華は歌い続ける14
開かれた扉の向こう、青ざめた表情をするタツミの部下が立っていた。
「どうした?」
「見張りから不審な人影がこっちに向かって来てるって報告がありました」
「銀髪の男か、それともフィオーレか……。分かった、様子を見に行く」
そう言うとタツミは俺に背を向けた。部屋を出る直前、ふと振り返り。
「危険だからお前は暫く此処から出るなよ」
そう言い残すと、部下と共に部屋を出て行った。
タツミが居なくなり妙に広く感じる部屋の中。俺はソファーに身を沈め、先程のタツミの言葉を思い出していた。タツミは俺を自由にすると言った、俺が出て行こうとしている事くらい知っている筈だ。つまり、タツミは本気だと言うことなのだろう。タツミは俺に精神的な繋がりを求めている。
もがけばもがくほど、複雑に糸に絡まるように俺の思考は纏まらないまま、闇に溶けていった。
程なくして窓からぼんやりした明かりが差し込む。相変わらず空は灰色だ。それでも朝が訪れた事を俺は理解する。建物はどこか騒がしい。慌ただしい足音に怒号、金属のぶつかる音。俺はこの音を知っている。
今ならこの騒ぎに紛れて人知れず、出ていけるかも知れない。
そう思ったその時、ゆっくり扉が開き見慣れた顔が覗いてきた。以前もそうだったが、レンは絶妙なタイミングで現れる。内心溜め息をついた。
「起きてる?」
「ああ、随分騒がしいが何かあったのか?」
扉を閉めてレンが部屋に入ってきた。その表情から、緊張が窺える。
「フィオーレ達が攻めてきたんだ。でも大丈夫、建物の外でタツミさん達が食い止めてるから」
「そうか」
タツミの話からいずれフィオーレが此処に来るとは予想出来ていた。さほど驚く事ではない。勢力のつぶし合いなんて今更珍しくはない事だ。
俺はゆっくりと帯を外し着物を脱ぐ。
「え、シラン? 何して――」
「悪いな、レン。この着物はタツミに返してくれ」
着物を脱げば、棚に置かれた黒地のいつもの服に着替える。レンは俺の考えを察したのか、慌てた声を出す。
「ま、待てよシラン。外は危険だって、此処に居た方が安全だ。食事だってあるし俺やタツミさんがお前を守ってやる事だって出来る」
「そうだな、此処に居れば安全だ。だが、俺の居場所は此処じゃない。それに待たせてる人が居る」
今思えば此処は居心地が良かったように思う。タツミは不器用だが真っ直ぐな男だった。レンは優しくて面倒見の良い奴だ。此処を出たら、もう二度と二人には会えないかも知れない。それは理解していたが、此処は俺の居るべき場所では無い事もまた、事実だ。
「すまない」
「……分かったよ。分かった、だけど約束してシラン。絶対死んだらダメだからな」
「ああ、俺は簡単には死なない」
泣きそうな顔でレンが笑った。外が一層騒がしくなる。戦いが本格化する前に出なくては。
「もう行くよ」
背を向け歩き出す俺の腕を、レンが強く掴み引っ張る。俺の体は温かなレンの腕に抱き締められた。
「シラン、好きだよ。好きだ、こんな想い久しぶりだよ」
「そうか」
レンが俺の腕をまた引っ張る。子供が駄々をこねるようだと少し微笑ましく思った。だが、次の瞬間油断した俺の唇は、容易くレンによって塞がれた。
男にしては柔らかな感触。レンの熱が、想いが触れ合った唇から伝わる。
長い間互いの熱を奪い合っていたように思う。俺はゆっくりとレンから離れ、部屋を出た。
もうレンは引き留めては来ない。レンの想いが俺に伝わったように、レンにもまた俺の想いが伝わったようだ。
部屋の外は武器を抱え慌ただしく階段を駆け降りる者や、怪我人を抱える者達によって妙な緊張感が漂っている。俺はそんな男達の脇を通り過ぎた。誰も俺に構っている暇は無いのか、声をかけてくる者は居ない。
軋む床が妙に俺を急かす。机と椅子が積み上げられた廊下を通り俺は容易く出入り口まで辿り着き、外に出た。
そこはまるで戦場か何かのように俺の目に映る。フィオーレが連れてきたであろう白い衣服を纏った男達と、タツミの部下が互いの生を奪い合っていた。奪う度に飛び散る血飛沫で、乾いた大地が赤く染まる。砂煙が上がる中を悲鳴と怒号が飛び交う。刃と刃がぶつかる音はいやでも俺の緊張を高めた。
その中一際目立つ金色の長髪の男フィオーレと、タツミが刃を交えている。フィオーレは以前見た長剣をその細身の体から想像出来ないほど軽々しく振る、しかし剣は虚しく空を切った。タツミは素早くフィオーレの攻撃を避け、両腕に握る刃渡り三十センチ程度のサバイバルナイフで攻撃を受け流しながら反撃に出る。
強かな美しさを秘めるフィオーレの剣術、その流れる髪の動きすらも、計算の内なのではないかと思わせる程に無駄の無い動き。対するタツミは力強く荒々しい、だがその獣じみた力強さは見る者を圧倒させる。
俺は思わず目を奪われていた。その時、不意にフィオーレと目が合い心臓がざわめく。あの目は苦手だ。俺と目が合ったフィオーレは唇の端を吊り上げて笑っていた。
「シラン、また会いましたね。……さあ、さっさと逃げるのです。シランはこんな筋肉ダルマには勿体無い存在です」
「なぜ、アンタが」
「話は後ですよ」
いつまでも此処にこうして立ち止まっては居られない。俺は走り、門の向こう側へと駆ける。タツミの隣りをすり抜けた時、一度だけ振り返る。
タツミは、優しく笑っていた。
その表情は夏の眩しい太陽のようで、どこかとても懐かしい笑顔だった。
門を抜けた俺を追い掛けてくる者は居ない。門を出て一息ついた俺に、真横から勢いよく何かが飛びかかってきて、俺はその勢いのまま地面に倒れ込んだ。あどけない空色の瞳が俺を見ている。
「……ヒヨ」
「シラン、迎えに来たよ」
「悪いな、迎えに来るの遅れちまって」
声がして目線をヒヨから上げると、申し訳無さそうなキリと目が合った。門の外で二人して、俺を待ち伏せしていたのだろうか。二人の登場に驚かされながらもずっと気になっている事を、何故か重たそうな剣等の武器を担いでいるキリに問い掛けた。
「……アヤメは?」
「ああ、元気にしてるよ。無事に帰ってこれた。本当に……感謝してるよシラン」
「それで、キリは此処で何をしているんだ、それにフィオーレが何故俺を助ける」
いつまでも頭を俺の腹に押し付けじゃれているヒヨを引き剥がし、立ち上がる。
「俺、どうやったらシランを助けられるか考えて……フィオーレに頼むことにしたんだ、部下になるからシランを助けてくれって」
「……」
「そしたらシランに借りを作るのはメリットがあるって言って、引き受けてくれたんだ」
俺はどうやらよりにもよって一番、関わりたくない相手に借りを作ってしまったようだ。
「それでお前は武器を運んでいるんだな。……その、なんだかすまないな」
「気にすんなよ、元はといえば俺のせいだし。それに俺は非戦闘員だから武器とか食糧を運ぶ係をやってるだけで、普段は今までと変わらない生活してるし、なんて事ないよ」
そう言ってキリは笑った。落ち込んだと思えばすぐ笑って、全く調子の良い奴だ。
「シラン、本当にありがとな」
「……もう良いって、何だか照れくさい」
「シランもなんか困った事があったら言えよ? 親友の俺が駆けつけてやる」
「……親友?」
優しく響くその言葉に俺は首を傾げた。意味は何となく分かるが、しっかり理解出来ていない。
「え、まさか……親友って思ってたの俺だけ?」
「いや、……すまない。久しぶりに聞いたからちょっと分からなかっただけだ、そうだなそうなのかも知れないな」
「そうだよ俺達は親友だ! 勿論ヒヨちゃんもな」
ヒヨは嬉しそうに笑って「親友、親友」と繰り返していた。だがキリは、思い出したように顔を歪める。
「やば、そろそろ行かないと。じゃあなシラン。最近銀髪の男とか物騒な奴がこの辺りを彷徨いてるらしいから、気をつけろよ?」
そう言うとキリは笑って駆けていった。俺はその背中をただ見送る。
「親友か……」
声に出してみる。実感は正直出来ていないが、何故だか俺は優しい気持ちに満たされた。
ふわりと悪戯に風が前髪を揺らす。その直後俺をあざ笑うかのように、風がざわめきだした。
――見つけた。
何かがそう耳元で囁いたような気がして振り返る。心臓が締め付けられるように苦しい。だが振り返った先には、騒ぎを聞きつけ集まりだした野次馬しか見えなかった。
「シラン?」
「……俺は、何か忘れているのか……」
俺は、溢れてくる不安に駆られ、ヒヨの手を握りしめ走った。寂れた街を走る。雨風に曝され続けた建物は色褪せ、アスファルトには亀裂が入っている。そんなもはや見慣れてしまった風景すらも、俺の不安を煽る。
逃げても逃げてもそれでもあの声が、俺を追い回してくる。逃げ場はどこにも無い。
「待って、シラン……もう走れない」
そう言ってヒヨが、地面にぺたりと座り込んだ。繋がれた手が引っ張られ、俺は立ち止まる。その姿を見て、俺は自分が酷く恐怖していたのだと気付く。同時に逃げることが無意味だと理解した。
「すまない、ヒヨ」
ふと握り締めた手を見詰める。何よりも恐ろしいのはこの手が離れ、一人取り残される事だ。
「……何があっても、この手を離さないでくれ」
「……え?」
「……俺を、一人に……」
ヒヨ相手に何を言っているのだろうか、俺は思わず目を逸らした。顔が熱くなっていく。
ヒヨはそんな俺を見て、可愛らしく首をちょこんと傾げて笑っていた。
「さあ、もう行こう」
俺は気まずくなり先を急かすように、ヒヨの手を引いた。今度はヒヨの歩幅に合わせゆっくりと歩く。
「あ、シラン……これ」
そう言うとヒヨが、立ち止まり大事そうに俺のダガーを差し出してきた。
「それシランの匂いがして、持ってたら寂しくなかった」
「いや、どちらかと言うと他人の血の匂いの方が強いと思うが」
俺には理解できないが、それは気持ちの問題なのだろう。ダガーが入った鞘を手にし、腰に引っ掛ける。ずしりと慣れた重みを感じて俺は、少し安堵した。逃げても逃げ切れないのなら、守るしかないのかも知れない。
確かに繋がれた手を、離れないようにもう一度握り直した。




