華は歌い続ける13
「ほら、お腹空いただろ?」
そう言って男は、スティック状の携帯食を差し出す。どうやらここでも食事はこの携帯食らしい。無いよりは良いと俺は自分に言い聞かせ、それにかじりついた。
結局あの後俺は、タツミの部屋の前の廊下や、階段等を少し掃除して、また部屋に戻ってきた。
部屋に戻った俺がソファーに腰掛けると、男も何故か隣りに腰掛ける。何をするのかと様子を見ていると、最初から用意していたのだろうか、男は携帯食を取り出し差し出してきた。どうやらこれが夕飯らしい。
「今更だが自己紹介がまだだったな、タツミさんが居ない間、お前の世話係と見張り役を任されたレンだ、宜しくな」
「ああ」
「そこはお前も自己紹介しないとダメだろ、って言っても知ってるけどな、シラン」
知っているなら、わざわざ言う必要も無いだろうと、俺は携帯食をかじる。レンは相変わらず人の良さそうな笑みを浮かべながら俺を見ていた。見られている事に多少の居心地の悪さも感じるが、これもレンの人柄なのだろう、それを嫌だとは思わなかった。
レンは相手の心に自然に入り込み馴染む、まるで池を覆う「蓮の花」のような男だ。
レンはその後も隣りで、何やら楽しそうに話している。俺は大抵聞き流していたが、ふと気になる事を口にしてみた。
「アンタ達は何故タツミに付き従うんだ?」
「ん、そりゃあタツミさんの人柄にみんな惹かれてるってのもあるけど、ここに要る奴等はまだディオって組織があった頃、タツミさんの部隊に居た奴等なんだよ」
「なら何故、その組織は無くなってしまったんだ」
レンの表情が曇った。それでも俺は黙って言葉を待つ。
「……フィオーレって奴のせいだ。俺達、最初は国家主力軍事部隊って名前だったんだがな、いつからかあの男、フィオーレが遠い国から自分の仲間を連れてやってきて、俺達の組織に入ってきた」
俺に政治の知識はあまりない、知っている事は少ないが。ディオという組織の元はこの国に住む者で結成されたものだったようだ、話すレンの表情がどんどんと暗くなっていく。聞くべき事ではなかったようにも思うが、後には退けない。此処に居る以上、俺も知るべき事だろう。
「政府の奴等は頭が上がんなくて、結局フィオーレ達の思うがままに組織が変えられていった。その時に名前も変えられちまった。その頃だったかな、フィオーレが連れて来た奴等が狂い始めて組織が内側から崩壊していったのは……たく、薬に負けるような心の弱い奴なんて連れてくるなよっていう話だよな」
レンが目を瞑る。タツミもそうだったが、レンもまた、悔しそうにしていた。タツミやレンはこの国を本気で守ろうとしていたのかも知れない。
しかし、俺は一つの疑問に気付く。今までのレンの話の中で、フィオーレが薬を持ち込んだという事は一度も語られなかった。断定は出来ないが、フィオーレが元凶となる薬を持ち込んだ事実は、タツミと俺、もしくは極僅かな人間しか知らない事なのかも知れない。
それからも暫く、レンは話を続けていた。だが、話の大半を俺は覚えていない。暫くして、レンは「他にも仕事がある」と言って部屋を出て行った。
「……急に静かになったな」
レンが居なくなった部屋は静まり返っている、俺は窓に近寄った。外はすっかりその表情を変え、夜の闇に包まれている。
静かで美しさを秘める夜の闇。だが、そこには無性に不安を掻き立てるものがあった。
そして結局その日、タツミは戻らなかった。
たまにタツミは戻って来るも、その度俺は何と声をかけて良いか分からずに居た。タツミも何も話さないから二人して黙りこくっている。その沈黙に俺は気まずさすら感じていた。そうして、何も言葉を交わさずにまたタツミは出て行ってしまう。それを俺はただ見送った。
脅され、こうして閉じ込められているというのにも関わらず、俺はタツミの事を意識していた。タツミが一言俺を「始末する」と言えば、此処に居る男達に俺は簡単に殺されてしまうだろう。そんな状況の中に居るのだから、意識するのは当然と言えば当然なのかも知れない。
俺はふと思い出していた、初めてタツミに会ったとき奴を例えるならば、真夏の太陽のような男だと思った事を。それは今も変わらない。
もしかすると俺は知らず知らずのうちに、陽の光を求めているのだろうか。だが、俺に太陽は眩しすぎる。それでもその光に焦がれてしまうのだろう。
此処を抜け出す術も見付からないまま、俺は皮肉にも此処の生活に慣れ始めていた。タツミが居ない時はレンが食事を運び、時には部屋の外に連れ出してくれる。レンと共に掃除をして軽く体を動かした後、部屋に戻りレンの話を聞きながら夕食を取る。そんな日々が続き、俺は焦りを感じていた。何よりも待たせているヒヨの事が気がかりで仕方ない。
そんな俺の焦りなど知らないレンはその日も例外なく部屋に訪れた。箒を二本持って。
「よし、今日も張り切っていくぞ」
掃除をするだけだと言うのに、レンは妙なテンションである。俺は箒を受け取り部屋から出た。廊下を掃除しながら歩いていると、通り過ぎた部屋から洩れる不穏な声に思わず立ち止まる。レンは気付かず先を歩いていた。
俺はレンに構わずドアに手をかけ、ゆっくり横に引いてみた。
部屋の中では、獣のような男が、少年の肉体を喰らっていた。肉と肉がぶつかり合う音。低い獣の呻き声、少年の鳴き声。混ざり合う得体の知れない臭い。俺は思わず息を呑む。
体を不自然に痙攣させる少年の虚ろな瞳が此方を見た。目が合う。少年の唇が蠢いた。
「助けて」と唇が歪む。俺は自分に呆れながらも、ドアを勢い良く開き中に入った。
「そこで何をしているんだ」
「チッ、タツミさんの女かよ」
男は唾を吐きながら俺を見据える。男の下から少年は這い出て、逃げ出していった。
「あ―、どうすんだよコレ」
男は下品に嗤いながら、収まらない己の欲の塊を指差す。
「アンタが勝手に盛っただけだろう」
「……気に入らねぇなオメェは。俺達はなオメェを信用しちゃいねぇ、フィオーレって野郎の仲間かも知れねぇって思ってる」
男が近寄って来る。近寄る度に俺は後ろに下がる。そのまま出口から逃げ出そうとするも、男の太い腕が俺の腕を掴み乱暴に床に組み敷かれた。
「何をするんだ」
「だがな、貫いてみりゃあ考えが変わるかも知れねぇだろ? お前が信用してもいい存在かどうか、俺が調べてやるよ」
結局は、欲の捌け口にしたいだけだろう。男の泥のような欲に吐き気が込み上げた。両腕を掴まれ頭上で拘束される。足をばたつかせた所で着物が捲れ、男の興奮を煽るだけで何の意味もなさなかった。悔しいが、力では勝ち目がない。
捲れた着物から覗く俺の太腿を男の手が厭らしくなで上げる。指先が徐々に上がっていき、核心に触れ思わず俺は目を閉じる。だが不意に、男とは別の強い殺意を感じ、俺はゆっくりと目を開けた。
「そこで何してるの?」
騒ぎを聞きつけたのか、先程の少年が伝えてくれたのか。いつの間にかレンが現れ、男の背後に立っている。普段の笑顔はそこには無く、あるのは冷たい感情に歪んだ酷く歪な笑み。
銀色に煌めく刃を片手にレンは男を見下ろしていた。
「タツミさんの、お気に入りの子に手を出したらどうなるか分かっててやってんの?」
男は溜め息をつき、両手を上げて降参を示すと立ち上がり、レンの隣りを通り過ぎる。
「アイツは必ず俺達に災いをもたらすぜ」
「それでも、シランを手元に置くように決めたのはタツミさんだし、それに俺はシランを――」
「ハッ、これだから水商売の野郎は嫌いだよ」
レンの言葉は途中、聞き取れなかった。男はレンの言葉を聞き忌々しげに、俺を一瞥すると部屋を後にした。
「シラン、大丈夫だった? ごめん、俺の不注意で」
「いや、平気だ。それよりアンタは大丈夫なのか」
レンは申し訳なさそうに頭を下げながらも、俺の言葉には首を傾げた。俺はレンに仲間に刃を向けさせ、恨みを買うような事をさせてしまった。元はと言えば、俺が自ら巻き込まれ起こしてしまった事だというのに。
「大丈夫だって、俺はシランの事信じてるから」
「アンタは、馬鹿なのか? 俺に関わるとロクな事にならないぞ」
「それでもいいよ、俺シランの事、好、……いや、気に入ってるから」
レンが俺の頭を優しく撫でてくる、手慣れた手付きだ。俺はその優しさに、心がかき混ぜられるような感覚を覚える。
「……止めてくれ、俺に優しくしないでくれ」
「優しくするよ、シランはなんか守ってあげたくなるから」
俺はもう一度、「馬鹿」と呟いて膝を抱えた。レンは俺を強く抱き締めて笑っていた。体に感じる温かみは、忘れかけていた確かな優しさだった。
油断できない相手だと思っていたが、俺はいつの間にかすっかりレンに油断し、心の隙間に入り込まれている事に気付いていた。だが悔しいので、もう少し気付かないフリをしておこうと心の奥で呟いた。
あの日から幾日か過ぎ建物内が、妙な慌ただしさを見せ始めるなか。その日もレンは相変わらず俺の隣りに腰掛け、食事となるあの携帯食を差し出してきた。
「いつもすまない」
「気にすんなって、それにしても昔からそうだったから慣れてるけど、俺も重要な役割が欲しいな」
「俺のお目付役は重要ではないと?」
ちょっと意地悪を言うと、レンは苦笑いした。ここ最近、フィオーレとの戦いや、銀髪の男に対しての警戒により建物内は騒がしい。来たる日に向け、それぞれが重要な役割を受け持つなか、レンは相変わらず俺のお目付役をやっていた。それがレンにとっては少し不満なようだ。
「そりゃあさ、俺はタツミさん達と違って一般募集の有志組として組織に入って、昔から荷物運びや食事作りが主だったけどさ……、俺の役割が建物内で待機ってどうなんだろな」
「アンタにだから、俺の事や囲われ者の少年達の事を任せられるんだろう、それも重要な事だと俺は思うぞ。それに、建物から全員が出て行ってしまっては、それこそ敵の思うつぼだ、建物を守る事は戦うのと同じくらい重要な役割だと思うが」
レンが目を丸くしている。俺は何か変なことを言ってしまったのだろうか。
「シラン、俺……確信した」
「なんだ?」
「俺、やっぱシランの事好きだ。……タツミさんのものじゃなかったら絶対口説いてるのにな」
レンは盛大に溜め息をつきうなだれた。口説かれても迷惑なだけだが、俺はタツミのものになった覚えはない。好きで此処に居るわけではないという事は伝えなければならないと、俺はレンを見つめ口を開く。
「俺は別にタツミのものじゃない」
「……それ、口説いてくれって言ってるのか?」
「生憎だが俺には、そんな趣味はない」
そう言うと、レンが悪戯っぽく笑って俺の肩を抱き寄せてきた。
「今だけ……暫くこうさせて?」
「……少しならな」
ここ数日、落ち込んでいた様子のレンを救えるならば。少しだけなら許してもいいと思った。俺はレンの事を信頼している。だからこそ俺は、レンの願いを聞き入れられたのかも知れない。
レンは俺と肩を寄せ合ったまま他愛もない会話を交わした後、それ以上は何もせずに部屋を出て行く。その時にはもう、普段のように笑っていた。
扉が完全に閉まり、静寂が訪れるかと思われたが、僅かに訪れた静寂は荒々しく開かれた扉の音によりものの数秒で破られる。タツミが不機嫌そうな表情で部屋に入ってきた。ずっとそこに居たのだろうか。
「タツミ……」
「……レンの前では、笑うんだな、お前」
「見ていたのか」
どうやらタツミは今までのレンとのやり取りを見ていたようだ。不機嫌だというのを隠しもしないでソファーにどっかりと座る。
「ここは俺の部屋だからな。……お前はああいうのがタイプか?」
「別に、タイプとかそういうのではない」
横顔をちらりと見ると、不満そうなタツミと目があった。
まさかとは思ったが、タツミは嫉妬しているのかも知れない。
そう思うと妙に可愛く見えてしまい思わず笑ってしまう。タツミは、頭をガリガリ掻いた後そっぽを向いた。照れているのだろうか。
その頬が僅かに朱色に染まったのを俺は見逃さなかった。
「面白いな、アンタは」
「面白がるな、……たく、ほら土産だ、最近なかなか帰ってこられなかったからな」
タツミのごつごつとした男らしい手には紫色の花が握られている、それは紫蘭の花だ。
「……これ……」
「好きだろうと思ってな、たまたま見かけたから取ってきた」
タツミは偶然見つけたと言うも、今の環境では偶然見つけるなど不可能な筈だ。タツミは俺に渡すためこれを探していたのだろう。
「ありがとう」
そう思うと自然と言葉が零れ、俺はタツミの手ごと花を包むように触れた。その手は堅いが、優しさに溢れている。やはり太陽のようだと俺は確信した。
「し、シラン……話があるんだが」
「なんだ?」
「お前が例え逃げても、追って殺したりしない、お前が俺を拒んでも殺したりしない、……脅しを取り消すがそれでも俺の傍に居てくれと言ったら、お前は……どうする」
「……」
「大体、脅して相手を縛り付けるなんて俺には合わねえんだよ」
タツミは真剣な目で俺を見ていた。本気なのだろう。俺の答えは決まっている。それは揺るがない。しかし、タツミの瞳の切実さが言葉を口にする事を躊躇わせる。部屋は窓から差し込む茜色の光に包まれていく。
「俺は――」
俺の言葉と不意に乱暴な音を立てて開かれる扉の音が重なり合い、俺の声はタツミには届かない。
開かれた扉の向こうには男が立っていた。




