じゅう さん
――――カチャン。……カチャ。
――――カチャン。……カチャ。
「さっきから何だ」
ヴィルバートが苛立ち混じりに、何度目かの解錠をした。
ルチカが手錠を掛けさせては、ヴィルバートが外す、を繰り返しを続けている。
彼を見守るには、片時も離れてはいけないとルチカは考えた。
運よく左手に嵌められた手錠は、女神の思し召しだ。
ルチカは再びヴィルバートに手を伸ばしたが、さっと躱されてしまった。
「女神。俺がいることを忘れてるだろう?」
アストが重たげなため息をついた。
「忘れてませんよ。師匠の真意は理解出来ました。感謝します」
「捜すのはどうする?俺は貧困街にしか顔が効かないからな」
悪いね、とアストが肩を竦めて謝る。
「十分助かりましたよ。居場所もある程度範囲は絞れました。仕事が終われば迎えに来てくれると思います。わたしは大人しく怠惰な飼い猫を極めますね」
はたかれる、と思いきや、ヴィルバートが自ら手錠を自分の右手首へと掛けた。
「あれですか。人に掛けられるのは嫌だけど自分主導ならいいということですか。我儘な飼い主様ですね」
余計な口を利き、回避出来たはずのはたきを頂いたルチカは、計らずも目的を達成した。
◇
「女神。出所したら会いに来いよ」
「失礼ですね。まだ前科はついてませんよ」
アストを見送り、宿の前でルチカは手を振った。
師匠も貧困街の子供たちに、また来ると言っていたようなので、そのときに改めてお礼を言うつもりだ。
アストが角を曲がり、その姿が見えなくなったところでヴィルバートが口を開いた。
「師とやらが来たら、帰るのか?」
帰る、という言葉は、ルチカの耳には異国語のように響いた。
「帰る?わたしに家なんてありませんよ。旅人ですから」
教会から指示を受け、師匠と共に流れるように国々を旅する。
そんな日常を、もう何年も繰り返してきた。
この先も、ずっとだ。
ふいにルチカの胸の奥で、ずくりと何かが痛みを伴い揺れた。
居心地がよくて、離れ難い。
ルチカはここに、根を張りかけている。彼の傍に。
「何の旅だ?必要な旅なのか?」
ヴィルバートが真剣な眼差しで尋ねてきた。
立って話す内容ではないので、ルチカは彼を中庭まで引っ張っていき、窓の下で朽ちかけいた長椅子へと座らせた。
そして自分も隣へと腰を下ろす。
乾きかけの洗濯物が、かすかに洗剤の匂いを漂わせていた。
ルチカはヴィルバートへと体を向けると、その闇のような漆黒の髪へと、遠慮せず触れた。
見た目より、柔らかい。
短く刈ったりしないところが、ルチカと同じ、ささやかな抵抗だろう。
彼は驚いたのか、小さく肩を揺らした。
怯えているようにも見えた。
「おかしいと思いませんか?」
「……何が」
「『大陸の女神様』」
虚を突かれた様子のヴィルバートに構わず、続けた。
「力を失い始めていた女神を、なぜアルフレッド王は討ち取る必要があったのか」
ヴィルバートは、あからさまに嫌悪に眉を潜めた。
彼にはアルフレッドの名は禁句だったのかもしれない。
「……それは。……力のない女神など不必要だと思ったのか、もしくは、女神を討てば元に戻るとでも考えたんだろう。そのせいで、世界は一度白に染まりかけた」
「そうですね。お蔭でアルフレッド王は悪王に」
「王、だなんて」
ヴィルバートは吐き捨てるようにつぶやいた。
過去の人間が、今を生きる彼を苦しめ傷つける。
(それは本当に、アルフレッド王だけのせい?)
ルチカはそっと、彼の頭を撫でた。不快そうに睨まれても、何度も。
「誰もが、アルフレッド王を悪にした。国民は彼を討った。でも、後世に残るような思慮の浅い傲慢な王ならば、捕らえられ処刑されることに反抗しなかった理由は?
それだけじゃない。女神が最後に残した言葉。あの、許しなさい、は本当に大陸の人々に向けられたもの?
わたしはこの、まがい物の色彩世界が生まれた真実が知りたい」
それが、一つの理由。
旅をする、密やかな目的。
「アルフレッド王が悪王じゃなかったなら……、あなたは救われますよね?」
瞬いたヴィルバートが、ルチカを見返した。
そこにあったのは、戸惑いだ。
歴史を根こそぎ覆そうというルチカの発言は、現実味のない話ではある。
ルチカ自身、他人に言うつもりはなかったのだ。
どうせ誰も信じないのだから。
どちらの瞳も、逸らそうとはしなかった。
吐息が触れてしまいそうな距離で見つめ合い、そして――――。
「――――マキ」
「――――マキさん」
背後の窓から黙って覗いていたマキへと、二人揃って低い声を出した。
いつからいたのか。
ルチカとヴィルバートの頭上に、窓から顔を出すマキの影が落ちていた。
「いやぁ、小さな恋の物語が、こんな洗濯物だらけの中庭で始まるとは思わないだろう?だから邪魔しないよう、微笑ましく見守っていたよ」
マキは悪びれもせず、爽やかな笑顔を浮かべて二人を見下ろす。
「小さな恋の物語って何ですか。わたしは今『大陸の女神』についての学術的な話をしていたんですよ?その辺の頭の固い学者たちには到底理解しきれない、新説を」
「どうでもいいよ、そんなこと。君たちの会話は、こういうときだけ遠回り過ぎるな」
「遠回り?」
「わからないなら、その小さい頭で考えてみたら?ヴィルも。たった一言が、なぜ言えないのかなぁ?」
悪戯めいた笑みのマキは、それだけ言い残してさっさと室内へと戻って行った。
「わたしの頭、小さいですか?」
「一言って何だ?」
ルチカとヴィルバートは互いに首を傾げ合った。
真面目な話がうやむやにされ、気が抜けた二人は、はためく洗濯物をながめたがら、改めて話し始めた。
「それで、また旅に出ていくのか?」
「そうですよ。飼い猫から放浪猫に格下げですね」
「……脱走猫だろう。もう二度と、この国には来ない気か?」
ルチカは遠くを見つめ、あいまいに苦笑した。
それを決めるのは、教会と師匠であり、ルチカではない。
どちらにしても、ルチカが一人で旅をすることはあり得なかった。
師匠に同行という形でなければ、危険すぎて教会の保護下に置かれていたはずだ。
希色である限り、常に人の目を気にしなければならない。
ルチカは色んな人に、守られてきた。
普段は師匠、フルーヴェルではローリエ、そして今は騎士団と、彼に。
「いつか絶対に来ます。だから、わたしという飼い猫がいたことを忘れないでくださいね。また餌をください」
「……別れのあいさつ、みたいだな」
「……そうですね」
(旅立ちが寂しいと思うのは初めてかもしれない……)
ルチカはちらりとヴィルバートの横顔を盗み見た。
苦しげに眉を寄せてくれればいいのに、彼はただ洗濯物を見据えるだけだ。
「手放し難くないんですか。あなたの猫ですよ?」
「勝手にいなくなる猫に言われてもな。行きたくないなら、残ればいいだろう」
「誰が行きたくないなんて……。自由に野山を駆け回って山猫になってやりますよ」
ルチカはそっと目を逸らして、空を仰いだ。
◇◆◇◆◇◆
ヴィルバートと雰囲気の悪い昼食を済ませると、ルチカはミアの店に寄ることを提案した。
「行くって約束してましたし、いいですか?」
「……警護の邪魔だけはするな」
「そんなロランツさんみたいなことしませんよ。純粋にお客さんとして冷やかしに行きます」
「それを客とは呼ばない」
ヴィルバートにはたかれ、帽子の庇の下で小さな笑みがこぼれた。
いつものやり取りが、堪らなく嬉しい。
繋がった手錠は前回同様、包帯で隠している。
帽子も、そのままだ。
「ミアさんにも早く平穏が訪れるといいですね」
「それは嫌みなのか?」
「騎士団はよくやってると思いますよ?」
またはたかれ掛けたとき、ヴィルバートがふと動きを止めた。
どこかから、人の怒鳴り声が聞こえてくる。
ルチカは胸騒ぎを覚えて、ヴィルバートと顔を見合わせてから、即座に駆け出した。
ミアの店付近だ。
誰かが揉めているのか、周囲が俄に騒がしくなった。
人だかりが出来、中央で言い争う男たちを、警護の騎士たちが止めに入っている。
「――――ミヤさんは!?」
ルチカの叫びは雑音に飲み込まれた。
騎士たちには聞こえない。
だが、隣にいるヴィルバートにははっきりと届いていた。
彼は険しい顔つきで人を掻き分け、ミアの店を目指し進み、ルチカはその作られた道を、置いていかれないように必死についていく。
(嫌な予感がする)
それはヴィルバートも感じているのか、背中から張りつめた気配をにじませている。
人垣を抜けると、ヴィルバートがミヤの店の扉を開け放った。
腰を屈めて中へと飛び込むが、店内に彼女の姿がどこにもない。
「昼休憩、なわけありませんよね」
「彼女の休憩時間は決まっている。今はその、時ではない」
ならばどこへ、とルチカが眉を潜めたとき、ヴィルバートが奥にある扉で視線を止めた。
(――――裏口!)
商品棚をすり抜けて、裏口の扉を開いた。
しかしそこは、箱詰めされた商品が置かれた、狭い在庫置き場だった。
床に並べられた箱は、争った後のように横倒しになり、一部ひしゃげて商品が飛び出している。
そしてその奥に、外へと続く扉が控えていた。
箱を避け、扉を開けると、日の光が遮られる裏道へと出た。
ルチカは右、ヴィルバートは左の道の先に目を極み――――。
「――――あれ!馬車ッ!」
ルチカはヴィルバートの繋がる手を引き、通り沿いに停車した馬車を指差した。
こんなところに辻馬車が止まっているはずがない。
誰かの所有の馬車だ。
走り出そうと一歩踏み込んだとき、ルチカの首に背後から何かが掛かり、後方へと引き倒された。
「――――ぐぅっ!」
すでに走り出していたヴィルバートが、右手の重い抵抗で、巻き添えになり転倒しかけた。
彼は傾いだ体を咄嗟に翻し、手と膝を地面へとつくに留まった。
隣には地面に倒れたまま、喉を押さえて苦悶に蹲るルチカ。
扉の裏から現れた、見覚えのある人物がしみじみとした口調でつぶやいた。
「この杖借りてて正解だったな」
ぱし、と自分の手のひらで杖を打ったのは、逃亡中の色彩師、ドゥウェリだった。
「ごほっ、げほっ……くぅ……かはっ」
涙を溢れさせて噎せるルチカは、姿ではなく声で、ぼんやりとドゥウェリを認識した。
「帽子が飛んだみたいぞ、希色のみの美少女さんよ。この前の威勢はどこへ行ったんだ?」
一つに結われた長い髪の根元近くを、ドゥウェリが土足で踏みつけ、ルチカは精一杯彼を睨みつけた。
そして、ヴィルバートが動こうとするのを、杖の先端を向けて逸早く封じる。
「おぉっと。動けば恋人の首をへし折るぞ」
ドゥウェリがルチカの髪を踏みつけたまま、靴の爪先でうなじを軽く蹴った。
ヴィルバートの纏う空気が、冷たく凍てついた。
ルチカという人質がいることで、片膝をついた状態を保ち、ドゥウェリを静かに見据えている。
「命令はあの美少女だけだったが、思わぬ拾い物をしたからな。あのどら息子の方は天然の希色を欲しがってたから、これで大金が手に入るぞ」
(――――!)
「で、くっ……、て、天然……って」
ルチカは潰れかけた喉を叱咤して声を出した。
ドゥウェリの言葉に、犯人の目的を悟ったのだ。
(美少女たちを、希色に……?そんなこと……あの男以外は)
ルチカは唇を噛んで、涙を流す。
師匠の仕事がカドニールの事件と関わっていたと気づけなかった愚かさに、悔しくて苦しくて、涙が止まらない。
ドゥウェリの持つ杖が、高々と振り上げられた。
ルチカが目を見開いたその瞬間、ヴィルバートへ一気に振り下ろされた。
鈍い音がして、ルチカに覆い被さるように彼が崩れ落ちた。
「くっ、あ……ヴィル?……ヴィル?」
声が少しだけ戻ってきた。
ルチカは自分の上に倒れたヴィルバートを揺すり起こそうとするが、意識を失っている彼はぴくりともしない。
息はある。脈も異常はなさそうだ。
体の位置を替え、ルチカは喉を庇いながら、ヴィルバートの頭を膝へと乗せた。
ぽたり、と地面に赤い染みが落ちて、消えた。
帽子の脱げたヴィルバートの、漆黒の髪を掻き抱くように守り、ドゥウェリを睨み上げた。
「こほっ、ぶっ飛ばす……」
「ひ弱な娘に何が出来る?裏教会に頼るか?」
「教会を、馬鹿にするな」
「国に認められない、あんな地下組織が誇りか。ガキが。金を受け取らないの慈善事業掲げた裏で、何してる?――――色彩師の力を奪う悪魔の集団が偉そうに」
苛立ちをぶつけるように、ドゥウェリがヴィルバートの足を蹴った。
「やめて!」
「その顔はなかなかそそるぞ。引き渡す前に遊んでやってもいい。首から上だけは見られるからな」
「わたしの体に触るな。この人にも。触った瞬間、女神の加護を失うと思え」
ルチカが脅しをかけると、ドゥウェリは苦々しげにルチカの肩を蹴り飛ばした。
そして杖が、宙に閃く。
「精々変態に可愛がって貰いな。――――希色持ちの、復原使」
ルチカのこめかみへと、杖が空を切り、叩きつけられた。
意識が闇に、飲まれていく――――。
急展開です。




