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華は歌い続ける08

俺は結局、この衣服を手放す気にはなれず。商人の出した条件に従うことにした。

 俺達がその建物に着いた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。案内された建物に近寄ると、中から微かに女がすすり泣くような声が聞こえてくる。しかし、中はうす暗く様子までは窺えない。

「ひいっ、不気味な声! やっぱり幽霊ですよぉ」

 隣で商人が、慌てた様子で情け無い声を出している。幽霊よりも、よっぽど不気味な格好をしている癖によく言うものだと、俺は商人を一瞥した。

 だが幽霊の確率は低いだろう、俺には霊感がない。霊感のない俺がこんなにはっきり幽霊の声を聞ける筈がない。

 しかし此処で、答えの出ない自問自答を繰り返していても仕方ないだろう。

「中の様子を見て来る、何か、明かりを貸して貰えないか?」

「明かりですか? 特別ですよー」

 そう言って、商人はライターを差し出した、ライターは使い古され、所々欠けているが、無いよりは良いだろう。

 全く、あの全身を覆う布の中に、どれほどの物を隠しているのだろうか。少し気になるが、先を急ぐ事にした。

 俺はライターの揺らめく頼りない明かりと共に、建物の中へと入っていく。

「ぅ……ぅぅ……」

 中は薄暗いが、広くはない。女のようなすすり泣く声が先程からずっと建物の隅から聞こえている。

 この時点でもう、俺の中から幽霊という言葉は、消えていた。

「そこで何をしている? 腹でも痛むのか」

 俺の声に、ソイツは肩を震わせ、顔を上げた。

 幽霊の正体は人間の男だ。歳は多分、俺と変わらない、随分華奢で顔立ちは中性的だが、それは確かに男だった。淡い栗色の髪に赤い花の髪飾り、そして、薄暗くてもはっきり分かるほどに鮮やかな、紅い着物を着ている。随分と派手な格好だ。

 ふと、男と目があった瞬間に、俺は息を呑む。その瞳が、澄み切った美しい空の色をしていたからだ。

「……分からない」

「分からない? 何がだ」

「何も、分からない」

 その着物の男が、嘘をついているようには思えない。

 だとしたら男は、記憶喪失なのだろうか。しきりに「分からない」と弱々しく呟いては頭を抱え、体を震わせていた。その姿はまるで、小動物のように俺の目に写る。それと同時に、男の姿に過去の自分を重ねていた。

 俺も所々だが記憶が欠けている。分からないという事は恐怖だ。その時の俺にはギルドラが傍に居てくれた。自分の名前すら思い出せない俺に、アイツは名を与えてくれた。それだけで俺は、自分の存在を実感でき、恐怖が和らいだ。

 だが、この男は一人、ここで泣いている。一人で分からないという恐怖に震えている。

 ――アイツも、こんな気持ちだったのだろうか。

 以前、ギルドラに、何故俺を助けたのかと理由を聞いたら「昔の自分に似ていたから」という答えが返ってきた。

 俺もきっと、同じ事を口にするだろう。

 気付くと俺は、その着物の男に手を差し出していた。

「ここにいても、記憶は戻らない」

 着物の男は、不思議そうに俺の手を見詰ている。その瞳から戸惑いが窺える。

「それなら、俺に付いてくるか? 記憶を取り戻す切欠になるかも知れない。来るかどうかはアンタの自由だが」

 着物の男の、まだあどけなさの残る瞳が、俺と俺の差し出した手を交互に見ている。そして、その白い指先が俺の手に触れる瞬間、俺はダガーを引き抜き振り返っていた。

「誰だ」

 振り返った先には、出入り口を塞ぐように、二人の男が立っていた。一人は手でナイフを弄ぶ、ひょろりとした長身の男。もう一人は、武器こそ持っては居ないが、衣服から曝された腕や足に逞しい筋肉の鎧を纏った男だ。

「なんだあ、女の声が聞こえるって噂だったから来たのによぉ、男かよ」

 長身の男ががっくりしたように言うも、男の視線が厭らしく俺の体を這う。

「まあ、オレは男でもイケるけどなぁ~」

「どっちからいくよ」

「先ずは、そこの威勢の良い子猫ちゃんからかなぁ~、お兄ちゃんと遊びましょうね~」

 男の視線が酷く不快だ、俺は生まれて初めて純粋な殺意を、感じていた。

「俺はアンタ達と遊ぶ程、暇じゃない」

 俺の拒絶の言葉を聞き、男達の表情が変わる。

「生意気なのも、そそるけどよぉ~、相手選べよ」

「ちょっと痛い目見せた方がいいんじゃね?」

 長身の男は返事をするように、ナイフの刃を此方に向けて突っ込んで来た。薄暗くとも、銀色に光る刃の姿を確かに捉えた俺は、それを避ける。男のナイフが空を切る。

 だが、上手く距離感が掴めて無かったのか。ナイフが微かに服を掠った、しかし俺の服には傷一つ無い。商人の言っていた、切れにくいという言葉はどうやら、本当だったようだ。

 そんな事を考えている間に、男がまた突っ込んで来る。すかさずダガーでナイフの刃を受け止める。刃と刃がぶつかる音が建物に響いた。

 どうやら、まともに戦って勝てる相手ではないようだ。なら狙う場所は一つしかない。俺はある一点に集中した。

 男の刃が離れ、またそのナイフを振るう。その一瞬を狙い男の手の甲目掛けダガーの刃を振るう。

「うお、危ねえ」

 俺のダガーは男の手の甲を切り裂き、反射的に男はナイフを手放す、ナイフはカランと音を立て落ちた。

 俺はその隙に次の攻撃に出ようとするが、微かに背後に人の気配を感じた。察するに、もう一人の男だろう。

 俺が気付いて居ないと思い込み、興奮を隠さず、鼻息荒く近寄ってくるのが見なくても分かった。

 俺はふと、以前からやってみたかった事を此処で試すことにする。背後の男が飛びかかろうとしたその瞬間、俺は思いっ切り回し蹴りを決める。

 正直、どこに当たるかも分からなかったが。俺の蹴りは見事に、男の鼻に当たったようだ。男は情けなく転がり、鼻を押さえている。

 いくら全身を筋肉で固めても、鼻だけは固められなかったようだ。

 長身の男が、慌てながらその男に近寄る。

「おい、寝てる場合かよ!」

「鼻が、鼻が!」

「たく、覚えてろよ!」

 随分古臭い、捨て台詞を吐き、長身の男は鼻を押さえるもう一人の男を引きずりながら出て行く、その情け無い後ろ姿を俺は、ただ見送った。

 振り返ると、今まで隅でうずくまっていた着物の男が目をキラキラさせながら近寄ってくる。

「……凄い」

 そう言って、着物の男は俺の手を握りしめ、軽く上下に振った。

「所で、お前……名前は覚えているか?」

 着物の男は首を傾げた後、首を左右に振る。

「なら、俺がつけても良いか?」

 男は、期待したような目をして頷いた。微かに栗色の髪が揺れる。

「お前の名は、ヒヨだ」

「ヒヨ?」

「ああ、ヒヨコみたいだからな」

 着物の男、ヒヨは、嬉しそうに「ヒヨ、ヒヨ」と繰り返し笑っていた。

「さて、幽霊の正体を商人に伝えなくてはな」

 俺はヒヨを連れ、商人が待つ、建物の外に行く。途中、先程の男が落としていたナイフが目に入り、それを拾った。外に出ると、今まで隠れていたであろう商人が姿を現し近寄ってきた。

「無事でしたかー」

「全く、薄情な奴め。それで幽霊の正体だが、人間だったぞ」

 俺は、充分役に立ったライターを商人に返しながら話す。商人は心底ホッとしたような表情を浮かべた後ヒヨに視線を移した。

「人間でしたかーって、この着物、もしかしてタツミさんの所を逃げ出したんですか?」

「タツミ?」

「知りませんか? 自分を頼って来た、戦えない弱い男や、自分が気に入った男に無条件で手を差し伸べる元、軍事主力部隊の隊長タツミですよ」

 「軍事主力部隊」と言う言葉に記憶が揺さぶられる、だが結局俺は何も思い出せなかった。その話しだけ聞けば、タツミという男は無条件で人を助ける良い奴のように聞こえる。だが、商人は声をひそめながら、内緒話をするようにまた口を開いた。

「だけど、裏では他の男に男の子を売ったり、自分で食べちゃったりする獣なんですよぉ~」

 前言撤回だ。この世界に良い人間なんてもう居ないのかも知れない。

 そんな事をされたら逃げ出したくなるのも分かる。だが俺はあることに気付いた。

「なら、そこにはたくさんの人間が集まっているのか?」

「ええ、随分大きな一つの組織になっているって噂ですよ」

 それなら、歌についての情報も何かあるかもしれない。

「タツミの居場所は分かるか?」

「ええ!? まさか」

「違う、知りたい事があるだけだ」

 納得したのか商人が頷く。

 商人が言うには、このまま真っ直ぐ行けば辿り着くそうだ。なにぶん、目印が無いため説明もし難いのだろう、商人の説明は随分簡単だ。俺は辿り着けるか心配になる。

「色々、すまない。後、このナイフと食糧を交換出来るか?」

「はい、出来ますよー」

 ナイフと交換に商人からスティック状の携帯食を何本か受け取る。

 全ての用事を済ませた商人は別れの言葉も残さず、そのまま夜の闇に溶けるように消えていった。


 辺りは、暗い。先に進むことを今日は諦め、俺とヒヨは一晩休める建物を探し、適当な建物の中へと入った。

 埃っぽい建物の中、俺は壁に寄りかかり座る。隣りでヒヨも真似するように座った。

 途端、隣から腹の虫が騒ぐ音がする。ヒヨは腹を押さえしょんぼりしていた。

「携帯食しかないが、食べるか?」

 俺が声をかけると、ヒヨの表情がぱあっと明るく変わる。見ていて飽きない男だ。

 早速、携帯食の包みを開け、その食欲を削ぎ落とす色合いの物体を差し出す、当然だがヒヨは首を振り拒んだ。

「これしか、食べ物はないんだ。食べておけ」

 ヒヨはそれでも嫌がる。俺は、仕方無くソレを口元まで運んでやる、するとヒヨは渋々かぶりついた。

 食べる決心がついたのか、俺の手から携帯食を食べている。まるで雛鳥か何かに餌をやるような気分だ。

「自分で食べたらどうだ?」

 しかしヒヨは、言うことを聞かず結局最後まで、俺の手からソレを食べた。俺も強く言えなかった辺り、この状況を受け入れていたのかもしれない。

 暫くすると、肩に重みを感じ、ふと隣を見ると、ヒヨが俺に寄りかかり無防備な寝顔を見せ、小さく寝息を立てていた。

「俺にも守るものが出来た……か」

 俺は小さく呟く。ギルドラは以前「守るものを抱える事は利口とは言えない」と言っていた、俺もそう思う。だが、俺は自分のとった行動に後悔はしていない。俺には、どうしてもヒヨの存在を無視できなかったのだ。

 それは、果たして過去の自分に似ているからという理由だけなのか、俺には分からない。



 だが、俺はそれ以上考えるのを止め、目を閉じた。

暫くして、ヒヨは丸まって眠り穏やかな寝息を立て始める。俺も少しうとうとし始めた頃だ。外から複数の足音に俺はすぐさま警戒態勢に入る。

 狂った男達だろうか。俺はダガーに手をやる。

 入り口を注視していると、そこから三人の男達が入ってきた。

「発見〜、良かったまだ近くに居て」

「昼間のお礼をしに来たぜ?」

 まだ懲りてなかったのか、昼間の長身の男と、筋肉質の男が仲間を連れてやってきたのだ。しかも、長身の男は斧を、筋肉質の男は角材。もう一人の男は小ぶりのナイフを持って居た。

 確かな殺意を三人から感じる。昼間とはわけが違うようだ。

「起きろ、ヒヨ」

「んん〜?」

 ヒヨは大きな空色の目をパチパチさせ、異変に気付いた。怯えたように俺の後ろに隠れる。

 俺はダガーを引き抜いた。

 男達は興奮を隠しきれない様子でじりじりと距離を詰めてくる。

 ダガーの柄を握る手に自然と力が入ってしまう。


 斧を持った男が一気に間合いを詰め、すかさず斧を振りかざした。俺はそれを避けるので精一杯だ。ダガーでは、下手をすれば刃が欠けかねない。斧が床に突き刺さる。凄い威力だ。一発当たれば死は免がれられない。

 ヒヨを守りながら、この狭い建物の中で戦うのはかなり不利な状況だ。さらに今まで俺は戦わずに逃げることが多かった。戦ったとしても一対一。今は三対一だ。嫌な汗が額に滲む。

 さらに横から角材を振るわれる。避けた先にはナイフを持った男が待ち構えている。俺は角材による打撃を受け止めながらナイフをダガーでかわす。

「逃げろ! ヒヨ!」

 ヒヨは一瞬躊躇うも、小さく頷き外へ走り出した。

誰もヒヨを追う者は居ない。ヒヨを重要視していないからだろう。

「ぐっ、……!」

 角材を手から離した男に強烈な一発を、腹部にくらった。

 全身に痛みが伝わり、俺は蹲る。痛みに視界が揺らいでしまう程だ。

「俺も忘れんなよ?」

 斧を床から引き抜いた男が近寄ってくる。いよいよ終わりかも知れない。

 ここで俺が死んでしまったら、誰がヒヨを守るんだろうか。あんな何も知らない子供のような男、こんな世界じゃ直ぐに殺されかねない。

 それだけじゃない、ギルドラが助けてくれたこの命はどうなるんだ。

「ギル……」

 俺は祈るようにダガーを握り締める。

 ギルドラならこんな時、どうする。

「死ね!」

 男は勢いよく斧を振りかざした。

 俺は思い出す、風に舞う黒髪を、無駄のない動きを。俺はここで終わるわけにはいかないのだ。

 俺に振り下ろされた斧は派手な音を立てて床に突き刺さる。俺は転がるように斧を避け、すぐに起き上がり、斧を踏みつけ男の肩にむかってダガーを振り下ろす。吹き上がる真紅。

「うあああ!」

 建物に男の悲鳴が響く。だが、俺はその男に目もくれず次に狙いを定める。ギルドラなら、次はどう動く。

 ナイフの刃を此方に向け、突っ込んでくる男にダガーを向ける。ダガーとナイフがぶつかり合い、ナイフを弾く。

 男の動きが止まる。

 俺はダガーを構え直し、筋肉質の男の顔の前を威嚇するようにダガーを振るった。

 男の鼻先に傷が出来る。

「さあ、どうする?」

 男はその場に尻餅をついた。最早その場に戦う意思を持った者は居ない。

 俺は建物を出る。夜風が俺の髪を揺らす。

「また、助けられたな」

 俺はダガーをもう一度強く握った。

 身を隠していたヒヨがひょっこりと現れ、俺に近寄ってくる。だが、

「シラン! 後ろ!」

 ヒヨの悲鳴じみた声が聞こえ、俺が後ろを振り返った時にはもう遅かった。

 小ぶりなナイフを持った男が、俺に向かって真っ直ぐ走ってきていたのだ。

 防ぎきれない。

「シラン!」

 一際大きなヒヨの悲鳴が響くのと、赤い血が吹き上がるのはほぼ同時だった。


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