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第十一話 : 祝福と歓迎の火柱

 

 世界がゆっくりと廻っていく。

 不変であるはずの時間の流れ。この世の中で唯一にして絶対の平等であるはずのそれは、音と共に流れを止め、色と共に現実味をなくした。

 ゆっくりと倒れていく火野まあ子の身体。

 恐れていたその光景は、まるでコマ送りのように少しづつ進み、オレの心にキリキリと棘を打ち付けていく。

 あの時と、同じ痛み。

 あの時オレの心に刺さった棘は、今も消えることなく突き刺さったままだ。


「――まあ子ッ!」


 音の消えた世界で、あの女の名前を叫ぶ。

 肝心の相手はビックリしたような表情を浮かべただけで、倒れていく身体は支えをなくしてそのまま落ちていくだけ。


「くそッ、ふざけんなよッ! ふざけんなーッ!」


 全力で駆けているはずなのに、まるで重りを付けているように動きが鈍い。

 なんでもっと速く走れない? あの女までそんなに距離はないはずだろ。

 ついさっき走り出したはずなのに、もうかなり時間が経ったように感じる。

 もっと、もっと速く――、もう二度とあんな思いはしたくねえんだよ。


『お主もアレと似ている節があるのう』


 火野の爺さんの言葉が頭をかすめた。

 オレとあの女が互いに自分を偽っていると、爺さんはそう言った。

 そうだよ、認めてやるよ爺さん。

 普段ぶっきらぼうな口調でも、他人に無関心なように振舞っていても、オレはただの臆病者なんだ。単なるガキなんだよ。

 他人をイジメるのはただのイタズラ。それで誰かの面白い反応が見られればそれだけでよかったんだ。それなのに、実際に誰かが傷ついたりするところを目の当たりにすると怖くて仕方ないんだ。

 それでも生き方は変えられなかった。一度作った自分の殻をぶっ壊すことなんて、オレにはできなかった。オレにできたのは、後悔することで同じ末路を踏まないようにすることだけ。それでも前提が変わらないのなら、行き着く先は目に見えていた。

 だから、オレは逃げたんだ。

 誰もオレのことを知らない土地へ、誰もオレの罪を知らない土地へ、逃げたんだ。

 場所はどこでも良かった。遠くならなおさら良い。とにかく、遠くへ。遠くへ――。

 そうしたたどり着いたのが、この土地、天之恵だった。


 それで、結局このザマか?


 オレはどこへ行ってもこうなる運命なのか?

 周りにいる誰かをキズつけてしまうことしかできないのか?

 オレにはずっと逃げ続けることしかできないってのか?

 ……ふざけんな、ふざけんな……!


「――ふざけんな、このクソッタレえええぇッ!!」


 そう叫んだ瞬間、オレを取り巻く世界が色を取り戻した。

 重りを付けているようだった足が、今はまるで羽のように軽くなる。

 ……いや、違う。軽くなったんじゃない。世界の流れが元に戻っただけだ。それが証拠に、火野まあ子の身体が倒れていく速度までが増していく。

 もう少し、もう少しだ。

 あと少し、あとちょっとで、手が届く。

 運命なんて知ったことか。そんなモンがあったとしても、この手でぶち壊してやる!

 この手が誰かをキズつけるだけのもんじゃないってことを、証明してやる!

 だから、だから……届けえッ!


「シュウちゃん」


 火野まあ子の穏やかな声が、オレの耳に届いた。




  ◇ ◇ ◇




 もう夕日は半分以上姿を隠し、天之恵を赤く照らしていた光をかすかに淡く残すだけ。

 空高く、ポツポツと現れる星たちの光の群れ。雲のない空をキャンバスに、光の群れは点々と自らの存在を示していた。

 そんな、今宵最初の星空を見上げながら、ふと呟く。


「……クソッタレ」

「ん? シュウちゃん何か言った?」


 寝転がるオレの隣で、ブラブラと足を宙に投げ出す座敷童。

 ……いや、宙に投げ出すってのは表現が違うな。それを言うならオレだって今まさに宙に身を投げ出している最中になってしまう。

 オレと火野まあ子は宙にいた。それは何かの例えなんかではなく、そのままの意味で。


「あー、そろそろいいか? やっと少し落ち着いてきた」

「そろそろいいかって、何が?」

「この状況の説明に決まってんだろ。なんでオレは生きてるんだ? お前と一緒に岩場から落ちたはずなのに、なんでオレたちはこうしてケガ一つなく無事なんだ? それより何より、なんでこうして宙に浮いてんだ? と言うか、お前は最初からこうなることを知っててあんなことしたのか? それともこれはお前の仕業か?」

「土地神様の、愛の御業みわざさっ!」


 ニカッと満面の笑みを浮かべながら、火野まあ子はそう答えた。……オレの出した質問のどれにも答えとして当てはまってないように思えるのは気のせいか?


「あたしたちは今『風雲』に乗ってるんだよ。知ってるよね、『風雲』のこと」

「……人一人を簡単に吹き飛ばす程の突風の魔法だと思ってたんだけど」

「そういう『風雲』もいるけど、こんな感じの穏やかな子もいるんだよ。たまに乗せてもらうんだけど、やっぱり気持ちいいね〜」


 そう言ってゴロンと寝転ぶ火野まあ子。気持ちいいどころか、いつ真っ逆さまに落ちるのかこっちは気が気でない。しかも少しづつ移動しているのがさらにオレの恐怖を煽る。

 オレたちが落下した岩場が遠くに見える。こうして遠くから眺めてみると自殺の名所のようにも見えなくもない。

 あんなところに向かってオレは突進してたのか。……そりゃ勢い余って落ちるよなぁ……。


「あの岩場に向かう途中で『浮石』が出たでしょ? だから今日も『風雲』が出るって実は知ってたんだ。まさかシュウちゃんが助けに来てくれるとは思わなかったけどね〜」

「……あの魔法は、オレの居場所を知るためにお前が発動させたのかと思ってたんだけど」

「あはは、それいいね〜! 魔法少女まあ子ちゃん! 決めポーズはこう? こう?」


 クネクネと不自然な方向に関節を曲げながら決めポーズを模索するその様子は、あの岩場での穏やかなそれではなく、いつものヘンタイ女のそれだった。

 身体をクネクネさせながら、ヘンタイ女は言葉を続ける。


「『浮石』は道しるべの魔法だから、シュウちゃんがそう思っちゃったのはしょうがないかもね〜。だけど、シュウちゃんは魔法について誤解してらぁね」

「誤解?」

「魔法ってのはね、土地神様の愛なのさ。土地神様の愛は平等なんだよ。誰かにだけえこひいきなんてしない。もちろん、あっしにもね。と言うことは、どういうことだかわかるかい?」

「……あの魔法は、オレにとっても道しるべだったってことか?」

「ピンポ〜ン、大正解! はい、ご褒美の飴ちゃん」

「いらねぇし」


 オレが否定の返事をすると、火野まあ子はポケットから取り出した飴玉を嬉しそうに口にほうばった。

 それからしばらく無言が続いた。

 飴を舐めているからか、火野まあ子は何もしゃべらない。オレももう訊くべきことはさっき勢いにまかせて全て訊いてしまったし、どうせ今は何を訊いても飴に夢中で答えないと思ったからだ。

 何もすることがなく、オレたちは沈んでいく夕日をただジッと眺めていた。

 夕日を見ながら、火野まあ子はポツリと呟く。


「あたしね、捨て子だったんだ」


 その口調があまりにも穏やかで突然の告白だったから、一瞬意味を取り違えそうになってしまった。

 『風雲』に座るようにして夕日を眺める火野まあ子の横顔は、あの岩場で見た時と同じ穏やかな表情に変わっていた。


「火野神社に捨てられた赤ん坊、それがあたし。火野の家には子供がいなかったから、あたしはそのまま火野の子供として育てられたんだ」

「…………」

「む。今のはわかんないなぁ。肯定? それとも呆れてる?」

「さあな。どっかから何か独り言みたいなのが聴こえた気はするけど」

「そっか。優しいね、シュウちゃん」


 少しだけ微笑んだあと、火野まあ子の独白は続く。


「誰が両親なのかは今でもわかんない。この村にはその頃子供を身ごもってる人はいなかったらしいから、もしかしたら村の外の人なのかもね。誰だろうと今さら関係ないけど。あたしの家は、あの神社以外にないんだから」


 その時、夕日は完全に姿を消した。

 辺りを照らすのは空に浮かぶ光の群れと、一際目立つ、いびつな円を描く月。

 月がいびつに見えるのは、月齢のせいか。それとも今のオレの心境のせいか。

 月明かりでかすかに見える火野まあ子の横顔。その表情はやはり、穏やかだった。


「なんであたし、捨てられたのかな。きっと必要とされてなかったんだね。要らないのに生まれてきちゃった子。そんな要らない子をね、火野の家とこの村は受け入れてくれた。だから恩返ししたかったんだ。あたしを受け入れてくれた火野の家とこの村と、そしてこの土地の神様にも感謝したかった。だから、あたしは巫女になったんだよ」


 こんな非常識な村にある神社でも、やはり祭事や神事の儀式の際に巫女がいないことは負担になっていたらしい。進んで巫女になろうとする者も例の『精神がおかしくなる』とかいう理由を恐れて、この村には誰一人としていなかったそうだ。


「この村の生まれじゃないあたしが、この村に足りなかった部分を補うことができるなんて、偶然にしても出来すぎだよね。だから思ったんだ。土地神様は、きっとあたしのためにその場所を空けておいてくれたんだって、あたしの居場所を作ってくれてたんだって」

「…………」

「さっき言ったよね、土地神様の愛を証明するって。捨て子だったあたしを、そしてあの岩場から落ちたあたしとシュウちゃんを、土地神様は受け止めてくれたよ。他にもね、シュウちゃんが土地神様に受け入れられた瞬間をあたしもシュウちゃんも一緒に目撃してるんだよ」

「一緒に目撃した? そんな覚えねえけど」

「火柱、一緒に見たよね?」

「ああ、この村を案内してもらった時のことか」

「シュウちゃん、魔法にはそれぞれ恩恵があることは知ってる? 神社の蔵の中の文献に載ってたはずだけど」

「……なるほど、そういうことか」


 この村を異常たらしめる最大要因――『魔法』。その魔法にはそれぞれ恩恵が込められている。さっき見た『浮石』には『行くべき道を指し示す道しるべ』。今オレたちが乗っているこの『風雲』にも『災いを運び去る』という意味が込められているらしい。

 しかし、これらには裏の意味も含まれている。

 晴れも長く続けば干ばつになり、雨も降り過ぎれば洪水を起こす。自然現象が恵みと災いの二つの顔を持っているように、魔法にも裏の意味があるんだ。

 『浮石』は道を指し示す魔法。だが、その先にあるものが望んだものであるとは限らない。その先で災いが待っていないとも限らないんだ。

 『風雲』は災いを運び去る魔法。しかし、別の場所から運んできた災いを降り注ぐことだってあり得る。

 そんな魔法の中でただ一つだけ、災いの意味がない純粋な恵みの魔法がある。それが、オレがこの村で最初に見た魔法、『火柱』。そして、その恩恵とは――。


「確か『生命の祝福』だったな。新しい命や豊穣を約束する、誕生の魔法」

「そう。新しい命への祝福、そして歓迎。『火柱』だけは、この村でも滅多に起こらない稀有な魔法なんだよ。この村の人だって一度も見たことがない人が大勢いるのに、この村に来てたった数日のシュウちゃんが『火柱』と遭遇できたってこと、どういうことだかわかるよね」

「…………」


 ……オレという新しい住人を、この土地が歓迎してるってことか……?


「うん、その通り」

「……勝手に人の考えを読むな」

「だって無言だったし。今のは肯定の意味の無言だよね」

「ふん」


 寝転がったまま、空を見上げる。夕日が沈んだことで光の群れはより一層輝きを増す。

 先程まではいびつに見えた月はもう、いつもの見慣れた姿に変わっていた。


「あ〜あ、完敗だよ完敗。オレの負けだよ」


 何に対してか、誰に対して言ってるのか、口にしたオレ自身もよくわからない。

 でも、それは多分正解。

 誰かや何かに特定した言葉ではないことは、オレと共に空を見上げているチビ女も、おそらくはわかっているだろう。

 生まれて初めての完敗宣言。しかし、不思議と気分は晴れやかだった。


「……シュウちゃん。完敗ついでに一つお願いしてもいいかな?」

「おお、いいぞ」

「うわ、即答だね。まだ内容も言ってないのに」

「いいんだよ。今はなんだかそんな気分なんだ」


 何かに充たされたような、ずっと背負い続けていた荷物をほんの少し減らせたような、そんな爽快感が心を充たしている。今なら多少ムリなお願いでも、すんなりと聞いてやれそうな気がする。実際にやるかどうかは置いといて、だけど。


「さっさと言えよ。今言っておかねえと後になっても絶対聞かねえからな」

「う、うん。……あ、あのね、その……」


 なぜかもどかしそうに、火野まあ子は言葉をにごした。

 この女が言葉に詰まるとこなんか初めて見た。一体どれほどのヤバイ願いを口にするつもりなんだろうか?

 気分だけで承諾したのは少しばかり軽率だったかと後悔し始めたその時、火野まあ子は顔を伏せながら、願いを告げた。


「……もう一回、もう一回だけね、さっき助けに来てくれた時みたいに、……まあ子って、呼んでもらえる、かな……?」


 恥ずかしそうに言葉を紡ぐ火野まあ子。

 その姿と言葉に、不覚にも、一瞬とは言え、この女のことをかわいいと思ってしまったのは、一生の秘密だ。


 

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