご容赦を」
ヴィルバートの左手がルチカの背中に添えられたとき、待ちに待ったあの声が階上で響き渡った。
「――――拉致監禁の現行犯だ!即刻捕縛しろ!」
事件を解決する話ではなく、ことごとく巻き込まれるお話です。




