第九話 不穏な気配
午前の授業が過ぎ昼休み明け最初の五時間目、アキラは第二体育館に来ていた。これから体育の授業があり、制服から学校指定のジャージに着替えている。この時期に長袖長ズボンで運動するのは少々暑いのだが、アキラが素肌を晒していると何故か他の生徒がじろじろ見てくるのでやむなくジャージを着ているのだ。
ところで第一体育館は同じ敷地内にある高等学校で使うため中学校からは少し離れたところにある。しかし第二だからといって狭いわけではなく、バスケットコートが四面は作れるほどの広さがある。
セレブが多く通うとはいえ桜花も中学校なので体育の授業はちゃんとあり、一年生全クラス合同で行われる。しかしその内容はゆるいもので、毎回生徒自身が数種目の内から選択し、自由にスポーツをしているのを体育教師が眺め時々指導するというものだ。
アキラは運動神経はいいが華奢な身体からわかるようにあまり体力がないので、スポーツ自体はあまり得意ではなく、出席さえすれば単位がもらえる授業体勢に若干ほっとしていた。
開始のチャイムが鳴り生徒が教師の前に整列する。出欠を取り終わるといくつかのグループに分かれていく。出口に向かっていったグループは屋外競技を選択したのだろう。体育館の近くにテニスコートや芝生が敷かれたドームグラウンド、さらに武道場などもそろっているので、希望する生徒が最低五名ほどいればだいたいのスポーツが選べる。
アキラはどうしようかとフロアに立っていると琢磨に誘われ、屋外に行くことにした。
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「それで、どうしてドッヂボールなの?」
「この間アキラが話してたのを近くで聞いていた奴らが、面白そうだから是非やってみたいって言うからさ」
「よろしくお願いしまーす!」
グラウンドでアキラを待っていたのは男子が二十人、見学で女子が六人という結構な人数がいた。全員いわゆるセレブの人たちだがその中でもノリがいい人たちが集まっていた。
ここには開閉式の屋根がついているので、七月にはいってきつくなってきた日光を遮ってくれている。セレブと同じくらいスポーツ推薦の生徒も多いので、部活動でも使う設備はどこも立派なものだ。部活動に関係ない生徒も授業で使えて、いつも少し得した気分になる。
「えっと、ルールとかは理解しているのかな」
「それは大丈夫です御堂くん! 全員予習済みです。イメージトレーニングもばっちりで、あとは実践あるのみです!」
「僕たちはあの話を聞いた日からずっとこの日を待ちわびていたのだ!」
「私たちも普通の子供たちが皆一度はやったことがあるドッヂボールという物に興味がありますの。ねえ皆さん?」
アキラを置いてみんなのテンションはどんどん上がっていく。その光景にあっけにとられていたアキラの肩を琢磨が叩いた。
「ということだから、あいつらに付き合ってやってくれよ。どんなに情報を集めても実際にやったことがあるのはお前だけなんだし」
「それは別にいいけど、ちょっとみんなの熱気が凄くて……」
それを聞いた琢磨は、はははと笑うと依然やる気が漲っている人たちの輪に入って少し落ち着けさせた。中心になって騒いでいた男子生徒も少し冷静になったのか、ちょっと恥ずかしそうにしている。
落ち着いたところでもう一度ルール確認をし、チームに分かれた。
アキラは琢磨と同じチームになった。はじめにボールを持つ方を決めるのにじゃんけんをしようとしたらみんな知らなくて、急遽コイントスに切り替えたりということもあったが、何とかゲームが始まった。
第一投は琢磨に渡った。
「それじゃあ、いくぜ!」
琢磨が大きく振りかぶって投げたボールは物凄い速さで飛んでいき、運悪く琢磨の正面にいた男子に当たり、それが反射して隣にいた男子にも当たった。
「きゃあ!」
「さすが一条様、二人いっぺんに当てましたわ!」
ギャラリーの女子たちが一気に色めき立った。琢磨は中学生にしては身長が高く、スポーツ推薦組に劣らないほど運動神経も抜群なので女子に非常に人気がある。
「何という球だ……しかし我々も負けてはいないぞ!」
相手チームは琢磨に実力を見せられて、俄然やる気になっている。当てられた二人は外野へ行き、その近くにいた男子がボールを拾い上げ、思いっきり振りかぶり投げた。
思い切り投げるのに集中しすぎたのか琢磨を狙うはずのボールはその隣にいたアキラの顔面めがけて、琢磨と同じくらいの速度で飛んできた。
「まずい、顔にいった?!」
「きゃあ?! 御堂様、逃げて!」
あちこちから悲鳴に似た声が上がる。しかしアキラは特に焦っていなかった。
落ち着いて身体を横にスライドさせてボールを難なく避けた。ボールはそのまま相手の外野まで飛んでいった。
一瞬全員固まっていたが、ボールを投げた男子がいち早く復活して何度も頭を下げて謝っている。アキラは大丈夫だと手を挙げて笑いかけた。それを見て皆もほっとして、そして普段体力がないからとあまり積極的に授業に参加していなかったアキラの実力を思い出していた。儚げな見た目に柔らかい物腰、更に意外と頼もしいところもあるアキラに、今まで以上の熱い視線が向けられていることに本人はきづいていない。
そんなアキラの元へ琢磨が驚いた顔をしながら近づいてきた。
「アキラ、よく今の避けたな。やっぱり経験者な分、動きがいいのか?」
「えっと、まあそんなところかな」
アキラの実力を知っていた琢磨がそんなことを聞いてきたので、曖昧にぼかして答えた。
確かに昔やったことはあった。しかし小学校に入ってすぐ両親を亡くし親戚の家を転々としていたアキラは転校も多く、塞ぎ込んでいた時期も長かったためあまり友達ができず、一緒に遊ぶことも少なかった。
たまにやる機会があっても、身体の小さいアキラは始めに狙われ、すぐにバテて当てられていた。
だが中学生になって体力も少しついた。更に最近素早いものを避けた経験があったので、自然と身体が動いたのだ。空を飛んで攻撃を避けるのは魔法に頼る部分が大きいが、動体視力や反射神経もそれなりに鍛えられていたようだ。自分で思った以上に軽やかに動けた気がする。
「その調子で頑張ってくれよ。万が一顔に当たったりしたら大混乱になるからな」
「顔に当たったら痛いかも知れないけど、大けがする程じゃないと思うけど?」
「そうじゃなくて! ……まあ説明しても無駄だろうから、とにかく顔にだけは当たるなよ? いいな」
「う、うん」
アキラは意味がよくわからなかったがとりあえず頷いておいた。
もしアキラが顔面にボールを受けたりしたら、当ててしまった生徒は姫の顔に傷をつけたとして晒し上げられるだろう。自身の人気の高さを理解していないアキラに琢磨は小さくため息をついた。
その後の試合は何事もなく進んでいった。アキラはすべてのボールを避け、琢磨がボールを受け投げ返して次々に当てていく。
相手チームは琢磨とアキラを狙うのをあきらめ他の生徒を狙った。
お互いに当てたり当てられたりしながら、楽しい時間が流れていく。
しかしそんな平穏も長くは続かなかった。
始まりは唐突だった。
ボールを避けた男子の身体がふらつき、そのまま倒れた。
「大丈夫か?!」
一時ゲームを中断して倒れた生徒の周りに集まる。その生徒は顔色が悪く、息もあがっていた。
「熱中症か?」
「けれどここはドームになっているので、直射日光は浴びていないはずですけれど……」
とりあえず保健室へ運ぼうとした時、女子生徒がまた一人倒れた。その女子も同じような症状だった。
ちょうど巡回の教師がグラウンドに入ってきて、異常事態に気づいて走って近づいてきた。
「どうした?」
教師に事情を説明している間にも一人、また一人と倒れていく。ここまでくるとさすがに皆おかしいと思い始めた。
「とにかく一度屋内に入りなさい。君は他の先生を呼んできてくれ。他の生徒は手分けして具合の悪い生徒を保健室へ」
男子生徒を中心に倒れた生徒を運んでいく。
アキラはその様子を見て少し考え込んでいた。そこへ琢磨がやってきて小声で話しかける。
「一体どうしたんだろうな」
「わからないけど、何か原因があるはず」
「原因って、何か心当たりでもあるのか?」
「……とにかく僕たちも行こう」
「そうだな」
さっさと歩き出したアキラに続いて琢磨も歩き出した。
アキラは何か不穏な気配を感じていた。ドンヨリした、黒い気配を。
―――ミーナさん、ちょっといい?
もしもを考えてミーナに念話で話しかける。しかし返ってきたのはザザザというノイズだけだ。離れていても使えると言っていたので少し変だなと思ったが、取り敢えず自分一人でできる範囲で調査をすることにした。
「ちょっとお手洗いに行ってくるよ。先に校舎の方に戻っておいて」
「一人で大丈夫か? 気分は悪くないか?」
「大丈夫、すぐ戻るから」
「……わかった、先生には言っておくから。さっさと来いよ」
「ありがとう」
グラウンドを離れてすぐに琢磨にそう告げ、アキラは踵を返した。ドームの中に入り物陰から外の様子を眺める。琢磨は特に疑問には思っておらず、そのまま他の生徒と校舎の方へ歩いていった。
それを見届けてからアキラはドームから出た。建物の外周を回って、黒い気配のする方へ向かう。進めば進むほど空気が濃く重くなっていく。
テニスコート横を通過したが幸いなことに誰もいなかった。念のため植え込みに隠れながら移動する。
そうしてたどり着いたのは庭園。バラなどの華やかな花だけでなく樹木も植えられていて、学校内の癒しスポットとなっている場所だ。例の気配はこの奥の方から感じる。
何気なく庭園のアーチをくぐろうとしたが、一度立ち止まって辺りに誰もいないことを確認し、軽く目を閉じて呟いた。
「出でよ」
すると何もなかった空中から白地に黒で紋様が描かれた魔符が数枚現れ、アキラの手に収まった。それを庭園の周りを囲む柵に貼っていく。
アキラが取り出したのはミーナから持たされた人よけの魔符で、魔法が使えない人間の意識を逸らす結界を作る効果がある。その魔符をアキラの魔法杖と同じ要領で一度魔符を魔力素粒子に分解して空中に保管し、それを再構築したのだ。いまいちどうやって素粒子などに分解しているのかはわからないが、イメージでできるためあまり問題はない。ミーナも同じ方法で魔符を大量に保管しているらしいし、魔法師の間では常識らしい。
そうして十分な数の魔符を貼り付け終わると、今度こそ庭園内に足を踏み入れた。
その時アキラは、木々に隠れてアキラの様子を窺っていた存在に気づいていなかった。