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第九話 : 形勢逆転の一撃

 

 ――うるせぇ。うるせぇよ。


 脳にダイレクトで突き刺さる音がある。やかましい程身体中に鳴り響く音がある。

 一つは心臓の音。あの不良たちのたまり場からここまでほぼノンストップで疾走してきたんだ。距離なんていちいち計ってねぇけど、おそらくは数キロは走ったはずだ。しかも全力で。そうでもしなきゃ、あの女から逃げられない。

 そしてもう一つ。背後から轟く、座敷童のキンキン声。


「シュウちゃんシュウちゃんシュウちゃ〜ん! いいかげん止まりんさ〜い!」

「はぁ、はぁ、……っはぁ、はぁ」

「返事せんねー! さびしかとやろー!」

「はぁ、はぁ、……うっせぇよチビ。……はぁ、はぁ」


 なんであの女はまだあんなに元気なんだ。こっちはもう倒れる寸前だってのに、ちょっとは疲れてる様子の一欠けらでも見せろってんだ。

 さらに進路は最悪。急勾配の上り坂。加えて踏みしめる足を飲み込む柔らかい土のせいで体力はどんどん奪われるし、逃げ込もうと思っていた火野神社はどの方角か全然わからなくなっちまったし。……くそ、手詰まりか。


「あ、シュウちゃんそっち行っちゃダメっすよー!」


 背後からのその声に、少し違和感を感じた。

 口調は先ほどまでと同じふざけた口調だった。だけど何かが違う。何か焦りのようなものが、その言葉には混じっていたように思えた。

 チラッと背後を見るとオレを追ってくる座敷童。その姿を見た瞬間、オレは違和感の正体を悟った。

 あいつ、オレと距離を縮めようとしていない。わざと距離を保ってやがる。

 なぜだ? あいつはオレをボコボコにするために追ってきてるんじゃないのか? オレを捕まえて、あの不良たちと同じように叩きのめすつもりなんじゃないのか?

 ……わからない。あいつの考えがわからない。

 圧倒的に情報が足りないんだ。魔法のことにしても、この村のことにしても、あのチビ女のことにしても。

 ……いや、違うな。情報ならここに来てからの数日間である程度は足りているはずなんだ。それでもあの女の行動の意味が掴めないのは、単純にオレの予測の力が未熟なせいだ。

 ……許せねぇ。

 自分の知識の無さが、視野の狭さが、凝り固まった概念が許せねぇ。


 ――だったら、そんなものブチ壊してしまえばいい。


 世界の幅を広げるにはどうすればいい? 見えないところを見ようとするにはどうすればいい?

 答えは簡単、世界や視野を遮っている障害を取り除けばいい。

 そして今、この状況におけるオレの予測を遮る障害とは何か? ブチ壊すべき壁はどこにある?

 

「そうそう! そのまま真っ直ぐ行ったんさーい!」


 脳にダイレクトに伝わってくるように、その声は響いてきた。

 ……そうか。そうだな。やっぱりお前しかいねぇな。

 この場で一番オレの身近にいるオレの予測を超える存在、壁の向こうにいる存在っていやぁ、お前しかいないよな。

 熟考に浸る時と同じように、頭の中がクリアになる。

 やるべきことがハッキリすれば、あとはそれを為すために最善の手を導き出すだけ。


「ん〜? あれあれあれ〜? どしたのシュウちゃん、もう疲れたんかい?」


 キンキン声がだんだん近づいてくる。当然だ。オレはもうすでに走るのをやめたんだから。

 呼吸の音と心臓の音がうるさい。思考をクリアにするためには、それらは邪魔にしかならない。

 上体を曲げて膝に手をつきながら、目を閉じて息を整える。そして深呼吸。息を整えるため、それ以上に深く思考の海に潜るために。

 ――さぁ、考えろ。


「う〜ん、シュウちゃんって思ったより体力ないね。もうちょっと逃げてくれるかと思ったのにさ。あ、それともそれとも! わざと止まったんかい? 『ふ、まあ子、お前の情熱には負けたよ』とか言って二人は夕焼けの光を浴びながら抱き合うかい? ひゃー! テレちゃうさ、テレちゃうさー♪ でも半殺しにはするけど」

「……そうだな。やっぱりそれしかねぇよな」

「え?」


 オレの言葉を聞いて驚いたのか、チビ女の言葉が一瞬止まったのがわかった。


「え、え? シュウちゃん、本気の本気でその気だったんかい? い、いやぁ、なんか、そうやって素直に認められるとそれはそれで味気ないと言うか、呆気ないと言うか、本気でテレるものさね〜♪ でも半殺しにはするけど」


 チビ女の声がすぐ隣から聴こえる。

 キンキンとした声のおかげで、目を閉じていてもわかる。チビ女の位置も距離も、その距離がオレのやろうとしていることに最も適した距離であることも。

 さぁ、決行だ。


「ッ! シュウちゃん!」


 次の瞬間、オレは身体を支えていた膝をガクンと崩した。

 自然、それを支えにしていた身体も同時に崩れ落ちる。傍目にはオレが今から地面に倒れ落ちるように見えるだろう。横で見ているチビ女から、オレを支えようと手を伸ばしてきた感覚がした。

 同時に、チビ女のいる側からはオレの身体で死角となっているその場所で、オレは拳を固めていた。

 目的は一つ。壁を打ち崩すこと、その一点のみ。

 チビ女の手がオレの身体に触れた瞬間、目を開いた。瞳に、目的の箇所が飛び込んでくる。想像通りのベストポジションだ。

 さぁ、壁をブチ破れ!


「――ッらァ!」

「!!」


 崩れ落ちた膝は、勢いを溜め込み爆発させるための火薬。

 開いた瞳は、目標を一瞬で見定めるためのスコープ。

 握った拳は、目標へ向けてまっすぐに貫く弾丸。

 そうして放たれたそれは、目標――火野まあ子のアゴへ向けて一直線に進んでいく、はずだった。


 ゴスッ!


「あきゃ!」

「あ」


 入った。モロに入った。

 オレの拳はまっすぐに、火野まあ子の左頬へと吸い込まれた。

 軽々と吹っ飛んでいく火野まあ子を見つめながら、自分の膝を見つめる。思いの外疲労が溜まっていたらしい。ここまでの全力疾走がたたったんだろう、膝が曲がったまま延びきっていなかった。その結果がこれだ。

 モロに顔面にパンチをくらったチビ女は吹っ飛んで倒れたままビクともしない。その姿に、さすがに罪悪感が湧いてきてしまった。

 いくらオレだって女子供(あの女の場合どちらとも言える)の顔面を殴ることにはさすがに抵抗はある。アゴの先端を強く鋭く打ち抜くと脳震盪を起こすと言うし、あの体力バカを一発でおとなしくさせるにしても一番いい方法だと思ってたんだが。……失敗したな。


「おい、座敷童」


 近づく前に声をかける。こいつのことだから気絶してるフリでもしてんじゃねえだろうか。いつもなら「誰がミーシャバートンだー!」とか言いながら返事しそうなもんだが、今回は何の反応も返ってはこなかった。

 ……本気で気絶してんのか? まさか死んじゃいねえよな? ……いや、心配するだけ損だな。この女はいつだって、オレの予測の斜め上でキャッキャと遊びまくってんだから。

 しばらくジ〜ッと見つめていると、チビ女の指先がピクッと動いた。


「あ〜〜もう! なんで抱き上げてくんないかな〜! かわいい女の子が気絶してるとこと言えば、健全な男子なら介抱するか、お持ち帰りするか、胸をチョイって触るかのこれからの人生を左右する思春期のギアチェンジの場面っしょうが!」

「……やっぱり気絶してるフリだったか」


 左頬を真っ赤にしたまま意気揚々と立ち上がるチビ女。しかし、足元がフラフラしていることからも結構ダメージはあるようだ。ちょっと失敗しちまったけど、おとなしくさせるって言う当初の目的は果たせたかな。

 今ならあのワケのわかんねぇスピードも出せないだろう。あの爆発力がないのならもはやただのチビ女、ねじ伏せるのなんか造作もねぇ。

 ……ただ、まだ問題が一つだけ残ってんだけどな。


「うわ、鼻血出てる! 流血だ! 鼻血ブーだよ! シュウちゃん、あっし、今はまあ子じゃなくてブー子だよ! あひゃひゃひゃ、ブー子、ブー子!」


 何が楽しいのか、チビ女はフラフラした足取りのままはしゃぎまわっている。自分の血で興奮してるんだろうか。世の中には血を見るとそうなる人種がいると聞いたことがある。野生の本性がどうとか変態的な理由でどうとかだったと思うが、あのチビ女の場合どちらにも当てはまりそうでタチが悪い。

 さてそんなことはさておき、


「とりあえず訊かせてもらおうか。お前の目的はなんだ? なんでオレをこんなとこまで追ってきたんだ?」


 相変わらずフラフラ動く座敷童に距離を置いたまま問いかける。

 いくら足にきてる動作だっていってもこの女のことだ、いきなり飛びかかってこないとも限らない。こいつに関してだけは用心しすぎても足りないと考えていた方がいいだろう。

 真っ赤になった左頬をさすりながら、火野まあ子は答えた。


「目的? え〜っと、逃げるシュウちゃんを取っ捕まえて、半殺しにして、夕日に向かってハグ……あれ? ハグした後に半殺しだっけ?」

「ごまかすな」


 ハッキリと言ってやる。

 半殺しだボコボコにするなんて言うのはデタラメだって、さすがにもう気付いていることだ。こいつがそのつもりなら、もうとっくにオレはあの不良たちと同じようにボコボコのまま横たわっているはずなんだから。

 なのに、こいつはそれをしなかった。わざと距離を詰めずに一定の距離を保つようにしていたのは、何か他に目的があるからだ。さっきオレを見失ったのは、距離の加減を間違えたせいだろう。

 そのことを伝えてやると、座敷童は罰が悪そうにひきつりながら笑った。そして、逃げた。鼻血を流したままで。


「誰が教えるかバ〜カ! うきー!」


 サルのような奇声をあげながら、ピョンピョンと山奥へと跳ねて逃げていくチビ女。ただ、さすがにダメージが残っているのがフラフラとよろけている様子からもわかる。

 あの様子なら追いかければすぐに捕まえることはできそうだけど……、そこまでして無理に訊き出す必要はあるのかって思いもなくはない。大体、オレには用事があるってのにここまで付き合ってやったんだ。あのチビ女の目的は皆目見当もつかねぇが、もう充分すぎるくらいあの女と関わってやったつもりだ。追いかけてこないのなら、このまま火野神社に向かってもいいだろう。

 が、しかし。

 オレはどうにもやはり、イジメっ子の気性の持ち主らしい。

 さっきまでオレを執拗に追っていたあのチビ女が、今はそそくさと逃げる立場になっているということも相成り、オレの気性を疼かせる。

 狩られていた側が狩る側になる快感。

 オレの中で、理性が呟く言葉よりもその快感の方が勝ってしまうのだからしょうがない。それに、ここらで一度あの女をシメておいて力関係をハッキリしておくのも今後のためになるかもしれない、なんて言うのは少し言い訳っぽく聞こえるが。

 ……そしてもう一つ、あのチビ女に問いたださなければならないことがあるのも確かだ。


「ったく、なんでオレがあのヘンタイを追っかけなきゃなんねぇんだか」


 憎まれ口に反して、オレの足取りは軽い。顔もこころなしか綻んでいる気がする。

 さぁ、覚悟しやがれ、チビ女。




  ◇ ◇ ◇




「もう終わりか? もうちょっと逃げてくれると思ったのによ」


 先ほど言われた言葉を、山頂で佇むチビ女にそっくりそのまま返してやる。

 オレの拳がチビ女の顔面を捉えてから、たったの数分。そのたったの数分で、ものの見事に形成は逆転していた。

 予測していた通り、フラフラと逃げ惑うチビ女を追い詰めるのにそう時間はいらなかった。木や茂みをよけて出て行った先にあったのは、地上から別離された空中という袋小路。もはや為すすべもなく、チビ女に残された道はオレに許しを得ることだけのはずだ。

 チビ女をさらに追い詰めるために、一歩踏み出す。


 ――その瞬間、目の前のチビ女から異様な雰囲気を感じた。


 山の頂上付近、この村を見事に一望できる岩場。その岩場の先端で、火野まあ子は赤く染まっていく天之恵を見下ろしていた。

 一瞬、そこにいるのが本当にあの火野まあ子なのか、わからなくなった。

 そこに居たのは、いつものヘラヘラした表情のヘンタイチビ女ではなく、深刻な表情を浮かべた、初めて見る女だった。

 幼い子供のような顔に、やけに大人びた表情が浮かぶ。その矛盾が、オレの中の何かに引っかかる。

 思わず、こう尋ねずにはいられなかった。


「……お前、誰だ?」

「何言ってんのシュウちゃん。まあ子だよ。火野まあ子。毎日顔合わせてるのに、忘れちゃったのかな。ひどいね」


 火野まあ子だと名乗るその女は、火野まあ子らしからぬ落ち着いた言葉で、そう答えた。


 

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