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第十話 : 赤く染まる罪と景色

 

 夕焼けからこぼれる赤い光が天之恵を包み込んでいく。

 赤く染まる景色を見つめながら、オレはこの村の地を初めて踏みしめた時のことを思い出していた。バスから降りてたったの数秒後に見た、あの光景を。

 ――煌々と燃え盛る、火柱の魔法。

 いきなり火柱が立つなんて異常現象に面食らいながら、あの時オレの心には不思議な感情が充ちていたのを覚えている。

 火よりも熱く、炎よりも清楚で、緋よりも高貴な赤。

 その赤に照らされながら、あの時オレの心を過ぎったものは、言いようのない懐かしさだった。


「赤ってキレイだね。キレイだけど、どこか寂しいんだ。なんでそう思うんだろう。なんでだろうね、シュウちゃん」


 見渡す限りに広がる赤い景色から、声の主へと視線を戻す。

 そのに居たのは、毎日イヤってほど顔を合わせている同級生でもあり、たった今初めて出会った女でもあった。


「……人の感受性なんてそれぞれだろ。お前の感覚をオレが説明なんてできるわけがねぇ」

「そっか。そうだね。でも、なんでだろ。シュウちゃんだったら今のあたしの気持ち、わかってくれる気がしたんだ」


 火野まあ子だと名乗るその女は、赤の景色に視線を向けたままそう答えた。

 そのまま切り出す言葉もなく、オレたち二人は口を閉ざす。

 目の前に居るその女の顔はよく見慣れたもののはずなのに、うんざりするほど脳に突き刺さっていた声のはずなのに、何から何まで別人のような、そんな印象しか感じない。

 そう、別人。

 あえて言葉にするなら、それしか思い当たらねぇ。


『アレは自らをそういう性格だと偽っておるところがあるでな』


 火野の爺さんの言葉を思い出す。

 普段のあいつの言動行動の全ては、あいつ自身が演じている『火野神社の巫女』としての『火野まあ子』だと、爺さんはそう言っていた。爺さんの言葉が真実だとしたら、今この場にいる『火野まあ子』こそが、本来の姿ってことか?

 ……納得いかねぇ。

 あのチビ女の今までの奇行の全てが演技だったなんて、オレには信じられねぇ。


「おい、座敷童」

「なに、シュウちゃん?」

「……普通に返事しやがったな」

「普通にしちゃダメなの?」

「ついさっきまでの『火野まあ子』なら、絶対普通には返事しねぇだろうからな。ついでに、自分のことを『あたし』なんて呼び方もしねぇしな」

「そっちの方がシュウちゃんは好きなの?」

「んなワケねぇだろ」

「じゃあいいじゃない、普通で」

「……そうだな」

「そうだよ」


 どこまでも、その女は火野まあ子らしからぬ言葉を並び立てた。

 ……全然納得いかねぇし、なぜだか無性にむかつくけど、よくよく考えてみれば不満を口にすることもない。なにしろ、今のこいつとはまともな会話ができるんだ。今オレの中にあるこの女への疑問に対しての答えをもらうには、願ってもない絶好のチャンスだ。

 少し間を置く。焦って動揺を表に出してはいけない。主導権を握るのはいつだって落ち着いて状況を把握する者の特権だ。この女にペースを握られるなんて、何よりプライドが許さねぇ。

 ――深呼吸。思考をクリアに。

 この女に訊ねなければならないことを、順序立てて組み立てていく。


「おい座敷童。まだ続ける気か?」

「続けるって、何を?」

「この意味のねぇ鬼ごっこを、だよ」

「……そうだね。鬼ごっこはここで終わりだよ。もともとあたしは、シュウちゃんをここに連れてきたかったからずっと追っかけてきたんだし」

「なんでだ?」

「シュウちゃんはこの村、好き?」


 その言葉と共に、その女はようやくこちらへと向き直った。

 左頬の腫れがつい数分前の出来事の面影を残している。オレが思い切り殴りつけた跡だ。少し罪悪感が湧いてきたが、それと同時に不審な思いは益々強まっていく。

 やはりこの女はオレがさっき殴りつけたあのチビ女と同一人物なんだと、納得せざるを得ない。


「……理由を訊ねたつもりだったんだが、なんで質問が返ってくるかな」

「この質問の答えが、そのままシュウちゃんの質問の答えになるから」

「ふん、オレがどう答えるかなんてとっくに知ってるって言い方だな」

「そうだね。きっとこう言うだろうなって、なんとなくわかってるかも」


 かすかな笑みを浮かべる座敷童。その仕草も、オレの知っている火野まあ子の印象とはるかに掛け離れていた。

 少しの間を置いて、その女は言葉を続ける。


「『別に。どっちでもねぇ』。そんな感じかな。どう、合ってる?」

「…………」

「答えない、かぁ。でもシュウちゃん気付いてる? シュウちゃんが口ごもるのって、認めたくないけどその通りだって言う、肯定の意味の返事の時なんだよ。呆れてる時もそうだけど」

「…………」

「あはは、無言。図星なんだ」

「ちっ」

「あたしもね、この村が好き」

「オレは好きだなんて一言も言ってねぇぞ」

「シュウちゃんは否定の意見はハッキリ言うからね。『どっちでもない』って言うのは、シュウちゃんにとっては『まぁまぁ気に入ってる』って意味なんだよ」

「随分と決め付けやがるな」

「毎日毎日シュウちゃんのこと見てたからね。わかるよ」

「…………」

「ほら、肯定」


 くすくす笑いながら、火野まあ子はオレに背を向け、再び赤い景色に視線を移した。

 岩場の先端に立ち尽くすその後ろ姿はやけに画になっていて、まるで昔からそこにあるもののような、その風景の一部だったかのような、そんな錯覚を受けた。


「あたし、シュウちゃんにもっと天之恵を好きになってほしいんだ。せっかくこの村に来たからには、もっとこの村を堪能してほしいんだ。だから、ここに連れてきたんだ」

「……この景色を見せるために、か?」

「うん。キレイでしょ、この景色。あたしのとっておきの場所なんだ、ここ」


 そう言って、火野まあ子は一歩踏み出した。

 岩場の先端。その先にあるのは見渡す限りの赤く染まった世界。もう二、三歩踏み出せばそこからはもう別の世界。真っ逆さまに死へと連なる、黄泉の世界へ続く道。


 その瞬間、オレの心に一片の不安が生まれた。


 今のこいつはオレの知ってる『火野まあ子』とはかけ離れている。それはもう別人と言ってもいい程に。

 穏やかすぎる。この女は、穏やかすぎるんだ。

 オレは知っている。自らの人生に幕を下ろそうとした人間の表情が、どうしようもないくらいに追い詰められた人間の表情が、意外な程に穏やかなことを知っている。

 前に居た土地で、オレがイジメていた奴がそうだった。

 本当にどこまでもオレの予測通りに動く奴だった。そこまで完璧に予測通りに動く奴も珍しかったから、オレは特にそいつだけに焦点を絞ってイジメていたんだ。

 執拗に追いかけ、先回りし、逃げ道を無くし、他の者への干渉も妨げ、ただひたすらに追い詰める。とどめは刺さない。そうしたらそいつの絶望の表情を見ることが出来ないから。追い詰めるだけ追い詰めて、ほんのちょっと逃げ道を用意してやる。そしてその先でまた別の罠を仕掛けておく。――延々と、その動作の繰り返し。

 あの時のオレは、自分の予測の力に酔っていたんだろう。物事がここまで思い通りに進むものなのかと、世界を手にしたかのような快感に酔っていたんだ。

 そして、あの事件は起こった。オレがこの土地へと逃げてくることになった、あの事件。


 追い詰められたそいつは、オレの目の前で、手首を切った。


 とても穏やかな表情だった。絶望とか失望とか、そんなものを一切感じさせないくらい、穏やかな表情だった。

 その時のあいつの表情と、目の前にいる女の表情がどこか似ていて――。

 あの時の感情が湧きあがる。

 抑えようのない絶望感。

 吐き出してしまいそうな程の嫌悪感。

 もう二度と味わいたくない後悔が、オレの心を覆い尽くす。


「――おいッ!」 


 気付いたら、オレは焦りの表情と共にそんな言葉を吐き出していた。


「わ。どうしたのシュウちゃん、そんな大声出して」

「……いいからこっち来い。ゆっくりな」


 チビ女のいる足場はそんなにしっかりしていない。ちょっとコケただけでも足を踏み外しかねないんだ。そこからチビ女が落ちていく光景なんか見てしまった日には、オレはしばらく立ち直れないかもしれない。……あの時と同じように。

 オレのその言葉をどう受け取ったのか――おそらく自分に都合のいいように取ったんだろうが――火野まあ子はくすりと微笑み、さらに一歩踏み込んだ。


「……てめぇ、オレの言葉が聞こえなかったのか?」

「ふふ、そんなに心配?」

「ざけんな。お前がどうなろうが知ったこっちゃねぇんだよ」

「あらら、そうなんだ。でも、もし落ちちゃったとしても大丈夫なんだよ。この山は、この村は、なんだって受け止めてくれるから。土地神様はどんなことだって受け入れてくれるんだよ」


 さらに一歩踏み出す火野まあ子。

 その足の前にもう踏み場はない。その先の一歩を踏んだが最後、あいつは別の世界へ行ってしまう。

 焦りと怒りがオレの胸の中を駆け巡る。

 その先の一歩を踏み出させてはいけない。にも関わらず、あの女はオレをからかうかのように穏やかな言葉を繰り返す。

 なにが『土地神』だ。なにが『なんだって受け止めてくれる』だ。

 死んでしまったら何にもならねぇ。まして、そこまで他人を追い詰めたオレの罪を誰が受け入れてくれるって言うんだ。

 ふざけんな。ふざけんなよ……!


「本当だよ」


 くるりと振り返り、火野まあ子は満面の笑みを浮かべながら、言った。


「今から証明してあげる――、」


 その言葉を聴いた途端に、オレには火野まあ子の次の行動が予測できた。できてしまった。

 そんなこと、普通の奴ならするわけがない。普通なら、そんな穏やかな表情ですることじゃない。普通ならできない。できるわけがない。


 ――だけどあの女なら、やる。


 瞬間、オレの足は動き出した。

 頭で考えるよりも先に、まるで爆発したかのように、凄まじい勢いで地を蹴っていた。

 普段はオレの予測なんか当然のように裏切るくせに、目の前のその女は、当然のようにオレの予測通りの行動を取っていた。


「――土地神様の、愛ってやつを」


 火野まあ子の身体がゆっくりと背後へと倒れていく。

 両手を広げ、穏やかな笑みをこちらに向けながら、火野まあ子は赤い景色へとダイブした。


  

次回最終話の予定です。年内には投稿する予定です。ちゃんと予定通りにいくかどうかは、……未定です。

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