1・2
by愚民
人より存在感が薄い、という事実が良い方に働くのは授業の最中くらいのものだ。教科書を読み上げるだとか黒板の問題を解くだとか大勢の前に出て恥を晒すのを強要されることは皆無といっていいほどにない。困ることが多くはあるが、これだけは少しばかりありがたく思ってしまう。
そうして今日も何事もなく1日の授業を終えた僕は3分もせずに帰る準備を終え席を立った。教室には未だあれこれと行動しているクラスメイト達がいたが、そのまま残っていたところで意識の欠片も向けられることなく取り残される形になるのは目に見えていたからだ。
何を隠そう僕は、未だにクラスの誰とも一言も口を利いていなかった。
勿論僕の自己意思ではなく、周りに認識され難いという体質のようなそれによるものである。話しかけられることはおろか、視線を向けられることもない。
認め難いことではあるのだが、友人が言ったように、僕はこのクラスにおいて、“空気”そのものなのである。
このまま教室に残っていたところで時間の無駄に他ならず、最悪まだ中にいるというのに施錠される事態になりかねない。
僕は教室の真ん中で騒いでいる連中の傍らをそそくさと通り抜け、担任が通ったまま開け放たれた引き戸をくぐった。
―――ここ、御剣市は、なだらかな山に囲まれた盆地に築かれた学園都市だ。
学園都市としての歴史は50年程前、当時村だったというこの場所に巨大な学園施設…御剣学園ができたことから始まった。
さる富豪の手で突如作られたというこの学園は、御剣町に人を呼び込み、店舗類の需要を発生させて大手のチェーン店を呼び込み、交通の便を良くし、最終的に学園都市と至るまでに成長させた。
学園前から寮へと向かうバスの中、窓から見える景色は到底ここが首都からは遠く周りは山だらけの田舎くさい土地だとは思わせないくらいに発展している。入試に迷っていた頃友人が受けるという全寮制学園の話を聞いて、家を出てみるのもいいかと安易な考えで高校入試をしこの場所へ来た僕には余計に不思議な感覚があった。
そのきっかけとなった友人の姿は隣にはない。授業後すぐに学園を出てバスに滑り込んだために、同じように即座に乗り込んだ生徒の姿がいくらかある程度だ。
彼のクラスの授業形態は、いわゆる普通科という扱いの僕のクラスと異なっている。登校こそ同じ時間ではあるし昼休みも共に過ごすことはできるが、変則的に課外授業などが入ることがあるという友人と共に寮へ帰る機会は多くはないのだ。
今日も今日とて昼休みあらかじめそれを話された為に、僕は今こうして一人バスに揺られているのである。それは学園に入ってから今まで、友人と寄り道をして帰る時を除いてずっと続いてきた習慣であった。
しかしその日、窓からいつものように通り過ぎる建物を見ていた僕は、なぜかふと思いついたのである。
別に一人だからといって、寄り道をしてはいけないというわけではないんじゃあないか。
確かに僕は普段一人ででかけるということはない。
勿論人に認識され難いという性質からの事だ。店員に話しかけてもスルーされることは日常茶飯事、行列に並んでいる時すら気づかれずに割り込まれてしまったりということだってざらにある。学食でさえ食券を買ってカウンターに立っても数分気づかれないということさえままある。
しかし、それは対人においての話である。
別に一人でゆっくり歩いて帰ったとしても、寮の門限までにはまだまだ時間はあるし、むしろ人に気にかけられることがないということは、思うまま散策が楽しめるのではないだろうか。
このまま寮に帰ったところで、すぐさま課題に取り組むのも気が進まないし、夕食までただ友人の帰りを待つというのも味気ない。
たまには散歩をして帰るというのもいいかもしれない。
次に停車するのは公園前だとアナウンスが告げるのと、僕が押した降車ボタンのブザーが鳴ったのはほぼ同時だった。