華は歌い続ける09
吹き上がる血を、俺は他人事のように見やる。
いや、実際他人事なのだ。
「アンタは」
ナイフを持った男は俺の前で絶命していた。そしてその背後には、銀髪の男。俺はその男を知っている気がした。頭が割れそうに痛む。俺は何か大切な事を忘れてしまっている気がした。痛む頭をおさえる。だが、分からない。分からないが、この男は危険だ。
だが男は何故か満足そうな顔をしていた。
「ハハッ、なかなかやるじゃねぇか」
「見ていたのか?」
「さァな」
俺はダガーを構える。男の目は、狂った男達と同じ赤い色。だが、他の男より、不気味に紅い。
だが、男は何もせずに俺に背を向ける。
俺はまるで男に囚われたように動けなくなってしまった。
東の空が明るくなり始める。
何故だか俺は、アイツから逃れられない。そんな気がしていた。
◇◇◇◇
「ヒヨ、ヒヨ」
ヒヨは先程から、同じ言葉を繰り返しながら俺の体を揺する。目は覚めている、だが体が怠いのだ。普段なら短時間でも少し休めれば、朝にはしっかり起きていられるのだが、昨夜あんな事があったのだ。体が怠くて仕方がない。
「起きている、と言うより俺はシランだ」
「シラン?」
今度は「シラン」という覚えたての言葉を、何度も口にし続けている。本当に、それが俺の名だと理解しているのか疑問だ。
朝から元気なヒヨに、昨夜の事をちゃんと理解しているのかと呆れてしまう。だが俺は、携帯食の残りを与えながら今後の事を考えることにした。このまま真っ直ぐ歩いて、果たしてタツミにたどり着けるのだろうか等と考えながらヒヨに餌付け、ではなく朝食を与えていたが、不意にぬるりと生暖かいものが指先を包む。
何かと思い指先を見てみると、ヒヨが俺の指先を舐めていた。
「それは、食べ物じゃないぞ」
呆れながらヒヨの口から、指を引き抜く。すっかり唾液で濡れてしまった。調子が狂う。
「ほら、いつまで遊んでいるんだ、行くぞ」
ヒヨは小さく頷いた。何故だか、悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてきてしまう。
建物を出た俺達は、ひたすら商人に言われた通り、ただ真っ直ぐ歩いていた。ヒヨは俺の後ろをひょこひょこ付いて来ている。時折、鼻歌まで聞こえてくる。これからピクニックに行くとでも思って居るのだろうか。俺は呆れて溜め息をついた。
今日も相変わらず、分厚い雲に明かりを遮られ街は薄暗く、鳥の鳴く声も、人の声もしない。ただ聞こえるのは俺達の足音。だが、俺とヒヨ二人にしては足音が多い。俺はダガーを引き抜き振り返る。ヒヨもその空色の瞳を少し丸くして、振り返り、慌てて俺の後ろに身を隠した。
俺達の視線の先には虚ろな瞳をした狂った男が立っていた。男は何やら呟き、そして俺に向かって飛びかかってきた。俺はダガーをもう一度強く握り締め、振るう。
刃は男の腕を切り裂く。武器を持たない狂った男は、両腕を伸ばしながら迫ってくる。先ずは、挨拶代わりの一撃。
腕を切り裂かれた男は、数歩後ずさり腕をおさえたり呻いたりを繰り返している。その隙にダガーの刃の向きを持ち替え近寄り、足を貫く。男は遂にその場に転げ、痛みにもがいている。こうなればもう襲ってくる事は無いだろう。
俺はダガーを鞘に戻す、隠れていたヒヨもひょこっと現れ俺に近寄って来た。
「行くぞ、また足止めを食らったら困るしな」
「うん、シランすごかった!」
その言葉と、あどけない笑みを向けられ俺は少し照れくさくなり、先を急ごうと狂った男に背を向けた直後、断末魔と男の叫び声に俺達は振り返る。
その先には人工的には作れないであろう、自然な金色の長い髪の男が、優雅な動作で血に塗れた剣身九十センチはある長剣を振り、鞘に戻していた。
「キミは詰めが甘いですね、あんな人間は生かす価値もない」
そう言うと男はゆっくりと近寄って来た。俺は身構えダガーに手をかけるも、その男に手をやんわり押さえ込まれる。
「私はキミと戦うつもりはありませんよ」
「何なんだ、アンタは」
言葉は通じるが、その男からは、どこかこの国の人間ではないという雰囲気が出ている。男は胡散臭い笑みを浮かべ、顔を近付けてきた。長い睫が目につく。男は決して、筋肉質ではない。身長は俺より数十センチ高いがさほど気にならない。それなのに俺はその男から異様な威圧感を感じていた。
「私の事が知りたいんですか? それならもっと、傍に」
耳元で囁かれる、男の声が耳を擽り、俺は身を捩った。体が震える。恐怖とは違う別の感情が俺の体を駆け、俺は男から離れようとするも、腕を掴まれているためそれも出来ない。
「ふふっ、困った顔も可愛いですね。私はこの狂った国を立て直すための組織を作っているんです、そこでキミみたいに戦える相手が必要なんですよ」
「……組織だと?」
「ええ、もう既に多くの同志が集まっています、キミなら大歓迎ですよ」
「断る」
まるで俺がそう言う事を予想していたように、男はただ笑うだけだった。
「残念ですね、でもいつかキミは私のものになる。折角です、名を聞かせてくれませんか?」
「…………」
黙っていると、強く腕を掴まれる。思いの外男の力は強く、振り払うことも出来ない。男は先程から笑みを浮かべているが、その目はちっとも笑ってはいない。
「私の名は、フィオーレ、キミは?」
「……シラン」
仕方無く、名を呟くと満足したようにフィオーレが手を離した。
「では、また会いましょう、シラン」
フィオーレは終始優雅な動作と、落ち着いた物言いで言葉を残すと、そのままくるり踵を返し、振り返らず歩いていく。その姿は、まるで幻のように消えていく。だが、男の声だけが確かに、囁かれた俺の耳に残っていた。
「全く、何だったんだ」
その後もヒヨと共に俺達は歩き続ける。商人と別れたあの街を抜け、随分歩いたようだが、未だ目的地、タツミの居場所までは辿り着けない。
こうして、また街は夜の闇に包まれる。夜風が凌げ、一晩休める場所ならそれ以上の贅沢は言わない。これ以上進むことを諦めた俺達は、一晩身を隠せる場所を探していた。
だが微かに、夜風に紛れ人の気配を感じ、俺はダガーの柄に手をかけた。姿は見えないが、確かに誰かが居る。ヒヨは分かっていない様子で俺を見ていた。今日は随分、人に絡まれる日だ。俺は小さく溜め息をつく。
「隠れていないで、出て来たらどうだ」
俺の声に反応し、隠れきれないと判断したであろう男が現れる。俺はダガーを引き抜いた。
「ちょっと待ってくれ! 俺は怪しいものじゃない、アンタ達に頼みたい事があるんだ」
現れた男は、俺とさほど変わらない背丈をした、同い年くらいの青年。髪を短く切りそろえたその男の顔には、まだあどけなさが残っている。だが、今はその瞳が切実な様子で俺に縋ってくる。
「悪いが俺達は人の頼みを聞くほど余裕があるわけではない、今もこうして今晩の寝床すら確保出来ずさ迷っているくらいなんだからな」
「なら、俺が用意してやるよ。ふかふかベッドの快適な場所を知ってるぜ?」
「ふかふか……ベッド」
実に魅力的な言葉だ。俺達は常に堅く冷たい床で寝ている。もう慣れたとは言え、正直寝心地が良いとは言えない。
「……それで、何故俺達に声をかけたんだ」
「本当はフィオーレって奴に頼んでみようかと思ってここまで来たんだが、偶然戦うアンタ達を見付けて、すげぇって思って、後をつけてきたんだ」
「そうか、なら引き受けよう」
腕を引っ張るヒヨが首をふる、俺はふと我に返る、ふかふかベッドという甘美な誘惑に惑わされる所だった。一つ咳払いをする。
「内容によるな」
「俺の弟がタツミの部下に浚われちまったんだ、その弟をタツミの所から助け出して欲しい、頼むよ」
タツミという男の所に行く予定はある、しかしこの男の頼みを聞けば間違いなく、俺はタツミの敵になるだろう。そうなれば、歌についての情報を得る機会を俺は失ってしまう。
「生憎だが、俺にはタツミを相手に立ち回れる程の実力はない、他をあたってくれ」
「それなら大丈夫だ、作戦はある……。頼むよ俺にとってアイツは、弟はたった一人の家族なんだ」
「たった一人の家族」という言葉に俺は思わず母を思い出していた。それがどれほど大切な存在か、そしてその大切な存在を失う悲しみも俺には分かる気がした。不意にヒヨを見ると、その空色の瞳と目が合う。ヒヨは、小さく頷いた。
「作戦を聞かせて貰おう」
「本当か! 有り難う」
その男は嬉しそうに笑って、俺に抱きついてきた。目一杯体を締め上げられ苦しくなる。
「や、止めろよ……離れろ」
「あ、悪い。じゃあ続きは俺の隠れ家で話すよ、ついて来てくれ」
俺も随分、お人好しになったものだ。自分の出した答えに小さく苦笑いをして、俺達はその男の後ろをついて歩く。大通りから外れ、細い道を右に左に歩き続けた。
途中、ヒヨが疲れたと言って座り込んでしまったので、俺はヒヨを背負った。前を歩く男が何か言いたげに俺を見るが、気にせず歩き続ける。
そろそろ俺の体力も限界を迎えそうになったころ、幾つか高い建物が見えてきた。
「ここは……?」
「ここ、昔ホテル街だったんだ。今は生き残った奴等で集まって暮らしてる隠れ家」
そう言ってその男は一つの建物に入っていく、ヒヨを降ろし、俺達もその後をついて行った。




