家出 2
壁の中の都市ウィンダリット、いつ作られたか分からないレールがそここに敷かれている。その上を、自転車タクシーというべきか、客車を引いた自転車が走っていく。
レールの上は道を走るより楽チンだねぇ、とは自転車を漕ぐガレンである。
客車で風を受けながら、リラはその背を眺める。金茶の髪を短く刈ったガタイの良い男、彼は当初リラの婿候補として集められた青年の一人だった。付き合いは長い、もう十年にはなるだろう。
「なぁ、リラ」かなりの速度で自転車を漕いでる割に余裕のある声でガレンは問うた。「イーサンの行く先に当てはあるのか?」
「ないわよ」
小さい声で返しながらリラは考える。聞こえなかったのか、ガレンが聞き返す。
「なんだってー?」
「今考えてるから、とりあえず進んで!」
叫び返して黙らせる。良い男ではある、信頼もしている、心も許している、だが煩い。いつまでたっても彼にとっては小さいリラなのだろうか、いやしかしするべきことはしたことがあるくせに。
あぁ、面倒臭い!内心を隠そうともせず、リラはぞんざいに背を預けてガレンから視線を外す。外はまだリラに馴染みのある田んぼの景色だ。まだ裏作の麦やらキャベツやらが収穫前で畑の様相だが、あと一月で水入れに代掻き、田植えを控え、一番忙しい時期を迎える。
イーサンはそれをわかっていて家を出たに違いない。一人二人の欠けは問題ないが、家出人を探しに人手を割くのが一番難しい。だからこそ、父はイーサンの家出を聞いたときに怒り心頭、今は探す必要はないと一言言った切りになったのだ。跡取り息子が繁忙期にまさかの家出、本気だという意思表示でもあろうが、あとに残される混乱と気不味さを味わう側にもなって欲しい。この忙しい時に!
残念ながら、この閉じた都市、治安は程よく道端で夜を明かしても危険なぞない。それでいて、ふと人が雲隠れすると二度と会えないこともままある程度には大きい。
母は父とは違って、十五にもなって何て子供っぽいことを、と憤慨していた。そういう意味では両親とも、イーサンの家出に対しては怒るばかりで探しだせ、とは一言も言わなかった。父の場合は思っていても言えない、母の場合は呆れて言う気も失せたというところか。
仮にも成年とみなされる十五、家を出たところで問題ない、が……
「問題大有りよ!」
残された姉として、リラは苦渋の決断をした。時期はギリギリだが、新しい種もみを手に入れて自分の田んぼで育ててみたいと当主に直談判の上、外出の許可をもぎ取った。イーサンを探すとは言ってないが、ガレンが同行しているのは、母の厚意だろうと思う。
とにもかくにも、弟の真意を確かめなくてはならない。ここまで歳が離れているとはいえお互い切磋琢磨してきた仲だ、勝手に後継争いから降りられても困るし、そもそも心配だ。
「だって、あの子はそんな素振りを見せたこと、なかったもの」
リラは爪を噛もうとして、止める。それは十五歳で止めると決めた癖だ。
「唐突過ぎるのよ、他に何か理由があったとしか思えない」
置き手紙には、自分には農家は向かないから姉に後継を譲り街に行くとだけ書いてあった。それではなんだ、昨年の収穫からこの冬の間、延々とより実りをよくするための方策を議論したのは、この日に至るまで姉すら騙すための方便だったのか。
違うな、とリラは思う。何かあったとしたら、そんな議論を交わす余裕のあった冬の日々ではない。どちらかといえば、忙しくなり始めた早春、ここ二週間程のことではないだろうか。
「何か変わったこと、あったかしら」
爪を口元でウロウロさせながら考える。種もみの選定をし、蒔いたのが先日、その前には田植えの人手を募るための面接が街であっただろうか。あの時、自分は家で待機をしていたが、弟は父に着いていったはずだ。その時に何かあったとすれば……。
「仕事宿場……」
治安が良いウィンダリットの中で、唯一、良いとは言われない地区だ。仕事を求める者なら誰でも泊まることができ、求める以上は食事にもありつける。
どちらにしろ、仕事に心当たりが無ければ家出人が求職に訪れる場所だ。イーサンが何某かのツテに直行した可能性もあるが、足取りが分からない以上、行く先もない。
「で、どこ行くか決めたか?」
リラがふと気付くと軌道自転車は五叉路で止まっていた。ウィンダリットの臍と呼ばれる分かれ道だ。
「仕事宿場へ」
「妥当だな」
ガレンは頷いた。そういえば彼も仕事宿場でうちの仕事を見つけたんだろうな、とリラは思いつく。これは残りの道中は寝ても良さそうだ。
ガレンは街ではなく、東の黎明の湖に続く道を走り出す。仕事宿場は、役人の多く住む黎明側に近い地区だ。安心してリラは目を瞑る。弟が家を出てから三日が立っている。割り振られている仕事にイーサンの分も少なからず片付けてきたし、適度な振動に眠りはすぐに訪れそうだった。ガレンには悪いな、と思ったのも一瞬、リラは寝息を立てていた。