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華は歌い続ける

 ヒヨの背が完全に見えなくなった頃、東の空が明るくなり始める。

 俺はいつまでも街の真ん中で突っ立っているわけにもいかず、歩き始める事にした。ヒヨが歩んでいった道を追うように。

 倒壊した建物を横切り、亀裂の入ったアスファルトの道を抜けると、景色がひらける。それは一つの街の区切れを意味していた。

 さらに進むと、視界に寂れた建物が見えてくる。長い間人の手入れを受けなかった街は色を失い、一面が灰色だ。俺はその見慣れた街に足を踏み入れ、すぐさま違和感に気付いた。

 脳裏をヒヨの言葉が横切る。

 灰色の街のいたる場所に嘆く男達。狂っているわけではないのだが、まるで悪夢から覚めたように途方に暮れていた。

 嘆く者、祈る者、そしてこの状況を打破しようと動く者。男達の目には戸惑いの色が濃く宿っているが、絶望しているわけではない。寧ろ淡くも希望の色が窺える。

 これがヒヨの言っていた事なのだろうか。

「おい兄ちゃん、突っ立ってないで手伝え。こっちの瓦礫の下に人が居るんだ」

「あ、ああ」

 俺は力強い光を宿した男の目に、長い長い夜が明けたような気持ちになり、男に呼ばれるがまま瓦礫の山へと向かった。

 此処を確かにヒヨが通ったのだろう。

 だがそれ以来、ヒヨの足取りは途絶え、俺はヒヨを完全に見失った。


◇◇◇◇


 澄んだ青空の下、時計台の鐘が鳴り響く。

 広場にそびえ立つ時計台を俺はただ眺めていた。辺りからは昼時を伝える食べ物の匂いが漂い始める。

「此処も随分久しぶりだな」

 俺は黒いフードを外し、青い空を見上げる。ヒヨが去ったあの日から五年という月日が流れた。俺はあの後旅をしながら、ヒヨが変えていった街を見てまわっている。

 だが、俺がヒヨに辿り着く事はなかった。

 ふと振り返ると、未だ復旧作業の済んでいない街が広がっている。だが、街に住む人々の目は輝き賑わいを見せていた。

 ヒヨが変えた世界に俺は小さく笑みを浮かべ、腰にかけたダガーの柄に触れてみる。これを引き抜く機会も随分と減った。だが未だにこれを手放せないのは、これがギルドラの物だからだろう。

 あいつはこの世界の終焉を見届けたいと言っていた。だが、

「この世界はまだ、終わりなんて迎えそうにないぞ、ギル」

 あいつならこの今の街を見てどう思うだろう。しみじみと思っていると街から男の吼えるような騒がしい声が聞こえ、急ぎ俺は街へと走る。

 俺が声の元に辿り着いた時、既に野次馬が二人のがたいの良い髭の男を取り囲んでいた。二人の男は互いに睨み合いを続けている。まさに一触即発といったところだ。

 俺はダガーの柄にそっと手をかける。僅かに興奮に似たものが体を駆け巡るのを感じた。

 だが、決着は呆気なくついてしまう。

「こらっ! 喧嘩してる暇があるならこっちを手伝いなさいよ」

 ふくよかな女がバケツいっぱいに入った水を二人の男にぶちまけたのだ。途端に二人の男は互いに顔を見合わせ、かなわないと言うように笑いだす。

 つられて街の人間も笑い出した。


 女というのは、男が思っているよりも強く逞しものである。

 あの日、男達が狂気から解放された後、一度は姿を消したと思われた女が、一人、また一人とどこに潜んでいたのか現れ始め、男と手を取り合いながら新たな街の再生に向け協力し合うことを誓った。そうして今、街には女と男の楽しげな声が溢れかえっている。

 豊かな物は何もない、未だ自給自足の生活ではあるが、昔に見た街の風景が確かにそこには広がっていた。

「ん? シランじゃねぇか!」

 不意に名を呼ばれ振り返ると、体格の良い大柄な男タツミが立っていた。前に会った時よりも肌は日に焼け男らしさが増しているように思う。そしてタツミの腰には見覚えある長剣が携えてあった。

「久しぶりだな、アンタも随分忙しいと聞くが」

「まあ、そうだな。あっちこっち人手不足で呼ばれててよ」

 ニカッと太陽のように笑いながらタツミが額の汗を拭う。タツミは部下と組織力を使い街の再生に奔走していた。昔成し遂げれなかった事を今、果たすように。

 それと同時にフィオーレとの長い戦いも幕を閉じたようだ。風の噂で耳にしていたが、タツミの腰に携えられた長剣を見て戦いの結末を悟る。

「アンタには似合わないな」

「ん、ああ……でもよ、これ見てると思い出すんだ、今までの全てを」

 そう言ってタツミは長剣を鞘から抜き、陽の光に当てる。

 長剣は陽の光を浴びて鋭く光っていた。その輝きがあの艶やかな風に舞う金色の髪を思い出させる。

「忘れるわけには、繰り返すわけにはいかねぇんだよな、全部」

 そう呟き、長剣を鞘に戻すタツミは、後悔にも似た表情を浮かべていた。タツミは優しい。だからこそ救えなかった命に罪悪感を感じるのだろう。

「いつまで遊んでいるのです?」

 凛とした声に驚き振り返ると、長かった金色の髪を肩に届くか届かないくらいに短く切った、フィオーレの姿があった。

 俺は背の高い二人に挟まれ、妙に居心地が悪くなる。

 風の噂では、フィオーレはタツミに敗れた後、タツミの部下として共に奔走している。というものだったのだが、髪を切っているとまでは知らなかった。そして首には赤いチョーカーのようなものを付けている。戒めといった所か。

「その髪どうしたんだ、フられたのか」

「ちょっと見ない間に可愛くなくなりましたねシラン」

 フィオーレがにっこり笑った。だが、目は笑っていない。

 だが、俺は二人に再会し懐かしさに安堵した。もう二度と会えないかと思っていたからだ。だが、互いに生きていれば再びこうして会える。その事が嬉しく、胸を擽る。

 五年旅を続け、辿り着くどころか足取りすら掴めなかったが、俺はまだ諦めたわけではない。

 きっと会える、そう信じている。こうして二人にも会えたのだから。想いに浸っていると、不意にフィオーレに腕を掴まれた。突然の事でただフィオーレの顔を見ることしか出来ない。

「私は少しシランと話がありますので、タツミは早くレンの所に行って下さい。いつまでも待たせては可哀想ですからね」

 タツミは何か悟ったように小さく頷いていた。

 フィオーレに手を引かれ、広場へと行く。広場と言っても時計台と不格好な椅子が置かれただけの場所だ。前に子供達が走り回っているのを見たが今は誰も居ない。フィオーレがゆっくり手を離した。

「フィオーレ?」

「何から話しましょうかね」

 青い空を仰ぎ見ながらフィオーレが一つ溜め息を零す。

「人々が狂う麻薬を持ち込んだのが、私だという事は知っていますよね」

 フィオーレの言葉に俺は小さく頷いた。それは前にタツミから聞かされていた事だ。

「私は自分の母国で、政府から拷問用に使う薬の開発を命じられていた研究者でしてね、毎日他の研究者と共に薬の開発に努めていました」

 青い空を見詰めながらフィオーレはゆっくり言葉を続け、時折俺をチラリと見ていた。

「ですがネズミ相手に実践する事に飽きた我々研究者達は、人相手に薬の実験を行おうとした。そしてこの国に目をつけた。最初は少量秘密裏に持ち込みこの国の人間で効果を試してみたんです」

 優雅にフィオーレが笑う。だが俺には酷く残酷な笑みにも見えた。俺は静かに言葉の続きを待つ。

「効果は抜群、悶え狂っていく人間を見て我々は興奮した。そして、もっと広めるため改良を重ね、すぐには効果が表れずとも当初作った薬と、同じ効果をもたらす薬を開発した」

「だが、そう何度も大量に持ち込めるものではないだろう」

「その時彼の力を借りたんです。銀髪の彼のね。彼にとって薬を広める事には何らかの利益があった」

 銀色の髪に歪んだ笑み、薄い唇から赤い舌をのぞかせる男の顔が蘇る。

「彼には元々利益における繋がりが広くあり、彼の用意したルートを使えば、簡単にこの国に薬を持ち込む事が出来ました。詳しい事は知らされませんでしたがね」

 そこまで言ってフィオーレが此方を向く。俺はようやくフィオーレが言わんとしている事を理解した。

「全ての原因は私にあるんです」

 フィオーレは背負った罪を俺に許して欲しいのだろう。

「……そうかも知れないな。だが、今更だ」

 フィオーレが小さく笑って唇を歪める。

「殴ったって構いません、貴方だって大切な人を失ったのでしょう」

「俺が殴った所でアンタの罪は消えない。心が軽くなるのは一瞬に過ぎない、それにアンタが本当に殴られなきゃならない相手は俺じゃないだろ?」

 それが分かっているからフィオーレはタツミの元に居るのだろう。そしてタツミもまたフィオーレを罪と向き合わせるために生かして傍に置いているのではないか。それは口にはしないが、俺の言葉で理解したようにフィオーレは目を丸くして、それから笑った。今度は純粋に、笑っていた。多分俺も笑えているだろう。

 フィオーレは首にある赤いチョーカーに触れて目を細めた。

「確かに、そうですね……シラン、貴方は探し人に会えたのですか?」

「……いや」

「貴方の探し人と関係があるか分からないのですが」

 柔らかな風が短くなったフィオーレの髪と、俺の黒髪を揺らす。一瞬風の音に全てがかき消された気がした。

「案内しますよ」

「ああ、頼む」

 やっと見つけた、ヒヨへの手掛かり。

 俺はフィオーレに案内され街外れにある、一面緑の丘に来ていた。

「月の光を浴びると、歌が聴けるそうです」

 そう言うとフィオーレは踵を返し去っていく。まだ生えたばかりの草が揺れる丘に俺は一人佇み、ぐるりと辺りを見ると、視線の先に緑とは違う色を見つけた。

 紅い花が一輪、風に揺れている。

 俺はその花に近寄り膝をつき、ヒヨの着物のように紅いその花弁に触れてみた。花の中央に向かって色は淡くなり、ほんのり青みがかっている。

 不自然に咲く、その花に心臓がざわめく。

 ゆっくり視線を下ろせば、花の根元の土が少しもりあがっているのが見え、俺はその土を払った。

 その時には既に、空は茜色に染まり始め、暗くなっていく。まだ電気のない辺りは闇に呑まれ始めた。

 土を払うとそこに何か白いものが見え、俺は両手でそれを掘り返した。花の根から現れた物、それは――。

 それは、白い髑髏。

 欠けることもなく綺麗に人の頭の形のまま、髑髏は埋まっていた。そして紅い花の根は、その髑髏に絡みついてそこから生えているようだ。

  俺は確信する。しかし認められず、受け入れる事も出来ずに居た。ただ胸が締め付けられるように苦しくなっていく。その時だった。

 髑髏から咲く紅い花が、夜風に揺れ優しい月明かりの下で花弁を震わせ歌を、紡ぎ出していく。

 それは懐かしい、ヒヨの歌。

 心にある高ぶった感情を鎮静化させる優しいあの歌。

「……ヒヨ」

 この花、いや「華」は紛れもなくヒヨだ。

「ヒヨ!」

 俺はその髑髏を抱き締める。ヒヨはこの国の狂気を優しい歌で消しさり、此処で力尽きたのだろう。

 そして今もなお、歌い続けている。

 ポツリと雫が紅い花弁を濡らす。

 雨は降っては居ない。

 ポツリポツリと雫は止まらず、華を濡らす。

 おどけて笑う、ヒヨの顔、離れたくないと泣きじゃくったヒヨの顔、全てを思い出し、歌うと決めた決意に満ちたヒヨの顔、全てがゆっくり蘇り、俺は声を押し殺し泣いた。

 華は夜風に心地良さそうに揺れながら歌う。

 紡がれる歌は幸せな音色だった。

「この国は変わった、ヒヨの言った通りだったよ」

 華が嬉しそうに揺れる。

「だからヒヨ……、今はゆっくり休んでくれ」

 俺は花弁に唇を寄せた。

 華はまるで意志があるように、俺に寄り添う。

 ヒヨがゆっくり眠れるよう傍に居よう。

 キミが歌い続けるのなら。

 その傍で、永久に。


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