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華は歌い続ける18


 ヒヨの瞳のように青い空。こんな快晴は久しぶりだ。ふわりと白い雲が心地良さそうに空に浮かび、雲の切れ間から太陽が顔を覗かせている。

 俺の心とは裏腹に晴れ渡る空を俺は忌々しげに見上げた。


 俺が目を覚ました時、既に朝になっていた。ホテルのフロントに優しい光が差し込んでいる。

 少し視線をあげると、ヒヨの優しい青い瞳と目があった。こうしてヒヨに抱かれ目を覚ますのは二回目になる。随分しっかりしてきたものだ、出会った当初は言葉も拙かったのだが、逞しくなったものだ。

 それからホテルを出て、今に至る。いつまでもあの場所には居られない。俺達はまた再び「歌」を探して歩き始めた。


 俺の一歩前を歩くヒヨの背中を追う。

 俺はふと男の言葉を思い出していた。おそらく俺が歌を見付ける前に、銀髪の男が俺を見付ける方が先だろう。再びアイツに出会った時、生き残れる自信はない。

 俺はもう一度ヒヨの背を見る。一人タツミの元を離れ生き延びて俺と出会ったのだから、生き延びる術を知っているのかもしれない。いや、ただ運が良かっただけか。

 遠くから餓えた獣の声が聞こえる。今ヒヨと別れるのは得策ではないだろう。俺は瓦礫を踏みしめ立ち止まる。

 だが次にあの男に会った時、俺はヒヨを守れるだろうか。

 不意に風が頬を擽り、俺は空を見上げる。今夜は月夜になるだろう。 きっとあの男に再び会うことになる。根拠は無いがそう確信していた。だからこそ、尚更ヒヨとは一緒に居られない。


「ヒヨ、……話がある」

「なぁに?」

 楽しそうにヒヨが振り返った。その瞳を見ると心が揺らいでしまう。

「もうお前とは一緒に行動しない。今日からは一人で記憶を探してくれ」

 出来る限り冷たく、突き放すように言う。

 ヒヨは首を傾げて、よく分からないと言うような顔をして俺を見ていた。

「どういう意味?」

「だから、もうお前の面倒をみるのに嫌気がさしたから、此処からは別々に――」

「いや!」

 ヒヨの叫ぶような声が俺の声を遮る。泣きそうな目で首を振りヒヨは俺に抱きついてきた。

「いや! シランから離れたくない、離れるのいやだ」

 必死に嫌だと首を振り縋るヒヨを俺は愛しいとさえ思った。だが、すがりつくヒヨを拒み、その体を突き放す。

「……もう俺はお前の面倒を見れない」

「いや、いやだよ……いやだ」

 俺は泣き崩れるヒヨを、ただ見ている事しか出来ない。

 これで良かったのだろうか。

「もう、喧嘩はよくないですよー」

 後悔の波にのまれかける俺を緊張感の欠片もない声が現実に引き戻す。割り込んできた聞き覚えのある間の延びた声に振り向くと、案の定灰色の布を纏う男、商人が立っていた。

 灰色の布で顔まで隠しているため、その表情は窺えないが、あの時の商人である事は間違いない。

「……俺達の問題だ、口を挟まないでくれ」

 いつから居たのか、商人とは全く掴み所のない人間だと改めて実感する。

「喧嘩は良くないですよぉ、だから二日だけその子をお借りしてもいいですかぁ?」

 商人の言葉に俺は眉を寄せまじまじと見詰めてしまう。だが、不意に言葉の真意に気付かされ、少々の呆れと安堵する気持ちが入り混じる。

「商人って色々大変なんですよぉ~、だからその子にお手伝いしてもらいます、代わりに食事と寝床を提供しますから、ね!」

「アンタも相当お人好しだな」

「いえいえ、これからもご贔屓にしていただきたいだけです」

 あくまでこれは「商売の一つ」だという事のようだ。

 商人を見やると、一瞬笑ったような気がした。

「この辺りは自分の縄張りなんで、引き取りに来るときは此処まで戻って来て下さいねぇー、まあ絶対の保証は出来ませんが」

 不意に状況についていけないヒヨが俺に助けを求めるように見つめてくる。だが、俺は助けない。

 商人はヒヨの細い腕を掴むと乱暴に立たせた。

「おい、あんまり乱暴に扱うな」

「この子は今、私のですからねぇ」

「…………」

 これで、ヒヨは二日間生き延びられる。その後どう生きるかはヒヨ次第だろう。俺は軽く目を臥せ、ヒヨに背を向けて歩き始める。ヒヨは未だに俺を呼んでいた。何度も何度も。

 そのうちヒヨの声が聞こえなくなり、振り返ってみた。ヒヨの姿はない。

 俺は立ち止まりダガーを引き抜き、祈るように握り締めた。

 二日後の再会を願って。

「……あれだけ酷くしたんだ、嫌われたかもな」

 口に出してみて、俺は苦笑いをする。それならそれで仕方無いだろう。ダガーを鞘にしまい、茜色に染まりゆく空を見上げる。

 やがて夜が来る寂れた街を睨み、俺は足を進め手頃な廃墟に入り腰をおろした。


 ふと気付いた頃には空はその表情を変え、街は暗闇に呑まれていた。少し休むつもりが随分長居をしてしまったと立ち上がった時、足音が聞こえた。

 不安を煽るような態とらしい足音。

 俺は微笑する。

 何故か安堵している自分が居るのを確かに感じ、俺は静かにダガーを引き抜いた。


「よぉ、迎えに来たぜ」

 月明かりに浮かび上がる男の銀色の髪は、神秘的にすら見える。紅い瞳が俺をしっかりと捉える。男はゆったりとした足取りで近寄ってきた。その手に武器は見当たらない。

「あの日みてぇな、綺麗な月だなァ」

「あの日とは、何時のことだ、何故アンタは俺に拘る」

 辺りはしんと静まり返っていて、聞こえるのは互いの放つ僅かな音のみ。俺は男の言葉の意味を理解出来ずにいた。

 そんな俺に男は目を細める。その瞳は何故か寂しそうにすら見えた。

「テメェをヤり損ねた日だ。……母親を殺した相手を忘れるなんて、めでたい奴だな」

 その言葉にズキッと頭が軋む。欠けた記憶の中に、浮かび上がる歪んだ笑みの男。断片的な記憶が重なり、記憶が巡りだす。地面に倒れている母、その肉を食らう獣のような男。そして俺を見据える、紅い瞳。


「……アンタが母を……」

 ふと男を見やればどこか懐かしむように目を細めて俺を見ていた。その目は、何かを期待しているように見える。だが俺には男の言わんとしている事は分からない。暫くの沈黙の後、視線を逸らしたのは男の方だった。


「あの時も今もお前は気に食わない目をしていた、だから壊そうとした。だが、歌が邪魔をした。……あの歌さえなければオレは」

 不愉快そうに舌打ちをした男が痛んだ銀色の髪をかきあげ、不意に唇を吊り上げ嗤う。

「だから俺はお前を探した、そして今こうしてお前に再び会って、オレは嬉しいんだァ」

 そう言って男は両腕をゆったりと広げた。

 まるで「おいで」と言うように。この男は、ただ悪戯に殺戮を目的としているわけではなさそうだ。

 何かを俺に求めている。鼓動が嫌に高鳴る。俺は祈るようにダガーを握り締めた。

「馬鹿に、するな!」

 こんな男に付きまとわれるのは迷惑である。俺は全てを終わらせる為にダガーを構え、軋む床を蹴り上げた。ダガーは埃が舞う空を斬り、ふわりと切っ先を避けた男の骨ばった手が、簡単に俺の腕を掴みあげる。

「ギルドラのダガーだよなァ、これ」

「……!」

「お前が持ってるって事は、なんだアイツ死んだのか」

 感情の無い声。どんなにもがいても男の手から逃れられない。ダガーを握る腕を塞がれた俺は、逆の腕で男に殴りかかるも、腕を引かれそのまま床に叩き付けられるように倒された。背中から全身に痛みが走り、小さな悲鳴にも似た声が洩れる。すぐに起きあがろうとする俺の腕を、男が踏みつけた。

「アイツも弱いよな、ちょっとからかっただけなのによ」

 その言葉に思わず背筋に冷たいものが這うのを感じる。

「ギルに何をした」

「なーんにも、ただアイツが寂しそうだからお仲間ちゃんの所へ連れて行ってやろうとしただけだ」

 おちょくるように男が舌を出し嗤う。その姿に徐々に冷静さを削られていく。

 いくら薬をやっていたからといってギルドラが急に狂いだしたのは些か不自然だった。だとすればこの男がその切っ掛けを作り出したと考えられる。あの日俺の知らない間に、ギルドラを狂わせる程の強烈な切欠。

 そこまで考え、俺の中にギルドラの言葉が浮かぶ。

「ギルの相方を撃ち殺したのもお前、なのか」

 茫然とする俺に返事をするように強く俺の手を男は踏みにじった。

「う、っ……くっ」

 痛みに、握り締めていた筈のギルドラのダガーを離してしまう。不意にギルドラの姿が脳裏に浮かぶ。人をからかうのが好きで、頼りになる俺に名を与えてくれた特別なーー。

「ぐっ! ぁあっ!」

 男に強く腹を踏みつけられ、痛みにもがく。

「今テメェを殺そうとしてるのは誰だ? オレだろぉ? ならオレの事だけ考えてろよ」

「あっ、ぐっ……ぁああっ!」

 内臓を踏み潰されるんではないかと思う程強く踏みつけられ、声が洩れる。俺は男の下でただ苦痛の声を上げることしか出来ない。俺の苦しんでいる様を男は、愉悦に浸った顔で見下ろしていた。

 男が邪魔だというようにダガーを蹴飛ばし、俺の上に馬乗りになる。

 どうにかこの状況を打破すべく、考えなしに暴れる俺の手首は、簡単に男に掴まれてしまった。男の片手で頭上に拘束されてしまう。

 母の死、ギルドラの死の切欠、全てはこの男がもたらしたもの。そしてキリの死も。

 俺は大切な人を奪った男になすすべなく組み敷かれている自分に情け無くなる。

 男は顔を近付け、俺の耳に舌を這わした。舌の滑りに体が思わず震える。

「お前の全てを奪ってきた、もうお前にはオレしか残っていない。そうだろ?」

「止めろ、離せ」

「お前にはオレしか居ない」

「煩い黙れ!」

「次はお前の全てをオレが奪う」

 男が囁き、舌を耳から顎へ這わす。

 これはまるで、毒だ。男の言葉が舌が全てが俺を支配しようとしてくる。毒に侵されるかのように体が自分のものでは無くなってしまいそうだ。

 なんとか理性が保つうちに、この状況を抜け出さねばならない。ただ暴れるだけではこの状況を変えられない。頭では理解していた。だが、冷静さの欠けた俺にはなんの策も浮かばない。

 男が油断したその隙を狙うしかないのだろうか。力では勝てない。必死に冷静さを保とうとする俺を嘲笑うように、男は俺の首筋に強く噛みついてきた。

 痛みに思考が焼き切れていく。

 体と心に走る痛みに俺の読みは外れたのだと思い知らされた。そんな悠長な事をしていたら隙を狙う前に俺が内側から壊されてしまう。

 男は噛んだ場所を見て、満足したような顔をする。

「綺麗に赤く痕がついたぜ? 見せてやりてぇくらいだ」

 絶望する俺にふと男が顔を近付け、覗き込んできた。その瞳は切ない光を宿している。

「……覚えてないか」

「何をだ」

「昔、お前とオレは一度逢っているんだ」

 その言葉に、脳内のパズルが一つ一つ当てはまっていく。寂しげな瞳の男。どこか縋るように触れた手の温もり。だが全ての記憶を思い出すには至らなかった。

「まァ、いい……今更変わらねえ」

 男の瞳が残酷な光を帯びて、唇が再び肌に触れたかと思うと、突如強烈な痛みが体を駆け巡る。歯を突き立てられたのだ。

「くっ……うっ……」

 痛みと、軋み始めた心に体の限界を感じる。このままでは心がこの男に蝕まれ壊されてしまう。

 壊されたら俺はどうなるのだろうか。

 視界の端に、鮮やかな色が舞い、俺の脆く崩れ始めた心に光が射した。

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