ぷろろーぐ
『昔々、大陸には女神様の加護で、とても多くの色彩で溢れていました……』
リュオール国最大の歓楽街、フルーヴェルの端にある花街へと、娼館の女将ローリエは足早に向かっていた。
薄闇が霧のようにあたりを包み、眠らない街フルーヴェルの明るさが今は遠い。
近道のため踏み入った小路は、王都内とはいえ中心地区のサントゥールとは比べものにならないほどに寂れている。貧困街よりはまだ幾分かはましだが、やはりその色が目立った。
この地に生命が誕生する際に、たった一つだけ有している、初めの色彩――――白色。
路上に根を張る雑草も、柔く舞う胡蝶も、駆け抜けていった野良猫も。そして――――人間も。
「せめて安く雇える色彩師でも、いてくれればいいのだけれどね……」
ローリエは王族や貴族以外なら誰もが思う切実な願いを、冗談めかしてため息とともにもらした。
白として生まれたものに、唯一色彩を与えらる存在――――色彩師。
ローリエは、視界の端に入った自らの栗色の長い髪に、後ろめたさを抱きかけた。
せめてもの救いは、地面の土はしっかりと茶色く、夜空は濃い青紫色だということだ。黄金の月はうっすらと蒼白く光を放っているし、頬を撫ぜる風は透き通っている。
旧時代から存在している自然は、ありのままの姿でここにあった。
一番の問題は人だ。
色彩師の数は極端に少なく、その市場は上流階級の人々によって占められている。
そうして、色を持たない子供たちが増えていく。
髪も、瞳も、肌も。血でさえも。
人々は彼らのことを蔑みをこめて、こう呼ぶ。
――――『色なし』と。
白ばかりね、と苦笑しながら、ようやく花街の明かりが見えたそのとき、道の真ん中に白い塊が横たわっていることに気がついた。
道の往来で色なしが野垂れ死んでいることはめずらしくはない。それでも、さすがにローリエの足は一瞬踏鞴を踏んだ。
おそるおそる近づいてみると、それはフード付きの白い外套だった。
膨らみ具合から、中身のある……。
大きさからして、ローリエと同じくらいの背丈の人間だ。
何もかもがすっぽりと外套に覆われ、性別さえ不明。それ以前に、生死さえも不明だ。
きな臭くはあるが、このまま放置してはおけない、とローリエは目算で、肩のあたりを揺らしてみた。
すると――――、
「『……う…ぅ……』」
くぐもったうめき声がして、ローリエは死体でなかったことにひとまず安堵した。そして白い外套へと、改めて目を落とした。よくよく観察してみれば、縁取りには金色の糸で花の刺繍が施されている。
白の外套は安く手に入るが、金の刺繍糸はそうはいかない。
金の糸を使える人間が白い外套を着るなんて、とローリエは驚き、この人間に興味を持った。
今までに出会ったことのない種類の人間だと直感した。人を見る目はあると自負している。悪人ではないだろう。
「『……し……しょ……』」
苦しげな声は若い娘のものだった。
はっと我に返ったローリエは、体を起こそうとする彼女にすぐさま手を貸した。
その拍子に、はらりとフードが滑り落ち――――、
「…………ッ!?」
一瞬で、彼女の髪に目を奪われた。
月の光を浴びて輝く髪の色は、初めて目にする色彩だった。
白銀の星屑の海に、薄桃色の花びら浮かべたような長い髪。
それが地面へと無造作にこぼれた。
薄絹のように滑らかな髪は、まるで生きた宝石だ。
国中の宝石箱の石たちを砂時計にしても敵わない。
有限の時しか刻めない砂時計の儚ささえ、彼女の髪の一靡きの前では霞んでしまう。
それだけが、その色彩だけが、彼女のすべてだというように、燦然と煌めく。
ふいに、たおやかな髪が地を這った。
彼女は肘で進もうと、身をよじる。
魅入られていたローリエは、ようやく彼女の土塊の貼りつく顔を覗き込んだ。
「あなた、『希色』持ちなのね……?」
だが、彼女はそれに答えることはなかった。
金の瞳で前を見据えたまま、異国語で何かを吐き捨て――――、
ばたりと崩れ落ちた。
「『師匠めッ……、今度こそぶっ飛ばすッ……!』」