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華は歌い続ける05

 唇に触れてみる。実に不思議だ、それが触れ合っただけだと言うのに、俺はこんなにも動揺している。

 おかしな気分だ、多分ギルドラはもう気にもとめていないだろう。奴からしてみれば、俺をからかう手段の一つに過ぎない。

 この口付けに、深い意味などない。

 俺は無意味な自問自答を飽きるほど繰り返し、結局答えを得られないまま、考えることを放棄して今は一人取り残された建物の中ぼんやりと窓から空を眺めている。

 陽の光が見えれば時計がない場所でもおおよその時間の経過が分かる。本当におおよそで、今が朝か昼か夜なのかくらい違いなものだが。

 時折ゆっくり流されていく灰色の雲をただ眺めていた。ギルドラが居ないからだろうか、随分時間がゆっくりと流れている気がしてしまう。

 奴が戻って来たら、俺達はこの場を離れ、さらに遠くに行くことになる、つまりは旅立ちだ。

何処に行くのか全く分からない。何処に行けばいいかも分からない。しんと静まり返った建物の中で俺は感じていた。ギルドラが前を歩いてくれないと自分は歩けないという事に。

窓に触れると、冷たさを手に感じた。

表現のしようがない感情が自分の中で渦巻いてる。

 だが今自分に出来ることなど、主人の帰りを待つ犬のようにギルドラの帰りを待つ事しかない。心がざわめく。

俺は目を瞑りあの日の歌を思い出してみた。


 目をあける。俺が戦えないのは紛れも無い事実。いつもギルドラに守られてばかりだ。それではこの先、生き残れるわけがない。

 いつまでもお荷物では居られないし、ギルドラの弱点にはなりたくなかった。

 ――帰ってきたら、戦い方を教えて貰おう。

 自分の身くらい自分で守れるように。

 俺は傾き始めた陽の光りを見ながら、そんな事を考えていた。


 遅い。

 ギルドラは確か昼前には出て行った筈だ。確かに食糧を二人分集め、旅に必要な道具を揃えるのはこの世界だと極めて困難で時間を要する事だろう。

 しかし、遅過ぎる。

 俺は、「寂しいわけではない、ただ心配なだけだ」と誰が聞いたわけでもない言い訳を胸の奥で呟いてみる。

 街はまもなく暗闇に呑まれた。

 ぼんやりとした朧月の明かりだけが頼りなく街を照らす。

 物音がする度に、期待をしてしまい、ギルドラの姿を探すも、そこにギルドラは居ない。がっくりとした俺は建物の隅で膝を抱えた。気持ちが落ち着かない。

 いつからこんなに俺は弱くなったのだろう。

 一人で留守番をすることなんて、以前もあった筈だ、あまり覚えてはいないが。その時もこんなに心細かったのだろうか。


 結局、ギルドラはその日帰っては来なかった。

 翌朝、昨日の晴天が嘘だったかのような曇天に俺の不安は嫌でも煽られる。寂しい寂しくないではなく、ただただ不安でいっぱいだった。

 今にも泣き出しそうな曇り空に、俺の方が泣きたくなった。無闇に動き回らない方が良いとは思うが、ただ待つしかないこの状況は俺には辛くて堪らない。覚悟を決めて建物を飛び出そうとしたその時、どさりと、入り口付近で物音がした。

 人が倒れている。一瞬俺は動けなくなる。

見間違える筈がないあれはギルドラだ。俺は慌てて駆け寄った。

近寄り鼻につく血の匂いに俺はゾッとした、赤く染まったギルドラの体、ギルドラは荒い呼吸を繰り返している。血の跡が出来ていた。

「ギル……、どうしたんだよ」

「……俺は結局……あの日から何も変わっちゃいなかったんだな……」

「おい、しっかりしろ」

 俺の声は果たしてギルドラに届いているのだろうか、ギルドラは何か呟いては乾いた笑いを浮かべているだけだった。何に対して話しているのだろうか。

 応急処置として服を破り止血する、これが果たしてこの状況に合った行為かどうか俺には分からない。傷口は数カ所、腕と腹部の傷が深いようだ、先程巻いた布が赤黒く染まる。

 ギルドラの意識は朦朧としているようだ、ひどい汗をかき視線がさ迷っている。

「ギル! しっかりしろ、ギル!」

「…………シラン」

 ギルドラの手が弱々しく俺の頬に触れる。

 冷たい。

 俺はギルドラの手に手を重ねる。どうしたら良いのか、どうすればギルドラは助かるのか俺には分からない。その時、不意にギルドラが口を開く。

「シラン……、これを傷口に塗っちゃくれねえか?」

「……わかった」

 震える指先でギルドラが自らのポケットから小さな小瓶を取り出した。

 受け取った小瓶には何かの薬草をすり潰し作られたような緑色のどろりとした液体が入っている。その液体を、ぱっくりと開いた傷口にそっと塗り込んでいく。その度、ギルドラの体がびくりと痛みに跳ねた。

「これは、何なんだ?」

「以前……商人から貰った塗り薬さ、それさえ塗っときゃ……大丈夫だ」

 普段から騙されっぱなしな俺にもその言葉が嘘だと分かる。俺を安心させる為の優しくも残酷な嘘だ。大丈夫なはずが無い。

 だが止血と薬のお陰だろうか、血は止まったようだ。安堵するも、まだこの後どうなるかわからない。俺はギルドラの手を握りしめ、傍に寄り添い続けた。


 俺はその日一睡も出来なかった。ギルドラは眠っているが時折うなされ、何やら叫び声をあげる。その姿はまるで獣だ。

 ギルドラの傷は俺が思った以上に深く、傷は心にまで影響をもたらしてしまったのだろうか。


ふとギルドラを見ていて俺は思わず固まる。左目を隠していた髪からうっすらと瞳が見えたのだ。

赤い瞳が。

一瞬だったから見間違いだったかも知れない。だが、その瞳の色は街を彷徨う獣のような狂った男達と同じだった。俺は恐怖していた。

 何がギルドラをここまで変えたのか、俺には分からない。だが、もう俺が知るギルドラは戻っては来ないのかも知れない、そんな気がしていた。

「怪我が治れば、また元のギルに戻るよな? あんたはこの程度の怪我で狂ってしまう男じゃないだろ」

「…………」

 返事はない。代わりに苦しげな声が唇から洩れている。返事を求めていたわけでは無かったが、俺の視界は歪んでしまった。

人の心は想像以上に脆い。一つの傷は肉体だけではなく精神にも響くのだろう。怪我をした恐怖、怪我をさせられた憎しみ、それらが狂気を生み狂気に呑まれれば、喚きながら街を徘徊する狂った男達と同じ末路を辿る事になるだろう。


 徐々に狂いだし狂気の色を瞳に宿すギルドラに、俺はただただ手を握る事しか出来なかった。

 ギルドラが以前言っていた「アイツ」ならこんな時、一体どんな行動をとるのだろうか、「アイツ」の言葉なら、ギルドラに届くのだろうか。そんな事を考える自分に、酷く嫌悪した。

 ギルドラの手に触れる、手は、とても冷たい。この男の手はこんなに冷たかっただろうか。

 窓の外、分厚い雲に覆われた空はついに泣き始めた。冷たい雨が街を濡らし、ポタリと一粒の雫が、覗き込んだギルドラの頬を濡らした。

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