第七話 : 鬼ごっこの始まり
放課後、男二人で廊下を歩く。ボサボサ眉毛が先導しながら、あの座敷童が待つ林の中を目指す。
なんでもその林の中にはちょっとした広い空間があり、不良たちがそこでオレをボコるために待ち伏せしているらしい。もしもオレが反撃しそうになると、人質であるあのチビ女を使って無抵抗にする。その逆境をも乗り越えて人質を救うオレ。そしてヒロインであるあのチビ女はオレの胸に飛び込んできて、そして二人は手を取り合って、夕日に向かってハッピーエンド。
これがあのヘンタイの考えた今回のシナリオらしい。……完璧に、茶番だな。
このシナリオにノリノリなのはあの座敷童一人だけ。不良たちはあいつにしぶしぶ付き合ってやってるだけ。このオレにしたってあいつを助ける気なんか一欠けらもねぇし。
それにしても、一つ疑問が残る。なんでこいつらはそうまでしてあいつの言うことを聞かなくちゃいけないんだろう? いくら特別扱いされてるって言っても、今回のは完全にあいつのワガママだろ。ムリに付き合わされる道理なんかないはずなのに。
その疑問をボサボサにぶつけてみたところ、意外な返事が返ってきた。
「お嬢に逆らったりなんかしたら後が怖いんだよ。家族からバチ当たりモン呼ばわりされたり、隣近所から白い目で見られたりよ」
「不良のクセにそんなモンが怖いのかよ」
「うるせぇな、狭い村には狭い村なりの生き方ってのがあんだよ! よそから来たお前にはわかんねぇだろうけどよ!」
「なるほど。それもそうかもな」
「……でも、それだけなら俺らだって別に怖かねぇんだよ。俺らにとってお嬢に逆らうことで一番怖いのは――魔法だよ」
言いながらボサボサは青白い顔を浮かべた。思い出したくないことでも思い出してるかのように、足元を見つめては「うぅ……」とうめき声をあげていた。
この村で魔法と言えば、オレが今調べているあの魔法のことで合ってるよな。
土地神の愛の結晶。もしくはその残りカス。この村にとって、魔法は村の繁栄のためになくてはならないもの。だからこそ、村人にとって魔法は崇める対象であるはず。
それなのに、なんでこいつはその魔法が怖いなんて言うんだ? 魔法とあのチビ女が何か関係あるって言うのか?
「俺、昔一度だけお嬢を怒らせたことあんだけどよ。そん時に怖ろしい目に遭わされたんだ」
「刃物で切りつけられたとか?」
「……リアルに怖ろしいこと考えるな、お前」
ボサボサの眉間にシワが寄る。
ボサボサ眉毛とシワの合体。しかめ面のつもりなのか。それともオレを笑わせるつもりなのか。
眉とシワを一体化させたまま、ボサボサは続ける。
「そういうのとは違う種類の恐怖なんだよな。……お前、この村に来て魔法は見たことあるか?」
「ああ、デカい火柱を二度見たかな」
「火柱ぁッ!? お前、火柱見たのか!?」
しかめ面から目を大きく見開いた驚愕の表情へと変化し、ボサボサ眉毛はシワと言う名の鎖から解き放たれ、まるで飛び立つ鳥の翼のようにキレイな弧を描いた。
……ヤバイ、頬がピクピクしやがる。表情に出てしまいそうだ。
こいつ、なんてオレのツボにはまる攻撃してきやがんだ。これでさらにいろんな変化させられたら、もう、もたねぇ。
「……マジかよ。俺、火柱の魔法なんて一度も見たことねぇ。魔法の中でもかなりのレアもんだぞ。いいなぁ、お前」
感心したような、羨ましそうな表情。
そして肝心の眉毛は、カタカナの『ハ』の字へと変化していた。
「ブフッ!」
「うわ、汚ねぇ! てめぇ、ツバ飛ばしてんじゃねぇよ!」
「……いや、かなりの破壊力だったんで、つい……ぐ、ぐ……!」
「?? ああ、火柱のことか。そうだよな、聞いた話じゃすげぇ勢いで燃え盛ってるとか言うもんな。ってか、なんで泣いてんだお前?」
……やべぇ。腹痛すぎて、しゃべれねぇ……。
くそ、予測通りのネタだったって言うのにこんなに腹にくるなんて……。おそるべし、ボサボサ。
「んで、その魔法なんだけどよ。他にも岩が浮いたりブッ飛ばされるくらいの突風が吹いたりとかあんだけどよ、……お嬢は、その全部を操れんだよ」
「は?」
――腹痛が一瞬で消し飛んだ。自分の思考が急激に深くなっていくのがわかる。
今こいつ、なんて言った? 魔法を操れる? あいつが? あのちんちくりんが?
……ありえねぇ。
「おいおい、笑えない冗談だな」
「冗談なんかじゃねぇよ! 被害に遭った奴は俺以外にもたくさんいるし、お前が火柱なんてレアな魔法見たのもお嬢と一緒に居たからに決まってんだよ!」
「そんなのただの偶然だろ」
「それだけじゃねぇ! 今年の初め頃にお嬢が風に乗って空を歩いてる姿だって俺はこの目で見てんだよ! 人型の凧かと思ってたらお嬢だったんだ、すげぇビビッたぞ! それに――――、これ――――」
ボサボサの声が、鼻息と共にだんだん荒くなっていく。それと同時に、オレの思考は段々とクリアになっていく。
熟考の前触れ。深い思考に陥るための儀式。
思考の海へ潜っていく。深く、暗く、静かな深海。
目の前にいるはずのボサボサの顔も、声も、オレの中から消えていった。
――さぁ、考えろ。
ボサボサのあの必死さにこの表情。ウソを言っているような顔には見えない。
しかし、それだと話がおかしくなってくる。アイツが魔法を操れる? それはどうにも信じ難い。
もしそうだったとしたら、アイツと一緒に火柱を見た時のあの反応はどうなんだ? アイツは両手を合わせて火柱を拝んでいた。アレは、その火柱自体を操っている奴の反応にしては不自然ではないのか? ……いや、あの行動自体が魔法を操るための動きだとしたら?
……ムダだな。ここらへんは予断の域を出ないところ。考えてもムダだ。もっと建設的に、別の土台を組み立てて考えてみよう。
ボサボサの証言が真実だとしたなら、まずその目で確認したという『風に乗って歩いている』というものが一番真実味がある。それ以外の証言はあくまでボサボサの仮説にすぎない。
火野神社の蔵にあった文献には魔法の種類とその意味、もたらす恩恵、災害が記載されていた。ひと一人を宙に浮かす魔法も記録されていて、『風雲』という魔法がそれだ。
その『風雲』の上で、あのチビ女はバランスを取りながら歩いていたってのか? ひと一人を宙に浮かすほどの突風の中で、そんなことが可能なのか?
……待てよ、あの女には他人と違うアドバンテージがある。火野神社の巫女であることだ。あのジジイの言う通り、魔法が土地神の愛の結晶だとするなら、同じく土地神の寵愛を受ける対象である巫女には、魔法を操る力が与えられていてもおかしくはないんじゃ――、
……いや、違うだろ、違う違う! そうだとしたらやっぱりおかしい!
もしそうだとしたら、かつて魔法を支配していた宮司の存在はどうなる? 巫女が魔法を操れる存在だとしたら、魔法を支配していたのは宮司ではなく巫女のはずだ。あの神社ではつい最近まで巫女は存在していなかったんだ。村をまとめる宮司にとって、魔法を意のままに操れる都合のいい存在である巫女をそばに置かないなんてことはありえない!
それともまさか、文献は真実を記していないのか? 何かを隠すためにウソを記してあるのか? それともこの仮説の前提が間違っているのか? 巫女と魔法は何も関係がないのか?
それとも――、
「――。――――ッ! おい! 中津!」
その声が聴こえた瞬間、視界に光が飛び込んできた気がした。
暗い海の底から一瞬で海上に浮上した魚の気分。熟考から思考を解放した時のいつもの気分だ。
「ああ、悪い。ついつい熟考しちまった」
「なんだそりゃ? お前、この間のケンカの時もいきなり今みたいにボ〜ッとしてたよな。もう少しで着くからしっかりしてくれよな」
「……ああ、わかった」
オレの返事のキレの悪さに不安なのか、ボサボサの眉間にシワがよる。さっきまでオレの腹に大打撃を与えていたその動きも、今のオレには効果はない。
さっきまでの熟考で浮いてきたいくつかの仮説。どれも検証するには充分すぎるくらい価値を持っている。あくまでボサボサの証言から浮かび上がった仮説だが、こういう情報はいくらあっても足りないほどだ。あればあるほどいい。
――そうだ。オレにはまだまだ、情報が足りない。
蔵の中の文献だってまだ全部読んだわけじゃないし、もしかしたらこの村にいる住人にだって文献以上の情報を持っている人がいるかもしれない。
……よし、決めた。こんな茶番に付き合ってるムダな時間なんて、オレにはない。
「おし、着いたぞ中津。俺は先に行って他の奴らと合流するから、お前はもうちょっとしたら来いよ。っていうか、逃げんじゃねぇぞ」
「…………」
「おい、聞いてんのかよ?」
「ああ、わかってる。オレもあのチビ女にちょうど言うことができたし」
「チビ女って……。ま、まぁお前はお嬢に気に入られてるから平気だろうけどな」
熟考で気が付かなかったけど、いつの間にかオレたちは林の入り口に立っていた。
木々に囲まれ、林の中は薄暗い。放課後とは言ってもまだまだ夏だけに陽は高いはずなのに。
そんな中で、光の差し具合がまるで違う一点があった。木々が開かれ、平原と呼ぶには少し狭いが、何人かで過ごす分には充分すぎるほどのスペース。
「も〜〜ッ! シュウちゃんはまだ来ないんか〜い!」
聞き覚えのあるキンキン声が聴こえてくる。間違いないな。あの場所に、あのチビ女がいる。
ボサボサが先に広場へ。仲間に何かを伝えているようだ。オレを連れてきたことでも伝えているんだろう。
少し間を置いて、オレも広場へ向かう。
「あ〜〜! 来た来た来た! お〜い、シュウちゃ〜ん!」
オレの姿を見つけ、ブンブンと手を振りながらチビ女が叫ぶ。……って言うか、お前は一応捕まってる設定なんだろ。その目の前のお菓子の山とトランプはなんだ。くつろぎすぎだろ。
「きゃ〜ん。シュウちゃん、あっし捕まっちゃったさ〜。早くたっけて〜、ポパ〜イ」
「誰がポパイだ」
「よお中津。一人でよく来たな。って言うかよく来てくれたな。ホント助かった。恩に着る」
「お前らも大変だな、敵役ごくろうさん」
「シュウちゃん、こいつら早くぶっ飛ばして〜! 捕われの美少女を早いとこ救い出せコラ〜!」
この場にいる全員がバレバレだと気付いていると言うのに、まだ続けるかアイツは。
……しょうがない。不良どもには悪いが、さっさと終わらせてしまおう。
「そんじゃ早速ヤるか。覚悟はいいよな、中津」
「あ〜、その前に一つ言いたいことがあんだけど。いいか?」
「?? なんだ?」
スゥッと息を吸う。皆の注目が集まるのがわかる。あのやかましいチビ女でさえ、オレの言葉を黙って待っている。あの嬉々とした表情は、オレが何かかっこいいセリフでも言うのかと期待でもしてるんだろうな。
出来るだけ響くように。出来るだけ無感情に。あのチビ女の驚く顔を思い浮かべながら――。
数秒の間をあけて、口を開く。
「茶番は終わりだ。悪いけど、こんなのにいちいち付き合ってる時間がねぇんだ。じゃあな」
言い切って、背を向ける。
背後からは何の音も聴こえない。絶句でもしてるんだろうか。好都合だ。あいつらが驚いているこの隙にとっとと帰ってしまおう。
「……どんな……」
背後からポツリと、何かが聴こえた。――そう思った瞬間だった。
「一体どんなツンデレじゃーーい!」
ドスの効いた声が林の中にこだまする。
その声の主が誰か、オレが理解するまでの時間はそうは長くなかったはず。一瞬と言ってもいいはずだ。
しかし、それでもその間は長かったらしい。
オレが振り向いた時にはすでに、先ほどまでの温和な空気はなくなっていたんだから。
「な……!」
十人近くは居たはずの不良たちのほぼ半数が、その場でうずくまっていた。
……一体何が起こった? オレが背中を向けていたほんのわずかの間に、こいつらに何が起こったんだ?
うずくまった奴らは呻きながら地面をのた打ち回っている。残った奴らは皆一様に怯えた瞳で、この空気を作り上げた人間を見つめていた。
そいつこそがさっきの怒声の主。この場にオレを呼びつけた張本人。――ヘンタイ女、火野まあ子だった。
「放置プレイは良し! プレイだからね! 悪口も良し! 愛着こもってるって感じするからね!」
皆の視線を集めたまま何やら意味不明な口上を始める座敷童。ってか、言ってることがワケわかんねぇ。一体何が言いたいんだ?
「でも思わせぶりにもならない冷たい態度はいかんとですよー! 助けに来といてあっさり帰るとな!? 一体どんなツンデレ!? ふにゃ〜!」
妙な奇声を発しながら、火野まあ子は飛び蹴りを繰り出す。
二、三歩の歩みを経ての飛び蹴り。それがどれだけの勢いを生むか、どれだけの威力なのかは想像に難くない。
しかし、火野まあ子のそれは違った。
あの小さな身体のどこにその動きを作り出す原動力があるのだろうか。初めの一歩からして並じゃなかった。残像を残すほどの、鋭すぎる一歩目。
――その勢いをさらに加速させる二歩目、――地を跳ねる三歩目、――そしてその先には、ボサボサ。
「うぎゃッ!」
火野まあ子の鋭い飛び蹴りがボサボサの腹部にクリーンヒット。まるでアクション映画のようにボサボサの身体が土煙をあげながら地面を転がっていく。
オレはその瞬間まで、この世の中は物理法則にのっとったものだと思っていた。質量の重い物はそれだけでエネルギーを持ち、一度動き出せばさらにエネルギーを生みだす。つまりは、重ければ重いほど、速ければ速いほどに『力』は増す。あのチビ女の体格から生み出される力なんて、たかが知れたもののはずなんだ。
それなのに、この光景はどういうことだ?
ここにいるメンツの中で一番小さい、しかも女に、不良と呼ばれるからにはいくらかケンカにも慣れているだろう連中が、あっさりと叩きのめされている。
……ったく、この女は。どこまでオレの『予測』の範囲を外れりゃ気が済むんだ。
「シュウちゃん!」
あ、ヤバイ。白羽の矢がこっちに立ちやがった。
「……行儀の悪い子にはしつけを。マナーのなってない輩には制裁を。ツンデレシュウちゃんには、愛の鉄拳を!」
「いや、遠慮しときます」
「あひゃひゃひゃ。……遠慮できる立場かコンチクショー!」
――来た! 来やがった!
先ほどの飛び蹴りの時と同じように、鋭い初歩でこちらに向かってくる火野まあ子。その勢いはまさに電光石火。稲妻のような鋭さと俊敏さだった。
だがこれは予測できた。タイミングも方向も、その鋭さも。
勢いが鋭い分だけ方向はしぼられてくる。良くも悪くも直進的。だがそれ故に予測されやすい。このオレが相手なら、なおさらだ。
「もーっ! ちょこまか逃げんなコレー! うがー!」
情報収集が趣味、この村に来てからほとんどの時間を火野神社の蔵で文献読むのに過ごしていたこのオレにだって人並の体力はある。……だが、あんなヘンタイにそのまま付き合ってたんじゃすぐに底をついちまう。
三十六計、逃げるが勝ちだ。
「あー! こら〜、待たんかーい! シュウちゃんのくせに逃げるかー!」
「お前こそ座敷童みたいなナリして人様に害を為してんじゃねー!」
「誰がチャン・ツィイーだ〜!」
「言ってねーよ!」
逃げる側と追う側。狩る側と狩られる側。命がけの鬼ごっこは、こうして始まった。