第二話 出会い②
黒猫を助けた日から一週間が経った。幸い怪我のほうは大したことなく、寧ろ疲労から来る衰弱のほうがひどかった。初めは餌も食べられないほどだったが、今ではすっかり回復して元気になっている。
それと、あの日から何度か猫に話しかけてみたのだが、黒猫がしゃべってくれたことは一度も無い。あの日頭の中に直接話しかけてきたのはこの黒猫だと何故かアキラは確信していたが、やっぱりもう一度ちゃんと話をしたいと思ったのだ。
猫の声帯では会話できないのかと念じる感じで呼んでみたりしたが全く応答は無かった。黒猫のほうも恩義は感じているが馴れ合うつもりはないという態度を取っている。
なのでアキラは余計な詮索は諦めて、猫の世話だけは完璧にこなすことに決めた。
「それじゃあ、おやすみ猫さん」
……会話を諦めたわけではなかった。
黒猫からの返事はなく、アキラが毛布で作ってやった寝床に丸まって眠ってしまった。
アキラは苦笑し、自身もベッドにもぐりこむとすぐに夢の世界へ落ちて行った。
ふと、物音がしたような気がしてアキラは目を覚ました。枕もとの目覚まし時計を見ると夜中の二時。ぼんやりとした目で部屋を見回し、特に何も無いのでもう一度眠りに着こうとしたとき、それに気付いた。
黒猫がいなくなっていたのだ。
さらに少しだけ開いた窓。それでアキラは完全に眠りから覚醒した。状況から見て黒猫が出て行ってしまったのは明らかだった。
「お別れも言わずに行っちゃうなんて……」
寂しく感じるも、首輪もしていたし、黒猫にも自分の帰る場所があったのだと思い、無事に帰れることを願った。
再び布団に潜り込もうとしたその時、猫を拾った日と同じような感覚がアキラを襲った。頭痛は無かったが、何だか嫌な感覚だった。
その感覚に悪い予感を感じ、黒猫に何かあったのではと思ったアキラは居ても立ってもいられず、パジャマを脱ぎ普段着に着替えると足音を立てないように廊下を歩き、静かに家を出た。
確信などなかったが、不快な感覚の強いほうへ向かう。もはや何となく心配とかではなく、確実に黒猫に危険が迫っているとアキラは思っていた。アキラは黒猫の無事を祈りつつ、全速力で駆け出した。
家からさほど遠くない工場現場、確か高層マンションの建築予定地、の近くに来たとき、ドオォォンという大きな音が聞こえてきたので、アキラは迷わず音のほうへ走った。
「猫さん!」
アキラの前方から黒猫が走ってきていた。その後ろを追いかけるのは真っ黒な塊。丸い身体のほぼ真ん中に二つの赤い目があり、身体のあちこちから触手の様なものが何本も伸び、アキラに気付き戸惑った様子の黒猫を今にも捕まえようとしている。
アキラはとっさに近くにあった鉄パイプを握り締め、黒猫に襲い掛かる黒い触手を思いっきり殴りつける。鉄パイプの重さに振り回されそうになる勢いのまま鉄パイプを黒い塊に投げつけ、相手がひるんだその間に黒猫を抱き上げその場から逃げ出す。とてもじゃないがアキラにどうこうできる相手とは思えなかった。
工事現場を飛び出し誰も居ない夜の町を駆け抜ける。後ろから触手が伸びてきて何度も体を掠めていったが、恐怖心を何とか押さえ込み、必死に逃げる。
しかし必死になりすぎて闇雲に逃げたのがいけなかった。アキラはまんまと行き止まりに追い詰められてしまった。
「どうしよう!? 何とか逃げないと」
追い詰められ絶体絶命の中、アキラは懸命に頭を働かせ打開策を探すも何も浮かばない。
●
黒猫はアキラの腕の中で迷っていた。この状況を打開する案はあるにはある。しかしそれはこの一般人の中学生を“こちら”側に引きずり込むことと同義だ。平和に暮らしていた普通の男の子をこれ以上巻き込みたくはなかったが、他に方法も思いつかなかった。
迷う二人を待ってくれるはずも無く、触手を伸ばしながらじりじりと近づいてくる黒い塊。最早迷っている時間は無いと黒猫は決断した。
●
アキラが黒い塊の脇を駆け抜けようかと決心したその時、一週間前に聞いた声が頭の中に響き渡った。
―――私の首の珠を取りなさい!
アキラは突然の声に驚きつつも腕の中の黒猫が首にぶら下げている紅い珠を見た。昨日までは触ろうとしたら引っ掻いてきたのにどういった心境の変化だろうか? それよりもこの珠でどうするつもりなのか? アキラは突然のことに混乱していた。
―――いいから早くしなさい!
「は、はいっ!」
謎の声の叱責に思わず返事をして、素早く黒猫の首から紅い珠を取った。珠に触れた瞬間ピリッとしたが気にせず引っ張ると珠は首輪から簡単に取れ、アキラはそれを手の中に握りこんだ。
その瞬間アキラの身体から強大な力が溢れ出た。それは黒猫の予想を超えた力だった。だが、これだけの力があれば何とかなるかもしれないと黒猫は思った。
黒猫は混乱するアキラに向かって指示を続けた。
―――手を前に突き出して、防御のイメージを頭に強く思い浮かべなさい!
この声の主はこの状況を打破する手段を知っているに違いない、と確信したアキラは取り敢えず言われたとおり珠を握った手を黒い塊に突き出し、防御のイメージをしようと目を閉じた。
(防御、守る、守るものといえば……)
アキラがイメージしたのと黒い塊から触手が勢いよく伸びたのはほぼ同時だった。いや、わずかにアキラのほうが早かった。そのため十数本の触手は全てアキラの前に現れた光る盾によって防がれ弾かれていた。
弾かれた触手は光の盾に触れた部分がぼろぼろと崩れていた。鉄パイプで殴りつけても傷つかなかった相手に初めてダメージを与えられた。
恐る恐る目を開けたアキラは目の前の光る盾を見て驚いた。さらに混乱する状況が増えてしまった。
「助かったけど、これは一体……?」
「驚くのは後ケロ。前を向いて敵に集中するケロ」
「!?」
突然黒猫が例の声と同じ声で喋った。アキラは反射的に前を向き相手の攻撃に備えた。しかし場違いな疑問が頭の中を駆け巡っていた。
(どうして語尾が“ケロ”なんだろう?)
黒い塊は先ほどから動きが止まっている。余裕があると思ったので、もしかしたら聞き間違いかもしれないと思い、アキラは黒猫に話しかけてみた。
「あのう……」
「何ケロ?」
「……一つ質問してもいいですか?」
「手短にするケロ」
「……何で猫なのに語尾が“ケロ”なんですか?」
「……えっ、私ケロって言ってた!?」
「はい、ばっちり言ってました……」
「……」
「……」
「い、今は敵に集中するニャ」
(何事も無かったかのように語尾が“ニャ”に変わった!)
そんな馬鹿な会話をしている間に黒い塊は戦闘体勢を整えたのか再び触手を伸ばしてきた。
「来た! 防御するニャ!!」
アキラは再びイメージして光の盾を出現させ触手を防いだ。
「その調子ニャ! 強くイメージすれば他にもいろいろ出来るニャ。一旦あいつから離れるニャ」
「わ、わかった」
その返事を聞くとすぐ黒猫はアキラの肩に跳び乗った。
(イメージすればいいのか)
行き止まりに追い詰められているので、逃げるには最早空を飛ぶくらいしか方法がないように思われた。なのでアキラは自分が空を飛ぶ姿を強く思い描いた。鳥のように自分の翼で広い空を飛ぶ自分の姿。すると靴の踵あたりから光の翼が生えて、一つ羽ばたくとたちまち空高くアキラの身体は舞い上がった。
「うわ、本当に飛べた! と言うか、こんなに飛ぶつもり無かったのに」
「ちょ、飛ぶならそう言いなさいよ!?」
(すでにキャラが崩壊しかけてる……)
黒猫に謝りつつ地上に居る黒い塊を見る。さすがに向こうは空を飛ぶことは出来ないようだ。と思っていたら触手を伸ばして近くの建物の屋根を掴むと、今度は触手を縮めることで黒い塊は屋根上に這い上がった。そして屋根から触手を伸ばして再び攻撃を始めた。
「うわあ!」
叫び声を上げながらも右に左に飛び回り、何とか触手をかわす。
執拗な攻撃に堪らず更に上昇して十分距離をとった。触手はギリギリ届かないようで、アキラはほっと一息ついた。
「とりあえずアレから離れられたけど、これからどうしたらいいの?」
「アレをこのまま放っておくわけにはいかないニャ」
「放っておいたらどうなるの?」
「恐らく手当たり次第に暴れまわるニャ。アレに襲われたら一般人は一溜まりも無いのニャ……」
「えっと、警察に通報するとか」
「拳銃なんかが効くと思うのニャ?」
黒猫の言うとおり、あの黒い塊は鉄パイプで殴っても傷一つつかなかったのだ、到底銃弾が有効とは思えなかった。現状アレと対抗できるのは先ほどアキラが出した光だけだ。
●
考え込むアキラを前にし、黒猫は協力を仰ぐことに決めた。最早アキラが一般人だということに構っていられる状況ではなくなっていた。黒猫は奴を倒さなければならないし、奴を倒すにはアキラの力に期待するしかない。自分の使命を全うするにはアキラの力を借りるしか、黒猫に選択肢は残されていなかった。
アキラを巻き込むことに罪悪感を抱き、更に何も出来ない自分の不甲斐無さに苛立ちながら、黒猫は口を開いた。
「アキラ、私に協力してほしいのニャ。こんな事に巻き込んで勝手なことを言ってることは分かってるニャ。でも、アレを倒すには貴方の力が必要なのニャ」
アキラは黙って黒猫の言葉を聴いていた。その様子に、やはり断わられるか、と黒猫が思った時アキラが沈黙を破った。
●
「わかった、僕でよかったら力を貸すよ」
「……協力してくれるのニャ?」
「あんなの放っておいて誰かが傷つくのを見過ごすなんて出来ないよ。それにアレはさっきの光は効いてたみたいだし」
「本当に良いのニャ? 私が言っておきながら何だけど、もう今までの日常に戻れなくなるかもしれないのニャ、断わってこのまま逃げ出しても誰も文句は言わないニャ」
黒猫の気遣いを、アキラは嬉しく思った。そして同時に黒猫がとても優しいことも分かった。そんな黒猫に力を貸してあげたいと思った。
「心配してくれてありがとう。でも、誰かが僕に助けを求めてきて、僕にそれに応える力があるのなら、僕は助けたい。なんでこんな力があるのかは分からないけど、力を持つ者はその力を正しく使わないといけないことも知ってる」
アキラは親友の琢磨のことを思い出していた。アキラが言ったことは琢磨がいつも言っている言葉だ。まだ十三歳にもかかわらずそんなことを考えている琢磨をアキラは尊敬していた。彼の親友として、アキラは彼に恥じない行動をとることに決めていた。それに誰かを助けられるのに見過ごすことはアキラにはできなかった。
「だから僕は君を助けたいんだ。それに僕は巻き込まれたなんて思ってないよ。僕が君を追いかけてきて、自分で考えて君に力を貸すんだから」
「……ありがとうニャ」
「今更だけど、僕は御堂晶。よろしくね?」
「ミーナ・エーデルヴァイン、ニャ。・・・・・・こちらこそよろしく」
黒い怪物が届かない攻撃をするなか暢気に自己紹介をし、二人は可笑しくなってしばらく笑いあった。