第四話 黒猫の事情
魔物と初めて戦った翌朝、アキラはいつもより目覚めるのが遅く、学校に遅刻しそうになった。その為ミーナから詳しい事情を聞きそびれてしまった。
「はあ、無意識に目覚まし時計を止めてしまったのが間違いだったよ……」
結局朝のホームルームに五分遅刻し、担任に怒られることとなった。
憂鬱な気分で午前の授業をこなし、今は琢磨と中庭のベンチで昼食をとっている。
「アキラが朝寝坊なんて珍しいな」
琢磨がニヤニヤしながら聞いてきた。アキラは一瞬むっとしたが、琢磨が遅刻したところを見たことがなかったため何も言い返すことが出来ずに俯いた。
「琢磨くんは寝坊も遅刻も絶対にしないもんね……」
「ああ、高山が起こしてくれて車で送り迎えもしてくれるからな」
「羨ましい……」
「何なら暫く高山をそっちにやろうか? その間の給金はお前持ちだけど」
「ベテランの高山さんを雇うためのお金なんて家にはないよ……」
アキラの言葉に笑って返す琢磨だが、単にからかっているだけだと分かっているのでアキラも笑い返した。
笑っているとそれまでの暗い気持ちや昨夜の疲れが一気に取れた気がした。
「まあ今日みたいなことは早々ないんだし、もう遅刻しないように気をつけることだな」
「そうだね、ありがとう琢磨くん」
そう言って微笑みかけると琢磨は頬を少し紅くさせてそっぽをむいてしまった。アキラがお礼を言ったり笑いかけたりすると決まって琢磨は照れたように顔をそらすのだ。
「そ、そういえば昨日の夜、家の建設中のマンションの敷地内で変なことがあったらしいんだ」
琢磨が照れ隠しに逸らした話題にアキラはどきりとした。なんとか動揺を顔に出さないように気をつけながら黙って話を聞いた。
「何でも現場の監督者が事務所で泊まり込みで作業していたら資材置き場の方から物音がして、見に行ったら足場用の鉄パイプとかが崩れていたらしい。作業終了前に確認したときは異常はなかったそうだ。それで不審者が侵入したのかと辺りを探していたら近くで閃光とともに連続して爆発音がして、爆発音が止んだ後見に行ったら民家の塀が壊れていたんだと」
「……その人は誰がやったのか見たの?」
「いや、危険がないと判断してから見に行ったらしく誰もいなかったそうだ。コンクリートの塀を壊すような者がいたんだから正しい判断だったな」
「じゃあその人は怪我とかしてないんだね?」
「ああ、今回の事件でけが人はゼロ。被害も建設現場の資材が崩れたことと塀が一部破壊されたことだけだ」
「そう、よかった……」
ほっと息を吐いたアキラを訝しんだ琢磨だったが、アキラのどんな人でも気にかける性格が出ただけだと結論づけ何も聞かなかった。
一方アキラは昨夜のことを誰かに見られかけていたことと、誰にも怪我がなかったことと、琢磨の家の会社に迷惑をかけてしまったことで複雑な気持ちになっていた。
「そう言えば一つ、警察が不思議がってたことがあったな。閃光を見たっていう人は何人かいたが、爆発の形跡は一切見つかってないらしいんだ。一体犯人はどうやって塀を壊したんだか」
アキラは琢磨の問いには答えず、ただ曖昧に笑顔を作ってその場をやり過ごした。
●
放課後授業が終わり琢磨と校門で別れた後、アキラは急いで家に帰った。自室へ直行すると部屋の真ん中に黒猫が座り、アキラの帰りを待っていた。
「待っていたニャ」
「……昨日のことを教えてくれるんだね?」
「巻き込んで力まで与えてしまった以上説明しないわけにはいかないニャ。それに私の目的を果たすには貴方の力がどうしても必要なのニャ。どう返事をするにしても、まずは私の話を聞いてくれるかニャ?」
ミーナの言葉に頷いたアキラは手早く制服を着替え黒猫の前に黙って座った。その様子を見届けた後ミーナは語り出した。
「改めて、私の名前はミーナ・エーデルヴァイン。独逸特務傭兵団第三隊所属の捜査官ニャ」
「ドイツとくむ……?」
「簡単に言うと、ドイツ政府が表だって対処できない事象に対処するために作られた特殊警察みたいなものニャ。中でも私の所属する第三隊は魔法に関する事件を扱っているニャ」
「ドイツでは魔法が広く知られているの?」
「いいえ、知っているのは政府の中でも首脳陣と一部の関係者だけよ、ニャ。一般人には何も知らされていないニャ。魔法なんて非科学的なもの今の世の中に受け入れられるはずがないわ、ニャ」
「……いい辛いなら、その語尾やめてもいいんじゃないかな」
「……そう? キャラ壊れたりしない? 私もいい加減めんどくさいなと思ってたのよ」
はじめからキャラが安定していなかったことは言わないでおいた。
「おっほん、どこまで話したかしら。そう、私たちは秘密裏に魔法に関する事件を調査・解決しているのよ。今回も捜査のために私は日本へ入ったの」
「一つ質問してもいいかな? 一般の人は魔法のことを知らないなら、どうして事件が起きたりするの?」
「事件って言っても昨夜倒したような魔物が絡んでることが多いわ。元々魔物は昔から怪物や幽霊、日本で言えば妖怪として存在していたの。そして魔法使いや魔女や日本の陰陽師などは魔法を知り、その力を使って魔物を古来から退治してきた。私たち傭兵団はその一族の末裔たちで構成されているの。けど、末裔のすべてが魔法を正しく使っているわけではなくて、一部の者たちが私利私欲のために魔法を利用してるの。そう言う奴らが悪さをした場合対処するのも私たちってわけ」
「つまり、幽霊とか呼ばれていたのは実は魔物で、ミーナさんは普段はそう言うものを退治している。時々魔法を悪用する人がいて、その人たちを逮捕するのも仕事って言うこと?」
「その通り。やっぱり貴方理解が早いわね。それで今回の任務は日本の京都守護院から魔物の調査を依頼されたの。京都守護院っていうのは陰陽師たちで構成された対魔物組織ね」
「日本にもそんなものがあったんですね」
「普通の人は一生知らないことなんだけどね。非公式ではあるけど先進国首脳陣の間で魔物に対して各国協力することが決まっているわ。そういう事情もあって魔法先進国であるドイツが依頼を受けて、今回私はこの町にきて調査をしたんだけど、この町に封印がかけられていて、それが解けかかっているのがわかったの。昨日の魔物は封印が弛んだために現れたようね。私は被害が出る前に退治しようとしたのだけれど、思ったより手強くて怪我をしてしまって、何とか逃げることはできたけど体内の魔力が尽きてしまって、あとは貴方が知っている通りよ」
そう言ってミーナは苦い顔を伏せた。我ながら迂闊だったと評価せざるを得ない。依頼内容を超えて魔物に手を出して返り討ちにあうなんて、彼女の部隊の隊長に知れたら怒鳴られるだけでは済まないだろう。
「そうだったんだ。話してくれてありがとう、ミーナさん」
「いえ、巻き込んでしまったのは私だから、お礼を言われるようなことじゃ・・・・・・」
「言ったでしょ、僕が勝手に助けたんだって。だからそんなに自分を責めないで。それよりこれからどうするの?」
「・・・・・・封印が解けかかっている原因を調べて、できるなら再封印を施す。それにまた魔物が出てくるかも知れないからその対処もしないといけないのだけど・・・・・・本当に協力してくれるの? そこまで無理に私に付き合ってくれなくてもいいのよ?」
「ううん、無理なんてしてないよ。ミーナさんが迷惑じゃなければ僕も協力したい。僕の方こそ協力してもいい?」
そう言って微笑みかけるアキラを見て、ミーナは心を決めた。本来ならただの中学生に協力を求めるなんてできない。本国と京都守護院にも応援を求めるがこちらに来るのにかなりの時間がかかるだろう。しかし事態は急を要する。今は猫の手も借りたい(今は自分が猫なのだが)。
それに、とミーナは思う。
アキラの真っ直ぐなあの目。興味本位ではなく、覚悟を持った者の目が彼にもなにか引けない思いがあるように思われた。それが正義感なのか自己犠牲なのかはわからなかったが、彼の真心が感じられた。あんな風に信念を持った人間がミーナは好きだった。真心には真心で返したい、そう思った。
ミーナはアキラの瞳を力強く見返した。
「私に断る理由なんてないわ。アキラ、私に力を貸してほしいの。・・・・・・私を手伝ってくれる?」
「もちろん、喜んで」
巻き込んでしまうことへの罪悪感はいまだ消え失せてはいなかったが、今は謝罪の言葉を言うべきではないとミーナは思った。代わりに、満開の笑顔でミーナは言った。
「ありがとう」
●
「ところで、ミーナさんは、人間、なんだよね?」
突然言われ、一瞬アキラが何を言っているのかわからなかったが、自分の今の姿を思い出してアキラの言わんとすることを理解した。
「この姿は魔法で変身したものよ。そこのところを説明していなかったわね」
「そうなんだ、でもどうして?」
「さっき魔力が尽きたって言ったでしょ? 魔力は空気中に漂っていて、私たち魔法師はそれを身体が無意識に吸収しているんだけど、どうやらこの町は解けかかっているとはいえ封印されているから他の場所より空気中の魔力が薄いみたいなの。そのせいでうまく魔力が回復しなくて、あまり魔力を消費しないよう小動物の姿になったの。変身魔法は最初に魔力を込めれば日常生活くらいなら半月はもつから」
「僕は昨日相当魔法を使ったけど、ちょっと休んだら力が戻ったよ?」
「多分この土地に住んでいて自然とこの魔力の薄い状態に慣れているんだと思うわ。そのおかげで少ない空間魔力でも効率的に回復できているみたい」
「そうだったんだ。ミーナさんが回復するのにどれくらいかかるの?」
「そうね、多分あと一週間もすれば元通りになると思うわ」
「わかった、じゃあそれまでは僕がミーナさんを守るよ」
急に真剣な顔をして言われた言葉に、ミーナは不覚にもドキッとしてしまった。身体の線が細く顔立ちもどちらかといえば女性的なアキラだが、真剣な表情になると精悍な美少年に見える。そのギャップに思わず見惚れてしまってからアキラの言ったことを理解し、顔に熱が上がってきた。
「え、えと、簡単な魔法ならこの姿でも使えるから、大丈夫よ?」
「それじゃあ回復するのがもっと遅くなるでしょ? ミーナさんは自分の身体のことを優先させた方がいいよ」
「まあ、あの、その通り、なんだけど・・・・・・」
それ以上言い返す言葉が思い浮かばず、ミーナは俯いて黙り込んだ。あんなに真剣に、しかも年下の美少年に守ると言われて、恥ずかしくて、でもちょっと嬉しく思っている自分がいて、そのことに気づいてさらに恥ずかしくなった。
どうやってこの場を誤魔化そうか考えていると、一階の玄関が開く音がした。
「あ、月夜さんが帰ったみたい」
アキラがそう言うと階段を上がってくる音が聞こえ、足音が部屋の前で止まった。ノックの音にアキラ
が返事をすると男性が入ってきた。
すらりとした身体、整った顔立ち、短めの艶やかな黒髪とそれと同じ色の漆黒の瞳を持つこの男性は、部屋にはいると微笑みながら彼の雰囲気に合うテノールの声でアキラに話しかけた。
「ただいま、アキラ」
「お帰りなさい月夜さん」
月夜の登場で話の流れが変わってほっとするも、イケメンの登場に再びドキドキするミーナだった。
●おまけ●
「そういえば初めて喋ったとき、何で語尾が“ケロ”だったの?」
「え、えっと、それはね……」
「それは?」
「……雨だったから」
「へ?」
「だから! この町にきたときはまだ梅雨の時期で、いろんなところを調査するときに、怪しまれないよう風景に溶け込むのにちょうどいいと、思った、から……」
「だからカエルに変身してたの?」
「まあ、そんな感じ」
「カエルは“ケロ”で、猫は“ニャ”なんて、ミーナさんって可愛いね」
「な?! 何言ってるのよ? (見た目で言えば貴方の方が可愛いわよっ、て言ってて悲しい……)」